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君津市圓明院

圓明院ホームページにて紹介している記事です。

僧侶無料派遣

2023-07-04 16:20:22 | 日記

 

業界初・葬儀場への無料僧侶派遣6月25日(日)から開始

業界初・葬儀場への無料僧侶派遣6月25日(日)から開始

宗教法人 圓明院(読み「えんみょういん」、住職:鈴木 敞道)は、院内の葬儀場「さくらホール」(所在地:千葉県君津市、運営:合同会社 メモリアル企画)で、2つの葬儀プラン...

 

 

■サービス開始の背景

団塊の世代約800万人全員が75歳以上となり、後期高齢者が日本人の2割近くを占める「2025年問題」が間近に迫っています。高齢者の数がピークになる2040年に向けて、死亡者数は増加していく一方だと見込まれています。

多死時代とも言われる昨今の葬儀事情は、「直近の親族で火葬だけ行って片付ける」という安易な形式を選択する方が非常に増えています。宗教的な儀式を伴い「親戚縁者が多く集まり、最後の見送りをする」という形式は減りました。これは、少子化で核家族化が進み、親戚・縁者の親交も薄れ、義理と言われる付き合いも途絶えたことが背景にあります。

 

圓明院は、昨今の習慣が一般的になっていくことを危惧しています。葬儀・供養は、感謝の念を手向ける大事な機会です。人が、多くの方々の縁や支えのお陰に気づく場でもあります。特に団塊世代は、明治・大正生まれの両親、つまり「家業や相続財産などの先祖代々にわたり継承するものを守るため、部落制度やしきたりの中で生活をしてきた両親」のもとで暮らしてきたため、「死んだら当然、坊さんがお経を上げて葬儀を営むもの」との認識を持っている方々です。一方、その喪主となる世代は、家業を持たず、相続財産は平等に分けるという時代に育ち、儀式やしきたりとは縁が遠い方々です。儀式が簡略化していくのは時代として当然ではあるものの、圓明院は、せめて私どもの出来る読経供養にて最後のお別れをさせてあげたいとの思いから、当サービスの開始を決めました。


圓明院オリジナル絵馬

2023-01-05 05:45:19 | 日記

禍根を絶ち切り、願い貫く(貫通する)

吉祥「勾玉絵馬」

当山圓明院の「切り抜き絵馬」は全国でも非常に珍しい絵馬です。

絵馬の中央部分を切り抜き御守としてお授けしております。

この御守は、

絵馬と同一の板の分身で あなた一人だけの「オリジナル御守」となります。

樹木葬の依頼は、君津市圓明院までお問い合わせください
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真言宗 智山派

2022-09-29 10:03:04 | 日記

真言宗は、弘法大師(774年〈宝亀5年〉- 835年〈承和2〉)によって日本に伝えられ1,200年の歴史があります。その間その教義や実践を研鑽する中で多くの分派を生み出します。
真言宗智山派は、鎌倉時代に高野山から分かれ根来を拠点として活動した覚鑁上人の教えを基として江戸時代に分かれた一派です。
真言宗は、大きく分けて「古儀の真言宗」と「新義の真言宗」に分かれ、新義の真言宗のなかに「新義派」「豊山派」「智山派」「室生寺派」の四派があります。
新義の四派は、教えは根来の覚鑁上人の教えの流れをくむ派で全く同じ教えなのです。智山派の教義と豊山派の教義や新義派、御室派はすべて同じ教えなのです。
読経するお経は、真言宗はすべて理趣経を読経します。所依の経典は、大日経と金剛頂経です。

"覚鑁上人-ウィキペディア-"

我が家の宗派は、真言宗智山派です。胸を張っていい切る人がいたり、自分の家の宗派は分からないと答える人がいます。

信教の自由と憲法で定められて、我が家の宗派にこだわる世代、信教(信じる教え)と我が家の宗派が異なる「常識」と「習慣」の板挟みの中で「伝統/文化」を守るとは。

高野山を離れて、根来に一派を構えた集団(真言宗の新義派)ですが、その後豊臣秀吉に焼き討ちにされます。その時の根来寺の石高は、72万石だそうです。-次回へ-

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あの世とこの世-通夜-

2022-09-24 04:56:29 | 日記
最近では、人が着物を着る機会が少なくなったのであまり耳にすることがなりしたが、着物を間違えて左前に切ると「それは、死人の真似だから」とか「お茶を薄めるのに水の中にお茶を入れると死人の真似」だとか言われいました。
 死者には、確かに着物をこの世のしきたりとは、逆の左前にして着せ飾ります。昔は、背広を上下に着せ飾っていたこともありました。日本人の「あの世観」は、「この世」とは全て逆にあるという世界観を持っています。そして、死者は旅支度を整え、六文銭を携えて死出の旅に向かったのです。

 さて、本題の「お通夜」ですが、あの世とこの世は、すべて逆であるということは、この世の朝は、あの世の夕方であり、この世の夕方は、あの世の朝にあたります。
もともと、朝方は「かわたれ」夕方は「たそがれ」とどちらも薄暗くて「彼誰」「あれはだれ」と薄気味悪く霊がさまよう時期であるという。あの世で旅支度をして朝一番に出発するには、この世の「たそがれ時」に出るのが一番ということになる。
 つまり、夕方から始まる「お通夜」は、昔は、死者のための「葬送の儀」今でいう「本葬儀」にあたるものでした。「お通夜」の夜通し線香を絶やさず行うのは、あの世の「日中迷わずに行くべきところ」に着くことを願って行うものなのです。

 アイヌでは今でも葬儀は夕方行われるそうですし、明治天皇の葬儀は、夕方始められました。
参考
明治天皇崩御(明治45年7月)7月30日、明治天皇崩御。59歳。
9月13日夜 青山練兵場にて御大喪式挙行。
9月14日 京都府桃山御陵御埋棺式。
9月15日 跡始末御祭典。

この「あの世とこの世」は、すべて逆の世界とう世界観はいつの頃からなのでしょうか?---つづく---

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