
この世の完全なものは、あの世では不完全なものなのです。
死者に捧げる器は、葬儀の際には必ず割るという習慣があるのは、そんな信仰があるからです。
今でもお盆に食べ物を盛る「かわらけ」(素焼きの小皿)などは使用後割る習慣があります。
この習慣は、遠く縄文土器などの副葬品などにも見られるといいます。副葬品のほとんどは完全なものではなく意図的に割られたり、頭と胴が切断されたものもあり、あの世に行って完全なものに生まれ変われという願いが込められたものだそうです。
さて、あの世とはどんな処なのだろうか?
私の母親は、93歳でこの世を去ったわけですが、亡くなる一週間位前に生きている内に最後のお別れをしたいからと寝ている床のそばに友人を呼び感謝の言葉を述べていました。その中で特に親しい人に「ありがとう。ほんとによかったよ、待ってるからね」と声をかけていたことを思い出します。「待ってるからね」といわれても早々に行くからとは答えられない困惑していた友人の顔を思い出します。
この習慣は、遠く縄文土器などの副葬品などにも見られるといいます。副葬品のほとんどは完全なものではなく意図的に割られたり、頭と胴が切断されたものもあり、あの世に行って完全なものに生まれ変われという願いが込められたものだそうです。
さて、あの世とはどんな処なのだろうか?
私の母親は、93歳でこの世を去ったわけですが、亡くなる一週間位前に生きている内に最後のお別れをしたいからと寝ている床のそばに友人を呼び感謝の言葉を述べていました。その中で特に親しい人に「ありがとう。ほんとによかったよ、待ってるからね」と声をかけていたことを思い出します。「待ってるからね」といわれても早々に行くからとは答えられない困惑していた友人の顔を思い出します。