連鎖的な自殺報道。。。 不慮の天災(竜巻)。。。 こういう様々な報道の渦の中で,
私達大人がまず 一個の人間としての感性を磨き, 自然の摂理ということを 生きるものとして受け止め,
人として生きる時の 不条理 に対する 果敢な姿勢 を
子供達に見せてあげることが大切だ・・・と 思います。
平凡で穏やかな日常の中にある ささやかな感動を
日々,家庭の中で 「将来の社会を担うわが子たち」 に
語り続けることが 「親の役割」 だ・・・と。
その平凡を満喫できる毎日の暮らしの中で,
浮ついた報道に翻弄されて 「流行」 だけを追い求める
空虚な豊かさに 大人である親が溺れてしまえば,
子供達は なおさら うたかたに身(人生)を流されてしまうのは
仕方のないことだ・・・と 思います。
報道は,学ぶためにあるもの。
妙な不安心理に陥ったり 過剰な同調 をせず,
自分の身の回りを再度
見直す機会にしてほしい。。。
いいえ,そうしましょう!! |
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11月3日(金)は,『文化の日』 でした。 その 『文化の日』 は,先月の中秋の名月に続く 『十三夜』。 そういえば,私の家でも明治生まれのおばあちゃんが だんだんと日本人らしい風情が失われて行く昨今。 これからの季節は,日本の伝統・文化を味わう機会が増えますね。
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Momが子供の頃にも言われたような気がしますが。。。
息子の年代の・・特に女の子 が,言葉遣いがわ・る・い
最近,中学生の「いじめを背景とした自殺者」が増えています。
息子をはじめ同年代の子供達自身は,そういうニュースを
どのくらい真剣に受け止めているのでしょう
いじめ・・・は双方の主観的なものなので,
「いじめていない」 「いじめだった」 という分別は
難しいところではあります。
・・・ですが,
「言葉は心の表現」 = 「伝達」 の手段
として生まれたものであることを
もっと真摯に受け止めなくてはいけないと思います。
最近の「配慮のないストレートな単語」
キモイ・ウザイ・ムカツク・・・・・は,際立って耳障りな表現です
特に「キ・モ・イ」
「きも~ぃ」には「いじめ」と受け取れるまでの深い意味合いはなく,
「女の子が男子に向かって頻繁に発する」機会があるそうなのです。
息子も何かの拍子に言われることがあるらしぃし。。。
・・・けれど,そうやって「言葉に対して鈍感」に受け流して行くことは
果たして良いことでしょうかね。。。。。
まぁ,かつて自分も通った時代なので,思春期の女の子の
異性に対する特有の「嫌悪感」は理解できるところもあるのですが。。。
「心」に感じている度合いよりも「表に出てくる言葉」のニュアンスが
過大に「キツイ」印象が耳に付いて残ってしまいます
思春期の女の子って,ある意味「自己中心的な自画自賛」に陥るので,
「無意識で配慮のない言動」が,時に他者にとっては残酷になるのです。
そういう「自覚のない」「無神経な」「誤解を招く」言動の連続が,
結果的に第三者にとっては 「いじめ」という印象 になり,
知らない間に他人を傷つけているということはある!と思います。
そういう「配慮(心遣い)」を即時,注意できるのは,
身近な生活者である「親(大人)」しかいない・・・と思うのですが。。。
親(大人)たちも,つい,受け流しているところが多いような気がします。
我が家には女の子はいないので・・・,
息子の同年代の女の子達に多い「気になる言葉遣い」には,
著しい嫌悪感があります。
「言葉は心を表すもの」・・ということを,
我が家でも再度,考えて行きたいです。