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子どもの頃 家の裏に爆弾の破片が刺さって穴があいても育っていた木があった

2012-01-07 12:51:44 | 昭和……
先月、父と(実家が遠いので会う機会が少なくて…)の久しぶりに会話~

「家の裏に爆弾が刺さったっていう木があったよね」の話し
半信半疑だった

終戦後 満州から帰ってきた父は
焼け野原になってしまった町がやっと復興し始めた所への帰国でした
(市の中心部はほとんど焼けつくされていた。当時飛行場や軍事用の工場が建ち並ぶ場所で狙われた)
艦砲射撃やらB29が100機飛んできて何万発の焼夷弾や爆弾を落としたり

家にたどりつき 唖然とした父 当時20歳くらい
隣の家はふっとんで姿がなく

自分の家は 建前の状態・・・骨組みだけが残り 
わずかにむしろで雨風をしのいで暮らしていたらしい

その木は 家の裏にあったが 爆弾の破片が刺さっていた


男手もないため  (お爺ちゃんはいたのかな)
苦労したであろう 女たち私のお婆ちゃんや伯母さん(当時子ども)、

戦争から帰ってきた兄弟で
竹を裂き
骨組みだけの家にくっつけて
粘土土を遠方から運びこみ
わらを刻んで粘土土と混ぜ混ぜして 泥壁を貼り
板で周りを囲んだそうだ

窓ガラスなんてものもなく、木でつっかえ棒をして窓がわりにしたり・・・ 

爆弾が落ちてきた時 みんなで防空壕に逃げ込み たまたま生き伸びられ
壕の周辺は 砂煙と土が舞い上がり ばたばたばたと 物が落ちてきたそうです 

戦争史があちこちのホームページで今では読むことができる
この空襲での記載を見ると

逃げた防空壕に爆弾直撃された状態を あまりにも 悲惨な表現で書き込まれた文がある

肉片・・・とか (正月そうそうごめんなさい)

うちの木に刺さった爆弾の破片は、その後 建て替えられた実家の 地下?にあるそうだ

ギョギョッ

 
 

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