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平清盛 第32話

2012-08-19 21:52:52 | 平清盛
第32話 「百日の太政大臣」

清盛(松山ケンイチ)は、娘・盛子(清盛の娘)の夫であり藤原摂関家の長で摂政の藤原基実(村杉蝉之介)の力添えにより、大納言に昇進する。
それはかつて前例のないことで、基実の弟で左大臣・基房(細川茂樹)や兼実(相島一之)は快く思っていなかった。
清盛は、後白河上皇(松田翔太)に貢物を持っていった帰り道に、亡き信西(阿部サダヲ)の側近であった西光(加藤虎ノ介)に会うが、西光に源義朝の嫡男・頼朝を死罪にしなかったことから「私は貴殿の事を信用できませぬ」と言われてしまう。
その後、西光は後白河上皇の側で仕えることになる。
そんな中、摂政・基実が急死してしまい、清盛ら平家一門は後ろ盾を失い慌てる。
しかし、藤原摂関家に長く仕えていた藤原邦綱(岡本信人)が訪れ、基実の広大な荘園を正室・盛子(清盛の娘)が受け継ぎ、盛子はまだ11歳と幼いので、父・清盛が代わって預かることにしては、と話す。
安堵する家臣たちに向かって、清盛は「財を投げ打ち、武力を駆使し、身を削ってそれだけのものを我らは築き上げてきたのじゃ。みな、わしに続くがよい」と話す。
また、上皇に嫁いだ義妹・滋子(成海璃子)は、子・憲仁が東宮(次の天皇)になった時には東宮大夫になってもらいたいと清盛に話し、上皇を支えるよう頼む。
清盛は内大臣となり、内裏での「五節の宴」の席で上皇に話しかけられる。
その際に、基実の所領を盛子が受け継いだ件や、憲仁の東宮大夫にと言われた件は、全て上皇が裏で手を回したものだと知る。
「ここは、わしの世じゃ。朝廷をそなたの勝手にはさせぬ。そなたの次に上るのは太政大臣。名はあれど、力は無い。そなたたち武士は、どこまで上ろうと番犬のまま死んでいくのじゃ」と上皇に言われた清盛は、怒りに打ち震える。
しかし清盛は、かつての母代りだった(祗園女御改め)乙前(松田聖子)の舞を見て考え方を変え、「治天の君の掌の座り心地、存じているのは国広しと言えど、この平清盛のみにござりましょう。修羅の道を歩んできた故にこその、この心地。存分に味わい尽くしますぞ」と上皇に話す。
そして、清盛は乙前を家に呼び、すごろくをしながら「賽の目の出方一つで、駒の動きが変わる。遅れを取っていた者も、良き目を出せば勝ち上がることができまする。上りつめてみせますぞ、この世の頂に」と話す。
清盛は、ついに太政大臣に上り、長男・重盛(窪田正孝)は大納言となり、一門の者の地位を上げるだけ上げ、百日で清盛は職を辞する。
一方、伊豆に流罪となっている源頼朝(岡田将生)は、監視役・伊東祐親(峰竜太)の娘・八重姫(福田沙紀)と恋仲となり、八重姫は頼朝の子を宿し、男子を出産する。
しかし、京から務めを終えて戻ってきた祐親は、「さようなことが清盛様に知れてみろ、我ら伊東一族など一たまりもないわ」と叫んで、男子の命を絶ち・・・


というような内容でした。

さすが策士・後白河上皇・・・と思ったけど、清盛も思い直して、立ち向かっていく決意の表れた表情が、すごく良かったです
藤原摂関家の内情も、よく分かりました。
それにしても、天皇は幼少、摂関家の長の正室は11歳、摂関家の嫡男もまだ小さく・・・と、この時代は本当に凄まじいですね。
清盛は幼少時、あんなにワガママに振る舞っていたけど(笑)、自分の子の代になったら、全く子供の思い通りにはさせなくて。
まぁ、平家(かつては平氏)の置かれる立場が、それだけ劇的に変わったということなのですが。

「祗園女御」が「乙前」となって、清盛の前に再登場。
我が家では、ダンナが「あれっ?もう相当な年になるんじゃないの!?」と言っていましたが、「聖子ちゃんだから」ということで納得してもらいました(笑)
小さい時によく遊んでもらった「すごろく」。
後白河上皇がまだ親王の時に、清盛邸で共に遊んだ「すごろく」・・・
「すごろく」と絡めた清盛のセリフも、なかなか良かったと思います。

頼朝の方は。。。
この悲しみを乗り越えて・・・ということなのでしょうが、切なすぎでしたね。
このシーンのために、先週から伊東祐親を清盛の近くでチラチラと見せていたのですね・・・


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