大手拓次再読ー『藍色の蟇』

夢想とは夢の中に神仏の示現のあること、心に思うあてのないこと。だから夢想は一瞬の儚い揺らめきを、あるいは一連の恒久的持続を要求したりするものなのか。わたしには他愛ない空想からとびだす希有な歓喜の一瞬さえも、他人のことばでしか見えない世界があった。ひさしぶりに大手拓次の詩集を読んで、もう三十年前に初めて呼んだ頃とは違って全くつまらないと思って通過していものが、急に足止めにあう。あの頃はなぜか、萩原朔太郎の詩と比べても内閉的で特異な情感と意味の通らないグロテクな感覚についていけなかったのかのしれない。
大手拓次が詩を書き始めた頃の同時代的、世相をふりかえると、昭和七年いわゆる「坂田山心中」が社会的な話題になり、慶応大学理財科三年在学中の調所五郎が恋人の湯山八重子と大磯の通称八郎山で心中した。当時の新聞によると心中事態の報道は扱いも小さくひともめを引くものではなかった。ところがその翌日、大磯法善院に火葬された八重子の死体が盗まれ墓地から少し離れたところから全裸のまま砂まみれで発見され、事件は一転して猟奇な様相を呈する。犯人は橋本長吉という火葬人夫。結末は女性が処女のままであったことが証明されプラトニックラブとして新聞紙上で大きく取り上げられることになる。東京日々新聞は見出しに「天国に結ぶ恋」となづけ、坂田山心中として社会的に映画や流行歌となった。また昭和十一年には阿部定事件がおこりこれも大きな話題として報じられた。ところが映画は後年になってから制作されたが、歌や映画の世界では無縁であった。また坂田山で同じ心中した人々は二十組もあった。昭和四年から自殺者が急増していることは統計がしめしている。その背景には世界不況に巻き込まれた不景気が影響している。東北地方にみられた飢餓状態、子殺し、娘売り、または都会での失業者の行き倒れなど深刻な問題が起き起きていた時代である。
大手拓次は同時代の世相など関係なくひたすら、ボードレールを読み、北原白秋の「ザムボア」「地上巡礼」などに作品を発表し続けていたのだろうか。昭和十一年十二月、アルス社から刊行された『藍色の蟇』は、やはり粘着的な感覚の故にか注目を浴びたという詩集である。
森の宝庫の寝間に
藍色の蟇は黄色い息をはいて
陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。
太陽の隠し子のやうにひよわの少年は
美しい葡萄のような眼を持って、
行くよ、行くよ、いさましげに、
空想の狩人はやはらかいカンガルウの網靴に。 (「藍色の蟇」全行)
この詩は萩原朔太郎との感覚的な類似を思い起こす。あえていえばこのことは朔太郎自身が自らの詩集『黒猫』には彼からの啓示によるところが多いことを認めている。この「藍色の蟇」のスタイルの特異性は作者の特異性というか、内面の生活自体の特異性に基づいているようである。他人との接触を好まないという性格は、終生なおらなかった模様だ。
「藍色の蟇」では、森はたしかに動植物にとっては宝庫といえるだろうか。藍色という発想も詩人らしい。藍色の蟇は、作者の想像物だと思うが、蝦蟇という一見、背中がぶつぶつ突起した気味の悪い生物と一般的には嫌われやすい生物と思うがその「蟇」に何を夢見ようとしたのか。黄色い息を吐く、ということで、視覚が嗅覚へと写り「ひつの絵模様をかく」とふたたび視覚の世界を呼び覚ます。それはまた「暗い暖炉」に火をつけて暖をとるといったほのぼのとした安堵感をもたらす意味につながっていく。この詩の主人公である「太陽の隠し子のようなひよわな少年」は、作者のことと受け止めることも出来るが、行くよ行くよと勇ましくではなく、いさましげである。「空想の狩人」をひ弱な少年はひきつれて狩り出かけるというのか。太陽の隠し子である少年は「美しい葡萄のような眼を持つ」といわれて、ふと短歌の春日井健の「未成年」が脳裏をよぎった。
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井健
旅に来て惹かれてやまぬ青年もうつくしければ悪霊の弟子 右同じ
大手拓次より四分の一世紀後の歌人が二十歳の時に発表し三島由紀夫に絶賛されたという短歌を振り返える。大手拓次が生涯妻を娶らなかったということが、童貞という春日井健のみずみずしい歌をふりむかせた。だがこの歌は大手拓次はしるよしもない。私の勝手な想像でしかないのだが、白秋を深く敬愛し、白秋の歌誌に作品を発表し続けた十五年という歳月、おどろくことには、ただのいちども訪れたことがないという極端に顔みしりなのか、内気な性格が、憂鬱な幻想の世界で夢想にみちびかれ、ただひとり詩を書き続けることに何の悔いるところがなかったのだろう。逆に言えば詩作しつづけることの強靱な意志の強さを感じることになる。大手拓次の詩の世界を鮎川信夫は次のようにのべている。
「性的抑圧者に特有の官能への執拗なもだえを秘めており、そこに純血なものに焦がれるストイシズムと奇怪な耽美主義とが同居していて、その世界をいやがうえにも特異なものにしている」。
つまり「純血に焦がれるストイシズムと奇怪な耽美主義」が同居しているということである。
大手拓次の詩的世界は、病的な異常感覚の世界に見えるということだろう。だが異常の世界を異端者として非難するつもりはまったくない。
それどころか閉ざされた幻想の世界でじっと耐えるように自らの詩的世界をつむぐ。耐えるということばをつかったが、大手拓次は耐えることが苦痛ではなく、ひとり孤独の部屋でたとえば、美しいみどりの蛇の妄想とたわむれていたというまえに、大学を卒業するまで美少年を愛し続けたと云うことと無関係ではないのだろうか。
陶器製のあをい鴉
なめらかな母音をつつんでそひくるあをがらす、
うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。 (「陶器の鴉」)
神よ、太洋をとびきる鳥よ、
神よ、凡ての実在を正しくおくものよ、
ああ、わたしの盲の肉体よ滅亡せよ、 (「枯木の馬」)
ある日なまけものの幽霊が
感奮して魔王の黒い黒い電動の建築に従事した。 (「なまけものの幽霊」)
かなしみよ、
なんともいへない、深いふかい春のかなしみよ、
やせほそつた幹に春はたうとうふうはりした生き物のかなしみをつけた。 (「春のかなしみ」)
もじゃもじゃとたれた髪の毛、
あをいあばたの鼻、
細い眼が奥からのぞいてゐる。 (「笛をふく墓鬼」)
灰色の蛙の背中にのつた死が、
まづしいひげをそよがせながら
そしてわらひながら、 (「蛙にのつた死の老爺」)
わたしは足をみがく男である。
誰のともしれない、しろいやはらかな足を磨いてゐる。
そのなめらかな甲の手ざわりは、 (「足をみがく男」)
にほい袋をかくしてゐるやうな春の憂鬱よ、
なぜそんなに あたしのせなかをたたくのか、
うすむらさくのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ、 (「つめたい春の憂鬱」)
(未)

夢想とは夢の中に神仏の示現のあること、心に思うあてのないこと。だから夢想は一瞬の儚い揺らめきを、あるいは一連の恒久的持続を要求したりするものなのか。わたしには他愛ない空想からとびだす希有な歓喜の一瞬さえも、他人のことばでしか見えない世界があった。ひさしぶりに大手拓次の詩集を読んで、もう三十年前に初めて呼んだ頃とは違って全くつまらないと思って通過していものが、急に足止めにあう。あの頃はなぜか、萩原朔太郎の詩と比べても内閉的で特異な情感と意味の通らないグロテクな感覚についていけなかったのかのしれない。
大手拓次が詩を書き始めた頃の同時代的、世相をふりかえると、昭和七年いわゆる「坂田山心中」が社会的な話題になり、慶応大学理財科三年在学中の調所五郎が恋人の湯山八重子と大磯の通称八郎山で心中した。当時の新聞によると心中事態の報道は扱いも小さくひともめを引くものではなかった。ところがその翌日、大磯法善院に火葬された八重子の死体が盗まれ墓地から少し離れたところから全裸のまま砂まみれで発見され、事件は一転して猟奇な様相を呈する。犯人は橋本長吉という火葬人夫。結末は女性が処女のままであったことが証明されプラトニックラブとして新聞紙上で大きく取り上げられることになる。東京日々新聞は見出しに「天国に結ぶ恋」となづけ、坂田山心中として社会的に映画や流行歌となった。また昭和十一年には阿部定事件がおこりこれも大きな話題として報じられた。ところが映画は後年になってから制作されたが、歌や映画の世界では無縁であった。また坂田山で同じ心中した人々は二十組もあった。昭和四年から自殺者が急増していることは統計がしめしている。その背景には世界不況に巻き込まれた不景気が影響している。東北地方にみられた飢餓状態、子殺し、娘売り、または都会での失業者の行き倒れなど深刻な問題が起き起きていた時代である。
大手拓次は同時代の世相など関係なくひたすら、ボードレールを読み、北原白秋の「ザムボア」「地上巡礼」などに作品を発表し続けていたのだろうか。昭和十一年十二月、アルス社から刊行された『藍色の蟇』は、やはり粘着的な感覚の故にか注目を浴びたという詩集である。
森の宝庫の寝間に
藍色の蟇は黄色い息をはいて
陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。
太陽の隠し子のやうにひよわの少年は
美しい葡萄のような眼を持って、
行くよ、行くよ、いさましげに、
空想の狩人はやはらかいカンガルウの網靴に。 (「藍色の蟇」全行)
この詩は萩原朔太郎との感覚的な類似を思い起こす。あえていえばこのことは朔太郎自身が自らの詩集『黒猫』には彼からの啓示によるところが多いことを認めている。この「藍色の蟇」のスタイルの特異性は作者の特異性というか、内面の生活自体の特異性に基づいているようである。他人との接触を好まないという性格は、終生なおらなかった模様だ。
「藍色の蟇」では、森はたしかに動植物にとっては宝庫といえるだろうか。藍色という発想も詩人らしい。藍色の蟇は、作者の想像物だと思うが、蝦蟇という一見、背中がぶつぶつ突起した気味の悪い生物と一般的には嫌われやすい生物と思うがその「蟇」に何を夢見ようとしたのか。黄色い息を吐く、ということで、視覚が嗅覚へと写り「ひつの絵模様をかく」とふたたび視覚の世界を呼び覚ます。それはまた「暗い暖炉」に火をつけて暖をとるといったほのぼのとした安堵感をもたらす意味につながっていく。この詩の主人公である「太陽の隠し子のようなひよわな少年」は、作者のことと受け止めることも出来るが、行くよ行くよと勇ましくではなく、いさましげである。「空想の狩人」をひ弱な少年はひきつれて狩り出かけるというのか。太陽の隠し子である少年は「美しい葡萄のような眼を持つ」といわれて、ふと短歌の春日井健の「未成年」が脳裏をよぎった。
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井健
旅に来て惹かれてやまぬ青年もうつくしければ悪霊の弟子 右同じ
大手拓次より四分の一世紀後の歌人が二十歳の時に発表し三島由紀夫に絶賛されたという短歌を振り返える。大手拓次が生涯妻を娶らなかったということが、童貞という春日井健のみずみずしい歌をふりむかせた。だがこの歌は大手拓次はしるよしもない。私の勝手な想像でしかないのだが、白秋を深く敬愛し、白秋の歌誌に作品を発表し続けた十五年という歳月、おどろくことには、ただのいちども訪れたことがないという極端に顔みしりなのか、内気な性格が、憂鬱な幻想の世界で夢想にみちびかれ、ただひとり詩を書き続けることに何の悔いるところがなかったのだろう。逆に言えば詩作しつづけることの強靱な意志の強さを感じることになる。大手拓次の詩の世界を鮎川信夫は次のようにのべている。
「性的抑圧者に特有の官能への執拗なもだえを秘めており、そこに純血なものに焦がれるストイシズムと奇怪な耽美主義とが同居していて、その世界をいやがうえにも特異なものにしている」。
つまり「純血に焦がれるストイシズムと奇怪な耽美主義」が同居しているということである。
大手拓次の詩的世界は、病的な異常感覚の世界に見えるということだろう。だが異常の世界を異端者として非難するつもりはまったくない。
それどころか閉ざされた幻想の世界でじっと耐えるように自らの詩的世界をつむぐ。耐えるということばをつかったが、大手拓次は耐えることが苦痛ではなく、ひとり孤独の部屋でたとえば、美しいみどりの蛇の妄想とたわむれていたというまえに、大学を卒業するまで美少年を愛し続けたと云うことと無関係ではないのだろうか。
陶器製のあをい鴉
なめらかな母音をつつんでそひくるあをがらす、
うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。 (「陶器の鴉」)
神よ、太洋をとびきる鳥よ、
神よ、凡ての実在を正しくおくものよ、
ああ、わたしの盲の肉体よ滅亡せよ、 (「枯木の馬」)
ある日なまけものの幽霊が
感奮して魔王の黒い黒い電動の建築に従事した。 (「なまけものの幽霊」)
かなしみよ、
なんともいへない、深いふかい春のかなしみよ、
やせほそつた幹に春はたうとうふうはりした生き物のかなしみをつけた。 (「春のかなしみ」)
もじゃもじゃとたれた髪の毛、
あをいあばたの鼻、
細い眼が奥からのぞいてゐる。 (「笛をふく墓鬼」)
灰色の蛙の背中にのつた死が、
まづしいひげをそよがせながら
そしてわらひながら、 (「蛙にのつた死の老爺」)
わたしは足をみがく男である。
誰のともしれない、しろいやはらかな足を磨いてゐる。
そのなめらかな甲の手ざわりは、 (「足をみがく男」)
にほい袋をかくしてゐるやうな春の憂鬱よ、
なぜそんなに あたしのせなかをたたくのか、
うすむらさくのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ、 (「つめたい春の憂鬱」)
(未)