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遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて

現代詩を中心に短詩系の文学についてあれこれ書いていきたいとおもいます。

影の爪(現代詩)

2018-12-24 09:58:02 | 現代詩
*昨日の「大手拓次再読」詩人論はなかなか読んでいただけないようで残念です。
今日は一昨年書いた詩を掲載します。

影の爪(現代詩)






その影は
人の重さを忠実に
支え、
なぞり、
自らの存在は主張しない
むろん、影はいのちの明暗を
あばきたてること以前に
見えないものの
ありかを焼きつけてはなさない


その影があって息づいている
世界の単純な仕組みは
なにより悲鳴の的になりやすく
あえて見ない、
見ようとしても見えない影の
悲哀を色濃くうつす


夏の影、
灼熱の車道
おもいがけない遠い暴動の
影の乱調か
全世界のはての果てまでも獰猛に殺戮をくりかえす
限りなくつづく手足のつめの血の
跡、
の影まで


自傷的な行動を
支え、
なぞり、磔ではない
圧倒的に死者を見送る花火の影よ
都市が泣く
生きて別れる闇深く、分かるひとはわかる
肉親たちの骨をばらまく
影の影まで



今日も現代詩です。

2018-12-20 05:38:06 | 現代詩
影の悲劇 田中勲



影は、
透明な物体の
悲哀である
影は、
不透明な物体の
真実である


真実にまとわりつく哀しみが
ぼくには見えない
存在の深い影をやどしているから
懐かしい明日への
みずみずしい
怒りの葡萄のひとふさも
ただ昏いだけの悩みの深さも語らず歎か
喉元を過ぎて
恐怖に襲われる


影は、
内面から沸き起こる命あるものの本質的な怒りに狂おうと
光りに変わることは決してない
それが唯一の望みなのだ
影の、影の存在が
たとえ古代の密書を手にいれようと
怒りの葡萄のひとふさを口に含む歓びにはおよばない
地球空洞説に耳を傾けながらも
この地上のぬくもりという大声の
欺瞞に目をそむけるように
満月に隠れる
 

影は、
不穏な身体の
悲鳴である
影は、
不謹慎な身体の
尻尾である


むしろ、
常に未完性な性を誘い
他者の目を素早く盗撮することもなく
単性植物のさみしさと
興奮する歓喜の泪に溺れることを密かにあこがれる
不透明さを脱皮して
あまい意思の疎通にもだえながら
耳元で虚言を囁かれても
困るだけだろう


「了)

今日は現代詩です.

2018-12-19 06:26:26 | 現代詩
*現代詩を掲載しましす「田中勲)


影の悲劇(Ⅱ)


影は、
透明な物体の
悲哀である
影は、
不透明な物体の
真実である


真実にまとわりつく哀しみは
ぼくには見えない
存在の深い影をやどしているから
懐かしい明日への
思いがけなく
そのみずみずしい
怒りの葡萄のひとふさを握る手は
ただ昏いだけの悩みの深さも語らず歎かず
世界は
昏い
喉元を過ぎて恐怖に襲われる
不安に充ちている


影は、
内面から沸き起こる命あるものの本質的な怒りに狂おうと
光りに変わることは決してない
それが唯一のあきらめとは云わない
影の、影の存在が
たとえ古代の密書を手にいれようと
緻密で膨大な策略にみちあふれた
虚偽という真実の迷路にまよい
地球空洞説に耳を傾けながらも
この地上のぬくもりを渇望する天使たちのか細い声の
欺瞞に目をそむけるように
満月に隠れる  


影は、
不穏な身体の
悲鳴である
影は、
不謹慎な身体の
忍耐である


むしろ、
常に未完性な性を誘い
他者の目を素早く盗撮することもなく
単性植物のさみしさと
興奮する歓喜の泪に溺れることを密かにあこがれる
不透明さを脱皮して
あまい意思の疎通にもだえながら
耳元で虚言を囁くのは
実態のない影の存在
振り落とされて気がつく裏切りの原点
どうにかしてくれ、と
盗まれた影の死を悼むしかない

(了)




*今年の10月から生まれて初めて俳句と言う句の世界の入り口にたってみました。
大変に奥のふかい世界(歴史のあるジャンルでは当然でしょうが)であるようでして
まだまだ発表はできませんが、楽しみがひとつ増えたようで喜んで居ます。

皆様のご批評、ご批判を是非を是非お聞かせください。









夢の舟 (田中勲)

2018-12-18 07:35:28 | 現代詩

久しぶりに現代詩を投稿します。この作品は近岡礼さんの編集発行による詩誌「氷見」に掲載のものです。
長編なののじっくり読んで頂けると嬉しく思います。(田中)


「夢の舟」はいづこ
ー瀧口修造「星と砂とー日録抄」を読みながら


(1)
古書店で見付けた、まさに夢の本であった。
浅草と新宿というふたつの街だけが
夢みる現場のように現れる。
銀座や渋谷ではないふたつの限定された場所
あたかも取りかえしのつかない
未生の夢が降る街だから
作者の創造の現場をうつしだすのだろう


そこには
「星と砂と」いう物質の夢。
鳥や植物という儚い命がかがやく夢。
「現れる自然、
 消える自然」の中で必死に生きぬく人間たち。
私たちの綱渡りの
「存在証明と不在証明」の接線に
その可能性を問うのだけれど。


作者は「あの頃は、カミナリ・オロシが
空へ舞いあがったものだ」と
懐かしい夢から覚めて、
いきなり太平洋戦争でついに還らなかった
若い画家の大塚耕一を偲ぶ
「彼はなぜ最後に、淡いタッチで、
誰も乗らない自転車など描いたのか。」と、


(2)
作者の乾いた言葉は
ただ中間項であろうとする
留保という思惟による不断の思索で。
さらに、星も砂もたんなる物質ではない
もう一つの輝かしい生命体、
絶体の純度を求めてやまない
意志の強さと脆さが光源化するのだ。


だから言葉の強度な透明感は
「肉眼の夢」ではけっして見えない
地上に墜ちてくる鳩や雀を目撃することはないように
「彼らは、どこへ、みずから姿を消すのか。」
自然の死の姿は私たちには見えない、
「枯葉は植物の部分死か! 」
この一行の声の向こうに自然の摂理を超えて顕れるものよ!


答えを求めない問は
「時間を領有することのできぬものが
空間を領有することができるか?」
はじめから答を求めない問のままで。
かつて世界の時空間の中で沈黙を強いられた
自由という束縛の恐怖から
永遠に逃れられない悲しみとはなにか?


(3)
作者が「新宿の地下道で、
与論島のスター・サンド(星砂)という
一摘みの白っぽい砂らしいものを買った。」と、
「この骨片のような星形」の
「星砂」はその形状や存在について、科学博物館では
「これは海中に住む原生動物の一腫で、
有孔虫目で、単細胞のアメーバの類の残骸、」という


   「星砂」というのは
   なんの残骸か
   古生代以前から生存している生物
   星が五の鋭角もつ、ひとでの五本の手のように。
   その理由で人は己の掌に星をよむのだ。
  あ、青い山脈に手を振っている彼ら
  (まるでこの世に生まれたことの意味を問うかのように)
   その運命をかぎわける不安な意志に
   文字の最も古い範疇の
   シュメールの初期の楔方文字に
   原型をみて
   印刷のアステリスク(*)は、
   手を振っているた痕跡か、と思う
   その(*)は、天体の興亡を象徴したものにすぎない
   だから魔術や幾何学との関係はしらない


何も知らないままで
「符号や象徴の迷路に好んで踏み込むのは
私の本意ではない。
ただ発生の現場に引きつけられるだけである」と
作者は告げるのみ、
(ああ、「夢の舟」はいずこ)
言葉を記述する行為は同時に言葉を殺戮するのだ!


(4)
私たちは矛盾と背理のなかを生きぬいてきたか。
人間は砂になれる、か。
確かに「人砂」とはいわない。
人の砂とはいえても。
「人砂」というには
言葉の歳月があまりにも足りないのだ
私たちが骨を粉々に砕き、
風雪に晒したところで、星砂とは違って、
きっと、膨大な歳月の光と影の交接が必要なのだ。
(ああ、「夢の舟」はいずこ)


作者の言語活動は、
闘うものの知的な輝きが、
不断のまぶしさが、
現前せしめるゆいいつの手だてとなって、
あらためてこの古書の中で、
ことばがことばで復讐することの不可能な状態であれば
それは絶体への志向を秘めているという
なにかを受け止める
その孤独の豊かさになぎ倒されて
あふれる悲傷のイメージから逃れることができない。           


(了)