下田えいじゅ ブログ

市民と共に、延岡のために

地区社協

2013年04月29日 | 日記

長年、富美山地区社協のためにご尽力され、強いリーダーシップで引っ張ってこられた、古川会長と松下副会長、木本副会長が3名とも同時に退任されます。
古川会長は満81歳になられます。

80歳を過ぎてもなお、街の事を考え、子どもたちの事を考え、行動されている、という姿は、これからの私たちの手本として、また尊敬の対象としていつまでもお元気でいていただきたいと、心から思える人物です。
寂しくもあり、またご英断に頭が下がる思いでもあります。

これからは新体制になりますが、微力ながら私も、富美山地区社協のますますの発展のために、お手伝いしていきたいと思います。


昨日は、妙田公園で「県北同盟家族ぐるみ大運動会」に参加しました。
参加といっても、〇×クイズの他はずっと見ていただけですが。
見てのとおり、写真はプログラムです。

私の住んでいる富美山西区では、数年前まで運動会を行っていましたが、高齢者ばかりということで、現在では行っていません。
一年に一度だけの、区民が行う運動会でしたから、復活できないかな?と思っているところです。
参考になるようなプログラムがないかな、と思い写真にとっところです。
掲示されているだけでしたので。

野球2

2013年04月27日 | 日記
お大師さんの反省会がありました。
約40名が参加しました。

来年は、お客さんがもっと見やすい警備誘導を考えたいと思います。

さて、私の昔話、高校野球時代の好プレー、今回は守備編です。
チームメイトからは、下田は1年の時が一番うまかった。と今だに言われます。
それにはわけがあります。

自分で言うのもなんですが、スーパープレーを一度だけやりました。
1年生大会の対都城工業戦です。

私はライトを守っていて、相手4番バッターの大飛球をキャッチしました。
「なんだそれだけか!」と言われそうですが、たぶんプロでもできないような?プレーなんです。

通常、外野手がフライを追いかけるときは、自分の後方にあがった打球でも、前を向いたままボールを見ながら後ろに下がります。それが正しいやり方です。
私は、高校になって野球をはじめましたので、いちかばちかとっさのことでそうしたのだと思います。

打った瞬間に、打球を見ずに全力で左斜め後ろに走り出し、立ち止まり振り向き、ちょうどグローブを出したところにボールが落ちてきました。
落下地点を瞬時に、そして完璧に予想できたんです。
セオリー通りやると、たぶん絶対に取れなかったと思います。

守備での好プレーは、あとにも先にも、このたった1回です。
あとは、エラーばかり!
特に守備はへたくそでした。

センスは、練習では得られませんでしたね。 でもとても良い思い出です。
おしまい。

野球

2013年04月25日 | 日記

延岡高校と延岡星雲高校の普通科高校2校定期戦が、西階球場で行われました。
躍動感あふれる高校球児のプレーと、スタンドから声援を送る生徒たち、私にもこんな頃があったなと、30年以上前が一瞬心によみがえります。

こう見えても、私も高校球児だったことは、以前書きましたが、へたくそだった私にも、心に残っている素晴らしいプレーがいくつかあります。
今日はバッティング編です。

高校2年生の時、今日と同じ西階球場での試合でした。
相手は、たしか日向工業高校だったとおもいます。
試合内容は、まったく覚えていませんが、私が打った打球はあわやホームランという当たりで、ライナーで直接レフトフェンスに当たりました、しかし、シングルヒットでした。

ランニングハイって言葉をご存知ですか?
気分が高揚して「ハイ」の状態になることですが、まさしくその時がそうでした。

あの長嶋茂雄が天覧試合でサヨナラホームランを打った時に、走り出そうとして立ち止まり自分の打球を見上げました。
後に長嶋は、「打球にほれた」と説明しました。

打った瞬間に、夢の中に入ってしまったような、宙を浮いて走っているような感覚でした。
気がついたら、1塁を駆け抜けていました。
私にも「打球にほれた」瞬間が1度だけですがありました。

高校3年生にとっては、最後の大会「夏の甲子園予選」に向けてあと2か月、精一杯悔いのないように、「ガンバレ~」。

金澤翔子

2013年04月24日 | 日記
ダウン症の書家金澤翔子さんが来延された。
先週の土曜日、大師まつりの最中だ。
カルチャーセンターでパフォーマンスを行った。

昨晩、友人から聞かされた。
写真もしっかり撮っていた。

まったく知らなかった。
痛恨の極みだ。少し大げさだが、会ってみたかった。
本人にもお母さんにも。

テレビのドキュメンタリー等で何度か拝見している。
その文字を見て、涙を流す人も少なくない。

彼女を一躍有名にしたのが、建仁寺に奉納されている「俵屋宗達筆 国宝風神雷神図屏風」を文字で表現した、「風神雷神」。
そのまま建仁寺に奉納された。

彼女は「風神雷神図屏風」を見ずに、お母さんからの話だけで書き上げたそうだ。

構図・躍動感・迫力、すべてが屏風絵そのものと絶賛された。

もっとPRして欲しかった。

一票の格差

2013年04月23日 | 日記
朝日新聞に、「私」の平等vs「私たち」の平等 と題したコラムが載りました。
内容は「一票の格差」についての考察です。

コラムからの抜粋
 あなたが都会の住民だとする。格差が受け入れがたいのは、地方に住む人と同じ一人の国民なのに、「私」の権利が小さくなるのは納得いかない。だが、地方からこんな声が上がる。「私たち中山間地を多く抱えている地域は、人口も東京に吸い取られながら頑張っている。そのうえ口も出すなということでしょうか」(鳥取県の平井知事)
 一票の格差の解消で、自分たちの県の声が都会と比べてますます小さくなることへの懸念。この場合、不平等を感じているのは「私たち」県民だ。
 「私」の平等と「私たち」の平等。一票の格差をめぐる都会の人と地方の人の思いは、主語のかたちが違う。

「一票の格差」の問題点を正確に鋭く指摘している。
ではどうすればよいか。考察は続く。

答えの一つは、「私」と「私たち」が別々に議論し多数を採る方法だ。
たとえば米国の議会は各州から人口の多寡(たか:多い少ない)にかかわらず同じ数が選出される上院と、ほぼ人口比で割り振られる下院からなる。つまり上院は「私たち」の平等、下院は「私」の平等が土台といえる。・・・・・・・

つまりこの問題は、国会とは?民意の正しい反映のさせ方をどうすればいいか?という、根本的な議論をしなければいけないということである。
単純に、国会議員一人が当選するのに選挙区によって2倍以上の一票の格差がある、それを解消すればいいという事だけでは済まないようである。
民意が非常に偏る傾向のある「小選挙区制度」と「国会議員の定数」も含めて、国会の在り方を真剣に考えなければいけない。

ここまで論ずると、民意の正しい反映のさせ方という点で、やはり地方議会の在り方まで視野を広げなければいけなくなる。
これについては、後日調査研究してみます。