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飛びます,飛びます 飛・び・ま・す (山崎ハコ)

2003年09月11日 | 歌っているのは?
 現在私が住まうこの町には,昭和30年代から40年代にかけて造成された比較的規模の大きな工業団地がいくつか存在する。それらの工場群は,周囲を低山や丘陵に囲まれたこじんまりとした盆地のなかにあって,少なからず広大な面積を占有している。時おり我が茅屋のはるか上空を,恐らく県央の厚木航空基地と富士山麓の東富士演習場を往来していると思われる自衛隊の輸送ヘリが通過してゆくことがあるが,彼らの視点からは,我が町の旧市街地のはずれあたりから水無川沿いを上流方面へと向かう河岸台地上に大きな工場がいくつも立地しているその集積ぶりが明瞭に鳥瞰できるはずである。(ああ,一度そんな風に空から眺めてみたいものだ!) 具体的な企業名をいくつか挙げれば,日立製作所,神戸製鋼,スタンレー電気,横河電機,東洋ラジエター,日産車体,日鍛バルブ,島津製作所などなど,昨今の経営内容ぶりは企業によりさまざまであるが,いずれも我が国の基幹産業を代表する製造業であることは間違いない。

 そして当然のことながら,それら大工場の近隣周辺地域には中小の零細下請け工場が寄り添うように数多く分布している。第二次産業に特有の二重構造である。工業団地内の主要な幹線道路は比較的よく整備されているが,幹線道路から少し外れると,未拡張の狭い道,未舗装のデコボコ道,行き止まり迷路のような道路などが結構多く見られる。産業の二重構造はインフラの二重構造を包含しているわけである。あるいは,長期的展望に欠けた中途半端な開発計画の残骸といった方が当たっているかも知れない。けれども,そのような中途半端な道路は,一般の自動車がほとんど通り抜けをしないことから,私のような自転車徘徊人にとってはむしろ好ましい道となっており,零細工場や倉庫や雑然たる民家や畑地,空き地などが混在する準工業地域内をすり抜ける「お好みサイクリング散策コース」をあちこちに設定している。そもそも,町工場が散在する路地裏の住宅地というエリアは,単なる勤め人のネグラとしての町(=ベッドタウン)などでは決して見られない,地味で地道で確固たる生活の匂い,ガサツでありながら何となく安らいだ雰囲気,明日への糧となるべき活力(=元気の素)の発散など,いわば五感に訴える「暮らしのキホン」がギッシリと詰まった場所であるように感じられる(勝手な言い草であることは重々承知しております)。

 以上を枕として本題に入る。先週の日曜日の午後,そのような裏道のひとつを自転車で通り抜けていったときの出来事について一寸記しておきたい。もう夕暮れ近い時刻であったが,ふと,どこかの建物の中から山崎ハコ Yamazaki Hakoの歌声が聞こえてきた。それは私にとって,とても懐かしいメロディー,懐かしいコトバだったので,思わず自転車を止めて耳をそばだて,しばし聴き入ってしまった。


  小さな雨が降っている ひとり髪をぬらしている
  長い坂の上から 鐘がかすかに聞こえる
  わたしの心のなかの あなたが消える
  恐かった淋しさが からだをつつむ

  Good-Bye あなた
  わたし先を越されたわ
  Good-Bye あなた
  その顔が目に浮かぶわ

  いつだったか笑って 二人別れていった
  きれいな想い出にするわ 元気でと別れていった
  いつの日か心のなかに あなたが棲み込んで
  幼い子供のように 秘かにあこがれた

  Good-Bye あなた
  バカね バカね わたし
  Good-Bye あなた
  小さな声で オメデトウ


 今から30年近くも昔の,ハズカシイほどに私と同世代の歌だ。どうやら一般家屋に隣接した小さな作業場の中から流れてくる様子だった。それにしてもメチャ懐かしい。いったい誰が聞いているのだろうか? つかのまの休日,家族は皆外出してしまい,ひとり家に残された中年オトーサン(ないしはオカーサン)が昔を思い出すようにシミジミと聞いているのか? あるいは,日曜日にもかかわらず納期に追われて作業場でせっせと働いている人が,気を紛らわすBGMとして流しているのだろうか? どちらにしてもハナハダ他人事ではない。私とて,一般世間では休日とされる日に自宅1階の仕事場で工期真近の仕事(主として単調な顕微鏡作業)に明け暮れることなどもあり,そんな時には景気のいいBGMとしてミシェル・フュギャン&ビッグ・バザールMichel Fugain et le Big Bazarなどをヴォリューム高く流していることだってあります。それを,家の前を通り過ぎる誰が聞かないと断言できようか? ある歌は人を励まし,ある歌は人を自省に導き,またある歌は人を妄想の世界にいざなうわけで。

 話は変わって,今日び街中のあちこちで見掛ける10代,20代の若い連中の行動生態を仔細に観察するたびにつくづく思ってしまうのだが,いや,ワカモノのみならず30~40才世代の少なからぬ人々の動態からも同様なことが演繹されうるのだが,この国が現在直面している「不況」という名の社会構造の変化は,「ビンボー」とはほとんど無縁の奇妙な現象である。生活水準(すなわちビンボー・レベル)を取りあえず一定に保持したまま生活習慣の方をレベル・ダウンさせる,そうすることによって当面の不況に対処しているヒトビトの何と多いことか。生活習慣を伝統文化と言い換えてもいい。《大きな人生が小さな人生を食い尽くす》(Etienne Roda-Gil),あるいは吉岡忍の言葉を借りれば《自分以外はみんなバカ》の世界。これを要するに,伝統文化の二重構造とでも言えるかも知れない。そのような人種にとって,「町工場と山崎ハコ」なんてぇ概念は真っ先に否定されるべき悪しき旧習のタマモノでしかない。まことに憂うべき現実である。そんなザラザラした現実のなかにあって,私個人的には,準工業地域における質素で地道で明日をしっかりと見据えた暮らしぶりが,近い将来「絶滅危惧生活様式」に指定されないことを秘かに望むくらいしか能がない。実践ではなく理念が問われているわけだから。(なーに言ってんだか)

 山崎ハコ御本人について申せば,デビュー当時,たかだかハイティーンの小娘でありながら何とも眩しい才能のキラメキを感じさせる歌の数々を生みだしたことに,ほぼ同世代の人間として正直なところ強いショックを受けたことを今でもはっきりと記憶している(その影響度ときたらアナイフミヒコに勝るとも劣らない,と断言できる)。天賦の才というものは確かにあるものだ,と他人事ではなく十分に思い知らされた。その後,諸々の事情(嗜好の変化・心境の変節)により彼女の歌は疎遠になってしまったが,仄聞するところによれば,約30年もの長きにわたっての紆余曲折,幾多の言い知れぬ苦労を重ねながら現在でも歌手生活を続けているらしい。持続もまた才能である,ということをいつからか悟ったのだろうか。

 そんなこんなで,一昨日,ネット・オークションでデビューアルバム《飛・び・ま・す》を入手してしまった次第であります(いや,お恥ずかしい)。 さあ,久しぶりに聴いてみようかナ。
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