いやはや,それにしても年寄りは朝が早い。いえ,ワタクシのことですケド。
これでも ほんの少し前までは それこそ筋金入りの《夜更かし族》だった。私事ながら数十年にわたり在宅個人自営業に従事していたこともあって,地方出張や朝一会議などがある場合を除き,ふだん家で仕事をしているときは,幸いなことに有難いことに毎朝の強制的早起きが必須という身分ではなかった。そのため,夜寝るのはだいたい深夜の午前1時から2時,3時頃,ときにはアレヤコレヤで明け方近くになって就寝することもあった。そして朝はだいたい午前8時台,ときには9時過ぎにユルユルと起きていたように思う。それがどうしたことか,ここ最近は夜10時に寝て朝4時に起きるという律儀な生活ぶりに変貌したのである。いや別に,この期に及んで突如として我が身体上の重大な欠陥が露呈したというわけでも,あるいは精神上の深刻な欠落が生じたわけでもない(と思う)。何だかヨクワカラナイが,兎にも角にもこれでやっと私も世間のジジババ並みになっちゃったゾ,という次第なのであります。
で,その早起き老人は,毎日毎日,朝も早うから部屋の中でラジオをなんかを聴いている。たまに気が向いたときには自転車で近所を軽く走ったりもするけれど,基本的に起きがけの自転車活動は身体に悪いと承知しているので,そういうことは滅多にない。で,室内でまったりしながらラジオを聴いているのだ。より正確に申せば,ラジオから流れる音声ないし音楽をBGMとして部屋中にとめどなく拡散させているといったところがその実態だろうか。もっとも拙宅周辺は電波受信事情がかなり悪いので(高圧送電線のせい?),もっぱらPCを通じてネット・ラジオ,すなわちNHKの「らじる☆らじる」や民放の「radico.jp」を聞いている。ただし,民放は朝っぱらから概してウルサイので,この時間帯に洗濯,もとい選択するのはNHKばかりだ。PC外付けのスピーカーはクリエイティブCreativeのInspire T10で,全然大したもんじゃない。
午前5時台にはNHK-FMで邦楽なんぞを聴く。そこで流れる楽曲の数々は,いずれもこれまでの我が短からぬ人生において ついぞ無縁であった伝統文化芸能の一ジャンルなわけで,正直なところ面白くも何ともないが,それでも敢えて聞く。自らの過去の様々な愚考,愚行に対する罪滅ぼしを今頃になって今更ながら行うかのように,例えばヒンドゥーの土俗的音楽,あるいはアラビア民謡などと同じたぐいのエキゾチックな匂いを感じつつ,ひたすら違和感をもって聞く。
午前6時からは,おなじくFMでバロック音楽の番組に耳を澄ませる。恥かしながら,邦楽に比べるとむしろこちらの方が私にはとても親しい存在なのだ。昨日だったかはJSバッハの「管弦楽組曲第2番ロ短調」が流れていた。ああ,懐かしい。愛おしくも悲しくも愚かしくも,その懐かしさに涙ながるる。伝統から乖離した文化的デラシネのなれの果て,かくのごとしである。断片的記憶が混濁した夜明けの海を漂うなかで,つかのま時間だけが勝手にフィードバックしちゃったりする。
6時半になると,いったん放送をAMラジオ第1に移し,ラジオ体操を行う。元気オニイサンの掛け声に合わせて,狭い部屋のなかで一緒に元気よく体操する。第1も第2も,ぜんぶキチンとしっかり行う。何だか自分がパブロフの犬になった気がしないでもないが,それでもちゃんと最後までおこなう。
そして7時の時報が告げられた後は,俗世間の定時報告たるお決まりのニュース番組はパスしてAMラジオ第2放送にチャンネルを変える。この時間帯,8時までの1時間は,ドイツ語,スペイン語,フランス語,イタリア語の語学講座が各15分単位で連続する。これらの基礎的学習プログラムをBGMとして流しているだけで私はとてもシアワセ気分になる。時事・経済・社会・芸能等々に係わる日々の雑多な出来事なんてまるで知ったこっちゃない,とでも言っているかのような,それらの一種「間の抜けたドラマツルギー」に浸ることにすこぶる満足する。学習的理解については,とりあえずドーデモイイ。居ながらにしてコンチネンタル・カルチャーの一端を味わうこと,コトバという民族文化基盤を通じてそれぞれに異なったお国振りを垣間見ること,そんなことがアワレナ老人に許されたささやかな喜びなのである。ちなみに,その後に続く8時からのハングル講座はパスする。あれは,冒頭の講師のバカっぽい掛け声を聞いただけで不快になる。
毎朝のラジオ聴取は大体このあたりで切り上げるのだが,ところでそもそも,そのような朝の数時間,いったいオマエはラジオを聴きながら何をしているのか?と訝しく思われる方があるいはおられるかも知れない。そうですね。それはまぁ いろいろです。単にコーヒーを飲みながらただひたすらボーッとしているだけだったり,部屋のなかの簡単な掃除をしてみたり,思い立って本棚の整理・片付けをしたり,壊れた日用品を修繕したり,こちらも早起きのミー太(猫)にチョッカイかけて(orかけられて)遊んだりしている。あるいは,手元に置いてある本をパラパラ読んだりもする。昨日から今日にかけては小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟なりき』,その前は幕内秀夫の『1食100円「病気にならない」食事』などを読んでいた。生涯一書生ということでしょうかね。それぞれになかなかタメになる。もちろん,タメにならないクズ本だって佃煮にするほど読んではいるのだケレドモ。
またある時は,ふと急に,どこか遠くの土地のことが気になって,PCでGoogle Earthを開いてその場所を確かめてみたりもする。これは実に便利なアプリケーションだ。ただし,いったんこいつを始めると,それこそ次から次へとワケもなくアテもなくあらゆる地域に移動して彷徨って,俯瞰して接近して,東西南北右往左往,時を忘れて際限がなくなってしまうので始末に負えない。別にどっかのバカな代議士の肩を持つわけではないが,最近のグーグル・アースは情報がけっこう頻繁に更新されているようだし,今の時代,新しい世界を知るうえで大変に強力なツールであると思う。インターネットにより提供される最良の情報のひとつだと思う。もし私が,いつの日か床に伏して動けなくなってしまったとしても,グーグル・アースを眺めていれば何日も何十日も退屈しないでずっとずっと過ごせるんじゃないかな。
おっと話がそれた。とまれ,現在の私は,そういう朝の時間を日々過ごしているわけでありまして,また,そんな風な朝があるからこそ,昼間ないし夜間の自転車活動もソレナリニ意味をもってくるのかも知れないという,しょせんはその程度の「自転車ぐらし」を暮らしているのでアリマス。なんて手前勝手でワケワカラン言い草でこのエントリーを締めくくっておきましょう。 あぁ,まだまだ修行は続くゾ。
これでも ほんの少し前までは それこそ筋金入りの《夜更かし族》だった。私事ながら数十年にわたり在宅個人自営業に従事していたこともあって,地方出張や朝一会議などがある場合を除き,ふだん家で仕事をしているときは,幸いなことに有難いことに毎朝の強制的早起きが必須という身分ではなかった。そのため,夜寝るのはだいたい深夜の午前1時から2時,3時頃,ときにはアレヤコレヤで明け方近くになって就寝することもあった。そして朝はだいたい午前8時台,ときには9時過ぎにユルユルと起きていたように思う。それがどうしたことか,ここ最近は夜10時に寝て朝4時に起きるという律儀な生活ぶりに変貌したのである。いや別に,この期に及んで突如として我が身体上の重大な欠陥が露呈したというわけでも,あるいは精神上の深刻な欠落が生じたわけでもない(と思う)。何だかヨクワカラナイが,兎にも角にもこれでやっと私も世間のジジババ並みになっちゃったゾ,という次第なのであります。
で,その早起き老人は,毎日毎日,朝も早うから部屋の中でラジオをなんかを聴いている。たまに気が向いたときには自転車で近所を軽く走ったりもするけれど,基本的に起きがけの自転車活動は身体に悪いと承知しているので,そういうことは滅多にない。で,室内でまったりしながらラジオを聴いているのだ。より正確に申せば,ラジオから流れる音声ないし音楽をBGMとして部屋中にとめどなく拡散させているといったところがその実態だろうか。もっとも拙宅周辺は電波受信事情がかなり悪いので(高圧送電線のせい?),もっぱらPCを通じてネット・ラジオ,すなわちNHKの「らじる☆らじる」や民放の「radico.jp」を聞いている。ただし,民放は朝っぱらから概してウルサイので,この時間帯に洗濯,もとい選択するのはNHKばかりだ。PC外付けのスピーカーはクリエイティブCreativeのInspire T10で,全然大したもんじゃない。
午前5時台にはNHK-FMで邦楽なんぞを聴く。そこで流れる楽曲の数々は,いずれもこれまでの我が短からぬ人生において ついぞ無縁であった伝統文化芸能の一ジャンルなわけで,正直なところ面白くも何ともないが,それでも敢えて聞く。自らの過去の様々な愚考,愚行に対する罪滅ぼしを今頃になって今更ながら行うかのように,例えばヒンドゥーの土俗的音楽,あるいはアラビア民謡などと同じたぐいのエキゾチックな匂いを感じつつ,ひたすら違和感をもって聞く。
午前6時からは,おなじくFMでバロック音楽の番組に耳を澄ませる。恥かしながら,邦楽に比べるとむしろこちらの方が私にはとても親しい存在なのだ。昨日だったかはJSバッハの「管弦楽組曲第2番ロ短調」が流れていた。ああ,懐かしい。愛おしくも悲しくも愚かしくも,その懐かしさに涙ながるる。伝統から乖離した文化的デラシネのなれの果て,かくのごとしである。断片的記憶が混濁した夜明けの海を漂うなかで,つかのま時間だけが勝手にフィードバックしちゃったりする。
6時半になると,いったん放送をAMラジオ第1に移し,ラジオ体操を行う。元気オニイサンの掛け声に合わせて,狭い部屋のなかで一緒に元気よく体操する。第1も第2も,ぜんぶキチンとしっかり行う。何だか自分がパブロフの犬になった気がしないでもないが,それでもちゃんと最後までおこなう。
そして7時の時報が告げられた後は,俗世間の定時報告たるお決まりのニュース番組はパスしてAMラジオ第2放送にチャンネルを変える。この時間帯,8時までの1時間は,ドイツ語,スペイン語,フランス語,イタリア語の語学講座が各15分単位で連続する。これらの基礎的学習プログラムをBGMとして流しているだけで私はとてもシアワセ気分になる。時事・経済・社会・芸能等々に係わる日々の雑多な出来事なんてまるで知ったこっちゃない,とでも言っているかのような,それらの一種「間の抜けたドラマツルギー」に浸ることにすこぶる満足する。学習的理解については,とりあえずドーデモイイ。居ながらにしてコンチネンタル・カルチャーの一端を味わうこと,コトバという民族文化基盤を通じてそれぞれに異なったお国振りを垣間見ること,そんなことがアワレナ老人に許されたささやかな喜びなのである。ちなみに,その後に続く8時からのハングル講座はパスする。あれは,冒頭の講師のバカっぽい掛け声を聞いただけで不快になる。
毎朝のラジオ聴取は大体このあたりで切り上げるのだが,ところでそもそも,そのような朝の数時間,いったいオマエはラジオを聴きながら何をしているのか?と訝しく思われる方があるいはおられるかも知れない。そうですね。それはまぁ いろいろです。単にコーヒーを飲みながらただひたすらボーッとしているだけだったり,部屋のなかの簡単な掃除をしてみたり,思い立って本棚の整理・片付けをしたり,壊れた日用品を修繕したり,こちらも早起きのミー太(猫)にチョッカイかけて(orかけられて)遊んだりしている。あるいは,手元に置いてある本をパラパラ読んだりもする。昨日から今日にかけては小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟なりき』,その前は幕内秀夫の『1食100円「病気にならない」食事』などを読んでいた。生涯一書生ということでしょうかね。それぞれになかなかタメになる。もちろん,タメにならないクズ本だって佃煮にするほど読んではいるのだケレドモ。
またある時は,ふと急に,どこか遠くの土地のことが気になって,PCでGoogle Earthを開いてその場所を確かめてみたりもする。これは実に便利なアプリケーションだ。ただし,いったんこいつを始めると,それこそ次から次へとワケもなくアテもなくあらゆる地域に移動して彷徨って,俯瞰して接近して,東西南北右往左往,時を忘れて際限がなくなってしまうので始末に負えない。別にどっかのバカな代議士の肩を持つわけではないが,最近のグーグル・アースは情報がけっこう頻繁に更新されているようだし,今の時代,新しい世界を知るうえで大変に強力なツールであると思う。インターネットにより提供される最良の情報のひとつだと思う。もし私が,いつの日か床に伏して動けなくなってしまったとしても,グーグル・アースを眺めていれば何日も何十日も退屈しないでずっとずっと過ごせるんじゃないかな。
おっと話がそれた。とまれ,現在の私は,そういう朝の時間を日々過ごしているわけでありまして,また,そんな風な朝があるからこそ,昼間ないし夜間の自転車活動もソレナリニ意味をもってくるのかも知れないという,しょせんはその程度の「自転車ぐらし」を暮らしているのでアリマス。なんて手前勝手でワケワカラン言い草でこのエントリーを締めくくっておきましょう。 あぁ,まだまだ修行は続くゾ。