最近では,喉の不具合のみならず,手足の末端部の動作感覚もだいぶ鈍りはじめている。冬場の寒い日など,足指の全体がシモヤケ状に薄赤く腫れあがることしばしばだ。また,手指の第一関節と第二関節の間などもカサカサになってひび割れる。ペンを持つ指が不用意に震えたりして思うようにキレイナ字が書けない。これは故・ナンシー関女史がかつて指摘していたところの典型的な老人性微震動の表出だろうか(もっともワタシ自身は清書する機会などめったにありませんケド)。いや,それ以上に日常で困るのは,PCに向かうときのキーボード打鍵がかなり覚束なくなっていることで,タイプミスも少なからず発生してイライラする。何とかならんモンじゃろーか?
という次第で,作業療法(occupational therapy)というか,リハビリの僅かな一助にでもなればと期待しつつ,此の頃は昔々に何処ぞに書いた文章(まだワープロもない手書き時代のオソマツな雑文)なんぞを探し出してはポツポツとタイピングしてみたりもする。本当は殊勝らしく写経でもすれば良いのかも知らんが,生憎左様な甲斐性も人徳も露ほどに無かりせば。。。 以下はその一例です。
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◆ 人はどのようにして自然主義者になるか (1981.07) ◆
その日の午後おそく,おれはM谷のF3に取り付いていた。昨夜来の雨で,閃緑岩のフェースは鋭角な節理ひとつひとつに水気を含み,薄く張りつめた水苔は,おれのフット・ホールドの選択をしばしの間戸惑わせるに十分だった。
ホイットニーのザックのバランスに気をつかいながら,おれは半インチづつスタンスを広げた。フォールのしぶきが霧状になってグラスを曇らせた。視野がかすんだ。フクラハギは小刻みに震え続けた。
フット・ホールドが安定すると,おれはようやく余裕をもって周囲の状況が判断出来るようになった。ややハングしたフェースは,それでもあと2mほどで登りきれそうだ。左上方に,手ごろなポット状のホールドがある。あそこに,左手に残っている最後の握力を頼んで,一気に勝負に出るか,それとも,右に1.5mのトラバースをして,のっぺりしたスラブにへばりつき,着実に高さをかせいだ方がいいか。いずれにしても,このままでいたんでは早晩力が負けて滑落してしまう。5m落ちたところで死にやしないが,どっちにしろ,あまりカッコの良いものではない...
おれは上方を見た。覆いかぶさる樹々の間を通して,小さな沢を鉛色のガスが音楽のように流れ,繰り返しおれのもとへ降りてきては消えた。フォールの単調な響きがそれぞれのリズム・セクションを受け持った。ザック越しに振り返ると,いつもなら望見できる秦野盆地の箱庭も,雨に煙って見ることは叶わなかった。日曜日とは言え,小雨の降るこんな夕暮れ時に,近くに他のクライマーがいるはずもない。おれはつかの間の自然との孤独な対話を楽しみ,そしてすぐ,そんな例の自分のまやかし心にうんざりした。
やがて判断は下された。ともかく,このフォールだけは手っ取り早くすませちまうべきだ。おれはポットへと左手を伸ばした。親指と人さし指と中指とで,ホールドの要所を注意深くプッシュした。
その時,手の甲に何か動くものを感じたのだ。おれはそおっと手を動かして,霧にくもった視野をこらした。
オヤミア・ギッバ・クラパレック!
おれは即座に彼を認めることができた。彼は不意の訪問者に,しばし途方にくれているように見えた。そして少しの間,六脚の跗節をいっぱいにふんばっておれの甲のフェースにしがみついていたが,やがて力尽きて空中に放たれ,フォールの取り付きへと落下し見えなくなった。
あとに残されたおれは,複雑な気持ちでフォールを見下ろし,そして,芝居じみた深いため息をつきながら,再び彼のかつての棲家に左手を伸ばした。もし,今のおれに祈るべきひとがあるとしたら,それは彼(もしくは彼女)を置いて他にない,という思いに不思議に胸をつまらせながら。
― こうしておれは,ナチュラリストの仲間入りをした。
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という次第で,作業療法(occupational therapy)というか,リハビリの僅かな一助にでもなればと期待しつつ,此の頃は昔々に何処ぞに書いた文章(まだワープロもない手書き時代のオソマツな雑文)なんぞを探し出してはポツポツとタイピングしてみたりもする。本当は殊勝らしく写経でもすれば良いのかも知らんが,生憎左様な甲斐性も人徳も露ほどに無かりせば。。。 以下はその一例です。
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◆ 人はどのようにして自然主義者になるか (1981.07) ◆
その日の午後おそく,おれはM谷のF3に取り付いていた。昨夜来の雨で,閃緑岩のフェースは鋭角な節理ひとつひとつに水気を含み,薄く張りつめた水苔は,おれのフット・ホールドの選択をしばしの間戸惑わせるに十分だった。
ホイットニーのザックのバランスに気をつかいながら,おれは半インチづつスタンスを広げた。フォールのしぶきが霧状になってグラスを曇らせた。視野がかすんだ。フクラハギは小刻みに震え続けた。
フット・ホールドが安定すると,おれはようやく余裕をもって周囲の状況が判断出来るようになった。ややハングしたフェースは,それでもあと2mほどで登りきれそうだ。左上方に,手ごろなポット状のホールドがある。あそこに,左手に残っている最後の握力を頼んで,一気に勝負に出るか,それとも,右に1.5mのトラバースをして,のっぺりしたスラブにへばりつき,着実に高さをかせいだ方がいいか。いずれにしても,このままでいたんでは早晩力が負けて滑落してしまう。5m落ちたところで死にやしないが,どっちにしろ,あまりカッコの良いものではない...
おれは上方を見た。覆いかぶさる樹々の間を通して,小さな沢を鉛色のガスが音楽のように流れ,繰り返しおれのもとへ降りてきては消えた。フォールの単調な響きがそれぞれのリズム・セクションを受け持った。ザック越しに振り返ると,いつもなら望見できる秦野盆地の箱庭も,雨に煙って見ることは叶わなかった。日曜日とは言え,小雨の降るこんな夕暮れ時に,近くに他のクライマーがいるはずもない。おれはつかの間の自然との孤独な対話を楽しみ,そしてすぐ,そんな例の自分のまやかし心にうんざりした。
やがて判断は下された。ともかく,このフォールだけは手っ取り早くすませちまうべきだ。おれはポットへと左手を伸ばした。親指と人さし指と中指とで,ホールドの要所を注意深くプッシュした。
その時,手の甲に何か動くものを感じたのだ。おれはそおっと手を動かして,霧にくもった視野をこらした。
オヤミア・ギッバ・クラパレック!
おれは即座に彼を認めることができた。彼は不意の訪問者に,しばし途方にくれているように見えた。そして少しの間,六脚の跗節をいっぱいにふんばっておれの甲のフェースにしがみついていたが,やがて力尽きて空中に放たれ,フォールの取り付きへと落下し見えなくなった。
あとに残されたおれは,複雑な気持ちでフォールを見下ろし,そして,芝居じみた深いため息をつきながら,再び彼のかつての棲家に左手を伸ばした。もし,今のおれに祈るべきひとがあるとしたら,それは彼(もしくは彼女)を置いて他にない,という思いに不思議に胸をつまらせながら。
― こうしておれは,ナチュラリストの仲間入りをした。
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