先週の土曜日,西丹沢の三保ダム貯水池(丹沢湖)まで出掛けてきた。主たる目的地はダム湖の左湖肢バックウォーター付近にある県立丹沢湖ビジターセンターで,移動手段はもちろん自転車であります。丹沢湖へは今から20年近く前に一度だけ,小田急線と富士急の路線バスを乗り継いで行ったことがあり,これが二度目の訪問である。
往復の移動ルートは,小盆地内の自宅より国道246号に沿って渋沢,松田,東山北,山北を経て谷峨まで進み,そこから県道76号へと別れて北上するという,ごくありきたりの道を安直に選択した。走行距離は途中での若干の寄り道を含めると往復で約75km,往路におけるアップダウンは標高140m→230m→70m→160m→320mといったところだろうか(復路はその逆)。丹沢山中を林道経由で山越えしたわけでもないので,道のり自体は比較的楽なコースだった。季節が良ければ是非とも林道ルート(三廻部林道→秦野峠林道)で行きたいところであったが,今の時期は日が暮れるのが大変早いので無理はせず,そちらの方は今後の課題(オタノシミ)とした。
それにしても,国道246号を自転車で走行していてつくづく感じたのだが,我が国の主要幹線国道,特に山間地域を通じる国道というものは,基本的に「ほぼ自動車専用道路」ないし「自動車最優先道路」として位置づけられている。そういったキビシイ現実を改めて突きつけられた思いがした。
山岳国道の一般的な特性として,時に隧道によるショートカットを交えつつも,概ね山腹を縫うように緩やかなカーブが延々と繰り返され,斜度勾配は多少あるものの急峻というほどではなく,山また山の沿道景観は単調なれども美しく,要するに,交通量が少なければそれなりに気持ちのよいFun to Driveな道路であろうが,これが交通量が多い場合はたちまち危険と隣り合わせの剣呑なHun to Driveな道路となりうるのである。
そして,そのような山間部の幹線道路は,通常,徒歩や自転車による通行が極力排除されている。というか,この道路を歩いたり自転車に乗ったりして通るのは出来れば止めて下さいね!アブナイですから!車の邪魔になりますから!といった親心,ないし下心が随所に見え隠れしている。具体的には,道路の保持保全,改修改善ないし拡充整備に際して,分離歩道の敷設や車歩道間ガードレールの設置,十分な路側帯幅員の確保,路肩部の凹凸段差解消などといった幹線道路建設における基本要件が一義的に満たされていない。いや,そんなものハナッからナイガシロにされている,といった方が正解に近い。いずれの案件も将来的な整備課題として留保されているのか知らんが,少なくとも現状において,それらが未整備の箇所があまりにも多すぎるのだ。かような状況は山深くなればなるほど,すなわち土地の起伏量が大きく,地形開析も進み,河谷が深いV字谷を形成するようなエリアにおいて一層顕著である。
今回通行した国道246号などは,産業道路にして生活道路,さらには観光道路としての側面をも備えていることから,大型コンテナ車,中・小型トラック,路線バスに観光バス,商用バン,自家用セダンに自家用ワンボックス,お遊び用巨大四駆,軽乗用車,軽トラック,大型自動二輪,原付バイクなどなど,実に様々な車種のモーター・ヴィークルが,概ね制限速度の10km/hオーバーで,ときには20~30km/h超のオバカ車も混じえながら,とにかくひっきりなしに山岳ワインディングロードをビュンビュン往来している。歩行者や自転車がツマハジキにされるのも宜なるかな。なまじ渋滞でトロトロ走りにならない分,その剣呑さは一層始末に負えない。
でもしかし,山国日本を特徴付けるそういった道路,本邦各地でごく普通に見られる山間地域の国道を,徒歩で,あるいは自転車で通り過ぎることを欲する人々は,それじゃあ一体どうすればよいのだろうか? 道路管理者の側からすれば,その答えは極めてカンタン。歩行者は何よりもまず安全第一,残念ですが歩くのは止めて路線バスに乗って下さいね。金銭的に余裕があるのならタクシーでも奮発して下さいね。どうしても徒歩で通過したければ,旧道なり山道なりの方を歩いて下さいね。そちらが本来の歩行者用の道なのですから。 では,自転車は? それは想定外ですね!
山道(登山道)というのは論外としても,旧道に関しては,ひとつの選択肢なのかも知れない。一般に,山間部の幹線道においては,道路整備計画に基づく付け替え道路の新設に伴い従来の道が現行道路にほぼ沿うようなかたちで旧道として残されているところが少なくない。それらは確かに,ある意味ノンビリユッタリとした心安らぐ道である。それはちょうど,河川改修に伴う蛇行部ショートカットや放水路建設によって本川から取り残された旧河道に似ている。ただし,そのような形で幹線道路の役目を終えた旧道は,実際には概ねツギハギ的,断片的な道として残存するのであって,新道に合流したり分岐したりの繰り返し,旧道自体としての独自性,連続性が保たれている例はごくまれである。旧道あたかも河跡湖(三日月湖)のごとし,である。第一東海自動車道[東名高速]に対する国道1号[東海道]というわけにはゆかないのだ。さらに,そのような旧道を抜け道的に利用するフトドキな自動車も結構多く(いわゆる旧道ビュンビュン族),歩行者および自転車にはまた別の危険が発生する。
幹線道路の話に戻ると,今回私が通ったルートのなかでは,例えば国道246号の大野山入口から新鞠子橋までの約2.2kmの区間などは,前記の要件をほぼ全て満たした自動車最優先道路であり,そこを自転車で通行する際にはかなり「気合いを入れて」走行する必要があった。私が通った日は週末であったため,平日に比べれば大型トラックの通行量はやや少なかったのだろう。それでも,バックミラー越しに視認される大型トラックや観光バスが次々と急接近してくるのを身の引き締まる思いで受け止めつつ,それらを何度もやり過ごさねばならなかった。何という試練だろうか。
その昔,他国に旅する旅人達は,箱根峠や足柄峠などの峻険な山越えの際,山中で追い剥ぎ,盗賊が出はしないかとビクビクしながら細いつづら折りの街道を急ぎ足で過ぎていったものと想像する。御老公様御一行ないし余程のお大尽でもない限り,山中においては自らの身の安全は全く保証されていない。盗賊に遭遇するか否かは,これすべて運・不運に左右される。後ろを振り返ってはいけない。ただひたすら前を見て一歩一歩シッカリと歩くのみである。 しかり。歩行者にとって,そして我ら自転車人にとって,山岳国道における自動車の存在は,まさに現代の追い剥ぎに他ならないのだ。もって刮目すべし。
そんななかを前方はるか遠くに自転車が1台,路肩ラインのギリギリのところをゆっくりと走っているのが確認された。徐々に近づいてゆくと,それは古ぼけた実用車で,荷台にはプラスチックコンテナがくくられ,中には野菜が沢山積んであるようだった。スピードはせいぜい10km/h程度だろうか,ゆっくりゆっくりマイペースの走りで,けれど左右にふらついたりすることはなく,実に堂々とした走りっぷりだった。ピリピリと緊張しながら走る自分とはまことに対照的であった。追い越すときにちらっと見たところ,初老の農夫といった風貌だった。おそらく近郷の人なのであろう。どのような人生観に基づくものかは不明なれども,その「ゆっくり自転車」の有様は,日常の自然なヒトコマ,ごくあたりまえの行為,何の衒いもない所作なのだと思わせる風情があった。自然と一体化する不惑の日々といった風格すら感じさせた。
そんなこんなで,不肖ソレガシ,まだまだ修業が足りないことを改めて痛感した次第であります。ハイ,これからの自転車人生,なお一層ガンバリマス!
往復の移動ルートは,小盆地内の自宅より国道246号に沿って渋沢,松田,東山北,山北を経て谷峨まで進み,そこから県道76号へと別れて北上するという,ごくありきたりの道を安直に選択した。走行距離は途中での若干の寄り道を含めると往復で約75km,往路におけるアップダウンは標高140m→230m→70m→160m→320mといったところだろうか(復路はその逆)。丹沢山中を林道経由で山越えしたわけでもないので,道のり自体は比較的楽なコースだった。季節が良ければ是非とも林道ルート(三廻部林道→秦野峠林道)で行きたいところであったが,今の時期は日が暮れるのが大変早いので無理はせず,そちらの方は今後の課題(オタノシミ)とした。
それにしても,国道246号を自転車で走行していてつくづく感じたのだが,我が国の主要幹線国道,特に山間地域を通じる国道というものは,基本的に「ほぼ自動車専用道路」ないし「自動車最優先道路」として位置づけられている。そういったキビシイ現実を改めて突きつけられた思いがした。
山岳国道の一般的な特性として,時に隧道によるショートカットを交えつつも,概ね山腹を縫うように緩やかなカーブが延々と繰り返され,斜度勾配は多少あるものの急峻というほどではなく,山また山の沿道景観は単調なれども美しく,要するに,交通量が少なければそれなりに気持ちのよいFun to Driveな道路であろうが,これが交通量が多い場合はたちまち危険と隣り合わせの剣呑なHun to Driveな道路となりうるのである。
そして,そのような山間部の幹線道路は,通常,徒歩や自転車による通行が極力排除されている。というか,この道路を歩いたり自転車に乗ったりして通るのは出来れば止めて下さいね!アブナイですから!車の邪魔になりますから!といった親心,ないし下心が随所に見え隠れしている。具体的には,道路の保持保全,改修改善ないし拡充整備に際して,分離歩道の敷設や車歩道間ガードレールの設置,十分な路側帯幅員の確保,路肩部の凹凸段差解消などといった幹線道路建設における基本要件が一義的に満たされていない。いや,そんなものハナッからナイガシロにされている,といった方が正解に近い。いずれの案件も将来的な整備課題として留保されているのか知らんが,少なくとも現状において,それらが未整備の箇所があまりにも多すぎるのだ。かような状況は山深くなればなるほど,すなわち土地の起伏量が大きく,地形開析も進み,河谷が深いV字谷を形成するようなエリアにおいて一層顕著である。
今回通行した国道246号などは,産業道路にして生活道路,さらには観光道路としての側面をも備えていることから,大型コンテナ車,中・小型トラック,路線バスに観光バス,商用バン,自家用セダンに自家用ワンボックス,お遊び用巨大四駆,軽乗用車,軽トラック,大型自動二輪,原付バイクなどなど,実に様々な車種のモーター・ヴィークルが,概ね制限速度の10km/hオーバーで,ときには20~30km/h超のオバカ車も混じえながら,とにかくひっきりなしに山岳ワインディングロードをビュンビュン往来している。歩行者や自転車がツマハジキにされるのも宜なるかな。なまじ渋滞でトロトロ走りにならない分,その剣呑さは一層始末に負えない。
でもしかし,山国日本を特徴付けるそういった道路,本邦各地でごく普通に見られる山間地域の国道を,徒歩で,あるいは自転車で通り過ぎることを欲する人々は,それじゃあ一体どうすればよいのだろうか? 道路管理者の側からすれば,その答えは極めてカンタン。歩行者は何よりもまず安全第一,残念ですが歩くのは止めて路線バスに乗って下さいね。金銭的に余裕があるのならタクシーでも奮発して下さいね。どうしても徒歩で通過したければ,旧道なり山道なりの方を歩いて下さいね。そちらが本来の歩行者用の道なのですから。 では,自転車は? それは想定外ですね!
山道(登山道)というのは論外としても,旧道に関しては,ひとつの選択肢なのかも知れない。一般に,山間部の幹線道においては,道路整備計画に基づく付け替え道路の新設に伴い従来の道が現行道路にほぼ沿うようなかたちで旧道として残されているところが少なくない。それらは確かに,ある意味ノンビリユッタリとした心安らぐ道である。それはちょうど,河川改修に伴う蛇行部ショートカットや放水路建設によって本川から取り残された旧河道に似ている。ただし,そのような形で幹線道路の役目を終えた旧道は,実際には概ねツギハギ的,断片的な道として残存するのであって,新道に合流したり分岐したりの繰り返し,旧道自体としての独自性,連続性が保たれている例はごくまれである。旧道あたかも河跡湖(三日月湖)のごとし,である。第一東海自動車道[東名高速]に対する国道1号[東海道]というわけにはゆかないのだ。さらに,そのような旧道を抜け道的に利用するフトドキな自動車も結構多く(いわゆる旧道ビュンビュン族),歩行者および自転車にはまた別の危険が発生する。
幹線道路の話に戻ると,今回私が通ったルートのなかでは,例えば国道246号の大野山入口から新鞠子橋までの約2.2kmの区間などは,前記の要件をほぼ全て満たした自動車最優先道路であり,そこを自転車で通行する際にはかなり「気合いを入れて」走行する必要があった。私が通った日は週末であったため,平日に比べれば大型トラックの通行量はやや少なかったのだろう。それでも,バックミラー越しに視認される大型トラックや観光バスが次々と急接近してくるのを身の引き締まる思いで受け止めつつ,それらを何度もやり過ごさねばならなかった。何という試練だろうか。
その昔,他国に旅する旅人達は,箱根峠や足柄峠などの峻険な山越えの際,山中で追い剥ぎ,盗賊が出はしないかとビクビクしながら細いつづら折りの街道を急ぎ足で過ぎていったものと想像する。御老公様御一行ないし余程のお大尽でもない限り,山中においては自らの身の安全は全く保証されていない。盗賊に遭遇するか否かは,これすべて運・不運に左右される。後ろを振り返ってはいけない。ただひたすら前を見て一歩一歩シッカリと歩くのみである。 しかり。歩行者にとって,そして我ら自転車人にとって,山岳国道における自動車の存在は,まさに現代の追い剥ぎに他ならないのだ。もって刮目すべし。
そんななかを前方はるか遠くに自転車が1台,路肩ラインのギリギリのところをゆっくりと走っているのが確認された。徐々に近づいてゆくと,それは古ぼけた実用車で,荷台にはプラスチックコンテナがくくられ,中には野菜が沢山積んであるようだった。スピードはせいぜい10km/h程度だろうか,ゆっくりゆっくりマイペースの走りで,けれど左右にふらついたりすることはなく,実に堂々とした走りっぷりだった。ピリピリと緊張しながら走る自分とはまことに対照的であった。追い越すときにちらっと見たところ,初老の農夫といった風貌だった。おそらく近郷の人なのであろう。どのような人生観に基づくものかは不明なれども,その「ゆっくり自転車」の有様は,日常の自然なヒトコマ,ごくあたりまえの行為,何の衒いもない所作なのだと思わせる風情があった。自然と一体化する不惑の日々といった風格すら感じさせた。
そんなこんなで,不肖ソレガシ,まだまだ修業が足りないことを改めて痛感した次第であります。ハイ,これからの自転車人生,なお一層ガンバリマス!