仕事が忙しいときの私は,ほぼ終日,家の中に隠りっきりの状態で机にへばりついて作業を続けている。精神的にも身体的にも,それが望ましかるべきライフ・スタイルでないってぇことは重々承知しておりまするが,個人自営業者の自己責任は,時として納期を健康に優先させ,経済を哲学に優先させる。その結果,首筋がパンパンになってしまうほどにデスクワークを続けることになる訳で,自らの選んだ道とはいえ,まこと難儀なジンセイである。
昨日の夜7時頃,「昼間の部」の仕事がようやく一段落して階下に下りてゆくと,今日の夕飯は7時40分ね!などといきなり家人から通告されたものだから,一寸はぐらかされたその気持ちを逆手にとって,よし,この貴重な時間を逃してなるまいぞと!ばかり急遽MTBに乗って山の方に向かって走りだした。行き先は別にどこでもいいのだが,昨日の場合は以前にもどこかで記したことがある「東京電力新秦野変電所」方面に向かった。
金剛寺という名の,当地では大変古い歴史を持つ寺院の脇道に入り,墓地に沿って斜度15~20%の急坂をゆっくり登ってゆく。たちまち心拍数が170近く(推定)に達してフウフウ息が上がる。坂の傾斜が20%を超えると,気をつけないと後ろにひっくり返りそうになる。それでもMTBのワイドなギア比が非力な自転車老人を少しずつ後押ししてくれる。いや有り難いことだ。
標高差にして約80mばかり登ると道はやや平坦になり,行く手の樹林が開けて,眼下には黄昏時の盆地風景が一望できる。広々とした田畑が薄暮色に霞んで広がり,農道や畦道,用水路が通じ,丘の端には夕餉の煙立ちのぼる農家なども点在する穏やかな景観である。すぐ下のこんもりとした樹林は,古く鎌倉時代の歴史的遺構であるところの源実朝公の『御首塚』が祀られた由緒ある場所である。またその隣には『ふるさと伝承館』と名付けられた,こちらは数年前にできたごく新しい建物で,御親切に水車まで付いている小綺麗で洒落た作りの公共施設がある。なかには手打ちソバ処や地元農産物直売所などが入っている。
この時期,夜の7時を過ぎても周囲はまだ薄明るいものの,昼間の暑い熱気はだいぶおさまってきて,さやかな宵風が汗をかいた額や頬や腕をサッーと掠めるように吹き抜けてとても心地よい。そうしたなかで,いわば700年余の歴史が混交した山里の風景を丘の中腹からしばしボーッと眺めていると,何やら自分が夕暮れのなかに自然と融けこんでゆくような気がしてくる。 《Je suis un soir d'ete 私は夏の夕暮れである》 と歌ったのはジャック・ブレルであったか。それともアルチュール・ランボーであったか。 あるいはボケ老人の単なるカンチガイであろうか?
けれどもしかし,あまりひとところにじっとしていると汗をかいた身体に小虫がまとわりついてきて少々ウルサイものだから,再び自転車に乗り,さらに山のほうへと向かってワインディングロードを登ってゆく。樹林帯の緩斜面を無理をせずにローギアでゆっくりと進む。すこし行って左カーブにさしかかったところで,突然,薄暗い路上のすぐ先で一頭の鹿が私の眼前をサッと横切った。左側が山腹の崖,右側が広葉樹林の谷になっている場所であった。一瞬のこととて驚く間もなく視界から消えてしまったが,夕暮れ時の鹿のシルエットとその華麗な跳躍ぶりは大変美しく,しなやかな残像としてしっかり脳裏に焼き付けられた。そして樹林の繁みに入り込んだのち,ピャッ,と一声高く鳴いた。恐らく彼女の方も私以上に突然の自転車の出現にオドロイタのだろう。御免なさいね。
こうして凡庸な一日は暮れてゆく。終わりよければすべてよし。その日一日の不遇は美しい雌鹿に免じてすべて忘れてあげよう。 (なーに言ってんだかぃ!)
昨日の夜7時頃,「昼間の部」の仕事がようやく一段落して階下に下りてゆくと,今日の夕飯は7時40分ね!などといきなり家人から通告されたものだから,一寸はぐらかされたその気持ちを逆手にとって,よし,この貴重な時間を逃してなるまいぞと!ばかり急遽MTBに乗って山の方に向かって走りだした。行き先は別にどこでもいいのだが,昨日の場合は以前にもどこかで記したことがある「東京電力新秦野変電所」方面に向かった。
金剛寺という名の,当地では大変古い歴史を持つ寺院の脇道に入り,墓地に沿って斜度15~20%の急坂をゆっくり登ってゆく。たちまち心拍数が170近く(推定)に達してフウフウ息が上がる。坂の傾斜が20%を超えると,気をつけないと後ろにひっくり返りそうになる。それでもMTBのワイドなギア比が非力な自転車老人を少しずつ後押ししてくれる。いや有り難いことだ。
標高差にして約80mばかり登ると道はやや平坦になり,行く手の樹林が開けて,眼下には黄昏時の盆地風景が一望できる。広々とした田畑が薄暮色に霞んで広がり,農道や畦道,用水路が通じ,丘の端には夕餉の煙立ちのぼる農家なども点在する穏やかな景観である。すぐ下のこんもりとした樹林は,古く鎌倉時代の歴史的遺構であるところの源実朝公の『御首塚』が祀られた由緒ある場所である。またその隣には『ふるさと伝承館』と名付けられた,こちらは数年前にできたごく新しい建物で,御親切に水車まで付いている小綺麗で洒落た作りの公共施設がある。なかには手打ちソバ処や地元農産物直売所などが入っている。
この時期,夜の7時を過ぎても周囲はまだ薄明るいものの,昼間の暑い熱気はだいぶおさまってきて,さやかな宵風が汗をかいた額や頬や腕をサッーと掠めるように吹き抜けてとても心地よい。そうしたなかで,いわば700年余の歴史が混交した山里の風景を丘の中腹からしばしボーッと眺めていると,何やら自分が夕暮れのなかに自然と融けこんでゆくような気がしてくる。 《Je suis un soir d'ete 私は夏の夕暮れである》 と歌ったのはジャック・ブレルであったか。それともアルチュール・ランボーであったか。 あるいはボケ老人の単なるカンチガイであろうか?
けれどもしかし,あまりひとところにじっとしていると汗をかいた身体に小虫がまとわりついてきて少々ウルサイものだから,再び自転車に乗り,さらに山のほうへと向かってワインディングロードを登ってゆく。樹林帯の緩斜面を無理をせずにローギアでゆっくりと進む。すこし行って左カーブにさしかかったところで,突然,薄暗い路上のすぐ先で一頭の鹿が私の眼前をサッと横切った。左側が山腹の崖,右側が広葉樹林の谷になっている場所であった。一瞬のこととて驚く間もなく視界から消えてしまったが,夕暮れ時の鹿のシルエットとその華麗な跳躍ぶりは大変美しく,しなやかな残像としてしっかり脳裏に焼き付けられた。そして樹林の繁みに入り込んだのち,ピャッ,と一声高く鳴いた。恐らく彼女の方も私以上に突然の自転車の出現にオドロイタのだろう。御免なさいね。
こうして凡庸な一日は暮れてゆく。終わりよければすべてよし。その日一日の不遇は美しい雌鹿に免じてすべて忘れてあげよう。 (なーに言ってんだかぃ!)