特筆するほどの事もなき相変らずの平凡な毎日であります。でも何とか生きてはいるようだ(誰だってそんなもんでしょう。少なくとも人類の95%くらいは)。 で,先週のこと。家から約5kmほど離れた電気店に自転車で買い物に出かけたという,これまた平々凡々な話を,少々無理があるとは承知しつつも忘れぬうちに記録しておくことにしたい。具体的にどことは言わぬが,某有名女子短大の近くにある「黄色い店」,いささか品位に欠ける外観を有する大型電気店である(言ってるジャマイカ)。拙宅からは約70m下って30m登る行程(帰路はその逆)で,普通に走って片道15分くらいだろうか。ちょっとした軽い運動にはなる。
店に着くと,まずは構内の駐車場の端を仕切っているフェンスの金網にチェーンキーで自転車をしっかり固定し,しかるのち黄色い店内に足を踏み入れた。2フロアのうちの何ヶ所かの売り場を回り,予定していた二,三の必要な買い物を速やかに済ませる。さらにその後,別に買うアテはない(予定も予算もない)けれど個人的に興味のある商品,例えばスキャナーやらデジカメやら電子辞書やら,あるいはMP3プレイヤーやらDVカメラやらオーディオコンポやらの棚を物色し,なかに新機種が陳列されておれば何やら嬉しくなって,いかにもモノ欲しげにあれこれとイジッテみたりする。大型店はこれが楽しい。けれどそのうちに何処からともなく店員が私にすり寄ってきて背後から話しかけたりするというのがお定まりのパターンだが,そういった場合,少々勿体振った物腰で丁重に拒絶する。 説明ハ不要ナリ。自由ニ拝見サセテ頂キタク候。 店員の方は,ダメダ,コリャ,とばかりヒヤカシ客に見切りをつけてすんなり引き下がる。いや,大型店は楽しいものだ。そうやってひとしきり店内で遊んだあと,さて帰ろうかという気になって再び駐車場に戻り,キーの解錠をしているときのこと。 突然,背後から再び声を掛けられた。
「カッコイイですねー。そのGIANTのバイク。いくらくらいするんですか?」
振り返ると,声の主は身の丈ゆうに180cmを超えようかという,ガッチリした体格の30代半ばと思しき男であった。身なりからするとタクシーの運転手らしい。その電気店に用事で訪れた客を一寸待っているような感じだった。後ろの駐車スペースには黒塗りのタクシーが1台駐まっている。それにしても漫画のイガグリ君を天地水平に膨張させたような偉丈夫で,一歩間違えれば暗黒社会のヨージンボーにもなりかねない体躯と風貌だ(失礼!) しかしながら,というか,さればこそ,というか,この期に及んで先様の親しげな問いかけを当方としては一方的に無視するわけにもゆかず,成りゆき上しばし自転車談義のお相手をする羽目にあいなった。
「いやいや,GIANTのなかでは,割と安い方ですよ。入門車としてはちょっといい方,という程度ですかね」
「実は私も最近,ROCK5500を注文しましてねぇ。いま納車を待ってるところなんですよ。それにしてもGIANTは見た目がいいですねぇ」
「そーですね。それに,他車に比べると,とにかくコストパフォーマンスがいいと言われますしね」
「フェンダーは付けた方がいいでしょうかねぇ?」
「走りの用途にもよりますけど,普段着で気軽に乗るんだったら,やっぱり付けておいた方が安心ですね。雨降りの後なんかは助かりますよ」
「ディスクブレーキの効きはどうですか?」
「いや,これは,いいですよ。実はわたしもディスクブレーキ車に乗ったのはこれが初めてなんですが,とにかく制動が確実で,そのぶん本当に安心して乗れますね」
「ずいぶん立派なサイクルメーターを付けてますね。それはGPSですか?」
「いや,お恥ずかしい。これは全くの個人道楽でして,自転車だけじゃなく,普段山を歩いたり,電車やバスで出掛けたりするときにも携帯するモノなんです。距離やスピードだけじゃなく,標高もわかりますし,ルート案内とかもやってくれますし。要するにポータブル・ナビなわけで。実は自転車本体よりも高いんですけどね」
「ありゃりゃ。そりゃすごい。でも,安いヤツでもサイクルメーターは付けた方が何かと便利なんでしょうね。」
「そうですね。便利だけじゃなく,とにかく楽しいですから」
....とか何とか,そういった呑気なヤリトリが延々と続けられた。それにしてもビギナーから次々と発せられる質問に対して逐一律儀に返答する殊勝な私ではありましたが,いつまでも井戸端会議をおこなっているわけにもゆかまいから,適当な頃合いをみはからってこちらからダメ出しをした。
「それじゃあ,この先に用事があるので,これで失礼」
「あ,いろいろと有り難うございました。お帰りはお気を付けて。今頃の時間,薄暗くなりかけたときにスピードを出しすぎると,クルマの側からはバイクが一瞬見えなくなることもありますから注意してくださいね。不注意なドライバーも結構多いですから。せっかくの楽しいサイクリングで事故っちゃ何もなりませんよ」
「あ,そりゃワザワザ御丁寧に,どうも」
逆にタクシー運転手の方からダメ出しをされてしまった。さすが接客商売,素人のアシライはお手のものと見た。
それにつけても,こういう機会に改めて思うのだが,クルマを日常的に運転するヒトビトにおかれては,このタクシードライバー氏のような視点,すなわち,日頃同じ道路を往来しているタイヤの付いた乗り物ではあっても,自転車と自動車とは根本的に全くの別モノ,別種の存在であるという認識,しかしながら現実的には同一環境,同一ニッチにおいてこの別種が混在して棲息せざるを得ない不自然かつ不本意な状態に置かれているという認識をしっかりと持っていただきたいものだと思う。そして同時に「弱者優先」ということが現代社会における生存の基本であるということも。
ともすれば,大多数のドライバー諸氏は,国道,県道をはじめとする主要道路はクルマが走るところであり,それらの道路はクルマのために存在していると当然のように思いがちだ。特に,ガードレールや段差や植栽等により車道,歩道が分離された形の道路においては,路肩を走る自転車を過度にうっとうしく感じ,しばしば邪魔者扱いするドライバーが少なくない。ホレホレ,そんな所をノロノロ走ってないで,さっさと舗道のほうに移動しなさいよ! 虎の威を借るタヌキだかキツネだかアライグマだか知らんが,時速60km超ですっ飛ばすせっかちなクルマから見れば,かなりのスピードで走るロードバイカーでさえノロノロ走っていることになるのだろう。ましてや実用車,軽快車に乗って道路の端をゆっくり走る一般人においておや。
少し前,天下のアサヒシンブンの社説に,「自転車大国ニッポン」における自転車乗りの無法ぶりを排し,迷惑な自転車とクルマとの将来的な望ましき「棲み分け」を探る必要あり云々といった,何とも阿呆らしい論説が載っていた。それに対して疋田@自転車ツーキニスト氏がネット上の配信コラムで即座に怒りのコメントを記していたが,それは至極まっとうな反論であった(言い返せるのか?オバカな論説子は) まったくもって,クルマというものはいとも簡単にヒトの人格を変える。言説を変える。世界観をすら変える。高邁なインテリ論説委員だろうが,血の気の多いヤンキー兄ちゃんだろうが,あるいは呑気な中高年オバサンだろうが,だいたいは同じ事だ。
これは私の勝手な願望であるが,現代クルマ社会に生きるための基本条件として,毎日通勤の往復にクルマを利用しているヒトビトは少なくとも週に1回程度は同じルートをクルマの代わりに自転車に乗って通勤しなくてはならない,といった法的義務付けを課すことが出来ないものかと思う。それもノーカーデーのように一斉に行うのではなく,職場単位などでローテーションを組んで各人交代に行うのだ。今日はAさんが自転車の日,明日はBさんが自転車の日,とかね。環境省あたりが音頭を取って,小池百合子センセイなど率先してやって欲しい(最低でも片道10kmは街中を走って下さいね)。
国レベルでの法律制定が難しければ,自治体レベルでの条例でもよい。とにかく,自分が日々排ガスまき散らしながらクルマでスイーッと極楽お気楽に通り過ぎている道路を,一度自転車を漕いでフウフウいいながら自力で走って御覧なさい。この国の道路行政というものがいかにイイカゲンなものであり,それに同調するかのように,少なからぬドライバーがイイカゲンなマイルールに基づいてクルマを運転しているということが十分に理解されるだろう。それは例えていえば,戦後まもない頃,人混みに溢れた市街地の雑踏のなかをジープに乗って傍若無人に走り回っていた進駐軍と基本的には同じメンタリティなのだ。少なくとも自転車に乗っている側の自分から見たら,そう感じるでしょ?
とかなんとかブツブツいいながら,明日も恐らく自転車で街中を移動するであろう私なのであります。背後に狙撃者の気配を常に感じつつ。 ちなみに,タカシはそんな父の有様をミットモナイと恥じているということだ。 ああ,ミットモナイ人生ですよ,ってば!
店に着くと,まずは構内の駐車場の端を仕切っているフェンスの金網にチェーンキーで自転車をしっかり固定し,しかるのち黄色い店内に足を踏み入れた。2フロアのうちの何ヶ所かの売り場を回り,予定していた二,三の必要な買い物を速やかに済ませる。さらにその後,別に買うアテはない(予定も予算もない)けれど個人的に興味のある商品,例えばスキャナーやらデジカメやら電子辞書やら,あるいはMP3プレイヤーやらDVカメラやらオーディオコンポやらの棚を物色し,なかに新機種が陳列されておれば何やら嬉しくなって,いかにもモノ欲しげにあれこれとイジッテみたりする。大型店はこれが楽しい。けれどそのうちに何処からともなく店員が私にすり寄ってきて背後から話しかけたりするというのがお定まりのパターンだが,そういった場合,少々勿体振った物腰で丁重に拒絶する。 説明ハ不要ナリ。自由ニ拝見サセテ頂キタク候。 店員の方は,ダメダ,コリャ,とばかりヒヤカシ客に見切りをつけてすんなり引き下がる。いや,大型店は楽しいものだ。そうやってひとしきり店内で遊んだあと,さて帰ろうかという気になって再び駐車場に戻り,キーの解錠をしているときのこと。 突然,背後から再び声を掛けられた。
「カッコイイですねー。そのGIANTのバイク。いくらくらいするんですか?」
振り返ると,声の主は身の丈ゆうに180cmを超えようかという,ガッチリした体格の30代半ばと思しき男であった。身なりからするとタクシーの運転手らしい。その電気店に用事で訪れた客を一寸待っているような感じだった。後ろの駐車スペースには黒塗りのタクシーが1台駐まっている。それにしても漫画のイガグリ君を天地水平に膨張させたような偉丈夫で,一歩間違えれば暗黒社会のヨージンボーにもなりかねない体躯と風貌だ(失礼!) しかしながら,というか,さればこそ,というか,この期に及んで先様の親しげな問いかけを当方としては一方的に無視するわけにもゆかず,成りゆき上しばし自転車談義のお相手をする羽目にあいなった。
「いやいや,GIANTのなかでは,割と安い方ですよ。入門車としてはちょっといい方,という程度ですかね」
「実は私も最近,ROCK5500を注文しましてねぇ。いま納車を待ってるところなんですよ。それにしてもGIANTは見た目がいいですねぇ」
「そーですね。それに,他車に比べると,とにかくコストパフォーマンスがいいと言われますしね」
「フェンダーは付けた方がいいでしょうかねぇ?」
「走りの用途にもよりますけど,普段着で気軽に乗るんだったら,やっぱり付けておいた方が安心ですね。雨降りの後なんかは助かりますよ」
「ディスクブレーキの効きはどうですか?」
「いや,これは,いいですよ。実はわたしもディスクブレーキ車に乗ったのはこれが初めてなんですが,とにかく制動が確実で,そのぶん本当に安心して乗れますね」
「ずいぶん立派なサイクルメーターを付けてますね。それはGPSですか?」
「いや,お恥ずかしい。これは全くの個人道楽でして,自転車だけじゃなく,普段山を歩いたり,電車やバスで出掛けたりするときにも携帯するモノなんです。距離やスピードだけじゃなく,標高もわかりますし,ルート案内とかもやってくれますし。要するにポータブル・ナビなわけで。実は自転車本体よりも高いんですけどね」
「ありゃりゃ。そりゃすごい。でも,安いヤツでもサイクルメーターは付けた方が何かと便利なんでしょうね。」
「そうですね。便利だけじゃなく,とにかく楽しいですから」
....とか何とか,そういった呑気なヤリトリが延々と続けられた。それにしてもビギナーから次々と発せられる質問に対して逐一律儀に返答する殊勝な私ではありましたが,いつまでも井戸端会議をおこなっているわけにもゆかまいから,適当な頃合いをみはからってこちらからダメ出しをした。
「それじゃあ,この先に用事があるので,これで失礼」
「あ,いろいろと有り難うございました。お帰りはお気を付けて。今頃の時間,薄暗くなりかけたときにスピードを出しすぎると,クルマの側からはバイクが一瞬見えなくなることもありますから注意してくださいね。不注意なドライバーも結構多いですから。せっかくの楽しいサイクリングで事故っちゃ何もなりませんよ」
「あ,そりゃワザワザ御丁寧に,どうも」
逆にタクシー運転手の方からダメ出しをされてしまった。さすが接客商売,素人のアシライはお手のものと見た。
それにつけても,こういう機会に改めて思うのだが,クルマを日常的に運転するヒトビトにおかれては,このタクシードライバー氏のような視点,すなわち,日頃同じ道路を往来しているタイヤの付いた乗り物ではあっても,自転車と自動車とは根本的に全くの別モノ,別種の存在であるという認識,しかしながら現実的には同一環境,同一ニッチにおいてこの別種が混在して棲息せざるを得ない不自然かつ不本意な状態に置かれているという認識をしっかりと持っていただきたいものだと思う。そして同時に「弱者優先」ということが現代社会における生存の基本であるということも。
ともすれば,大多数のドライバー諸氏は,国道,県道をはじめとする主要道路はクルマが走るところであり,それらの道路はクルマのために存在していると当然のように思いがちだ。特に,ガードレールや段差や植栽等により車道,歩道が分離された形の道路においては,路肩を走る自転車を過度にうっとうしく感じ,しばしば邪魔者扱いするドライバーが少なくない。ホレホレ,そんな所をノロノロ走ってないで,さっさと舗道のほうに移動しなさいよ! 虎の威を借るタヌキだかキツネだかアライグマだか知らんが,時速60km超ですっ飛ばすせっかちなクルマから見れば,かなりのスピードで走るロードバイカーでさえノロノロ走っていることになるのだろう。ましてや実用車,軽快車に乗って道路の端をゆっくり走る一般人においておや。
少し前,天下のアサヒシンブンの社説に,「自転車大国ニッポン」における自転車乗りの無法ぶりを排し,迷惑な自転車とクルマとの将来的な望ましき「棲み分け」を探る必要あり云々といった,何とも阿呆らしい論説が載っていた。それに対して疋田@自転車ツーキニスト氏がネット上の配信コラムで即座に怒りのコメントを記していたが,それは至極まっとうな反論であった(言い返せるのか?オバカな論説子は) まったくもって,クルマというものはいとも簡単にヒトの人格を変える。言説を変える。世界観をすら変える。高邁なインテリ論説委員だろうが,血の気の多いヤンキー兄ちゃんだろうが,あるいは呑気な中高年オバサンだろうが,だいたいは同じ事だ。
これは私の勝手な願望であるが,現代クルマ社会に生きるための基本条件として,毎日通勤の往復にクルマを利用しているヒトビトは少なくとも週に1回程度は同じルートをクルマの代わりに自転車に乗って通勤しなくてはならない,といった法的義務付けを課すことが出来ないものかと思う。それもノーカーデーのように一斉に行うのではなく,職場単位などでローテーションを組んで各人交代に行うのだ。今日はAさんが自転車の日,明日はBさんが自転車の日,とかね。環境省あたりが音頭を取って,小池百合子センセイなど率先してやって欲しい(最低でも片道10kmは街中を走って下さいね)。
国レベルでの法律制定が難しければ,自治体レベルでの条例でもよい。とにかく,自分が日々排ガスまき散らしながらクルマでスイーッと極楽お気楽に通り過ぎている道路を,一度自転車を漕いでフウフウいいながら自力で走って御覧なさい。この国の道路行政というものがいかにイイカゲンなものであり,それに同調するかのように,少なからぬドライバーがイイカゲンなマイルールに基づいてクルマを運転しているということが十分に理解されるだろう。それは例えていえば,戦後まもない頃,人混みに溢れた市街地の雑踏のなかをジープに乗って傍若無人に走り回っていた進駐軍と基本的には同じメンタリティなのだ。少なくとも自転車に乗っている側の自分から見たら,そう感じるでしょ?
とかなんとかブツブツいいながら,明日も恐らく自転車で街中を移動するであろう私なのであります。背後に狙撃者の気配を常に感じつつ。 ちなみに,タカシはそんな父の有様をミットモナイと恥じているということだ。 ああ,ミットモナイ人生ですよ,ってば!