前回→【H23.3.11あれから~回想6】「閖上水門、津波がきた…」
※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル
道路を歩く人達に向かって、
「間に合わない!間に合わない!走れ!走れ!もう津波はそこまで来ている!走れ!」
渋滞でまったく動けなくなった車に対しても…
「もう無理です。車置いてあの中学校に逃げましょう!」
何台もの車の窓ガラスを叩き声を張り上げた。しかし、アクションをおこしてくれた方がいたかどうか。今でもはっきり覚えている事として、数台の車の運転手さんからこのような反応があった。
「うるさい、あっちにいけ!」
「あんたおかしくなったんじゃない?」
……人に伝えることがこんなにも難しいとは。伝えても伝わらない絶望感を味わった。
閖上中学校に駆け上がるつもりが階段に人々が殺到する光景を見てこれは無理と判断、そのまま閖上中学校を走り去り閖上五叉路に出た。すると交通整理の人がいた。「もう逃げないと間に合わないです。本当に大きい津波が来たんです。」と伝えるもやはり反応が薄い。
15:56 閖上大橋名取市側 藤塚地区の建物が流されている
閖上大橋を見る。津波が押し寄せていた。橋の欄干を越えそうな勢いの津波がすぐにわかった。築堤から水が溢れ始めていた。反射的に写真を撮る。
15:56 この場所から川面が見えるなど通常ありえない
塩釜線道路の東側の住宅(画像の右側方面の住宅)からご婦人が出て来た。「津波来た?」という問いだった。「大きい津波が来ているから、避難された方がいいですよ!」と見下ろす形で大声で叫んだ。とその時、閖上の住宅街から土煙が上がっている事に気がついた。バキバキ!バキバキ!という音が聞こえる。そしてその音がだんだん近づいてくる。それは津波が街を飲み込んでいる音だった。また自転車に飛び乗り逃げるがすぐそばの五叉路に止っている車の運転手に声をかける。
「あの煙は津波です。早く降りて!早く降りろ!あの小学校に逃げるぞ!」
さすがに土煙を上げる光景を見た運転手の何名かは車から降りて逃げ始めてくれた。そして私も自転車で走った。閖上に6年もいながら閖上小学校には一度も入った事はない。入り口がわからない。ただ、閖上小学校のモニュメントである「チビッコ丸」だけは車の中から見た事があった。近道があったようだが私は「チビッコ丸」を目指して自転車をこいだ。もう脇目もふらずにこいだ。そして学校の入り口らしきものを見つけ飛び込み、前方に見えたピンクの非常階段をめざし全力で校庭を駆け抜けた。
非常階段の下にたどりつきそのまま自転車を放り投げ階段を駆け上がった。この階段付近には数名の方がいたが特に混雑することなく上の階に向かう事が出来た。校舎三階のベランダにたどり着いたそのとき、閖上小学校の校庭に塩釜線道路方向から一気に津波が入ってきた。同時に小塚原方面に津波と一緒に船が向かっているのが見えた。そして閖上7丁目方面、小塚原方面ではすでに火の手が上がっているのがわかった。
16:01 津波が校庭に入ってきたところ 左側はまだ地面が見えている
16:01 階段を上がろうとする方が見える
16:01 校庭の車、塩釜線の車、すべて流れていった
16:02 校庭内で渦を巻く津波
16:02 すでに校舎の一階部分がかなり浸水している
16:03 火の手が上がっている ポンプ場の煙突の上にも避難されている
16:04 向かいに見える住宅は一階部分が浸水している
震えながら撮影をした。寒い事もあったがこの光景に心底震えていた。ありとあらゆる物が目の前に流されてきた。閖上の皆の財産すべてを壊して流れてきた。そして例えようのないどす黒い色をした津波。黒と一言では表せない、例えようのない色をしていた。津波で流された車がぶつかる音。遠くから微かに聞こえる助けを求める声。どこまで浸水するのかわからない津波。渦をまきながら校庭に入ってくる津波。海岸線からは2キロ以上も離れているのに容赦なく襲いかかる津波。この世の物とは思えない光景であった。信じられない、信じたくないとずっと思っていたが、でもそれは非情にも現実であった。
16:08 ようやく津波による海水の流入が止ったようだ
津波が校庭に流入してから数分後、ようやく流入が止った。しかしこれより大きな第2波第3波が来るのではないか?ということで屋上に上がる事になった。
16:11 屋上に避難を始める
屋上に上がると避難されている方々のなかに閖上保育園の方々がいた。園児達は先生方につかまっていた。子供達もとても怖かったと思う。屋上でしばらく避難をした。寒い日だった。ときおり家の屋根を白くするくらいの降雪があった。屋上にいる間、浸水している閖上、建物が燃えている閖上がいやでも目に入ってきた。
16:23 寒い中屋上に避難する
16:49 雪で屋根も白い
16:49 小塚原方面でも火災が発生している
16:50 車の上、ローソンの屋根、歩道橋の上…… 救助を待つ方がおられる。
至る所から助けを求める声が聞こえる。水がひかず難儀していた所、何名かの方が消防ホースを命綱に救助に向かった。カメラで現状を記録する事しか出来ない私はまったくの役立たずであった。
16:50 この水の下に何台の車が沈んでいたことか……
どのくらい屋上に避難していただろうか。落ちついたのを見計らって下の階に降りる事になった。下の階では避難者の名簿を作成していた。私も自分の地区の所に並んで名簿に記入した。
続く
【H23.3.11あれから~回想8】 「燃え続ける閖上の街」
※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル
道路を歩く人達に向かって、
「間に合わない!間に合わない!走れ!走れ!もう津波はそこまで来ている!走れ!」
渋滞でまったく動けなくなった車に対しても…
「もう無理です。車置いてあの中学校に逃げましょう!」
何台もの車の窓ガラスを叩き声を張り上げた。しかし、アクションをおこしてくれた方がいたかどうか。今でもはっきり覚えている事として、数台の車の運転手さんからこのような反応があった。
「うるさい、あっちにいけ!」
「あんたおかしくなったんじゃない?」
……人に伝えることがこんなにも難しいとは。伝えても伝わらない絶望感を味わった。
閖上中学校に駆け上がるつもりが階段に人々が殺到する光景を見てこれは無理と判断、そのまま閖上中学校を走り去り閖上五叉路に出た。すると交通整理の人がいた。「もう逃げないと間に合わないです。本当に大きい津波が来たんです。」と伝えるもやはり反応が薄い。
15:56 閖上大橋名取市側 藤塚地区の建物が流されている
閖上大橋を見る。津波が押し寄せていた。橋の欄干を越えそうな勢いの津波がすぐにわかった。築堤から水が溢れ始めていた。反射的に写真を撮る。
15:56 この場所から川面が見えるなど通常ありえない
塩釜線道路の東側の住宅(画像の右側方面の住宅)からご婦人が出て来た。「津波来た?」という問いだった。「大きい津波が来ているから、避難された方がいいですよ!」と見下ろす形で大声で叫んだ。とその時、閖上の住宅街から土煙が上がっている事に気がついた。バキバキ!バキバキ!という音が聞こえる。そしてその音がだんだん近づいてくる。それは津波が街を飲み込んでいる音だった。また自転車に飛び乗り逃げるがすぐそばの五叉路に止っている車の運転手に声をかける。
「あの煙は津波です。早く降りて!早く降りろ!あの小学校に逃げるぞ!」
さすがに土煙を上げる光景を見た運転手の何名かは車から降りて逃げ始めてくれた。そして私も自転車で走った。閖上に6年もいながら閖上小学校には一度も入った事はない。入り口がわからない。ただ、閖上小学校のモニュメントである「チビッコ丸」だけは車の中から見た事があった。近道があったようだが私は「チビッコ丸」を目指して自転車をこいだ。もう脇目もふらずにこいだ。そして学校の入り口らしきものを見つけ飛び込み、前方に見えたピンクの非常階段をめざし全力で校庭を駆け抜けた。
非常階段の下にたどりつきそのまま自転車を放り投げ階段を駆け上がった。この階段付近には数名の方がいたが特に混雑することなく上の階に向かう事が出来た。校舎三階のベランダにたどり着いたそのとき、閖上小学校の校庭に塩釜線道路方向から一気に津波が入ってきた。同時に小塚原方面に津波と一緒に船が向かっているのが見えた。そして閖上7丁目方面、小塚原方面ではすでに火の手が上がっているのがわかった。
16:01 津波が校庭に入ってきたところ 左側はまだ地面が見えている
16:01 階段を上がろうとする方が見える
16:01 校庭の車、塩釜線の車、すべて流れていった
16:02 校庭内で渦を巻く津波
16:02 すでに校舎の一階部分がかなり浸水している
16:03 火の手が上がっている ポンプ場の煙突の上にも避難されている
16:04 向かいに見える住宅は一階部分が浸水している
震えながら撮影をした。寒い事もあったがこの光景に心底震えていた。ありとあらゆる物が目の前に流されてきた。閖上の皆の財産すべてを壊して流れてきた。そして例えようのないどす黒い色をした津波。黒と一言では表せない、例えようのない色をしていた。津波で流された車がぶつかる音。遠くから微かに聞こえる助けを求める声。どこまで浸水するのかわからない津波。渦をまきながら校庭に入ってくる津波。海岸線からは2キロ以上も離れているのに容赦なく襲いかかる津波。この世の物とは思えない光景であった。信じられない、信じたくないとずっと思っていたが、でもそれは非情にも現実であった。
16:08 ようやく津波による海水の流入が止ったようだ
津波が校庭に流入してから数分後、ようやく流入が止った。しかしこれより大きな第2波第3波が来るのではないか?ということで屋上に上がる事になった。
16:11 屋上に避難を始める
屋上に上がると避難されている方々のなかに閖上保育園の方々がいた。園児達は先生方につかまっていた。子供達もとても怖かったと思う。屋上でしばらく避難をした。寒い日だった。ときおり家の屋根を白くするくらいの降雪があった。屋上にいる間、浸水している閖上、建物が燃えている閖上がいやでも目に入ってきた。
16:23 寒い中屋上に避難する
16:49 雪で屋根も白い
16:49 小塚原方面でも火災が発生している
16:50 車の上、ローソンの屋根、歩道橋の上…… 救助を待つ方がおられる。
至る所から助けを求める声が聞こえる。水がひかず難儀していた所、何名かの方が消防ホースを命綱に救助に向かった。カメラで現状を記録する事しか出来ない私はまったくの役立たずであった。
16:50 この水の下に何台の車が沈んでいたことか……
どのくらい屋上に避難していただろうか。落ちついたのを見計らって下の階に降りる事になった。下の階では避難者の名簿を作成していた。私も自分の地区の所に並んで名簿に記入した。
続く
【H23.3.11あれから~回想8】 「燃え続ける閖上の街」