前回→ 【H23.3.11あれから~回想3】「14:46閖上で大地震に遭遇…」
※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル
いつも子供達が迎えに来てくれる閖上3丁目バス停。よく子供達が迎えにきてくれた。この3丁目バス停付近には「スナック“ハーバーライト”」という地元の皆に愛されている酒飲み場があった。飲んだあとのラーメンがまた大変おいしかった。
バス停から家に向かういつもの細い路地に入り落ちている屋根瓦を避けながらを自宅へと急ぎぐ。
14:58 車で迎えに来たのか慌ただしく動く方が見える
携帯で撮影した自宅。家自体はびくともしていない。玄関に置いていた傘立て(壷)が倒れているくらい。
携帯で撮影。隣家の屋根瓦が落ちていた。
自宅につくと誰もいない。合鍵で玄関を開けカメラバックと三脚を玄関に置いた。この時財布から3千円だけ抜き出してポケットに突っこんだ。なぜ財布を持ち出さなかったかというと、長財布だったのでポケットに入らず落とすと思ったから。財布の中には、ヨドバシカメラアキバで3/17受け取り予定のスマートフォン購入代金の五万円(一万円札×五枚)、五千円(千円札×五枚)、百$札数枚、一万ウォン札数枚、そしてカード類が入っていた。街の中を撮影をして、そして救助などの必要がなければ家にすぐ帰るつもりでいた。
家の中はとくに散乱しているわけでもなく普段と変わらない感じであった。ただ、自分の書斎(屋根裏部屋16畳)に敷いてある鉄道模型のレイアウトや展示してある車両は整理しなくてはいけないだろうなと思い、屋根裏を一度覗こうと思ったがそれは後回しにした。長靴に履き替えようとも考えたが、ゴアテックスの登山靴を脱ぐのが面倒くさかったのでそのままで動く事にした。優先順位は人命救助。街が落ち着いて自宅に帰ってきてから自宅内の整理をすることにした。
玄関の鍵を掛け外に出ると、向かいにお住まいでいつもお世話になっているA川さん、K皿さんがいた。「すごく揺れましたね」と声をかけ自転車で街に出た。すぐ角のお宅のH浦さんがお子さんと一緒に避難していかれた。ここでも「すごい揺れて怖かったですね。とりあえず避難された方が良いですね」と会話をかわした。
自転車でバス通りに出るとすぐに知り合いに会った。妻の同級生でもあり地元の食堂の跡取りのSさん。自転車で自宅に向かう所だった。立ち止まり少し話をするも、消防団員ということですぐに自宅に向かって行った。
15:08 手前の白い住宅は、家を建てる時に借りていた住宅
15:08 ガスや牛乳をお願いしていた山根屋さん。今も配達をお願いしている。
そして、普段からお付き合いのあるK山さん宅に立ち寄り玄関を叩く。しかしだれもいなかった。ご自宅の前の電信柱の根元からは液状化の為かドロが吹き出ていた。
15:10 K山邸前
閖上十字路(日和山)を曲がり閖上日和山公園を見て愕然とした。誰もいないグランドは一面泥水。この日この公園に子供達を連れていって遊ぶ予定だったのでなおさら驚いた。よく通った公園。お菓子のゴミを捨てている悪ガキを叱ったりもした。でも皆素直な子供達ばかりで仲良くここで遊んでいた。たまにしか閖上に帰らないのに、パパさんパパさんと声をかけてくれる妻の同級生ママ友さん。おばあさん方もベンチで井戸端会議をしていた。良くしてくれた沢山の方との思い出の公園。とてもひどい状況なので、整備しないとこのままじゃ使えないよなぁと思った。
15:11 閖上日和山公園
そして閖上の漁港に向かう。市場内では「閖上赤貝」があたり一面に散乱していた。足の踏み場もないくらいに。
15:13 閖上漁港 南側を見る
15:14 閖上漁港 北側を見る
漁港の裏の通りでは避難する車が何台か通っていった。アスファルトの道路が割れている光景はとても恐怖を感じた。春美食堂はよく利用していた。出前を持ってきてくれる店主のSさん(先ほどお会いしている)がうちにくると、子供達はいつも大喜びで玄関で迎えた。
15:14 左に「春美食堂」が見える
そしてバスの中からも気になっていた名取川河口に向かった。
続く
【H23.3.11あれから~回想5】「液状化に埋まる車」
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いつも子供達が迎えに来てくれる閖上3丁目バス停。よく子供達が迎えにきてくれた。この3丁目バス停付近には「スナック“ハーバーライト”」という地元の皆に愛されている酒飲み場があった。飲んだあとのラーメンがまた大変おいしかった。
バス停から家に向かういつもの細い路地に入り落ちている屋根瓦を避けながらを自宅へと急ぎぐ。
14:58 車で迎えに来たのか慌ただしく動く方が見える
携帯で撮影した自宅。家自体はびくともしていない。玄関に置いていた傘立て(壷)が倒れているくらい。
携帯で撮影。隣家の屋根瓦が落ちていた。
自宅につくと誰もいない。合鍵で玄関を開けカメラバックと三脚を玄関に置いた。この時財布から3千円だけ抜き出してポケットに突っこんだ。なぜ財布を持ち出さなかったかというと、長財布だったのでポケットに入らず落とすと思ったから。財布の中には、ヨドバシカメラアキバで3/17受け取り予定のスマートフォン購入代金の五万円(一万円札×五枚)、五千円(千円札×五枚)、百$札数枚、一万ウォン札数枚、そしてカード類が入っていた。街の中を撮影をして、そして救助などの必要がなければ家にすぐ帰るつもりでいた。
家の中はとくに散乱しているわけでもなく普段と変わらない感じであった。ただ、自分の書斎(屋根裏部屋16畳)に敷いてある鉄道模型のレイアウトや展示してある車両は整理しなくてはいけないだろうなと思い、屋根裏を一度覗こうと思ったがそれは後回しにした。長靴に履き替えようとも考えたが、ゴアテックスの登山靴を脱ぐのが面倒くさかったのでそのままで動く事にした。優先順位は人命救助。街が落ち着いて自宅に帰ってきてから自宅内の整理をすることにした。
玄関の鍵を掛け外に出ると、向かいにお住まいでいつもお世話になっているA川さん、K皿さんがいた。「すごく揺れましたね」と声をかけ自転車で街に出た。すぐ角のお宅のH浦さんがお子さんと一緒に避難していかれた。ここでも「すごい揺れて怖かったですね。とりあえず避難された方が良いですね」と会話をかわした。
自転車でバス通りに出るとすぐに知り合いに会った。妻の同級生でもあり地元の食堂の跡取りのSさん。自転車で自宅に向かう所だった。立ち止まり少し話をするも、消防団員ということですぐに自宅に向かって行った。
15:08 手前の白い住宅は、家を建てる時に借りていた住宅
15:08 ガスや牛乳をお願いしていた山根屋さん。今も配達をお願いしている。
そして、普段からお付き合いのあるK山さん宅に立ち寄り玄関を叩く。しかしだれもいなかった。ご自宅の前の電信柱の根元からは液状化の為かドロが吹き出ていた。
15:10 K山邸前
閖上十字路(日和山)を曲がり閖上日和山公園を見て愕然とした。誰もいないグランドは一面泥水。この日この公園に子供達を連れていって遊ぶ予定だったのでなおさら驚いた。よく通った公園。お菓子のゴミを捨てている悪ガキを叱ったりもした。でも皆素直な子供達ばかりで仲良くここで遊んでいた。たまにしか閖上に帰らないのに、パパさんパパさんと声をかけてくれる妻の同級生ママ友さん。おばあさん方もベンチで井戸端会議をしていた。良くしてくれた沢山の方との思い出の公園。とてもひどい状況なので、整備しないとこのままじゃ使えないよなぁと思った。
15:11 閖上日和山公園
そして閖上の漁港に向かう。市場内では「閖上赤貝」があたり一面に散乱していた。足の踏み場もないくらいに。
15:13 閖上漁港 南側を見る
15:14 閖上漁港 北側を見る
漁港の裏の通りでは避難する車が何台か通っていった。アスファルトの道路が割れている光景はとても恐怖を感じた。春美食堂はよく利用していた。出前を持ってきてくれる店主のSさん(先ほどお会いしている)がうちにくると、子供達はいつも大喜びで玄関で迎えた。
15:14 左に「春美食堂」が見える
そしてバスの中からも気になっていた名取川河口に向かった。
続く
【H23.3.11あれから~回想5】「液状化に埋まる車」