Kの理論 「華麗なるブレイクアウト」 Breakout Magnificent.

脱走・・・ただ道は一つ。いつも道に一人。万人は来ない。脱線し続けるサイボーグ社会からの脱出。

ジャスト・ロード・ワン  No.18

2013-09-29 | 小説








 
      
                            






                     




    )  秋子の笛  下  Akikonofue


  キリスト教精神はアメリカやヨーロッパのひとつの精神の原点を暗示するものだが、多数決の外に置かれたもうひとつの精神というのは、キリスト教精神に対するもうひとつの考え方という精神の帰着点なのである。
「 つまりそれは多数決において彼らが忌み嫌うべきものだ。そして彼らにとってくだらぬもの、かつ悪魔的なものだ・・・・・ 」
  中世の欧米のいたるところに登場する悪魔たちは、そもそも滑稽や風刺のウィルスをもたらすためのピエロたちであって、しかもしばしば中世独得の謎々に絡んでいるような寓意に関連した悪戯者(いたずらもの)にすぎなかった。それを本格的な悪魔に仕立てていったのは、やはりキリスト教である。しかし近代以降、排他的本位のそれは多少の滑稽や風刺の哲学では動じなくなった。
「 そこに封じ手があるとすれば、ミスター・モローの哲学美は、やや奇抜だが有効であろう・・・・・ 」
  世界における多くの死者は戦闘によって登場する。その死者はキリスト教の道化者とは限らない。いったん登場するとこの象徴力は死神の風刺性にむすびついて強靭になる。やがて嵐となって現代社会を吹き荒れる。この死者たちは、キリスト教とは別のもうひとつの社会人なのであった。世界にはまだまだ欧米の知らない「隠れた次元としての文化」という原点がある。どうやらモロー教授はそのように言いたがっている。最初はゆっくりとしか動かないが、それこそがアメリカを知り尽くしユダヤ人の結論であったようだ。
「 この世には、このようなユダヤ人もいたのか・・・・・! 」
  阿部秋子がデリケート・アーチから届かせた篠笛の音を背景に、幽・キホーテはモロー教授の講義へ出席することにした。



  にわかに明るくされた、そんな先生の風貌が秋子の眼には、一夜明けた今も懐かしく泛かぶのである。
「 あの、いかめしい八の字髭が、さっぱりと切りおとされていた・・・・・ 」
  しかも、よく気がつけば、まゆ毛も剪(そろ)い美しく整えられていた。こうなると、まったく不思議な人物というほかはない。飄ひょうと、薄らとぼけられて多少の距(へだた)りをもつ、いつもとは違うそんなモロー先生の形相に、たゞ秋子はぽかんと口をあけて見守っていた。
  一堂がざわめいたとき先生は、背筋を伸ばし、青々とした口元をいくぶん下げ、じっと学生達に眼を注いで、身動き一つ、されなかった。すると、モロー先生はかねて定めてあったかのように、まずポトリと語り落とされた。
「 In the talk, there is order, and are a machine. 」
  話というものには、順序があり、間や機というものがある。
  とこういって、影と化した八の字髭のあたりを、いかにも意味ありげに指でなぞり終えると、くしゅんと鼻をこすりあげた。ということは、その本旨はどこにあるにせよ、受講生に何か未知への憧れを充たしてくれそうな感じを抱かせた。
  こうしてテーマ「 A subject MIROKU 」と名づけられたモロー先生の特別講義がはじめられたのである。
  この講義の後日、秋子には講義らしい講義を受けたという満足感があった。もちろん講義らしい講義というとき、それがどのような内容を指すかは人によって違いがあるはずだ。こゝで秋子が講義らしい講義というとき、素朴に「 次はどのように展開するのだろう 」という興味で秋子を先へ先へと引っ張っていってくれるもの、という意味がこめられている。



  モロー先生から授かる「 A subject MIROKU 」には、アリストテレスの哲学的ミステリー「 Aristotelian philosophy mystery 」と宗教哲学的ラブロマンス「 Philosophy of religion love romance 」の要素がないまぜになっていた。
  哲学ミステリーとしての「 その事件はどう展開していったのか 」と、宗教哲学ラブロマンスとしての「 その恋愛はどんな結末を迎えたのか 」という二つの哲学サスペンスが、受講生である秋子を強い力で引っ張っていってくれた。
「 人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか 」
  ということを先生は語られたのだ。
「 アリストテレスの夜は、カタルシスを踊らせる舞台なのである 」
  と、そのプロローグにて、モロー先生はまず咳払いを一つなされた後、鳶色(とびいろ)の瞳をすこし輝かして、深遠玄妙に言葉をつむがれた。それはすでに受講生にはおなじみの口ぶりだ。こうして受講生を唖然と曳きつける、斬新な前置きの言葉を述べられて、じっと一堂を見渡されてから、達した孔明のような方の趣をみせて静かに語り始められたのである。
  この序章だけでも秋子には何か泛き立つような楽しさがうかがえた。
  秋子はこうしてモロー教授からじつに多くの未発見であった自分自身を鍛えられた。大学への入学には大学で学問を修める適性があるかどうかをチェックするSAT(Scholastic Achievement Test)のスコアが必要である。秋子にはこの大学進学適性試験のリスニングに苦々しい時間を費やして堪(こら)えた苦境への思いがあった。しかしこの講義のときは違った。秋子は何事もなかったように、モロー先生の一言一句が自然と理解されて、これが果たして、神がかりといえるのかどうかわからないが、ノートに和訳でつらつらと書きつゞることができた。はじめての味わいだが、豊かな気分にひたりつゝモロー先生の言葉の一つひとつに耳をかたむけた。
  そして秋子の耳に響くモロー先生の声質はベルカントなのだ。
  秋子にはそう感じ取れた。
  ベルカントはモーツァルトのオペラに最も理想的とされるイタリアの歌唱法。自身でも耳は他より敏感だと自覚する秋子には、モロー先生が響かす声質が、音の美しさ、むらのない柔らかさ、なめらかな節回しに、やはりベルカントのような美しい歌声に聞こえる。




「 When the mechanism of this world is very understood, the doubt also seems to start at daybreak however ..it is likely not to hold.. in the starting existence during a day during a day because of the sunset you. In the etiquette of the evening sun, there was an important working in the height degree in which the reproduction of moonlight was pressed. 」
  一日が、夜明けに始まることに、皆さんは、なんの疑問も抱かないかもしれないが、しかしこの世の仕組みをよくよく理解すると、日没で始まる一日の存在がみえてくる。夕陽の儀礼には、月光の再生を促す最高度に重要な働きがありました。と、ベルカントで歌われた。モロー先生は「 Etiquette of evening sun 」(夕陽の儀礼)と、三度くりかえされてから、受講生をじっとみつめられて「 Pulau Bali 」をご存じですかと訊ねられた。
「 本日はまず諸君らの眼に、バリ島の美しい夕陽を想い映して頂きたい 」
  どうやら夕陽にも儀礼ということがあるらしい。それはモロー先生からの次代の若者へ贈る誠実な申し送りともいえた。



「 私はこの夕陽の儀礼を、バリ島において何度も見たことがある 」
  と、期待した通りベルカントの口調は、これより濃密な取材で、その言動、心理を克明に描写しようとすることをまず告白された。
「 夕陽の名所バドゥン半島、そのインド洋を望む70メートルの断崖絶壁の上に、バリの最高神サンヤン・ウィディを祀った三層のメルが建つウルワトゥ寺院がある。プルメリアの花咲く境内は遊歩道が完備され、伝統舞踊ケチャダンスの会場にもなっている 」
  やはりモロー先生は、まずフォークロア(民俗)から切り取ってこられると秋子は思った。
「 バリの寺院は、全体を壁で囲まれた敷地の中にいくつかの塔や小さな社が建てられ、あちらこちらにチャナンと呼ばれる可愛らしい供え物が置かれていた 」
  これはモロー先生らしい例えでもあろうか。国家は共同幻想だというかわりに、国家は妖怪だというようなものだ。哲学を民衆に説く方便として秋子には解釈された。
「 熱帯雨林と丘陵、火山帯といった地形が島の肥沃な土壌を助け、豊かな作物が収穫できる傍らで、人々は最高神であり唯一神であるサンヤン・ウィディだけでなく神的霊的な諸々の存在に対し、朝な夕なに供えと祈りを捧げた 」
  どうやらモロー先生のバリ島とは、消滅しつつあるフォークロアの一種として重視すべきものであったようだ。それを先生は文学的装飾なしに克明に記録されていた。
「 そうして音楽や舞踊、絵画や彫刻といった美術芸術活動に勤しみ、至宝ともいえるバリ文化を築いたのだ。美しい王宮や大小の寺院を訪ね歩き、エキゾチックな伝統舞踊とガムラン楽器の音色に浸っていると、エンターテイメントに満ちたこの島のすべてが、じつは祭礼と儀礼に基づいたひとつの壮大な舞台となっていることを強く感じずにはいられない 」
  と、おっしゃって、じつはそこに仮象を抱かさせる。自然科学によって一応の真相は解明できるが、しかし、写し取った仮象が除かれた跡にこそ、人は真の真怪(妖怪の真実)に出逢えることを丁寧に説かれた。




「 人類学者のクリフォード・ギアツは、演劇こそがバリ国家の本質であるとし『劇場国家』と呼ばれる国家像を説いた。そして今なお、世界の人類学者達がバリ研究に魅了され続けている。気まゝな旅人でさえも、この島の新たな風景の中へ入り込むその都度、いたく激しく心揺さぶられ、ギアツの説いた『劇場』の幕開きを心待ちにするほどなのだから・・・・・ 」
  これなどは自然世界そのもの、カントでいえば物自体である。まるまる鵜のみにはできない説法であった。秋子は三年間、モロー・ベルカントを聴いてきた。常に先生は宗教的認識を、哲学として、さらにそれを真怪学として語ろうとされる。
「 バリ島には、バリ・ヒンドゥーという特有の信仰がある。そしてバリの祭礼や儀礼には、必ず舞踏が伴う。それらは神々に感謝を捧げる宗教的要素の強い奉納舞に始まり、鑑賞用、娯楽用として発展を遂げたものまで様々だが、バロン・ダンスやサンヒャン・ダリ(憑依舞踏)といったものが盛んになることで、呪術的な儀礼と演劇活動は、バリ全土で活性化した。さらに近年の舞踏芸術は宗教的立場から切り離されて、観光用として整えられ、そのぶん演じる要素もまた増大したと言える 」
  モロー先生とは、日本の柳田国男なのだと秋子はふと思うことがある。その柳田に劣らず世界各地を自らが訪ねては形而上世界を実体験で調査されている。しかも形而下に足の根を着地させて論じられていた。そのモロー先生にとって、地球は大きなモルモットなのである。
「 文化人類学者クリフォード・ギアツは、著書『ヌガラ・19世紀バリの劇場国家』の中で次のように分析する」
「 バリの国家が常に目指したのは演出(スペクタクル)であり儀式であり、バリ文化の執着する社会的不平等と地位の誇りを公に演劇化することであった。バリの国家は、王と君主が興行主、僧侶が監督、農民が脇役と舞台装置係と観客であるような、劇場国家であった 」
「 ギアツは、王や王宮を中心にすべての儀礼を演劇的に行うことが国家の本質であるという。ならばと現代の劇場国家に触れるべく、バリ鑑賞のひとときへ旅立った 」



「 MIROKU SAMA is・・・・・ 」
  と、モロー先生は、幾度となく弥勒(みろく)を引き出しては意図あからさまに「様付け」を試みたのである。
  その「さま」付けにされる異邦人の抑揚は、日本人の秋子には「Summer」としか聴き取れない。弥勒SUMMERなる敬意のあらわれようが斬新で、鶯(うぐいす)の初音のごとく新鮮であった。一瞬、落語かと想わせるそんな異邦人のするトーンの外しようがモロー先生の巧みで思慮深いユーモラスにも感じとれて、みずからの言葉へと曳きつけようと工夫された快い痕跡は、とくに日本人の秋子を一際妙に嬉しくさせた。
  しかしそれは単に日本人だからということだけではない。弥勒と聞かされゝば秋子には何より親しみがある。普段ならば幼い女子の遊び相手は人形なのであろうが、秋子は少し違った。幼くして手に握らされたのが弥勒仏の彫物であったからだ。それを投げたり転がしたりして遊んでいた。そしてその弥勒によく語りかけた。哲学史の講義なら、プラトンから順にカントあたりまで教えれば教授の役割は充分に果たせるのであるが、Amherst College〈米アマースト大学〉のハロルド・モロー教授のそのときの講義は、大切な未来の問題を、みずからの頭で深く考察する機会を学生に与えようとしていた。
  この講義を秋子が受講したのは新世紀を越年した2002年1月、セメスターの明けた雪の降る午後のことであった。
  夜は、カタルシスを踊らせる舞台なのである、と先生が諭(さと)すのであるから、受講生は見る見る夕闇の中へ、しだいに恐る恐る暗い夜の中へ溶けこんでしまっていた。
  ところが講義の中盤にさしかゝると、唐突に鋭く、指先で受講生の頭上をさし示して、問いかけてきた。
「 すでに君達は、昨年、カタルシスが踊る現場を目撃したではないか・・・・・ 」
  と。 モロー先生はそれまで接続してきた哲学めいた話を、こう問いかけることで、講堂内の雰囲気を生々しく、どんとスライドさせようと考えたのであった。この突拍子無い展開に、受講生の大半からどよめきが起きた。こゝから先、学生達は、モロー先生が企てた、川に落ちかなり早い流れに押し流された。




「 September 11. You are to keep memorizing the nightmare in that stone stage through all eternity. 」
「 9月11日。あの石舞台での悪夢を、君たちは永遠に記憶し続けることだろう 」
  一度辺りをじっと見渡し、目を潤ませる先生は「September 11」を強調しこう述べてから、淀みなく悲しさのあふれる語りかけで昨年の9月に起きた同時多発テロの惨状と、目撃者の悲劇と旅客機に乗り合わせていた乗客の恐怖とをさも当事者の体験のごとく描き映して、学生達の目に鮮やかに回想させてみせた。受講生の脳裏にはモロー先生の言葉通りの高層ビルの壁を叩き破るジェット音が叫び声にまざり合い、おめき声や悲鳴さえもありありと聴こえ取れて泛きあがる。それにつられ講堂の中ほどの辺りでは、けたゝましい叫び声が起こった。
「 Ladies and gentlemen, quietness please. 」
「 皆さん、どうぞ静粛に・・・・・ 」
「 The newspaper on the evening of that day is here. 」
「 こゝに当日夕刻の新聞がある 」
  さらに、某新聞を両手に開きかゝげたモロー先生は、その記事を淡々と読みすゝめた。
「 11 American Airlines of going in departure Los Angeles of -200 Boeing 767 Boston (Logan International Airport) (Los Angeles International Airport) flights of American Airlines (-200-Boeing 767 type machine and airframe number N334AA) took 81 passengers and 11 crew, and did the delay departure at 7:54AM. It was hijacked around 8:14AM, and the cockpit seems to have been taken over. The course is suddenly changed for the south at 8:23AM, it rushes into the twin towers north building (110 stories) that is the skyscraper of New York The World Trade Center of Japan at 8:46AM, and the explosion blazes up. Remains of the airframe hardly stopped the prototype unlike the accident when taking off and landing because of the horizontal,high-speed collision to the building. 」



「 アメリカン航空のボーイング767-200ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200型機・機体番号N334AA)は、乗客81名と乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上。水平かつ高速で建造物に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとゞめなかった 」
  こうして『 Events of 11 September 』(9月11日事件)の悲劇が、あきらかな非情として呼び戻された。講堂は凄まじい響(よど)みであふれ、涙するもの体を震わすものが多くいた。



「 ・・・・・・・・ 」
  この後、講堂に束の間の空白ができた。ふと何故(なぜ)か、モロー先生は、次足そうとした言葉を、こゝにきてピタリと止めたのである。先生のこの沈黙は、時間にして四~五分であろうか。モロー先生はたゞ沈黙のまま、聞き手に非常に酷(ひど)く長く感じさせながら、指先を震わしていた。そうして受講生の誰もがまったく気づかない素振りをしてそっと右のてのひらを胸に置くと、おもむろに眼差しを上げて講堂の天井に巍然(ぎぜん)と眺め入った。
「 3,000 dead or more・・・・・ 」
「 死者三千人以上・・・・・ 」
   みつめたまゝ声にはならず、先生はすゝり泣くような弱々しい小さなつぶやきを残した。誰の目にも追悼とうつる、そんなモロー先生のポーズに、賛意をあらわし、何よりも先生の鎮痛な胸の裡(うち)を察しようとしたのは学生達であった。秋子がうしろを振り向くと、たしかに学生の多くが、モロー先生の表情と同化しようとしていた。
  起立して同じ表情を示す学生も多くいた。だがこのときモロー先生は、応手である学生達が、この後どのような反応をもたらすか、ということに密やかな興味を抱いていた。
  最前列席に陣取っていた秋子は、席から伸び上がるようにして、このときモロー先生がみせた微妙なまばたきと唇の動きの中に、そんな気配を感じとったことを覚えている。航空機を使ったこの四つの同時テロ事件は、航空機によるテロとしては未曽有の規模であり、全世界に衝撃を与えたし、この渦中にあったのはアメリカ国民であるのだから、モロー先生の投げかけに対してそんな反応をしめしたことは至極当然の市民感情の現れであった。
  その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。ウサーマ・ビン・ラーディンとアルカーイダに首謀者の嫌疑をかけた米政府は、その引渡しを要求した。
  だが、これを拒否し続けられ、対テロ戦争の「 不朽の自由作戦 (OEF: Operation Enduring Freedom) 」を高ゞと掲げたアメリカ軍はターリバーン勢力を攻撃するためにアフガニスタンへと侵攻した。しかし正義の逆説として、アフガン報復戦争開始時に、某新聞は「 言語学者のチョムスキー氏、アフガンを語る 」という記事を載せている。
  この勇気のペンのことは、日本人の秋子にも意義深く感じられた。
               
  言語学者チョムスキーは「 アメリカは、イスラム地域の多くの人々も納得するような国際社会への手順を踏み、理性的なアプローチを最大限にとり、最終的にはテロリストのみに絞って力の行使に踏み切る方法もありうるという道を追求すべきだった。アメリカはナショナリズムが燃えたゝめに理性を失ってしまった。無実の人々が死ぬような武力行使はノー 」だと述べている。
  NATOは攻撃によってターリバーン政権を転覆させる必要を認め、2001年10月にアフガニスタンの北部同盟と協調して攻撃を行い、12月にはターリバーン政府を崩壊させた。この攻撃はアメリカ合衆国政府によって「対テロ戦争」の一環と位置づけられ、国際的なテロの危機を防ぐための防衛戦として行われた。
「 これでは日本人はアメリカに対し無言のまゝや、国際社会への言論すら放棄するんやわ! 」
  イギリスを始め多くの国がアメリカ政府の攻撃に賛同し正義を掲げたのだが、戦争の主体者は疑うべきもなくアメリカであった。モロー教授の講義はこの翌年1月のことであるから対戦争で実際に無実の人々も殺されつゞけてきたこと知る学生も多くいた。中にはチョムスキーの観点に納得し、同氏のメッセージにアメリカの良心をみて目頭を熱くした学生も数多くいた。リベラル・アーツならなおさらである。しかし同時に日本人の本音も見透かされた。
  このように同時テロ後のアメリカには、二つの正義があり、対戦争に両論があった。
  モロー先生は、この大きな二つの海に一石を投げ入れたことになる。
  すると途端に喝采の渦が起こり、講堂に集う学生達が大きく揺れた。モロー先生はそんな学生達から贈られる拍手の渦を目に認(したた)めると、みずからも、おうむ返しに拍手を学生達へ贈り返しながら、さも満足げに何度もうなずいて見せた。しかし講堂の響音が遠ざかるのを待つと、学生達の胸にゆだねられてモロー先生と同化したかのように思われた学生達の昂ぶりが、モロー先生の次の言葉で、また寸断された。
「 Please raise your hand if there is a person who changed the Stars and Stripes in eyes in you now. 」
「 君たちの中で、今、目の中で星条旗をひるがえした人がいれば手を挙げてください 」
  この一言で、しきりと前後左右の学生達と連絡をとりはじめたことを、モロー先生は発見したのである。あるいはこの発見を近隣の学生に告知することが、この講義の目的であった。
「 Now?Is the consultation left it at that, and is not your courage shown?Please raise your hand. 」
「 さあ~相談はそのくらいにして、君たちの勇気を示してはくれないかね。手を挙げてください。諸君はこの賛否に怯(ひる)むことなく堂々と応えるでしょう。星条の誇らしさに誓って! 」
  どよめきが収まるのを待って、今度は嘲笑し返すかのように訊たずねかけられた。
  これはリベラル・アーツならではの反動なのか。学生達はモロー先生にそう促されても慎重かつ冷静さを装いつゝ、まず一人手を挙げ、次に二人目が、そうして三人目が手を挙げ終えると、残りの学生達は至極当然とばかりに、次ゝと手を高らかに誇らしげに掲げてみせた。留学生を除くアメリカ籍の学生の多くが、きらりとした貌(かお)の目の中に、確かに星条旗を誇らしく掲げていた。しかしモロー先生にすれば、これはまったくとるに足りない一つの描写にしかすぎなかった。このときモロー教授は、ユダヤ人として中立であったのだ。



「 It is so. This is a dance of the catharsis. You saw the catharsis dance now. 」
「 そうです。これがカタルシスの踊りです。皆さんは今、カタルシスが踊るのを見たのです 」
  たゞこう言うと、モロー先生は何くわぬ顔をして、またこの講義の冒頭でみせた哲学紳士の、やわらかで貴公な表情を泛かべた先生へと帰っていった。学生達は、ねじるように振って回されたかと思うと、これを地面に叩きつけられたような心境で、そんなモロー先生をたゞ唖然とながめていた。ユダヤ人とは聖典の元、国籍をも退ける痛切な流浪を体験した。
「 カタルシスはカルパ国(kalpa)に生まれました 」
  こう語られると、首をひねりたくて、言葉の焦げる匂いすら感じさせる。もしも、これが真なる認識だとすると、この後モロー先生はどの様にして保証されようとなさるのか、見当がつかなかった。
  哲学は、言葉の文脈に、論理的な破綻が無い事で、その理論の正当性を求めますから、この地上には無い、誰の眼にも確かめようもないカルパ国という存在を語りかける哲学者が、目の前にいるということがそもそも不思議なのである。



  なぜモロー先生は、個別現象を超えた、核心的な問いから離れようとなさるのか、それが何を意味するのかが解らなかった。そんな受講生の戸惑いを察したのであろう。淡い日差しのような眼をされてモロー先生は言った。
「 哲学とは解っていない事を考え抜いて明らかにする事ですから、まことに非常識な学問といえる。皆さんはまず私が語ろうとする非常識な内容と向かい合いながら(カタルシスはなぜ存在するのだろう?)(カルパ国はなぜ存在するのだろう?)と、考えるところから、解っていない非常識な事を考え抜くように考えてみて下さい。これは、哲学のパソコンに例えるならば、非常識なOSですね。つまり哲学問の最も非常識な基本ソフトでもありますから 」 と、語りかけながら、そしてまた非常識に、
「 カタルシスはカルパ国で生まれたことを、ギリシャの哲人アリストテレスは理解していた 」
  と展開させては、通じなければならぬ脈絡がふっと切れるもどかしさを受講生に感じさせながら、淡ゝと非常識な話しをなさるのであった。
「 つまりアリストテレスは、このことを承知した上で、師プラトンのイデア論を批判し、最高の善は幸福だと説いたのだ 」
  などと、講義が佳境となるに連れ、じつにテンポよく先生は、独自のモロー理論を語りかけられたのである。それはいかにも非常識ではあるが、ただし、先生は常識そうな顔をして語られていた。
  モロー先生の講義が、他と違うのは、日常生活で直面するジレンマを「弥勒(みろく)」を題材にして未来とは何かを考えさせるのが主眼なのだが、モロー先生が京都の同志社大学といかに交流ふかき仲だとはいえ、また数年間かを日本で暮らされたとはいえ、日本人にはこうは語れないと思える弥勒観と、見えざる手について口にすることをタブーとするユダヤ人らしからぬ弥勒観だけに、秋子はたゞたゞ驚きを隠せえぬまゝに圧倒されていた。




「 カルパ国と、この地球とは五劫(ごこう)の距離で結ばれている 」
  あの八の字髭を消したからの、この仕業の所以ゆえんなのであろうか、肥った姿態、髭の生えたいかつい相貌とはうらはらに、なかなか優しい声である。しかし同時に、面映(おもはゆ)い脅(おそ)れを感じさせた。
  輪廻や永遠など、むしろ忘れて生きる中にこそ、ほんとうは輪廻や永遠の世界が垣間見えてくる。あるいは自然なことゝ感じられるようになってゆくのではないでしょうか、とスピリチュアルに語られた後に、それとは反対に死を非常識に直視した弥勒観なるものを展開されるのであるから、受講生の多くが、その複雑な思索におぼれてしまっている印象を秋子は強く感じ、仏教に親しむ習慣のない異邦人の眼差しに脅れのゆらぎが現れているかのようであるから、秋子にはそこが面映ゆいのであった。
  しかしモロー先生は、素知らぬ顔で平然と進められた。
「 劫(こう)とは極めて長い宇宙論的な時間の単位で、一劫を四十三億二千万年と換算し、五劫とは二百十六億万年の距離となる 」
  こうなるともう仏法そのものである。受講生は樺色にくすんだ顔を無表情に据えて、親昵(しんじつ)そうな態度で語られるモロー先生とたゞ黙って向き合っていた。しかしそれは、哲学に係わる者は盲目的に権威に服従することをタブー視するのであるから、こゝを弁えようとする自然な眼差しではあった。
「 弥勒さまもまたこの遥かなるkalpaの国で生まれた。その弥勒さまはシッダッタの入滅後五十六億七千万年後の未来に姿を現わして人類を救済するという。こう約束して地球へと向かい来る弥勒さまは、すでに百六十億万年を歩き越えて五十六億万年先の地球が見下せる夜の頂きに立っている。するとこの地球からみると、弥勒さまの立つ頂きへは、未だ人類の悲劇のような長い夜がつゞいてみえる。そんな夜とは、カタルシスの踊る舞台なのである! 」
  こゝまでを話し終えると、モロー先生はまた、おもむろに話しの矛先を切り換えした。
「 It will touch the origin of the philosophy a little here. 」
「 こゝらで少し、哲学の起源に触れることにしよう・・・・・ 」
  こう言葉を切りだすと、慨(なげ)くような眼をふたゝび天井へと向けられた。
「 哲学とは、近代における諸科学の分化独立によって、現代では専ら、特定の学問分野を指すのであるが、そこには神のこともあれば、死のことも、数のこともある。しかしながら、学術は細分化され、対象は限定されているから、学者や研究者が問えるのは、そのように限定された領域に支配するかぎりでの前提、つまり、浅いレベルの前提でしかない。例えば、生物学者はDNAのある部分の解読にいそしんでいて、生命とは何かという根本的な問題をなおざりにしている。こうなるとラッセルのように、哲学の消失を予想する哲学者も現れてくる 」
  と、こゝで一つ大きな息継ぎをされた。
「 そこで諸君らは本校を離れ去る前に、今一度、確認しておくべきことがある。それは哲学の起源である。古希のφιλοσοφία、英語のphilosophy、独語のPhilosophieとは、古代ギリシャでは学問一般を意味し、知の営みの全体を表していた。またこのピロソピア、フィロソフィアという語は、愛智という意味なのである。これはそもそもphilos(愛)とsophia(智)が結び合わさったものであるから、元来philosophiaには〈智を愛する〉という意味が込められている。この意味を込めた者は、アリストテレス以前の人々であった。確認すべきことは、この起源の本質である。今君達が立ち還るべきはこの本質にある・・・・・ 」
  と、そして了(おわ)りは 「 あるいは〈愛を智する〉ことであるのだ・・・・・ 」と笑みて結ばれた。




「 An important person of you who came to see off when you board the train without important ";Person";'s being said is floating tears. And, it runs to chase the train that began to run. However, the distance between two people opens in a moment. The shaking night is a stage in the window of the night train that will be seen before long that the catharsis still dances. the you 」
「 大切な「ひとこと」を口にできないまゝ、あなたが汽車に乗り込むと、見送りに来たあなたの大切な人が涙を浮かべている。そうして、走り出した汽車を追うように走ってくる。しかし、二人の間の距離はみるみる開いていく・・・・・。そのあなたが、やがて見るであろう夜汽車の窓にゆれる夜とは、やはりカタルシスの踊る舞台なのである・・・・・! 」
  省みるべき交感に、新しい交感を注ぎたくなった秋子は、講義を終えた夜に、ミセス・リーンを伴って夜行列車に揺られた。
「 リーンは新しい創作デザートを、新しい眼のオーブンで焼き菓子をこさえたいという 」
  二人は相槌をうち合って暗い坩堝(るつぼ)のニューヨークへと向かった。
  ミセス・リーンの料理の腕前は秋子の三年間の収録活動フィルムで、つとに知られるところ。今夜から未明にかけて、そのレシピ集が、世界平和への黙祷を顕影する創作部門でグランプリを獲得するのであろうか。リーンは始終、かって自作したレシピの使い込んだ分厚いノート見開いて、また新たな一品を書き留めようとていた。
「 秋子がおいしいと感じる味を求めたら、自然とこうなってしまうのよね。きっと今夜、自由の女神様から自分の名前が呼ばれたときは、もう頭の中が真っ白になっているはずだわ。きっとそう・・・・・。そのとき私は、秋子の語った夢の浮橋を渡れるのだわ・・・・・! 」
  と、そう語りかけるリーンの言葉を聞いていると、秋子は高揚感を全開にして理科実験室とか博物館に足を踏み入れた小学生のわくわく感が、蘇ってくるようであった。そうした記憶の奥には、やはりあの赤い奇岩で奇跡的に架け遺されたアーチズ国立公園のデリケート・アーチに魅せられて眼に描かされた広大な赤い赤い夢の浮橋がある。
「 木の橋に生まれはったけど、夢の浮橋、アメリカであゝも固い岩のアーチにならはった。オーロラも夢の浮橋、せや、夢は消えんと架け遺るモノや。ほんにこれ京都のお女(ひと)の夢や! 」
  世界には多様な物差しがある。しかし希望の眼差しは同性のようだ。
  衝撃の渦中、希望を求めながらもアメリカの多くの人々は伍劫(ごこう)の距離感を掴めないであろう。自由の女神は、真冬の未明に慟哭の眼を見開いたまゝ眠れないでいた。
  その自由の女神を眼差しながら未明の闇に秋子の吹く伍円笛(ごえんぶえ)の音が流れた。伍でこゝろは丸くなる。
  そっと脇にいてミセス・リーンは眼を穏やかに閉じている。その横顔をさりげなく嬉しそうにみつめる秋子の、その眼には雉(きじ)のほろうちで目覚め、比叡山に鎮められた西方浄土の穏やかな早朝の森を泛かべていた。









                                      

                        
       



 Monument Valley Sunrise to Moonrise








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