DT200Aの庫 (goo-blg)

10年前の7月 No1 はじめてEOS―1vを使った日


 朝陽で赤く輝く霧の壁へ進むDD51759号機です。この写真はRMのDD51特集で掲載されたと記憶しています。  01,07,05 野沢 5290 Canon EOS-1v RDP-Ⅲ(+1)

 10年前のこの頃は私にとって重要な転換期でありました。高校時代から長年にわたり使い続けてきたオリンパスOMシリーズが近い将来、終止符を打ちオリンパス自体がフイルムカメラから撤退する方向である事がほぼ間違いない状況になってきたのです、更にOMシリーズのレンズであるズイコーレンズは今後発売されるデジタルカメラの新機種と互換性がなくなるという事で、これからの撮影を見据えたときに永年愛用していたOMシリーズから他機種への移行を真剣に検討していた時代でした。
 さて、そうなるとCanonにするかNikonにするかですが、当時の鉄道写真の主流はやはりCanon EOS-1vでした。ロクイチフリークで有名なK池君も”撮れた!仕留めた!とファインダーの中で実感できる最高の機種がEOS-1v”ですと進言してくれたこともあり、まずはレンズはレンズメーカーで低価格で押さえてボディーだけEOS-1vを購入して様子見をすることにしました。
 そしてそのEOS-1vではじめて撮影したカットがこの写真です。当時はまだ磐越西線に定期貨物列車が設定されていましたがその時間は非常に撮影しにくい時間帯で、夏至前後2週間が一番良い時期とされていました。そのため前日に家を出て、深夜の東北道を湘南チサ區様とひた走り、薄明るくなった頃に野沢駅前に到着しました。磐越西線で一番懸念されるのが霧です。この日もところどころで霧が出ていました。まだ順光で7:3で撮影するには光が弱いので逆光アングルで構えていると、川からどんどん霧が流れ始めました。こりゃダメかな?移動かな?と思っては見たものの、列車の時刻も迫っていました。致し方なく待っていたら、こんな写真が撮影できました。陽の出直後のみずみずし太陽に赤く染まった霧の壁にDD51が向かっているよう瞬間です。このカットを撮った瞬間、K池君の言っていた”撮れた、仕留めたとファインダーの中で実感できる最高の機種がEOS-1v”と言う言葉が思い出したのは言うまでもありませんでした。
 そして現在、当時では考えられないくらいのカメラのデジタル化が進み、フイルムですら入手が難しい時代になってきました。撮影機材のCanonへの完全移行され手元には保存用のOM-3Tiといくつかの単焦点レンズ以外は全てCanoのカメラ・レンズになってしまっています。”その時、歴史が動いた”はじめてEOS-1vで撮影をした、その日が10年前の7月5日なのです。

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コメント一覧

DT200A@P905i
DF50 26様
ご投稿、ありがとうございますm(__)m

〉この画像RMで拝見して「これは素晴らしい!」と感動したのを覚えております。

 お褒め頂いて恐縮です。この色の発色は銀塩ならではのなせる技だと思います。また、仕上がりの感動もデジタルで現場で見るより後日、ラボで上がりを見てよりいっそう増すのだと思います。またコダックのKRだったらここまで描写出来たか首を傾げてしまいます。やはり最高峰の銀塩カメラと共にシャドウ部の描写力に優れている富士フィルムプロビア(RDP―Ⅲ)があったからではないでしょうか?
 いずれにせよ、デジタルカメラ全盛期に銀塩カメラの色表現の素晴らしさを誇示出来る作品と自負しています。
DF50 26
この画像RMで拝見して「これは素晴らしい!」と感動したのを覚えております。
そんな画像に感動は勿論、葛藤やら裏エピソードが有ったのですね!
ほんま縁起のええカメラでんなぁ~!!!
私は、その手の運は全く無い!?とよく娘から言われます(汗)(涙)
DT200A@P905i
チサ様
ご投稿、ありがとうございますm(__)m

〉1vのデビュー戦でしたね~ファーストショットは気になるところですが、この時は、そのカメラにとって、まさにVを呼ぶカメラかもなんて、言ってたかは忘れてしまいましたが、幸先の良いスタートだったのは、忘れられません。

 おっしゃる通りでもし現在の様にデジタル一眼レフがあったら、感度を上げてデジ一丁で撮っていたかもしれません。10年前はその選択の余地もなかったのが感動を呼び、忘れられないEOS―1vのファーストショットになったのだと思います。あんな感動をもう一度味わいたいものです。
チサ
 思えば、1vのデビュー戦でしたね。
卸したてのファーストショットは気になるところですが、この時は、そのカメラにとって、まさにVを呼ぶカメラかもなんて、言ってたかは忘れてしまいましたが、幸先の良いスタートだったのは、忘れられません。
 直前までは、霧の晴れ間と、日の出の両天秤状態で、迫る通過時刻に焦らせれてましたが、構えてからは霧が消えない事を祈りつつ、露出設定にあーだこーだやりましたっけ。
 デジタルで、プレシャッター切って決めるとの違って、その苦労が楽しめた時代だったのでしょう。
 その列車が通過した後に出来た、霧のトンネルをくぐって追いかけてみたいもんです。
DT200A@P905i
つばめ鮨の常連様
いつもご投稿、ありがとうございますm(__)m

 今のフォレスターもそうですが、担当者が人間的に素晴らしい人だとその物(機械)に対して愛着が深まり、また付き合いも長くなります。この当時通っていたオリンパス横浜サービスセンターにはM下さんと言うカメラが大好きな人がいて、その人にいろいろ技術的な事。写真センスの事を教わった事がOM―1との絆を深くして言った最大の要因だったと思います。この頃、大変にお世話になったM下さんは故郷の名古屋へ転勤され、ほどなく退社されたそうで、ちょうどその頃にオリンパスからCanonに転向しています。
つばめ鮨[[EE:AEAB8]]の常連
DT200Aさんは、オリンパスからキャノンに、乗り換えたんですか! 浜松のベルビアン様と、一緒ですね! 私は、ミノルタSR-TからニコンF3に、乗り換えました。フィルムカメラで、頑張りましょう。
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