DT200Aの庫 (goo-blg)

20年前の2月 小春日和の茅ヶ崎

 
 EF5889号機と言えば同機が茶色で復活した際に身代わりに廃車となったEF58109号機を思い出します。人の巡り合わせに似たこの出来事はなかなか思い出深いものでした。後にいろいろな人の生き方を見るにつけ、この身代わり廃車が自分の中では判り易い例え話に今でもなっています。
 鉄道車両にまつわる巡り合わせの話では小田急LSE7002Fが今年1月に廃車になり、同編成が解体されている中で台車廻りの車体側センターピン付近に深い傷が発見され、連接台車構造であるLSE・Hi-SEが運用停止処置がなされました(VSEは同じ連接台車ながら構造がまったく異なるので運用停止の処置はされなかった様です。)。その後の臨時検査でLSEの中でも一番生き延びるとされていた7001Fと7003Fがなかなか復帰出来ずそのまま廃車と言う話が立ち上がっている中、逆に以前から廃車の噂が絶えなかった原色である7004Fが早々と本線復帰した姿を見て、きっと7002Fは自分ひとりが廃車になるのが辛かったのだろう。だから7001Fと7003Fを道連れにしたかったのかなぁ、7004Fは原色だからもう少し華を咲かせてから追いかけて来いヨ!なんて思いがあったのかなぁ…なんて心めぐらせ、そんな中、EF5889号と109号の運命の出来事を思い出したしだいです。  90.02,22 辻堂-茅ヶ崎 9513レ OM-3Ti T-MAX

 
 20年前のネガを見直すと90年2月22日に茅ヶ崎でEF5889号機牽引の81系ミト座を撮影しています。この頃、シナ座から装換したミト座は水戸支社の稼ぎ頭として精力的に各地へ運転されていました。ただミト座のアキレス腱は冬季に暖房設備を持つ機関車に牽引されなければならない事でしたが、それが我々にはたまらない魅力でもあり当然、電化区間ではEG(電気暖房)を持つEF5889号やEF641001号のがミト座の先頭に立つことが多く、それを追っかけた記憶があります。
 当時はまだ国鉄時代を踏襲した運転報があり、運転に関係ない現場以外は配布さるていて、それさえ閲覧出来れば運転の情報は容易にしる事が出来ました。運転報を見るまでもなく東海道線内での運転ならほぼ間違いなくEF5889号機の登場となります。(例外も沢山あり、EF641001号機が東海道線内でミト座を牽引している姿もあります。)
 話が逸れますが、創臨・団臨華やかな国鉄時代では東京3局で言えば団臨の運転報は月に2回、号外の形で発行されていました。地方はその都度、日報で達示るところと、号外とは名ばかりの薄い冊子で1カ月分まとめて発行されるところとありましたが、号外として発行していた管理局は少ないと思います。
 月によっては団臨の設定が多く分厚い号外を手にして何処から手を付けようかと途方にくれた事もしばしばでした。(今思えば、なんと言う贅沢でしょうか…笑)普段、団臨の号外はまず客車運用を調べます。その中で12系?14系を後回しして調べます。運用表の中で”これは”と思った列車(例えば10系オールハネ運用とか一般客車…今で言う旧客の運用とか)が撮影時間帯であるかをページをさかのぼって調べます。予定臨なら関東圏の各線の予定臨の列番と大体の時刻は頭に入っていたので列番を見ただけで撮影時間帯であるかどうかは判断が出来ました。またモリスジ(正式名称は手盛スジと言うらしいです。)であれば、時刻を調べますが、東海道線とか東北本線単独運転ならすぐ調べられますが運転線区が入り組んでいると、慣れていないと何処に記載されているかを見つけ出すのが大変です。運転報には東京3局報と共通報とがあり記載線区が微妙に入組んでいて、これを調べのは至難の業でした。ただ慣れればそれほど難しいものではないと理解していますが、これも趣味だから拒否反応なしに調べられるのであって、仕事で調べている職員にとってはとても厄介な代物だった様です。国鉄時代にアルバイトしていた時には駅の助役から゛団臨を抜粋しているんだけど、この列車の継承した行き先地と着時刻がわからないので一緒に探してくれる゛とと言われ、その場でいとも簡単に見つけて助役を驚かせて仕舞ったことがあります(その時の助役が少し笑いながら゛頭イイナァ~゛と言われましたが、「それは頭が良いのではなく、好きな資料だからで、あなたもこの趣味を持てば容易に調べる事ができるはず」と思った記憶があります)。
 さて、話を戻しましょう。この日は自宅から車で30分以内で到着できる辻堂-茅ヶ崎間でEF5889号機牽引のミト座を撮影しました。2月にしては暖かい日だったのでしょうか?、線路際では「電車」を見に来た子供とそこをゆっくりとEF5889号機が走り抜ける姿を撮影しました。今は撮影のために立っている場所も母子のいる場所も高いフェンスに囲われて、もし立ち入れば防護無線発報され列車は緊急停止しまうでしょう。保線の人が来れば退去を命じられましたが、行ってしまえば、また元のポジションに戻ると言うおおらかな時代でもありました。たかしこの日は土曜日か日曜日でこの写真を撮影した後は茅ヶ崎のダイクマで買い物をして帰ったと記憶しています。
 ところで、ここって今はどなたかのご自宅の至近距離ですよねぇ!その当時、そんな事は夢にも思わなかった…それも人生ですかぁ??
 

 ミト座が通過する10分前にこんな列車も通過していました。富士急で生き残る同車ですが、このセンスの良い塗装に戻してくれたら撮影に行くのですが…ちなみにこの時代は自家現像が一番脂の乗った時期でもありました。タンク現像でしたがタンクを事前に一定温にしておき(夏は冷水に浸し、冬はドライヤーで暖めていました)、現像液・停止・定着の各温度にも気を配りました。また、水洗いも流水の前に定着の温度と同じにした水を注水して、そのごゆっくり水道水を流し込んでいたほど気を使っていました。今は自宅での廃液排水の関係で自家現像は不可能となりプロラボに委託していますが、この頃のネガカバーを見ると現像温度と現像時間が記載されおり当時を懐かしく思い出します。   90.02,22 辻堂-茅ヶ崎 9313M OM-3Ti T-MAX

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

DT200A@新橋マンボー
チサ區様
ご投稿ありがとうございます。

>どんな出会いが、こうしてしまうのか!?

私も上記同文です…笑
チサ區
どなたのお宅がお近くなのかは、分かりませんけど、その界隈は気軽に行っておりましたね~。
 どんな出会いが、こうしてしまうのか!?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事