ペルテス闘病メモ

ペルテス病と診断された息子と家族の闘病記録を残す。

fujikoさん、コメントありがとうございました

2005-04-20 23:32:31 | Weblog
fujikoさん、コメントありがとうございました。保存的治療を選択したとのこと、まだ先は長いとは思いますが、どうぞがんばってください。お子様の回復を祈っています。

私たちはfujikoさんとは反対に、手術を選択しました。このblogにも書いたと思いますが、少しでもよくなる可能性があること、治療の期間が短くてすむことが決定の理由でした。装具が取れた今考えると、いままでのことはあっという間に感じますが、車椅子や装具が必須だったときは、いつまで続くのだろうかと思うことが多かったです。やっと普通に歩けるようになりましたが、まだ手術が最善だったのかどうかわかりません。いつかわかるのかもしれないし、ずっとわからないかもしれませんね。

明日は学校の遠足で水族館へ行きます。やはり、入院中は行動の制限が多く、こうして普通にお弁当とおやつをもって遠足へ行くことができることが、よかったなと思う瞬間です。

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最近の迷セリフ
「おかあさん、みんながボクのお弁当を見て何か言ったときに、それほどでもないよ、って言えるお弁当作って。」
どんな弁当だよ!

blog人気もいいけれど

2005-04-11 22:46:35 | Weblog
記事の投稿に失敗したのでは?と思わせるようなレスポンスの悪さは、次の記事を書く意欲をなくす。毎回バックアップしてから投稿しろというのか…。orz

また、久しぶりになってしまいました

2005-04-11 22:40:38 | Weblog
まったく事件がなかったわけではないのだが、また更新を怠ってしまった。

4/4に検査のため病院へ行った。いつもは妻だけが付き添っていたが、退院後初めて私も一緒に行った。レントゲンを撮った後、受付の順番が早かったのですぐに先生に呼ばれた。レントゲン写真で明らかに骨が形成されていることが確認された。診断の結果、今後は車椅子、装具の必要なし、2ヵ月後に再検査とのことだった。順調に回復しているらしい。ただし、ジャンプや運動は禁止で、体育の授業は見学だ。自転車に乗ることもできる。先生は「どうせ子供はすぐジャンプしちゃうんだよな~」としきりに口にしていた。

4/5から新学期が始まり、小学3年生になった。この日からは友達と一緒に歩いて登下校するようになった。米国では親が送迎していたし、手術後も送迎していたので、初めて見る友達と歩いて登校する姿は感慨深いものがあった。妻と息子からの報告によると、新しく担任になる先生は、若くて、やさしくて、きれいらしい。授業参観が待ち遠しい。新しいクラスでは背の順で下から3番目に昇格した。いままでずっと一番下だったので、少し出世した。

足への負担が軽いので、水泳教室に通わせることにした。まずは週1回からはじめる。