東北地方太平洋沖地震で被災を受けた友人からメールをいただきました。
みなさんにも読んでいただきたくて、
彼女の了解も得てブログに載せさせていただきます。
****************************************
父と弟は避難していて無事でした。
でも実家は津波で流されてしまい母も亡くなってしまいました。
母の遺骨はしばらく私の家であずかることになりました。
3月18日、あの地震から一週間後、母は家からかなり離れた路上で瓦礫の撤去を行っていた地元住人に発見されました。
死因は溺死。
死亡推定日は3月11日。
どうやら生き埋めなど長時間苦しまずに逝ったようです。
12日に私は近くまで捜しに行っていたのに寒さ厳しい一週間、一人ずっと泥に埋まっていた母を見つけてあげられなかった事が悔しくて…。
宮城県の火葬場はいっぱいなので集団土葬になりますと言われましたが同じく津波で亡くなった叔父が火葬してきた天童の斎場に連絡してみたら21日14時で火葬の手配をしてくれました。
母の遺体に***号と番号が付けられていたのですが東松島市内で***人目に見つかった遺体ということでした。
遺体安置場にはおびただしい数の遺体があり、本当に大変な大惨事だったと思い知らされました。
安置所から霊柩車や車の手配も出来ず私の車に母を乗せ、弟が運転、後部座席に父、後ろの荷台に私が乗り、助手席と助手席後部座席の椅子を倒し母を寝かせ仙台の私の家まで連れて帰ってきました。
親戚一同に火葬のお知らせをしましたが山形県まで行くガソリンがなく行けないと…。
うちもガソリンがなく困ってたら状況を理解してくれた弟の友人が無償でガソリン30リットルわけてくれ天童まで行くことが出来ました。
家を失ってしまいお通夜やお葬式もやってあげられない。
お墓も倒れお寺も壊滅状態で火葬しても納骨も出来ない。
和尚さんからお経を唱えてもらうことも出来ない。
泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて、それでも涙は枯れなることなく溢れ出て。
他にももっと大変な人がいると分かっていても、辛過ぎます。
気が強くて面倒見がよくて沢山の人に囲まれていた母が、家族にしか見送られない寂しい思いをさせてしまい本当に申し訳なくて。
今は家を失った父と弟が我が家に避難中です。
先日、東京の知人が来てくれて実家付近で家の物を捜すのを手伝ってくれました。
津波で全部流され何も残っていませんでしたが祖父母の写真を見つけることができました。
今は辛いけど踏ん張るしかないです。
長々と失礼しました。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ご心配おかけしてすみませんでした。
サワ先生、東京も東電の問題など大変ですがどうかお身体お大事にお過ごし下さい。
*******************************************
これは、震災を受けた被災者の方の現実なんです。
地震、津波、原発と続き・・・次々と問題が出て来て、
でもこれからも生きていくため、
自分たちの生まれた地のため、
復興に頑張っておられます。
1ヶ月経ちましたがまだまだ先の見えない状態、
本当にやり切れなくなります。
どうして、こんなことに、でも現実です。
みんな力を出し乗り越えましょう。