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EF60-86号機(カットモデル)

2022-11-15 20:38:35 | 鉄道

JR前橋駅まで徒歩で向かっている最中、EF60-86号機を発見した。ただ車体は1両丸ごとではなくガットモデルの状態で保存されていた。

腕木式信号機と転鉄機と一緒に保存されているEF60-86号機。同機は、JR発足前の1987(昭和62)年3月2日に廃車となった。

ただし、敷地面積の関係で1エンドのカットモデルのみ保存。2エンドは解体処分された。

三菱製ホイッスル、避雷器。

わずかながら機関室も撮影。個人管理のため、部品盗難は少ない。

EF60-86車両番号。

EF60型電気機関車は、一部がEF61型200番台機、EF67型0番台機に改造されたが、ほとんどはJR発足直前で廃車になった。JR化後に残っていた19号機と503号機はすでに廃車解体され、現存しない。カットモデルとはいえ、86号機が平成、令和になっても現存しているのは嬉しい。なお、場所は、個人所有のため、正確な場所は伏せていただく。

*EF60-86号機の経歴*

1964(昭和39)年、東洋電機汽車会社製。新製配置は吹田第二機関区。

1965(昭和40)年、米原機関区へ転属。

1985(昭和60)年、高崎第二機関区へ転属。

1987(昭和62)年3月2日、廃車。

撮影日・場所…2022(令和4)年11月10(木)・群馬県前橋市


マイテ49-2

2022-11-15 12:44:47 | 鉄道

JR西日本が発足してまもない1987(昭和62)年4月、当時の交通鉄道博物館(大阪府大阪市・2014(平成26)年閉館)に保存されていた戦前生まれの展望客車「マイテ49-2」がイベント用として車籍復活した。「マイテ49-2」は、第2次世界大戦前の1938(昭和13)年に「スイテ37040形」として登場した1等展望車。また、乗り心地をよくするために3軸台車を備えているのが特徴。3年後、形式を「スイテ49-2」に変更してから第2次世界大戦が勃発、この頃から、軍事物資として花形特急(当時は燕(つばめ)、富士、櫻(さくら)など)で1944(昭和19年に廃止。そして1945(昭和20)年8月15日に終戦を迎えると、当時の連合国(GHQ)は軍人用の車両として提供、4年後の1949(昭和24)年に当時の国鉄に返還されたのち、内装を元の状態に戻した。そして1953(昭和28)年に冷房化。この時、冷房機器を乗せたことで車体重量が増し、形式を「マイテ49-2」に変更された。1960(昭和35)年に引退、廃車となった。

梅小路蒸気機関車庫に展示中のマイテ49-2。

車両前後に、特殊なペンシルバニア式のTR73形3軸台車を履いている。。

エアータンク(左)、ブレーキ制御装置保温箱(右)

ブレーキ制御装置保温箱製造銘板(株式会社五光製作所製)

所属、定員表記(1等16人、展望11人)

車両番号表記。

形式、自重、検査表記。全般検査は、2017(平成29)年11月に受けていたため、あと3年の周期を残して今回引退となる。引退後は、京都鉄道博物館で展示予定。

鉄道省大井工場、鉄道省製造銘板、国鉄鷹取工場改造銘板。

花形特急、第2次世界大戦、GHQ連合国連用車両への改造、SL運転時のイベント列車、電車区での一般公開の展示などなど、波乱万丈な車生を送ったマイテ49-2。またコロナが落ち着いたら、車内公開されるといいなと思う。

 

撮影日・場所…2022(令和4)年7月31日(日)・京都鉄道博物館梅小路蒸気機関車庫内


愛知EF64-1000更新期に廃車発生?

2022-11-15 07:47:48 | 鉄道

愛知機関区で退役したDE10型3両を見届けたのち、愛知機関区から離れた側線に大宮更新色のEF64型が4重連の状態で止まっているのを発見。いずれも、愛知機関区の区名札や、ナンバープレートと製造銘版は存置していたが、置いてある場所が架線の貼っていない路線で、かつ機関車の塗装が退色しているのと、EF64型に離脱車両がちょくちょく出ていたのもあって、「まさかな…」と思いつつ撮影した。なお、連結していたEF64型は下記の通り。

←岐阜 EF64-1015=同1004*=同1011=同1009 名古屋→

すべて1980(昭和55)年に製造されたEF64型、かつ大宮更新色ある。なお、1004は1エンドと2エンドでほか3両とは逆向きの状態で留置していた。

愛知機関区で4重連で留置中のEF64型4両。前から2両目の車両が1004。

手前は、EF64-1015号機。川崎重工業・富士電機製。かつてはEF65型と同じJR貨物標準色(大宮3色更新)で活躍していた実績がある。

EF64-1004号機。川崎重工業東洋電機製造。

EF64-1011号機。川崎重工業・富士電機製

最後にEF64-1009号機。川崎重工業・富士電機製。架線が干渉して汚らしい画像なのは申し訳ないが、「JRF」ロゴマークは薄くなっていた。なお、この機関車のみ、ほか3両とはクーラーキセの形状が異なる。

このような状態が続いていたが、10月になって4機ともナンバープレートが外されたとtwitterで情報が入った。いずれの機関車も2020年(令和2)年12月まで運用に入っていたのだろう。すでに、JR貨物色のEF64型の全般検査は終了となったので、順次、大宮更新色のEF64型に廃車が生じる。そうなると、今回の留置は検査切れまたは検査を通さずに廃車となる可能性が高い。2022(令和4)年10月現在、JR貨物色大宮更新色のEF64型は、上記4両のほかに1002,1003,1005,1008,1010,1013,1017,1018,1020,1027の10両である。このうち、1002,1003は検査期限が近付いているので、下手すると、今年までか今年度末までの運用になると推察する。国鉄色に変更されたEF64型はまだ安泰だが、余剰で愛知機関区で休車している時があるので油断を許さない状況であると考える。

撮影日・場所…2022(令和4)年7月11日(月)・愛知機関区


D51-609号機、ワム75626

2022-11-13 07:38:49 | 鉄道

平成29年千葉県警察年頭視閲式終了後、JR総武本線を使って成田駅へ。ここから約1km先の栗山公園へ。京成電鉄京成本線高架下にあるのが目印。

屋根付き、かつ機関車周囲を柵で囲んだ状態で保存されている。2011(平成23)年3月11(金)に発生した東日本大震災で地震によって脱線していたが、のちに線路上に戻された。これと併せて、耐震性も強化した。しかし、約78tもある鉄の塊が脱線するなんて、自然のエネルギーは計り知れへんな。

デンター(炭水車)。ここは、前照灯がなくなっていた。

D51-609号機の概要と経歴は上記画像の説明板の通り。

ナンバープレート、換算銘板(空9.0/積12.5)は、公式側、非公式側ともに残存。しかし、日立製作所製造銘板は、公式側、非公式側ともになくなっていた。銘板が取り付けてあったと思われる穴や撤去痕も確認できる。
 

キャブ(電車でいう乗務員室)はガラス、窓枠の欠損はなかった。

キャブ内は比較的綺麗な状態を保っていた。キャブへ上るためのタラップもあるが、機関車周囲を柵で囲んでいるため、立ち入るのは不可能である。

計器類(圧力計)も画像の通り破損なく、きれいな状態。

エアータンク。「47-12 OM」と記載があるので、大宮工場(現:大宮総合車両センター)で整備された。

機関車周囲には、レール幅は違えど、府に霧があったり、「栗山公園駅」の駅名板があったりと鉄道公園のような雰囲気。

D51-609号機のそばに「ワム75626」が置かれていた。車体のみの展示で台車はない。倉庫で使われていると思う。国鉄末期はこのような貨車が数万両が余剰となって売却された。

車両番号も健在。ただ、元の色はレンガ色であったため、塗色変更した可能性がある。字体も国鉄時代と異なっていた。

形式。検査表記も健在。

撮影日・場所→2017(平成29)年1月15日・千葉県成田市花咲町「栗山公園」

アクセス→JR成田駅・京成成田駅下車徒歩7~8分


クハ103-1

2022-11-13 00:43:50 | 鉄道

1963(昭和38)年に登場した国鉄の通勤型電車「103系」。日本の高度経済成長の発展とともにそれまでの旧型電車を置き換える形で登場した103系は、当初、山手線、京浜東北線、さらには中央本線と活動範囲を広げ、関西圏でも阪和線、山陽・東海道本線、大阪環状線にも登場した。また、1970年代には、踏切事故対策のため、高運転台(ATC・非ATC)車両、営団(現:東京メトロ)地下鉄相互乗り入れのために常磐緩行専用の1000番台、1200番台、1980年代には九州の1500番台車も登場し、1984(昭和59)年までに、改造編入車両を含め、総数は3500両強という異例の両数を誇った。JRが発足してからは、JR東日本では宮城県(石巻線)、JR東海では名古屋圏、JR西日本では岡山、広島にも足を延ばした。そのほか、1000番台車は105系にも改造され、奈良や和歌山、広島、下関、宮城での活躍も広まった。それだけに103系は通勤輸送には欠かせない電車であったといっても過言ではない。

しかし、1990年代以降、車両の老朽化や新型車両の導入によって数を減らし、特にJR東日本では急速に廃車が進行した。JR東海は2001(平成13)年、JR東日本は2009(平成21)年に全廃。さらに、高運転台のクハ103型(ATC・非ATC)、付随車のサハ103,102型も形式消滅となった。残るJR西日本、JR九州も風前の灯である。今回紹介するのは、2011(平成23)年まで活躍した「クハ103-1」。103系トップナンバー車である。

JR大阪環状線時代のオレンジバーミリオンに戻されたクハ103-1。戸袋窓が埋められたり、全面窓や行先表示が金属抑えになっている、前照灯がシールドビームになっている、冷房装置がついているなど登場時とは異った状態で保存されている。

クハ103-1説明版。まさに国鉄通勤型電車のパイオニア。イラストのクハ103型は登場時のもの。

床下機器。ATS車上子も残存していた。床下まで隅々まで見れるのは面白い。

車両番号。ここは登場時から変わらない。

形式、自重、換算、検査表記。

所属表記は、大阪環状線時代の「大モリ(JR西日本大阪支社森ノ宮電車区*現:吹田総合車両所森ノ宮支所)」。

製造銘板も健在。クハ103-1は同じく製造の2~4を含む1964(昭和39)年5月8日製造の個体で、池袋電車区に新製配置されてから下十条→浦和→森ノ宮→日根野渡り歩いた。活躍路線は、山手線、京浜東北線、大阪環状線(桜島線)、阪和線で活躍した。

側面の行先表示も「大阪環状線」。

運転台。廃車当時のまま残されている。なお、運転台はいたずらや部品盗難の観点から立入禁止となっている。

車内。多くの来場者に見てもらえるよう開放している。戸袋窓は閉鎖されているが、シートは登場時を再現している。なお、車内の飲食は禁止。

側窓。優先座席や携帯電話使用禁止ステッカーが貼っているが、それ以外はほぼ原形のまま。

車内の広告入れには現役当時の103系の写真が飾られている。下は阪和線時代のものであろうか。

吹田工場改造銘板。昭和51年なら冷房改造工事のものと考えられる。

車番、6号車ステッカー。号車ステッカーは阪和線時代のもの。車番ステッカーは盗難か破損した際に交換されたと考えられる。

車内非常ボタン、禁煙プレート。いたずらで操作すると、鉄道営業法違反や威力業務妨害等で罰せられるので注意を!!

TR201型台車。1964年製で東京や大阪の大都市の路線を走行した。廃車までどれくらい走ったのだろうか。

TR201台車製造銘板。保存に際し、綺麗になっていた。

すでにJR西日本でも207系、221系、223系、225系、321系、323系の登場によって103系は全車両が引退→廃車となった。特に後期製造の高運転台車は、JR東日本車は1990年代に廃車が多く進み、2006年までに退役、JR西日本車は1990年後半~2000年前半にかけて体質改善工事が行われたにもかかわらず、2017年までに引退となってしまった。現在、JR九州と、JR西日本では加古川線、播但線、網干総合車両所明石支所のR1編のみが残っている。ただ、明石支所のR1編成は引退がささやかれているので、早めの撮影が望ましい。すでに、100両を切った103系。形式消滅する20XXまでトラブルのないよう活躍を見守りたい。

撮影日・場所→2017(平成29)年11月6日・京都鉄道博物館