スナック どん底

ガタガタ言わずに黙って呪え ~呪術の国日本~

生きる。

2008年07月26日 07時21分13秒 | どん底日記カタルシス
収入源ですか。

サラ金ですよ。

やべえ!パネエ!と思ったら、肉体労働をするんです。
死ぬ気で完済するんです。

そうしたらいっさい労働捨てます。
何するか。
読書・飲酒です。

こんな生活長くは続かない、最近不安で明日が見えません。
むしろ明日等来なければ良いのに。

夢は画家か詩人です。マジにです。

今日も今日とて本読む以外する事ありません。
借金は120万超えた。
「支払え」と言う紙が40枚くらい溜まってますけど、
国民保険だけ払ったら、後は海になれ空になれ。夜空のお星様になあれ。

楽天的な性格の様ですが、
胃に潰瘍七個あります。

鬱病でパニック障害で分裂病です。

国に助けを求めた事があったんですが断られました。
何だか書類が足りないそうです。

因に今泣いてます。

とりあえず、

死ぬのは明日にして、

ダックテールで踊りまくろうと思います。

愛してる。

一人。

2008年07月13日 12時46分07秒 | どん底日記カタルシス
部屋に男を入れてから、
どうやって一人でやってきたのかビックリする程に忘れた。
夜中にふと、
一人じゃ。
って途方に暮れて。
読む本なんぞ何も面白くない。

なめる飴も全然甘くない。

酒もニゲエ。

お互い子供じゃないから、付き合うだの恋人だの、
浮気したら殺すだの、
何の取り決めも無いが、

いつも疲れきってる大人は
静かに眠るだけ。

何つったって暑いじゃん。
無いよ無いよ行動力無いよ。

ただ一回、一目顔見たさに、車を走らせて遠い町まで行ったよこのオレ様が。

帰り道吐き気強く、
路肩に止めて何をやってるんだろうとさんざめいて、
これ自分の体かと思う程に、熱い血たぎらすのでありました。

ああ、無意味に欲情してい、
邪念振りほどくよに歩き回れば、
歩いても歩いてもどんどん歩けるようになってい、
しっくり来ない、ゴールが無いんだ馬鹿野郎。

さっすが肉体労働者ァァ疲れねー。

1時間歩こうが二時間歩こうが、走ろうが、
息も乱れぬ馬鹿馬鹿しき私の体力。
肺活量は一生計らずにおこう。寝かせておくのさ。

人が多くなって来たら帰るようにしてる。
昼過ぎになると人が集まって来るよ。
私の家の前の森の公園。

猿のよに欲情している私今年36才。

「オレの体だけが目当てなんだろう!!!」と近々言われるのに5万円賭けるぜ・・・。

今まで目覚ましにしか使ってなかった携帯、
二ヶ月で5万5000円。
へっへっへ。ストーカーの様にがんじがらめさあ!!!
うん。逃げられるかも知れないね。良いの変態のおばさんのやる事に意義等無いから。
欲情抑えたいだけだから。
でも相手の男も2ヶ月で携帯6万5000円言うてたよ。

良かったねau。

マジ携帯意味ワカンネ。
タケーから設定どうにかしてくれって、したっけ来月からじゃないと駄目なんだって。
来月まで男と続いてるかワカンネーじゃん。
むっかー。

夏のご飯は私は朝昼晩とアイス。
チョコパフェだったわ朝ご飯。
ウォーキングしてシャワー浴びて日記書いてんだけど。
気持ちが悪い。
今ガスター飲んだ・・・。

こないだは吐いたよチョコパフェ。

んー。今日はどうでしょう。

少し横になる。
オエオエしてるから。

じゃあね。

ウォーキングブルース

2008年07月08日 08時37分38秒 | ポエマー・どん底

欲情したらなら歩くんだ 歩け歩け
同じ所をグルグルと

少し濡れたら歩くんだ 歩け歩け
ストイックに見えるよに

心の中じゃぁとんでもねえ事を考えるよ
いいのさそれでもウォーキング健康的だぜ

ウォーキングずっと続けてると
汗が毒に見えて来る

ああキモイ
ああ気持ち悪い
ああシャワー
ああ顔面シャワー!!!

腹が減ってても歩いたらウォーキング
借金百万越えそれでもウォーキング
メッサ頭痛い歩けば健康だ

ホントは漏らしてる

歩けば健康ウォーキング









すのこ割りまくり人生

2008年07月04日 16時15分04秒 | どん底日記カタルシス
まぁ、また割ったよ。すのこベット。
ベランダに置いてさ。
床にでっけえ布しいて、その上に布団敷いて寝てるよ。
うん。
暑い。

まぁすのことオレは相性が悪いと言う事で。
どんなに好きでもどうしようもない事があると言う訳で。

すのこをぶっ壊して捨てるのに、困っていたら助けてくれる人が居てさ、
「うわー助かるわぁ~神~」とか思ててんけど、
家に入って来るじゃんハニー。
何年振りか。部屋に男が入って来るのは。
あ、男なのよ。男よー!!!
引越し屋さんは入るけど生活見てねえからね。

ドキヌネ。ヌネがドキドキ。ヌネが・・・。

まぁ外よりかはマシだろう。屋根ついとるし。
今日の今日なので、掃除なんかしねえよ。
因に今生理で、色んな所にタンポンを配置してるよ。不安なの・・・。

ああ。もう本当に。
ぶっちゃけ秋田に車で逃走したい位部屋を見られるのが嫌なんだが、
仕方が無い。

割れないもん自分じゃ。すのこ。解体出来んもん。
さすがにその手の工具も持ってねえし。
(後は結構持ってるよ!!!女で一人暮らしなげえから!)

ああもうどうにでもなりやがれ。

ひかれても構わない。

さよならだけが人生さ。

あああ。世間体的にオレの部屋はどうなんだー!!!!
本やコレクションはめっさサイコ野郎チックなんだけど今人んち。うふ。良かった。

胃が痛い。





楽しきかな依存。

2008年07月01日 15時51分53秒 | どん底日記カタルシス
境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)は

1.見捨てられ不安
家族とくに母親から「見捨てられる」ことへの不安から、おおむねいい子に育つ。
母親の期待に応えようとたくさんの努力をする。(追記1)

2.不安定で激しい対人関係
対人関係の変化は大きいです。ただ、自己愛性人格障害と比べると過剰な理想化は少ない。
表面的な対人関係と激しく退行した対人関係の間を揺れ動きます。
意見の衝突を恐れて自分をごまかしたり、嘘をついたりします。(追記2)

3.同一性障害
上の二つのために深刻な同一性障害を起こします。
本人にはその矛盾は分からず、他人にはよく見えます。
本人はやりたいことをやっているのですが、
周りの人は不自然に感じるのです。

4.衝動性
自己破壊的な行動としてあらわれます。
見捨てられ不安や感情障害と関連して起こります。
無気力や寂しさを紛らわすために飲酒、無謀な運転、過食などがみられることもあります。
自殺の脅し、そぶり、行動、自傷行為がみられることが多いです。 (追記3)

5.感情が変わりやすく、慢性的にむなしさを感じています。
また、抑うつと怒りが混在しています。ゆううつで不快な気分と同時に、
何をやっても満足しない感じがするのです。(追記4)

6.重篤な解離症状  
幼少期の虐待と関連しているといわれます。 (追記5)

次に、人格の発達がどの様に人格障害に関わっていくか述べます。
2,3歳の頃次第に子供は母親から離れ、社会になじんでいかなければなりません。
つまり、今までの母と子供の二人だけの世界から、幼稚園や保育園に通い出すということです。
これは、子供と母親の分離の始まりを意味するのです。
しかし、母親が必要以上に不安がったり、過保護になることで子供を引き留めることがあります。
そうすると、子供はそっちのほうがラクなので、自立をやめてしまいます。
そうやって大人になっていくと「自立をするのが怖く」なってしまうのです。
それが後に、見捨てられ感とつながっていくのです。

また、家庭環境では両親の不仲、離婚、祖父母の教育への干渉があげられます。
そういうことが、いっそう母子間の結合を強く結びつける結果になるからです。
幼児期の心的外傷も見逃せません。
小学校に上がることになると発達の中心が家庭からさらに集団へと変わっていきます。
ここでは、社会性を身につける時期にはいるのです。
しかし、後に境界性人格障害になった人たちをよく見てみると、
この時期には深い友達関係が築けなかったり、注意力が低かったり、成績が悪かったり、喘息、心身症、不登校、アレルギー性疾患があったりすることが多いようです。
そして、思春期にはいると色々な問題が出てきます。色々な神経症状が出たり不登校であったりします。
いいかえれば、自我の脆弱性がおもてだってきます。このため、集団からの孤立傾向をさらに強める結果になります。

境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)は

1.見捨てられ不安
家族とくに母親から「見捨てられる」ことへの不安から、おおむねいい子に育つ。
母親の期待に応えようとたくさんの努力をする。(追記1)

2.不安定で激しい対人関係
対人関係の変化は大きいです。ただ、自己愛性人格障害と比べると過剰な理想化は少ない。
表面的な対人関係と激しく退行した対人関係の間を揺れ動きます。
意見の衝突を恐れて自分をごまかしたり、嘘をついたりします。(追記2)

3.同一性障害
上の二つのために深刻な同一性障害を起こします。
本人にはその矛盾は分からず、他人にはよく見えます。
本人はやりたいことをやっているのですが、周りの人は不自然に感じるのです。

4.衝動性
自己破壊的な行動としてあらわれます。見捨てられ不安や感情障害と関連して起こります。
無気力や寂しさを紛らわすために飲酒、無謀な運転、過食などがみられることもあります。
自殺の脅し、そぶり、行動、自傷行為がみられることが多いです。 (追記3)

5.感情が変わりやすく、慢性的にむなしさを感じています。
また、抑うつと怒りが混在しています。
ゆううつで不快な気分と同時に、何をやっても満足しない感じがするのです。(追記4)

6.重篤な解離症状  
幼少期の虐待と関連しているといわれます。 (追記5)

次に、人格の発達がどの様に人格障害に関わっていくか述べます。
2,3歳の頃次第に子供は母親から離れ、社会になじんでいかなければなりません。
つまり、今までの母と子供の二人だけの世界から、幼稚園や保育園に通い出すということです。
これは、子供と母親の分離の始まりを意味するのです。
しかし、母親が必要以上に不安がったり、過保護になることで子供を引き留めることがあります。
そうすると、子供はそっちのほうがラクなので、自立をやめてしまいます。
そうやって大人になっていくと「自立をするのが怖く」なってしまうのです。
それが後に、見捨てられ感とつながっていくのです。
また、家庭環境では両親の不仲、離婚、祖父母の教育への干渉があげられます。
そういうことが、いっそう母子間の結合を強く結びつける結果になるからです。
幼児期の心的外傷も見逃せません。
小学校に上がることになると発達の中心が家庭からさらに集団へと変わっていきます。
ここでは、社会性を身につける時期にはいるのです。
しかし、後に境界性人格障害になった人たちをよく見てみると、この時期には深い友達関係が築けなかったり、注意力が低かったり、成績が悪かったり、喘息、心身症、不登校、アレルギー性疾患があったりすることが多いようです。
そして、思春期にはいると色々な問題が出てきます。
色々な神経症状が出たり不登校であったりします。
いいかえれば、自我の脆弱性がおもてだってきます。このため、集団からの孤立傾向をさらに強める結果になります。

(追記1)
境界例の人は寂しさを紛らわすためにあらゆる物にしがみつく。
知的な優越感、ペット、アルコール、薬物、助けてくれそうな人、同じ悩みを抱えた人。
医者からもらった薬の名前を誇示したり、手首を切りつけた傷跡を数える。
なにもしがみつくことが出来なくなった人にとっては、なにかんい必死になってしがみつく。
極限状態まで行った人にとっては、
一本のワラであっても自分にとってはかけがえのない救命ボートに見えてくる。
その一本のワラを失ったら生きてゆくことさえ出来なくなってしまう。
治療場面で、治療時間が終わっても、なかなか部屋を出たがらない人がいるという。
このまま部屋を出てしまったら、もう二度とセラピストに会うことが出来なくなるかのような悲壮な恐怖感にとらわれたりする例がある。
インターネットをやっていると、なかなかパソコンのスイッチを切れなくなる心理も同様でパソコンのスイッチを切ることが、見捨てられるような寂しさと結びつく。
この寂しさに直面するのが嫌でネットの中をさまよい続けているとインターネット中毒といわれる状態になってしまう。永遠にインターネットが出来なくなるわけではないのに。
見捨てられる恐怖が解消しない限り、問題は解決しない。そして、この恐怖感はそんなに簡単に消えるものではない。
少しずつ、少しずつ、進んでゆかなければならない。自分で自分を見捨ててはいけない。刷り込まれた恐怖感を見つめ、それとこれとは別の事だということを理解していかなければならない。
他人がなんと言おうと、自分は自分なのだということが感覚的に理解できるまで、少しずつ。過去の悲惨な体験があったにしても、自分は自分なんだということが理解できるまで治療をすることが見捨てられ感からの脱出である。


(追記2)
境界例の特徴の一つであたかも正常であるかのように見える事を言います。
正常そのものなのではなくて、正常である「かのように」見えるところが特徴です。
境界例の人には、いろいろなパターンがあり「何も問題がないかのように」見えることがあります。
「何も問題がないかのように」というのは、ちょっとしたことがきっかけでバランスが崩れてしまい、キレて暴れたり、悪態をついたり、かと思うと急に泣き出したり、手首を切ったり、あるいは突然自殺未遂をしたりするのです。
嵐が過ぎれば再び何も問題がないかのように振る舞ったりするので、境界例の人が入院したときに「この人、本当に病気なの?」と言いたくなるくらい正常に見えたりすることがよくあります。
上記のような状態が発達すると、高機能型境界例タイプになります。これは、高度な適応能力を持っており、正常な人として社会に溶け込んでいるのです。社会人としての役割を担い、社会人としての責任感も持って生きています。
しかし、その一方で境界例としての一面も持っていて、強いストレスにさらされた時や、ある種の特定の状況にさらされた時などに、突然、境界例的な混乱状態が発生して、破滅的な行動を取ったりします。
境界例の人は自分というものが確立していないために、その時々の状況に合わせて、仮の自分を演じます。
精神的に混沌とした一面はありますが、正常な判断力も持ち合わせています。自分が何を演ずべきなのかということも理解できますし、ある程度であれば、その役割を表面的に演ずることも出来るのです。
この状態を、他の人が見ると、あたかも正常で「あるかのように」見えるのです。
しかしあくまでも仮の自分でしかありませんので、不安定なものです。仮の自分が維持できくなると、突然感情の嵐が吹き荒れたりするのです。

(追記3)
分離の不安や見捨てられ感に襲われたとき、発作的に手首を切りたくなったり、自分の手足をバットで殴ったり、睡眠薬を一度に飲んだり、相手の迷惑も考えずに電話をかけまくったり、手当たりしだいにケンカを売ったり、やけ食いをしたり、アルコールを浴びるように飲んだり、音楽を大音量でガンガン鳴らしたりと、いろいろな行動を引き起こします。
特に重症の人は、実に派手な行動に出て周囲の人を振り回します。
これらの行動は、自分の心を直視するのを避けるためであると同時に、周囲の人を、自分の抱えている問題に巻き込むことを目的としているのです。
このような派手な行動化を起こしている間はとても自分自身を見つめることなどできません。行動化が強烈な場合は、治療場面では本人の同意を得て入院させることがあります。物理的に行動化を阻止して半強制的に自分と向かい合わせるのです。
すると行動化を遮断されたことによって、ちょうど麻薬中毒の人が麻薬を遮断されて禁断症状に苦しむのと同じように、行動化によって隠されていた問題が一気に噴き出してきます。病院内で派手な問題行動を引き起こしたりするので、治療にあたる医師の方も振り回されて大変ですが、嵐が過ぎ去れば患者の行動化がおさまってきます。
患者の方も、自分と向き合えるようになるにつれて、自分が明らかに変化して行くのが分かります。 行動化は、他にも、急に結婚を決めたりとか、いろいろなバリエーションがあります。

(追記4)
境界例の特徴の一つですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。
白か黒かのどちらかの世界しかなく、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。
価値観が、理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動いたり、機嫌が良かったかと思うと、突然不機嫌になったりします。
熱烈な好意と極端な憎悪。そういった極端な状態から極端状態へと、短絡的に移行してしまうのです。そして、人間関係に付きものの、微妙な心の機微とか、微妙なニュアンスとか、そういったものがないのです。
理想化の状態にある時は、どこかしら舞い上がったような、地に足が着いていないような状態になります。これは「すべてが良い」という状態なのです。たとえば恋人が、まったく欠点のない理想的な恋人であるように思えたり、周囲の人たちがすべて善良で親切な人に見えたりします。しかし、そのあとで事態が急変したりするのです。そして、今度は「すべてが悪い」という状態になります。理想的な恋人が、突然、きわめて卑劣で悪質な人に見えてくるのです。
きっかけはほんのささいなことなのですが、それが原因となって、「こんな奴はブチ殺してしまえ」などと思うようになったりするのです。あるいは、機嫌が良かったのに、突然キレて罵詈雑言を浴びせたりします。
相手の人を、ボロクソにこき下ろして、まるで人間のカスのように扱ったりするのです。そして、この世が悪に満ちているように思えてきて、はびこる不条理に対して、張り裂けんばかりの怒りをあらわにするのです。
自己評価の面においても、「すべてが悪い」という状態になりますと、自分が生きる価値のない最低の人間に思えてきて、死にたくなったりするのです。 「すべてが良い」状態と、「すべてが悪い」状態の、両極端の世界を行ったり来たりして、その中間のグレーゾーンというものがないので、境界例の人はこのような性質を持っているがゆえに、波乱に満ちたトラブルの多い人生を送ることになるのです。
我が身の破滅をかえりみることなく、強引に我を押し通しながら、勝手に自滅していくのです。
もし冷静になって自分を見つめることが出来るようになったら、「この場合の、グレーゾーンとはいったい何だろうか」と、自分を振り返って考えてみることです。 境界例の人の問題点は、極端な行動をとってしまうという点にあるのではなくて、極端な発想しか思い浮かばないという点にあるのです。ほかの選択肢がないのです。
もしも、グレーゾーンとして、いくつかの選択肢が思い浮かんだとしても、それは自分にとって、あまりにも非現実的であり、とても受け入れ難いものであったりしますが、それでもいいのです。ほかの選択肢を思いついたという、そのことが大切なのです。
人間は急には変われませんので、失敗を繰り返しながらでも、少しずつやって行くしかありません。とりあえず振り返ってみて、ほかの可能性がないかと考えてみることに意義があるのです。  

(追記5)
自分がいったい何者なのか分からなくなることが時々あります。
ふと「私は、なぜここにいるのだろうか」とか、「こんな所で、いったい何をしているのだろうか」という疑問がわいてきて、今まったく場違いなところにいるように感じたりするのです。そして、急に「帰りたい!」と思ったりするのですが、いったいどこへ帰ったらいいのか、まったく分かりません。そして突然パニックになって、「誰か、助けてくれー!」と叫びたくなったりするのです。
しかし、叫べば叫ぶほど、声は暗闇の中に吸い込まれていって、まるで自分が暗黒の谷底へとすべり落ちて行くような絶望感に襲われたりするのです。  あるいは、心の底に広がっている果てしない虚しさや空虚感が、いっこうに解消しないことに苛立ってきて、本当の自分になりたいと思うのですが、本当の自分とはいったいなんなのか、さっぱり分かりません。
「私はいったい何者なのか」「私はこれからどこへ行こうとしているのか」と、自分に問いかけてみても、心の中を風が吹き抜けて行くだけなのです。そこで、まわりの人に八つ当たりして、大声を上げて悪態をついたりしてみても、なんの答えも出てこないのです。  
こうやって、泣いたり叫んだりしていると、やがて疲れてしまうのです。そうすると、いつの間にか自分の顔が、普通の顔に戻るのです。普通の顔をしていれば、世間の人は、あたかも普通の人であるかのように接してくれるのです。世間の人が、普通の人として接して来るのであれば、とりあえず、相手に合わせて、相手の望むような普通の人としての反応をしておくのです。ここで場違いな暗い話をしても、どうせ理解してもらえないでしょうし、変な話をして見捨てられてしまうのもいやことです。
そこで、とりあえず相手に合わせておくのです。でも、こんなことをしていると、やがて精神的に窒息しそうになってきて、それが臨界点に達したときに、再び爆発するのです。 その時の状況に合わせて、仮の自分を演じるということは、今の自分は本当の自分ではないというような感覚や、いつも場違いなところにいるような感覚につきまとわれることになるのです。
空虚感に目をつむって、そのうちに突然足もとが崩れて、自分がなんなのか、さっぱり分からなくなってしまい、虚無の谷底へと落下してしまいそうな恐怖感を抱くこともあります。

ああはかなくとも美しき人間。
あたしは好きさ人間。
嫌なら捨てるよ自己。