3ヶ月経過。
ドラマでいうならクライマックスを迎えている。
あれから、だんだんと、最初の頃みたいに現実の変化に喜ぶことがなくなってきて(当たり前になって慣れてきたので)
むしろセルフイメージのコアのところにあった劣等感、敗北感、みじめさ、欠乏感の気づきがどんどん浮上してきて、
心のよどみがどんどん目の前に現れて・・・
苦しさを乗り越えたのに比例して現実がめくるめく変化を遂げればいいのだけれど、相変わらず、現実は同じで。
こんなに私は変わったのに、なぜ現実は変わらない?なぜ願いは叶わない?
さあ変わる、さあ変わる、今日は変わるはずだ
・・・あれ?変わらない。
と、現実をチラ見しては、失望し、内心の焦燥を増していた。
これは、「期待」だ。
期待が過剰すぎて、息苦しくなっている。
人は、労力をかけただけ、犠牲をはらえばはらっただけ、結果に「期待」してしまうもの。
そして、この波動は、「叶ってない」をキープしてる。
望む現実とは、「今が幸せ」という軽やかな波動にしかやってこないのだから。。。。
そこで、期待している自分を徹底的に受容し、
「今」の自分が敗北、みじめ、貧しい、不幸せ・・・と感じている自分のことも受容した。
私の奥深い深層心理には、「今」を嫌い、「今」から逃れようとする自分がいた。
『「今」しあわせになる・・・なんて嘘だ、ありえない。「今」しあわせなわけないだろう。願いが叶わなければ、しあわせなんてなれないんだよ。しあわせは「そのとき」にしかこないんだよ』
そういう自分の声もすべて味わいつくし、「そうね」って受け入れると、あるとき、真実に思えたそれがナンセンスに聞こえてくる。
「今がしあわせじゃない、なんて嘘だ」
と、看破した。
私には、ケガをしても傷を癒そうとしてくれる力、子供のときにひと夏に数センチも背を伸ばした力、困難にトライし続けるのを鼓舞してくれた力、すべてを失ったと思ったときにも生命へと導いてくれた力、いろんな形でインスピレーションを与え、サポートし続けてくれる力、春に花を開かせる力、種から芽を出す力、自然に滋養を与え、はぐくみ、生かす力・・・
この力が常に一体である。
この力は、私が生まれるまえから一緒で、死ぬときも一緒だろう。
この力は、私がどんなにみじめになっても、私を励まし、生命へと持ち上げてくれるだろう。
私がすべての人に見捨てられたときにも、この力は私の味方だろう。
突然、私はこの力のことを自覚した。この力を私は「いのち」と呼ぶ。
いのちがあれば、ほかに何もいらない。
もう、現実が反映されなくても、変わらなくてもいい。
願いが叶わなくてもいい。
だって、私には いのちがある。この力がある。
私にとっていのちとは、
私が望んでいたすべてだ。
いつの間にか、そう思えていた。
私は今まで「叶わなくてもいい」と思うことを一番恐れていたみたいだ。
だって、「叶わなくてもいい」と思ったら「叶わなくなっちゃう」とビクビクしていた。
けれども、どうやら宇宙とはパラドックスらしい。
欲しいと思うものは得られず、あきらめたときに得られる、と。
たしかに、私も以前ある願いを叶えたときは、
何度も言葉で繰り返して言い聞かせ、念じ、祈り、期待し、それでも叶わず・・・
失意の中で、完全に諦め、
私はもう自分の内面の中にある人からは目に見えない精神的充足、これだけを頼りにやっていく(現実は変わらなくても)・・・と思った後だった。
すべてを持っている人は、何も欲しがらない。
この波動こそ、すべてを引き寄せる。
ああ、宇宙の このパラドックス!
私はここにきてやっと、いわゆる願望の執着を手放せたようだ。
現実が変わらなくてもいーや。
何も手に入らなくてもいーや。
今のままでいい。
だって私には既に「いのち」というすべてがある。
・・・・・・・・・・・・
この願望の手放しは、今迄で一番大きな浄化でした。細胞から何かが引き剥がされ浮き上ってくるような産みの苦しみであり、嵐の中にいるような感じでした。何度も吐き気を感じました。
あなたが、こういうふうになるかはわかりませんが、
もしプロセスのなかで、苦しみにもがくようなことがあっても、大丈夫です。
どんなに圧倒されても、苦しくても、もうだめだ・・・と思うようなときも、必ず、いのちはあなたを運んでくれてます。光のほうに。
ドラマでいうならクライマックスを迎えている。
あれから、だんだんと、最初の頃みたいに現実の変化に喜ぶことがなくなってきて(当たり前になって慣れてきたので)
むしろセルフイメージのコアのところにあった劣等感、敗北感、みじめさ、欠乏感の気づきがどんどん浮上してきて、
心のよどみがどんどん目の前に現れて・・・
苦しさを乗り越えたのに比例して現実がめくるめく変化を遂げればいいのだけれど、相変わらず、現実は同じで。
こんなに私は変わったのに、なぜ現実は変わらない?なぜ願いは叶わない?
さあ変わる、さあ変わる、今日は変わるはずだ
・・・あれ?変わらない。
と、現実をチラ見しては、失望し、内心の焦燥を増していた。
これは、「期待」だ。
期待が過剰すぎて、息苦しくなっている。
人は、労力をかけただけ、犠牲をはらえばはらっただけ、結果に「期待」してしまうもの。
そして、この波動は、「叶ってない」をキープしてる。
望む現実とは、「今が幸せ」という軽やかな波動にしかやってこないのだから。。。。
そこで、期待している自分を徹底的に受容し、
「今」の自分が敗北、みじめ、貧しい、不幸せ・・・と感じている自分のことも受容した。
私の奥深い深層心理には、「今」を嫌い、「今」から逃れようとする自分がいた。
『「今」しあわせになる・・・なんて嘘だ、ありえない。「今」しあわせなわけないだろう。願いが叶わなければ、しあわせなんてなれないんだよ。しあわせは「そのとき」にしかこないんだよ』
そういう自分の声もすべて味わいつくし、「そうね」って受け入れると、あるとき、真実に思えたそれがナンセンスに聞こえてくる。
「今がしあわせじゃない、なんて嘘だ」
と、看破した。
私には、ケガをしても傷を癒そうとしてくれる力、子供のときにひと夏に数センチも背を伸ばした力、困難にトライし続けるのを鼓舞してくれた力、すべてを失ったと思ったときにも生命へと導いてくれた力、いろんな形でインスピレーションを与え、サポートし続けてくれる力、春に花を開かせる力、種から芽を出す力、自然に滋養を与え、はぐくみ、生かす力・・・
この力が常に一体である。
この力は、私が生まれるまえから一緒で、死ぬときも一緒だろう。
この力は、私がどんなにみじめになっても、私を励まし、生命へと持ち上げてくれるだろう。
私がすべての人に見捨てられたときにも、この力は私の味方だろう。
突然、私はこの力のことを自覚した。この力を私は「いのち」と呼ぶ。
いのちがあれば、ほかに何もいらない。
もう、現実が反映されなくても、変わらなくてもいい。
願いが叶わなくてもいい。
だって、私には いのちがある。この力がある。
私にとっていのちとは、
私が望んでいたすべてだ。
いつの間にか、そう思えていた。
私は今まで「叶わなくてもいい」と思うことを一番恐れていたみたいだ。
だって、「叶わなくてもいい」と思ったら「叶わなくなっちゃう」とビクビクしていた。
けれども、どうやら宇宙とはパラドックスらしい。
欲しいと思うものは得られず、あきらめたときに得られる、と。
たしかに、私も以前ある願いを叶えたときは、
何度も言葉で繰り返して言い聞かせ、念じ、祈り、期待し、それでも叶わず・・・
失意の中で、完全に諦め、
私はもう自分の内面の中にある人からは目に見えない精神的充足、これだけを頼りにやっていく(現実は変わらなくても)・・・と思った後だった。
すべてを持っている人は、何も欲しがらない。
この波動こそ、すべてを引き寄せる。
ああ、宇宙の このパラドックス!
私はここにきてやっと、いわゆる願望の執着を手放せたようだ。
現実が変わらなくてもいーや。
何も手に入らなくてもいーや。
今のままでいい。
だって私には既に「いのち」というすべてがある。
・・・・・・・・・・・・
この願望の手放しは、今迄で一番大きな浄化でした。細胞から何かが引き剥がされ浮き上ってくるような産みの苦しみであり、嵐の中にいるような感じでした。何度も吐き気を感じました。
あなたが、こういうふうになるかはわかりませんが、
もしプロセスのなかで、苦しみにもがくようなことがあっても、大丈夫です。
どんなに圧倒されても、苦しくても、もうだめだ・・・と思うようなときも、必ず、いのちはあなたを運んでくれてます。光のほうに。
私はたいした事ない引き寄せなら色々引き寄せたのに本願の二つは引き寄せられていません。引き寄せを知るより前でもう10年以上の願いでしたがもう叶っても叶わなくてもどっちでもいいとやっと思えました。
本願ほどみんな叶いにくいのは叶ってほしいよりも叶わないと困るが根底にあってこっちが強いんですよね。
もう抵抗はやめて全て受け入れようと思いました。しかしせっかく楽しむ為に生まれて来たんだから楽しまないなんて勿体無いのでいつも幸せ、楽しい、嬉しいにチャンネルは合わせておこうと思います。
このチャンネルで常にいられなかったのは本願に執着していてまだ叶わないという気持ちがあったからです。もう本願を手放したら怖いもんなしなのでずっと羨ましかった気楽でノーテンキでおめでたい人に自分がなれそうですv(^_^v)♪
本願が叶わなくても予想してなかったもっといい幸せに繋がる可能性が出たってだけですからね♪( ´▽`)
ここまでくる最後は想像以上に苦しみました。そしてやっぱり生きてるだけで幸せって感じました。
今の新しい願いは内なる自分ともっと繋がるです。イルカさんとは同時期に同じような状況だったので勝手に応援してました。お互いに状況という不安定な幸せではなく一生安泰の心の幸せを手に入れたと思います。
引き寄せなんてみんな最後はここに辿り着くためのエサみたいな感じだなって思いました。私は引き寄せというエサがなかったらこんなに早くここまでこれなかったと思うので引き寄せには本当に感謝です。
イルカさんありがとうございました。あなたはすでに幸せです♪
津留さんのところに、絶望は悟りへの最高のチャンスみたいな文章があって、腑に落ちました。
私も、沈みきったら・・・タオでいうところの「無極」にたどり着きました。(というか本当はずっとそこにいたことにも気づきました)
無であり、すべて。私はすべてと同じもの。私=無極。
故に、このホログラフィックな現実でなんでも選び、体験できる。
意図し、意識を向け続けたエッセンスを、この現実で五感を使って体験できる。
現実に現れてるものはただシンボルにすぎない。エッセンスはすべて、自分の内にしかない。
波動こそが、私の命令言語であり、
それにホログラフが反映されるという仕組みが、寸分狂いもなく作用している。
悟りました。
至福の境地です。時々、笑いが止まらなくなりそうになります 笑
ただまだエゴがざわざわすることもありますが、そのときも、お腹の中の「いのち」に意識を向けると、自分の中心(無極)に戻っていけます。「すべてである」自分を思い出せば、いろんな不安が払拭されます。
さて、今後ホログラムにどのよーに反映されて行くのか見守っていきましょう♪ははは
録音アファ、毎日寝ながら聴いてます。
比較的叶いやすいと思っていた願望は叶いました。
無意識のうちに少し叶いずらいかなと思っていることは、叶っていないようです。
また、ほぼ叶いそうであったことが、楽しみにしすぎたせいか、駄目になってしまいました。
なかなか期待を手放しきれません。
思い通りにいかないと、すぐに意気消沈してしまいます。
まだまだ、自愛とアファを地道にやっていくしかないようです。
今後も更新、楽しみにしてます。
期待を手放しにくく、意気消沈・・・その過程は私もイヤになるほど味わいましたのでよくわかります。
そういう時期は「自分のどこかいけないのだろうか?なにかまだ必要なのか?これでいいのだろうか?なにかやられねばいけないのだろうか?」という内心の自己不信感に陥っていました。とどのつまり自分を否定していて、責めてるのです「現象がかわらないだろ?おまえが何か足りないから、わるいんだ」と。内面でケンカが起こっているので気分がよくなれないのです。
当然、自分の内側にパワーを感じれない時期でした。
大切なのは、真の力を持つのはあなた自身ということです。現象自体、何の力も持ちません。
こちらの動画がとてもオススメなので見てみてください。エイブラハムのアファメーションです。
自分の内側にパワーを取り戻すことができると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=lJroXtzZBmU
私も、引き寄せの法則しているけど
大きい願いは叶っていません 笑
(ちょっと大きすぎる願いなんですけど)
でもいつかきっと叶うと信じています ^^
応援しています!
(ちなみに録音アファは3日坊主でした 笑)