【北朝鮮がミサイル発射】安倍首相は29日午前8時前に会見し、「我が国を飛び越えるミサイル発射という暴挙は、これまでにない深刻かつ重大な脅威であり、地域の平和と安全を著しくそこなうものであり、断固たる抗議を北朝鮮に対し行いました」と強調。
【北朝鮮がミサイル発射】首相官邸では安倍首相は、菅官房長官のほか、河野外相、小野寺防衛相、麻生財務相が入って国家安全保障会議を開き、情報収集と分析にあたった。
29日午前6時前、北朝鮮がミサイルを発射した。午前6時7分頃、北海道地方から太平洋へ通過した模様。破壊措置の実施はなかった。ミサイルは3つに分離し、3つとも午前6時12分頃、襟裳岬の東方約1180キロメートルの太平洋上したものと推定。
政府発表によると、「6時12分頃襟裳岬東方の東、約1180kmの太平洋上に落下と推定。破壊措置実施なし」ということです。
先程この地域の上空をミサイルが通過した模様です。
不審な物を発見した場合には決して近寄らず、直ちに警察や消防などに連絡下さい。
対象地域
北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 新潟 長野
不審な物を発見した場合には決して近寄らず、直ちに警察や消防などに連絡下さい。
対象地域
北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 新潟 長野
韓国軍は、北朝鮮が平壌(ピョンヤン)市スンアンから発射したミサイルは、日本上空を通過したと明らかにしました。米韓当局は、ミサイルの種類や飛距離について分析を急いでいます。
北朝鮮は先月4日、ICBM=大陸間弾道ミサイルを初めて発射、そのおよそ3週間後の先月28日には2度目となるICBM発射実験を行い、「成功した」と発表していました。
北朝鮮は先月4日、ICBM=大陸間弾道ミサイルを初めて発射、そのおよそ3週間後の先月28日には2度目となるICBM発射実験を行い、「成功した」と発表していました。
政府は、自治体などにメールで連絡するエムネット=緊急情報ネットワークシステムで、情報を発信し「北朝鮮西岸から北東に向かってミサイルが午前58分ごろ発射されたことを確認しました。ミサイルは3つに分離し、3つとも、午前6時12分ごろ、北海道の襟裳岬東方の東、およそ1180キロの太平洋上に落下したものと推定されます。破壊措置の実施はありません」と伝えました。
北朝鮮のミサイル発射を受けて北海道庁の危機対策課は担当の職員が出勤し政府や道内の自治体からの情報収集を行っているということです。
これまでのところ被害の情報は入っていないということで、北海道庁は引き続き情報収集にあたるということです。
これまでのところ被害の情報は入っていないということで、北海道庁は引き続き情報収集にあたるということです。
北朝鮮から発射されたミサイルは29日午前6時12分頃、3つに分離し、いずれも襟裳岬の東約1180キロの太平洋上に落下したものと推定されるという。
ミサイル通過。先程、この地域の上空をミサイルが通過した模様です。不審な物を発見した場合には、決して近寄らずに、直ちに警察や消防などに連絡して下さい。
対象地域:
北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 新潟県 長野県
対象地域:
北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 新潟県 長野県
県内から唯一の内閣総理大臣経験者、羽田孜さんが28日午前7時6分、東京の自宅で息を引き取った。82歳。老衰で、夫人や長男で参院議員の雄一郎さんなど家族に囲まれての最期をだったという。
【羽田孜元首相が死去】
衆議院議員に14期連続で当選し、県内初の総理大臣を務めた羽田孜さんが亡くなりました。
82歳でした。
関係者によりますと、羽田さんは、けさ7時過ぎに東京都内の自宅で老衰のため、亡くなりました。
羽田さんは、1969年・昭和44年の衆議院選挙で、現在の長和町出身の父・武嗣郎さんの後継として、34歳で旧長野2区から自民党公認で立候補し、初当選しました。
1985年の第二次中曽根内閣で農林水産大臣として初入閣し、その後、大蔵大臣などを歴任。
1993年には、小沢一郎氏などとともに自民党を離党して新生党を結成し、その翌年の94年、羽田さんは県選出の国会議員として初めて、総理大臣に就きました。
羽田さんは、2012年に政界を引退するまで、衆議院議員に14期連続で当選しました。
告別式は、来月8日に東京港区の青山葬儀所で営まれ、後日、上田市でお別れの会を予定しているということです。
衆議院議員に14期連続で当選し、県内初の総理大臣を務めた羽田孜さんが亡くなりました。
82歳でした。
関係者によりますと、羽田さんは、けさ7時過ぎに東京都内の自宅で老衰のため、亡くなりました。
羽田さんは、1969年・昭和44年の衆議院選挙で、現在の長和町出身の父・武嗣郎さんの後継として、34歳で旧長野2区から自民党公認で立候補し、初当選しました。
1985年の第二次中曽根内閣で農林水産大臣として初入閣し、その後、大蔵大臣などを歴任。
1993年には、小沢一郎氏などとともに自民党を離党して新生党を結成し、その翌年の94年、羽田さんは県選出の国会議員として初めて、総理大臣に就きました。
羽田さんは、2012年に政界を引退するまで、衆議院議員に14期連続で当選しました。
告別式は、来月8日に東京港区の青山葬儀所で営まれ、後日、上田市でお別れの会を予定しているということです。