【島崎藤村ゆかりの小諸市で集い】
文豪、島崎藤村の命日にあたる22日、藤村とゆかりの深い小諸市で、恒例の「藤村忌」と呼ばれる集いが開かれました。
島崎藤村は明治32年から6年間余り、小諸市にあった私塾の「小諸義塾」で教師を勤め、代表作の1つ「千曲川のスケッチ」などを執筆しました。
こうした縁で小諸市では毎年、命日の8月22日に「藤村忌」と呼ばれる集いを行っていて、75回目の命日にあたる22日は藤村記念館前の広場に地元の関係者や藤村文学の愛好家などおよそ200人が集まりました。
会場では地元のコーラスグループや声楽家たちが藤村が詩をつくった曲を合唱したほか、草笛の愛好家たちが「椰子の実」を演奏し、美しい音色を響かせていました。
そして最後に、出席した人たち全員が藤村の胸像の前に白い菊の花をささげ、その業績を偲んでいました。
草笛を披露した地元の70代の男性は「情景が浮かぶように心を込めて演奏しました。小諸にとって藤村は特別な存在なのでこうした集いが今後も続いていけばいいなと思います」と話していました。
文豪、島崎藤村の命日にあたる22日、藤村とゆかりの深い小諸市で、恒例の「藤村忌」と呼ばれる集いが開かれました。
島崎藤村は明治32年から6年間余り、小諸市にあった私塾の「小諸義塾」で教師を勤め、代表作の1つ「千曲川のスケッチ」などを執筆しました。
こうした縁で小諸市では毎年、命日の8月22日に「藤村忌」と呼ばれる集いを行っていて、75回目の命日にあたる22日は藤村記念館前の広場に地元の関係者や藤村文学の愛好家などおよそ200人が集まりました。
会場では地元のコーラスグループや声楽家たちが藤村が詩をつくった曲を合唱したほか、草笛の愛好家たちが「椰子の実」を演奏し、美しい音色を響かせていました。
そして最後に、出席した人たち全員が藤村の胸像の前に白い菊の花をささげ、その業績を偲んでいました。
草笛を披露した地元の70代の男性は「情景が浮かぶように心を込めて演奏しました。小諸にとって藤村は特別な存在なのでこうした集いが今後も続いていけばいいなと思います」と話していました。