紙魚紙゛魚古書館

某古本屋さんでゲットした滋味豊かな古本をアップします。

坪内祐三著『シブい本』(文芸春秋刊)

2008-06-11 23:14:18 | Weblog
坪内祐三の初書評集である。小林秀雄の妹、高見澤潤子『のらくろひとりぼっち』の書評が幕引きとなる。しょっぱな小林秀雄と義弟の田河水泡についての一文が掲載されていて我然興味を惹かれた。高見澤潤子と田河水泡は夫婦であるので田河は小林秀雄の義弟となる訳である。

さて坪内祐三であるが文章の随所に本当に本が好きなんだなァと思われる箇所が散りばめられている。しかも面白くて味のある本が好きなところ、実に波長が合うのである。生まれもほぼ同世代であり、ビビッと共感するところのオンパレード。まさに読み進むのが惜しいと思える数少ないもの書きである。

そんな書評集である。井伏鱒二、水木しげるの著した南方熊楠伝、小沼丹、山本夏彦、常盤新平 等々・・・興味ある作家ばかり、その切り口や、羨ましいほど鮮やかである

青山南著『小説はゴシップが楽しい』(晶文社刊)

2008-06-10 22:51:21 | Weblog
何回か前に翻訳家の書くものは面白いということを書いた。その馴れ初め(?)となったのが青山南というどこかの地名を逆さにしたような翻訳家のエッセイを読んだことだった。確か『ピーターとペーターの狭間で』という題名であった。翻訳家であるので文章もこなれているし小粋な感じであるのは異国の文章を切磋琢磨して翻訳している賜であろう。それに一歩退いた様な視線で書かれた文章がことのほか面白かったので、それから青山南の本を目にする度に購入している、勿論全て古本でであるが。

翻訳家ではこの青山南、それに柴田元幸、この2人こそお気に入りのエッセイストである。ご本人には申し訳ないが本業の翻訳本は一冊も読んだことがない(笑)翻訳の文章は何年経っても慣れない。なんと言って好きなのはやはり母国語なのである。

さてこのエッセイ、好きな晶文社からの刊行であるのも魅力である。

中沢 新一編『私が愛用する辞書・事典・図鑑』

2008-06-08 12:46:58 | Weblog
何を書くそう、いや隠そう、私は辞典類が好きである。下手な詰らない本を読むくらいなら、辞書や事典や図鑑類を読んでいた方が遥かに好ましい。であるので、私は結構素人にしては辞典類や生活には何も役立たない事典類、図鑑類を所持しているのではないかと思っている。

まあ、国語辞典では定番の広辞苑は高校生の時買った2版を筆頭に最近の5版、数年前話題になった新明解など、漢和では使いやすい大修館書店の漢語林や三省堂の漢辞海などだが、流石に大漢和辞典は持っていない。それに同義語辞典、類語辞典、等々の国語辞典の類。特に使って面白いのは類語辞典であるが、これには類語大辞典(講談社)が最近出たが、使い勝手では角川書店のものが小ぶりでしかも内容が充実していて群を抜いている、また、生活には関係ない様々な事典、色彩事典、ネーミング辞典、比喩表現辞典、擬音辞典、隠語辞典、等々・・。外国語関係では読めもしないのに各国の辞典類、図鑑類。いつ役立つのか極めて疑問である。

そいう訳でこの本は各界の人々がどんな辞書・事典・図鑑を愛用しているかを編集したもので、私的には興味が尽きない。それにしても辞書・事典の類は沢山あるものである。片や、一線で活躍されているもの書きの方が実は学生時代に購入した事典類をいまだ使用していると知り、何故か和やかな気分になれる本でもある。

しかし幻獣事典など何の役に立つと言うのだろうか? この年齢になり自問する日々である(笑)

福島 章著『ヒトは狩人だった』

2008-06-06 00:18:47 | Weblog
『ヒトは狩人だった』の著者、福島 章というと確か宮沢賢治の研究本や『天才論』とかいう本が本棚にあったと思う。精神分析家であったか心理学者であったか、或はお医者さんであったか、何れにせよその手の学者さんで、どこかの大学教授の記憶がある。 昔からこの手の本には弱い。例えば『ヒトはどうして助平か?』という動物学者の本や、吉本 隆明著『日本語にとって美とは何か』など、全くジャンルは違うにしてもついつい購入してしまう性癖(?)がある。私の好奇心の感受性はこうした心擽る書名にいとも簡単に魅了されてしまうのである。 内容はまだ未読なので語れないのだが、ヒトのルーツ:本能の秘密が解き明かされる期待感がわずか¥100で得られる訳だから、如何にお解読、いや、お買い得かは言うまでもない。