紙魚紙゛魚古書館

某古本屋さんでゲットした滋味豊かな古本をアップします。

坂崎 重盛著『蒐集する猿』

2008-08-03 12:33:32 | Weblog

           

              

人は蒐集する猿であるというのがこの本の趣旨で、題名が既に内容を物語り非常に理解しやすい。著者の蒐集対象のひとつにステッキがあり、その拘りについて語ったりしている訳であるが、蒐集の対象物こそ違っても一々共感するところ大である。 斯く言う私は標榜するジャズCDの蒐集に余念がないのだが、蒐集し始めると在り来たりな物では納得がいかなくなるのは著者同様である。つまり簡単にどこでも入手できるものでは満足しなくなってくるのだ。廃盤となったレアものをオークションで高値で競ったり、国内では入手困難で海外の胡散臭いところから届くかどうかもわからない代物を100ドルも払って届くのを待っていたりするのだ。そういう厄介なものに魅入られている訳である。50年代の美味しい廃盤や欧州の稀少盤にぞっこんなのだ。 まあ、そういう盤をコツコツと集めているのだが、ここ数年、世の趨勢に影響を受け欧州のジャズ、それもピアノ・トリオに嵌まってしまっている。が、片ややっぱり50年代も好いなぁなどと訳の分らないことを考えている節操のなさである。 あぁ、人間は蒐集する猿、まさにその通りである。 一読をお薦めする所以である。


坪内祐三著『シブい本』(文芸春秋刊)

2008-06-11 23:14:18 | Weblog
坪内祐三の初書評集である。小林秀雄の妹、高見澤潤子『のらくろひとりぼっち』の書評が幕引きとなる。しょっぱな小林秀雄と義弟の田河水泡についての一文が掲載されていて我然興味を惹かれた。高見澤潤子と田河水泡は夫婦であるので田河は小林秀雄の義弟となる訳である。

さて坪内祐三であるが文章の随所に本当に本が好きなんだなァと思われる箇所が散りばめられている。しかも面白くて味のある本が好きなところ、実に波長が合うのである。生まれもほぼ同世代であり、ビビッと共感するところのオンパレード。まさに読み進むのが惜しいと思える数少ないもの書きである。

そんな書評集である。井伏鱒二、水木しげるの著した南方熊楠伝、小沼丹、山本夏彦、常盤新平 等々・・・興味ある作家ばかり、その切り口や、羨ましいほど鮮やかである

青山南著『小説はゴシップが楽しい』(晶文社刊)

2008-06-10 22:51:21 | Weblog
何回か前に翻訳家の書くものは面白いということを書いた。その馴れ初め(?)となったのが青山南というどこかの地名を逆さにしたような翻訳家のエッセイを読んだことだった。確か『ピーターとペーターの狭間で』という題名であった。翻訳家であるので文章もこなれているし小粋な感じであるのは異国の文章を切磋琢磨して翻訳している賜であろう。それに一歩退いた様な視線で書かれた文章がことのほか面白かったので、それから青山南の本を目にする度に購入している、勿論全て古本でであるが。

翻訳家ではこの青山南、それに柴田元幸、この2人こそお気に入りのエッセイストである。ご本人には申し訳ないが本業の翻訳本は一冊も読んだことがない(笑)翻訳の文章は何年経っても慣れない。なんと言って好きなのはやはり母国語なのである。

さてこのエッセイ、好きな晶文社からの刊行であるのも魅力である。

中沢 新一編『私が愛用する辞書・事典・図鑑』

2008-06-08 12:46:58 | Weblog
何を書くそう、いや隠そう、私は辞典類が好きである。下手な詰らない本を読むくらいなら、辞書や事典や図鑑類を読んでいた方が遥かに好ましい。であるので、私は結構素人にしては辞典類や生活には何も役立たない事典類、図鑑類を所持しているのではないかと思っている。

まあ、国語辞典では定番の広辞苑は高校生の時買った2版を筆頭に最近の5版、数年前話題になった新明解など、漢和では使いやすい大修館書店の漢語林や三省堂の漢辞海などだが、流石に大漢和辞典は持っていない。それに同義語辞典、類語辞典、等々の国語辞典の類。特に使って面白いのは類語辞典であるが、これには類語大辞典(講談社)が最近出たが、使い勝手では角川書店のものが小ぶりでしかも内容が充実していて群を抜いている、また、生活には関係ない様々な事典、色彩事典、ネーミング辞典、比喩表現辞典、擬音辞典、隠語辞典、等々・・。外国語関係では読めもしないのに各国の辞典類、図鑑類。いつ役立つのか極めて疑問である。

そいう訳でこの本は各界の人々がどんな辞書・事典・図鑑を愛用しているかを編集したもので、私的には興味が尽きない。それにしても辞書・事典の類は沢山あるものである。片や、一線で活躍されているもの書きの方が実は学生時代に購入した事典類をいまだ使用していると知り、何故か和やかな気分になれる本でもある。

しかし幻獣事典など何の役に立つと言うのだろうか? この年齢になり自問する日々である(笑)

福島 章著『ヒトは狩人だった』

2008-06-06 00:18:47 | Weblog
『ヒトは狩人だった』の著者、福島 章というと確か宮沢賢治の研究本や『天才論』とかいう本が本棚にあったと思う。精神分析家であったか心理学者であったか、或はお医者さんであったか、何れにせよその手の学者さんで、どこかの大学教授の記憶がある。 昔からこの手の本には弱い。例えば『ヒトはどうして助平か?』という動物学者の本や、吉本 隆明著『日本語にとって美とは何か』など、全くジャンルは違うにしてもついつい購入してしまう性癖(?)がある。私の好奇心の感受性はこうした心擽る書名にいとも簡単に魅了されてしまうのである。 内容はまだ未読なので語れないのだが、ヒトのルーツ:本能の秘密が解き明かされる期待感がわずか¥100で得られる訳だから、如何にお解読、いや、お買い得かは言うまでもない。

伊藤 礼著『狸ビール』

2008-02-10 07:41:59 | Weblog

長く机の上に置いたままになっていた一冊である。当然のことであるがこれも¥100の古書である。恥ずかしながらこの本に巡り会うまで伊藤 礼なる著者を知らなかった。どうやら翻訳者らしいのだが、趣味が狩猟のようで、題名が『狸ビール』なのである。

珍しく本を手に取り読んで見て、最初の一編で虜になってしまった。所謂『読み進むのが勿体ない』本である。読んでしまうと残りが少なくなってしまうからである。

そういう訳で一編しか読んではいないのだが、最初の一編の随筆に、この標題の意味が明らかになっている。内容はおおよそ以下のとおりである。著者は鳥撃ちが専門らしいのだが、雇ったガイドに煽られて狸を6匹も獲た。そこで仲間を呼んでビールを飲みながら狸料理を食したのだが、食べていると何だか体が狸臭くなってきた。沢山食べた女性は数日経ってもなかかなか臭いが抜けず2週間も消えるのにかかったらしい。最初から狸ビールって言ってくれないなんて酷いと女性に言われたというお話である。最近の面白い本の筆頭である。

概して言える事だが、翻訳家の書く物は面白いのである。

           

 

 


阿刀田 高著『脳みその研究』

2008-01-27 20:38:44 | Weblog

本を買う基準って何だろう?

作家名は言うまでもないが、見ず知らずの作家であったなら、書評や本の内容で判断するというのが順当なところであろう。内容を確認できないとしたらどうするだろう。言うまでもないが本の装丁等で判断するだろう。加えて私の場合は活字である。好きな活字の本であれば尚好い。

今回アップしたこの本、ご覧のようにカバーの絵、文字、紙質、全てが私の好みに合致する。そして文芸春秋社の活字、これがなんとも言えず滋味深い。阿刀田 高という作家であるが私のなかでは軽妙なブラックユーモア作家という位置づけで特段好きな作家という訳ではない。しかし、こういう体裁で本を作られたら是非にも買いたくなってしまう。しかも¥100である、買わない理由がない。

内容については語れない。未読だからである。

           


四方田 犬彦著『旅の王様』

2008-01-23 23:27:40 | Weblog
このブログは古本好きな私ジャンゴが某Book Offで買い求めた¥100の古書を紹介して独り悦に入るのを目的としています。こんな滋味溢れる本が¥100で売られていてよいものかぁ~という驚きと喜びをしみじみと味わいたいのだ。先ずは今日の一冊、四方田犬彦著『旅の王様』。

   
こんな本に巡り会うから古本屋巡りはやめられないんだなぁ。書棚がいくつあっても埋まってしまうほど本が増殖している。家人は読みもしないのに又買ってくると言う、本好きの気持ちは理解されないらしい。どうやら多くの人は本は読むものと思っているようだ。まぁ、確かに読むのだけれど、思わず惜しくなって読むのを止めるという気持ちがわからないんだなぁ。決してビブリオマニアではないのだけれど。その証拠に余程のことがない限り¥100の本以外は買わない。こうして吝嗇なのは、もう一つの趣味、ジャズCDの蒐集に相当な出費があるからという理由もあるが、実のところ¥100で密かに私だけの価値を見い出せる良書をゲットした時の堪らない快感が忘れられないからである。