身長159cm。横浜市立浜小学校、フェリス女学院中学校・高等学校卒業、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス在学中。
曽祖父は東京大学名誉教授で応用化学者の高松豊吉[1]。幼稚園の頃から習い事が多く、休みは週1回だった[4]。8歳の時に父親の仕事の都合により、大阪府八尾市から横浜市へ移る[5]。小学生時代、広島で原爆ドームを見学したのがきっかけで平和に関心を持ち[6]、10歳の時に野口健主宰の「野口健環境学校」に参加し、富士山での不法投棄の現場を目にして環境にも関心を持つ[7]。中学1年生の時に読売新聞子供記者団に入り、子供記者として6年間活動する[5][8]。また、2011年から第14代高校生平和大使として国連大使も務めた[8](ジュネーブ軍縮会議出席など活動[6])。
お笑いの活動は中学生時代から始める。お笑いを意識したきっかけは、中沢新一と太田光(爆笑問題)の共著『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)を読んだことで、当時は「バラエティ番組は一切視ない」という家柄もあって太田のことは知らず、後に太田がお笑いをやっていることを知ってたかまつ自身の目標になったという[9]。中学3年生の時に新宿区と吉本興業主催のお笑い大会『ちびっこ漫才グランプリ』でトリオで出場、決勝進出。同年、学内でお笑いカルテット『ぱんなこった』結成。2011年、高校3年生の時にハイスクールマンザイ2011でコンビ『崖っぷちのエイリアン』で準決勝進出。同年『笑顔甲子園』にはコンビ『ぱいんぶりっじ』で出場し決勝進出、審査員特別賞を受賞。『漫才台本甲子園』では2009年、2010年と2年連続で佳作を受賞[10]。大学入試はAO入試一本に絞り[2]、合格した慶應義塾大学、筑波大学、中央大学などでセンターマイクを持ち歩いてお笑いのネタを披露した[5][10][2]。将来はお笑い芸人になると決めて高校2年生頃までは大学進学を考えてはいなかったが、社会・科学・文化などの諸問題・話題などの物事を広く見たいと思い、大学進学を決めたという[2]。
お笑い以外では、2010年と2011年に『高校生の主張コンクール』で2年連続で決勝進出、2回ともに優秀賞を受賞。2011年には『第13回後藤新平・新渡戸稲造記念 拓殖大学 高校生・留学生作文コンクール』で最優秀賞(後藤新平賞)を受賞[10]。なお、芸人を始めてから大学の学費以外の資金援助が一切なくなり、アルバイトも禁止されていたため[11]、この賞で受け取った賞金20万円はワタナベコメディスクールの入学金・授業料に充てた[12]。
2011年10月にワタナベコメディスクールに15期生として、特待生で入学(2012年9月卒業)[5]。この時は親に内緒でオーディションを受けたが、合格通知書が自宅に来たことで発覚し、更に父親が「入学金免除なのになぜ授業料を払うのか、詐欺だ」などと怒り、後日ワタナベコメディスクールには謝りに行ったという[13]。しかし、ワタナベエンターテインメント所属はならず、卒業後はしばらくフリーで活動する。2012年夏頃から男女コンビ『日本の頭脳』として活動していたこともあったが、日本の頭脳は2012年12月31日で解散[14]。以後はピンで活動する。サンミュージックには2013年4月に所属する。
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