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Dir En Grey大好きブログ

モー娘最高!

軽蔑と始まり(The Insulated Worldの1曲目)の感想・レビュー

2018-09-27 22:32:19 | DIR EN GRE...

全員殺すのはもう無理だから、俺が死んだ方が手っ取り早い。
アルバム全体を貫くのはそんな"雑な殺意"と"自暴自棄"か。

これまでのモザイクが取り除かれたように直接的で散文的な歌詩だが、
これが実は、この曲のようなハードコアサウンドでしか成立しない。
誤解を恐れず端的に言ってしまえば、The Insulated Worldの詩世界はただの「文章」である。
本来、音楽とは、字面では表現しえない複雑な感情の機微を表現するためにある。
あえてそこに言葉を乗せるからには、韻律や句法といった制約が生まれ、
だからこそ歌詞というものは単なる「文章」とは趣向が異なるのであるが、
ハードコアサウンドにおいてはこの限りではない。
メロディやリズムに捉われず、平坦な文章でも好き放題に叫び散らすことができる。
加えて、今の京は活舌が悪いだけでなく、単語と単語の境界を曖昧にするほど走ったりモタったりして歌う。
例)「私は一人 孤独な死だけだ」⇒「ワタッスゥワィトリコロクラシラケラ」
音楽と詩世界、そして歌唱法に必然性があり、
元も子もないほどの無粋を"アリ"にしているのである。

従来の歌詩からも感じ取られるように、作詞者である京は人間関係に対して潔癖なきらいがあるように見える。
他人に求める理想が高く、上手く割り切ることもできず、周りへの失意と諦めから攻撃的になりやすい。
攻撃対象が無尽蔵に増え続け、その大衆が支持する常識や正論に対して懐疑的にならざるを得ず、孤立を深めていく。
もはや清算しきれないほど膨らみ続けた感情は行き場を失い、やがて自己否定へと結びつき、
ついに自身を傷つけ始めたのだろうか。

べっしゃりと潰された汚らしい限りのリフでゴンゴン突き上げる感覚が懐かしくも新鮮である。
過去の曲と比べて「〇〇に似ている」と論じるのは、せっかくの新曲の本質を濁らせるのであえてしないが、
この曲のサウンド自体はDir En Greyにとってそれほど真新しい路線でないことは自明であろう。
問題はこの曲をアルバムのド頭に配置したことではないか。
続く「Devot My Life」を加えた頭2曲の精神状態がアルバムの最後まで引きずられ、
シングル曲の印象すらも変えてしまった。
「詩踏み」「人間を被る」がここまで腐りきった精神状態を歌っていたとは思っていなかったのである。
最後の「Ranunculus」から希望や救いを感じられない、むしろ絶縁への決意や、
他者への攻撃的態度に感じられるのは、ド頭に「軽蔑と始まり」があることで、
その精神的腐敗が一過性ではないことを意味していることに起因するのかもしれない。


ありがとうございました。

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