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居間塵(imagine)

居間塵、と書いて、イマジン。その日その時、流れゆく時の川から、思いつくままに掬いあげる。絵図とポエムの棚

ゴッホ

2012-03-26 18:07:45 | ポエム

ゴッホ

 

ものすべて
ねじって
ひきのばして
とぐろをまいて
テンクウにむかっていく

とちゅう
ふっと
たちどまり
ぺちゃんこにひしがせて
エノグをぬりかさねると
すべてのものが
もえあがるホノオのように
ふたたびテンクウにむかって
たちのぼってゆく

あれは
ゴッホの
ココロが
カンバスをつきやぶって
ワンダーランドへ
とつにゅうするすがただ


出会いがしら

2012-03-26 13:23:05 | ポエム

出会いがしら

 

スーパーで
昔の知り合いに
顔つきあわせた
ほんとうにまったくの
出会いがしらというタイミング
ふたりで顔見合わせて
ノドのあたりで
コトバ つまっているらしい
面影
雰囲気
不明瞭なスケッチ

そのうち
眼から崩れてゆく
やっと
 
「お元気?」
 
「うん」
最小の挨拶的コトバ

別れる時にそのひとは
 
「また逢う日まで」
ぼくは
 
「唄の文句や」
と返したが
レジがつかえていたので
それっきり
右と左にはなれていって

そのひととぼくは
天日にさらされてひからびたように
乾燥しきって
パリパリになったが
それを入れる箱もない

 


価値

2012-03-26 00:10:31 | ポエム

価値

 

或る人が
徒歩で会社へ出勤し
或る人が
車で会社へ出勤する
どちらが価値のある出勤かというと
そんな事でどちらに価値があるかを
決められっこないのである

出勤手段だけで決められない事なのである
価値を問うのなら
何故徒歩出勤するのか
何故車出勤するのかを
きいてみないとわからないのである

しかし現代は考え方がいくとおりもあって
そんなに単純には決められないのである

一つの観点というものをさだめないと
どちらも価値があるし
どちらも価値がないということになってしまう
それが現代という世界の状態であるからだ

普遍的で完全無欠な価値というものは
現代では人間が手を出さない自然のみにあり
人間社会には無数の過程的価値があるのみである
その価値たるや
よくよく考察してみれば
たいへん惨憺たるものなのである

現代社会における価値とは
幾らでも在り
少しも無い
というものなのだ


2012-03-25 01:00:27 | ポエム

 

ゆれる
きえそう
でも
きえない
芯が強い
火炎に抵抗する
だから
きえないで
もえる

もえあがるものが
なくなるまで
もえる

もえながら
ほんとうにもえているのか
などとうたがわないで

もえつづけよ

 

 


春寒

2012-03-25 00:29:51 | ポエム

春寒

 

奥山の熊も
春かまだ冬か
目覚めるごとに
迷っているだろう

街や村では
人はコートを脱いだり着たりして
迷っている

春は冬と別れることが
たいへんなのだろう
人も別れるときは
たいへんだ

春は手続しなくても
冬と別れられるけれども
人はそう簡単にはいかない
沢山の書類に印鑑をおしたり
手紙やメールを一杯書いたり

季節によっては
人の別れもちがってくる

寒い別れと冷たい別れ
暑い別れと温い別れ
いろいろの温度差があるものだ

別れるのは
どんな温度がいいのだろう

汗かいて別れるのが
いちばんだとおもうけれど

 

 


春雨

2012-03-24 00:06:45 | ポエム

春雨

 

しとしとと
桜の花に
うるおいを
ひとつずつ
おいてゆく

しとしとと
ひとびとの
きのうのうれいと
きょうのまよいを
クリーンアップしてゆく

しとしとと
あしたのことを
やわらかにして
こわばらないように
湿度をおいてゆく

しとしとと
はなびらに
みず化粧して
花としての
かぐわしさを
のこしてゆく

 

 

 

 


夢見

2012-03-23 12:42:41 | ポエム

夢見

いろんなことを
いろんなことばで
いろんなイントネ-ショオンで
話をしたり
唄をうたったり
感情の喜怒哀楽をリズミカルに
やってのける

そのひとは
白砂が敷き詰められた
演出された一隅の
すこやかな飾りの部屋で
ポット上気していた

近くの葭原で葦切りが
しきりに鳴く
湿り気のある風に
こころをなげだして
そのひとは
かすかにほほえんだ

すると空気がしずかにゆれて
ある夜のなかの白っぽい昼間の光景は
痕跡を残さずにきえた

夢いきれでむんむんする
これはきえたとおもっていても
ひとりだちするきえない夢だ

 

 

 

 

 


対称性

2012-03-22 23:56:23 | ポエム

対称性

 

ゆっくりと天から煌めく
雷光があったら
煌めく線形のはしばしは
淡彩画のように暈かされるだろう
ギザギザがなくなり
単純な棒みたいになって
美しくない
雷光はすばやくて
ギザギザのあるほうが
美しいだろう

虹はどうだろう
あれは淡彩画に似て
かすれているほうが
美しいだろう
七色がきっちりと
夫々自分の色彩を主張すると
虹は悪魔の形相になって
みはなされるだろう

鮮明と不鮮明が
美しさで一致する

プラスマイナスで
けっしてゼロにならないもの

 

 

 

 

 

 


夢のあと

2012-03-22 13:15:00 | ポエム

夢のあと

 

つわものどもでなかっても
夢のあとは儚いけれど
そうとばかりにおわるものでもない

へんな暗がりの街で
夢がテーマーでなくて
そこに築かれた
まぼろし風の現実があるからだ

美醜こもごも
それは存在する
おおきな自分の思いや
すてさるべき自分の膨らみ

どうしてもこだわる
どうしてもきえない
どうしてもふっかつ
どうしてもがつづき

そんなこといっていても
いつかふっとわすれる夢は
ほんとうの夢ではないよ

 


しんだひとのいったことば

2012-03-22 00:34:15 | ポエム

しんだひとのいったことば

 

しんだひとがいったことばを
いきのこったひとがきいても
そのことばをそのいみを
読書のように
受験勉強のように
花実はなさないで
オサナゴの頭をなでるように
いつくしみ可愛がりしないと
しんだひとのいったことばは
いきているひとにのりうつって
ともにいきていくことはできない

いくら手足をふったとて
からくり人形のような
タマシイのない
形だけのことばになってしまう

本棚にかざった本のように
開かない頁の堆積
前後の頁もなく
視覚的な嵩張りにしかない
意味不明の物体だ

しんだひとのいったことばを
あまり沢山受け取ってしまわずに
自分で引き継げるだけを
そっとうけとることを
みにつけないと

 

 

 


懐かしい人

2012-03-21 13:58:33 | ポエム

懐かしい人

 

一年生になったら
担任は女の先生
教壇での動きが美しいセンテンスのように
今も記憶されている
若きプリマドンナです

毎日必ずお経をあげる祖母
チ-ンと小さな鉦をならして
全部覚え込んだお経
諳んずることのおどろき
それから人形のように
ひょろっとしたしづかな佇まい
老バレリ-ナです

国語の時間
孫悟空のお話をねだると
国語の授業は寄せに早変わり
お寺の住職だった先生
戦争なんぞ忘れさせてくれた
尊い時間を分かち合えた
男のト-ク・ダンサ-です

 


目的

2012-03-19 16:13:28 | ポエム

目的

 

いまぼくは
目的がない

このまままっすぐにゆくと
山のふもとで
みちがなくなる

右にゆくと
残飯のしゅうせきじょうだ

左にゆくと
ハンカチーフの染めもの場だ

まわれみぎすると
ああ
さっきまであったはずの
みちがない

ここではじめて
ぼくは
目的を
きめないといけないのだ

そのばにしゃがみこんでも
日がくれ夜があけるだけで
前へすすめない

ぼくは
左にゆくことにした

ぼくのハンカチーフを
染めるために


コウメイ・セイダイ

2012-03-19 15:51:42 | ポエム

コウメイ.セイダイ

 

ちいさな男が
おおきな男に
メールで
抗議した

おおきな男は
ひとつきかかって
ちいさな男を
こっぴどくやっつけるために
慎重にかんがえて
やっとリメールしてきた

なるほど と
ちいさな男は納得せざるを得なかった

おおきな男は
そしきのにんげんで
ちいさな男は
こじんのにんげんだった

こじんは
あつまらないと
そしきのにんげんになれないのだ

そのかわり
こじんは
きえてしまって
そしきが
また
そしきと
あらそうのである

こじんもそしきも
ときには
いれかわるとよいとおもうよ

こじんがそしきになり
そしきがこじんになるというように

コウメイ.セイダイ


天然よ

2012-03-19 00:32:08 | ポエム

天然よ

 

さまざまなる
天然の化学物質が
いかなる難事をも
着々とこなして
身体髪膚
五臓六腑
それらを生かし続ける

人間脳よ
目にもとまらぬ早業と
ミクロの単位の精確さで
人間の生命を
日夜生かし続けるという事は
意志という天然物質が
波を讃える風のように
お脳の中を吹き荒れて
つまりお脳は荒天のなか
揺らいでいるからこそ
我らが命
たゆたえる

さらば天然よ
おまえは
なにものだ

 


少年時代

2012-03-16 00:47:45 | ポエム

少年時代

そのとき
ぼくは
堂々としたものは
何かとかんがえた
ぼくは
川や河を思い出した
河はとつくにだから
電車で一時間
徒歩で三〇分の
おおきな川へ
散らされた蜘蛛の子のように
一目散に向かっていた

ついた川は川ではなく
小川の少し大きな
半端な川だった
でも流れる水は
矢のように早い
フェンシングのファンデヴのように
すばやかった

笹舟は浮かぶどころか
最初から翻弄されて
転覆してきえていった

その川のかたわらでは
あ そうだ
あ そうだ
と叫んでいる
子供がひとり

それは
ぼくの少年時代の
姿そっくりの
影法師を
ひかりながら流れる川のうえに
うつしていた