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ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

山線の特急北海と会った~小樽交通記念館の巻

 手宮線の線路を歩いていくと、線路の延長がたどり着くのが、手宮の小樽交通記念館である。ちょうどターンテーブルのあたりへ旧手宮線の線路は記念館の中へ続いている。手宮側の入り口は閉鎖されており、遠目にも人の気配がない。え、ここまで来て本日は休館?と色めきたったが、看板にメインゲートは祝津側となっている。「ゲゲゲ、まだまだ先じゃないか」とぶつぶつ言いながら痛み出した足を引きづりながらゲートへ。日曜の時々雨の降る午後というだるい状況に合わせて、お客さんもぱらぱら。2時間かけてざーっと回った感じでは、100人位の入場者とみた。客層は少ない割にバラエティに富み、ワシのように一人で見に来ているモノ好きさんが数名、他はカップル、おばさんの観光客や若者グループなど。切符販売の女性は頑張っていたが、日曜日にこれだけ人が来ないと平日はもっと退屈だろうが、余計なお世話か?団体さんが来るのかな?
 さて、今日のテーマは、特急の「北海」である。この「北海」には、34年前に小樽を訪れた帰りに乗車した列車である。それが、この記念館に静態保存されているキハ82系という特急用ディーゼル列車である。誕生は、1967年(昭和42年)のダイヤ改正から函館本線の函館~長万部~小樽~札幌~旭川間を走る唯一の特急として誕生。このうち長万部~小樽間は通称「山線」と呼ばれ、すべての優等列車が室蘭本線経由となってしまったいまは寂しくなった山中のルートを走っていたのだ。「山線」のいわれは、室蘭本線が海沿いだからという単純なことだとは思うが、やはり、冬の雪に覆われる北海道とスピードアップでき線形の悪さなど、いくつもの難所を通っているというイメージが「山」に込められているのだ。
 しかし、青函連絡船を使って来道する人は、飛行機に取って代わられ「北海」は「北斗」に吸収され、山線を走る唯一の特急は1986年(昭和61年)に消滅してしまった。これまた、小樽シリーズの偶然の一致か、またも20年位前の事なのである。いま、寂しく記念館のホームに置かれている(止まっているのではない)キハ82を見ると、塗装が浮き錆が滲み出してきていて可哀想である。静態保存ということは、錆を浮かせるために放置しておくことではないと思うのだ。確かにお金がかかるかもしれないが、少しは手入れをしてあげて欲しいと思うのだ。
( 写真文中の「サボ」とは、列車の側面に掲げる行き先や種別 (特急・急行など) を書いた板の事。「サイドボード」の略で、オランダの木靴ではないのでまちがえないように。全然意味をなさないので。)ブログランキング・にほんブログ村へ
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