
スタートは、実は支流を探すなんて気もなく、上池台から雪谷大塚へ行き池上線の車両基地を見に行こうということで歩き出したのである。新幹線を越して呑川を上流へ。すると東調布公園(調布と言っても三鷹の方ではなく立派な大田区の地名)というスタンド付きの立派な野球場や交通公園などが結構広い公園があったのだ。そこにこんなのがあるとは!!恥ずかしながら噂は聞いていたが、D51が本当にあるなんて。びっくり。昭和15年製で青森、仙台、新庄、秋田と主に東北線で貨物を引っ張っていたが、最後は伯備線で昭和47年廃車となって、48年にここへ来たらしいのである。


写真1
さて、この蒸気を見て雪が谷はあっちかなと歩き出してみると、左がわにガードレール付きの歩道がある。これは元溝や小さな川の跡を暗渠にした風情ぷんぷんの道路がゆるやかに曲がりくねっている。おお、これは本物とその道を上っていくと、ありましたよ。溝川の跡に典型的に造られる舗装はしてあるが自転車がすれ違えないほどの小道。住所的には大田区北嶺町あたり。2車線の道路の四つ角に不自然に西北に45度の角度で向かっている。

写真2
人の家の庭先を歩いているようなもので勇気がいるときもあるが、ここは割に通路として役立っているようである。その先は、なんと階段。結構傾斜がきついのか?

写真3
ずっと奥の階段を上るとまた斜めに細い道が。お、まだ続きがあるぞと追いかけると・・・

写真4
またもや、最後は階段。

写真5
そして、ここはほとんど雪が谷大塚のそば。川に導かれて目的地についてしまったというわけである。雪が谷大塚の車両工場はすでに夕暮れとなっていた。こちらのレポートはまた別途に。そうそう、この支流の名前をつけなければならないのう。「北嶺分水」ってことで。

写真5の先。7700系と1000系が留まってますな。