Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

幸せよ、この指にとまれ

2011-06-08 08:48:42 | 日々の徒然
おはようございます


今日、
行ってきます!

扉をあけた

その先に

また
蝶々がいました


今度は
すぐ目の前で

ひらひらと

花から
花へ。


そして

目の前の花に

とまりました


ちょうちょ ちょうちょ
菜のはにとまれ

菜のはにあいたら

さくらにとまれ

って
あるでしょ。

幸せよ、この指にとまれ
って
歌のタイトルを
最初に聴いたとき

この歌が

あたまに浮かびました
だから
絵文字も
よく蝶々の絵文字とかを
使ったりして


(余談ですが、
その頃、第一回JAPAN JAMの開催が
お知らせされていて

春フェスのイメージが
この曲とぴったりだったから

今もJAPAN JAMのときは
その絵文字を
使ってたりします


宮本さんの歌に

夢から夢へ
綱渡り


あったり

つないできた
この夢


あったりします。


宮本さんの歌には

浮き草生命

とか

流浪の民

という
言葉もある。


そして
宮本さんが
“俺たちのテーマソングです”と言った
「地元のダンナ」では

高みをのぞんでは
破れゆく


歌っています。


そして

先日聴かせてくださった
「旅の途中」。




素敵なことを見つけて

これだと思って
一生懸命やって

そして
もっと、もっと


また、別の夢中に
なれるものを見つけて

それを
一生懸命やる。

それは
やみくもに
いろんなことに
手を出すということではなくて

ひとつの道を
究めるとき

そこでつくりだされるものを
よりよいものにしたいから。

自分が生きていく道を
より素敵なものに

したいから。


揺るぎない想いを
しっかりと
持って

たくさんの素敵なものを
追い求めていく。


そのひとつ、ひとつの
ことを

自分のあるかぎりの力で
懸命にやって


それが一区切りしたら
また、
より良いものを求めて

次に向かう。


繰り返し

繰り返し


終わりのない
旅。


そういうことなのかな

宮本さんの歌を聴きながら
いつも、私は思っています。

そういう
宮本さんの姿が
私の心にはあります。



私が、まだ大学にいた頃
集中講義と言って

一週間くらい
別の大学から先生がいらっしゃって

お話を聞かせてくださることが
よく、ありました。

いろんなお話をしてくださるのですが、
それは、
今、その先生が興味を持っていることだったり

今までの研究成果のダイジェスト版だったり
さまざまなのですが、

その先生方のお話を聞いていて思うのは

やっぱり、どんなことも
つながっているのだと

いうことです。


ちゃんと意味がある。


私の先生や
周りの人たちも

そう感じている人が
たくさんいたけれど。

やっぱり
自分の心の琴線に触れるものには

ちゃんと自分の心と
つながるものがあるんだと
思います。


だから、
素敵なものを見つけたとき

そう、私が思ったとき

私は、そのこととまっすぐに向き合いたいと
思っています。

素敵なことは
どんなことでも。


風に紛れている

その中にある幸せを。


偶然の喜びを。


それを見つけたとき、

まっすぐ

まっすぐ

手をのばそうと

心に決めました。



今、

目の前に


蝶々が
とまった。

ひらりと

目の前に。




私は、


まっすぐに

手を伸ばそうと

思う。




幸せよ、この指に

とまれ





宮本さんが

好き





今日も素敵な一日を