Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

JAPAN JAM 2011 感想 ①

2011-05-07 06:33:53 | 日々の徒然

そわそわとしながら、そのときを待っていました。

前のライブが、少し長引いて、
エレカシのセッティングの時間もその分遅れていて。

どきどき。

わくわく。

そして、ふとステージの脇を見ると、
宮本さんをはじめ、エレカシSのメンバーの姿が。

宮本さんの姿を見つめました。

表情は見えなかったけれど。

宮本さんの表情は、
どんな感じだったのかな。

宮本さんは、そのまま歩き始めて、
舞台に出てきました。

それに続いて、エレカシのメンバーと蔦谷さん、昼海さんも。


こちらに歩いてくる宮本さんの表情は、
既に、
きりりと引き締まった表情だった。

でも、
なんとなく、
やさしげな笑みを浮かべているようにも

感じた。


宮本さんは、ジャケットを脱ぎながら歩いてきて、
白シャツ姿になりました。

すごく気合十分。

私は、その姿を見るだけで。
ドキドキが最高潮になりました。

何も言わず、ギターをとり
弾き始める宮本さん。


いつも以上に、ぴんと張り詰めた空気。


宮本さんの弾くギターの音だけが
辺りに響きました。

みんな息をのんで
その姿を見つめていました。

トミさんのドラムの音が刻まれ、
エレカシの演奏が一気に音を広げて、


宮本さんの想いを解き放つような叫び声が、
まさに、一喝、響き渡った。

それを合図とするように、
客席の歓声が、想いが解き放たれる。


ついに、

エレカシのステージが
幕を開けました。

1.「脱コミュニケーション」

響き渡った奥底からの地響きのような声は、
その一喝と同時に、

すぐに消えてしまい、

全く別の優しげな歌声が聞こえはじめる。

それは、
ささやくように、

心の扉に向って問いかけるように。

やさしく

やさしい歌声。

しかし、その声は、
すぐに嘆きの声に変わり、

聞く人の心を抉る。

その緩急が

心の波のように
繰り返し、

繰り返される。

いつも以上に、
宮本さんの歌声は、
まっすぐに、

はっきりとした陰陽をもって、
繰り返される。



聞く人の心の扉を
叩き続けた。

ギターの音は、
その心の声を追うように

あとから、

あとから
やってきて、

心の扉を
同じようにノックしていく。

ドラムの音は、
強くなったり、
弱くなったりしながら、

一定のリズムを刻み続ける。

宮本さんの歌声は、

一人、
自問自答するように、

それでいて、
聞く人の心に
問いかけ続けた。

心がぞわぞわする。

堪らない気持ちになる。


やがて、
一人問いかけ続ける
宮本さんの歌声の中に

自分の姿を見つける。

宮本さんの姿に
自分の姿を重ねる。



なぜ。


なぜ。


嘆きとともに
繰り返される
問い。

それは、
ときに、

やさしい諦めに変わる。


慰めるような

やさしい声。


それでもなお、

絶望や

悲しみが

消えることはない。


そして、

それは、

それでも、
生きていかなければならないという、

強い意志に変わる。




“俺の 終わり”

そして、
そこが

“はじまり”

だった。



もしかしたら、
全てのことは、

悲しみからはじまっているのかもしれない、



思った。


はじまりがあるとき、

そこには、

何かの
終わりがあるから。


宮本さんの歌う姿を見ながら

そんなことを考えていた。


でも、それは、
当たり前のことなのだ

と、

やっと、わかったのかもしれない。

それは、
ある種の諦めなのかもしれなかった。


それでも、

終わりを迎えて、
はじまることを

諦めていなかった。



やっと、この曲の
感情というものを

受け入れられたような気がする。

この日の私は、

そんな風に思いながら

この曲を聞いていました。

宮本さんは、

最初からわかっていたのだと思う。

この繰り返される
感情の波を。


悲しみの感情は、

感情というものを色鮮やかに持ちながら
生きていく人にとって

慣れることはない。


何度も

何度も

声を上げて
嘆き、

泣き叫びながら、

その感情を、

想いを、
伝えようとしていた。


それは、
聞く人の中にある想いでもあるから、

だから、
人は、
その感情をきちんとした想いとして
形をみとめることで、

やっとその感情を受け止められるのかも
しれない。


何度も、

何度も、

宮本さんは、

悲しみを、

嘆きを、

それに続く

絶望を、
諦めを、

そして、
しぶとさともいえる

力強い意志を

歌にしてきたのだと思った。



悲しみを乗り越えるために。


そして、

それを聞く私たちの悲しみを

解放するために。


物事の終わり、

それが、

全てのはじまりだった。