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1日1回キスをしよう

gaku united(ユニットガク)のツンデレロマンチッカー
宮田大樹(きぃ)のブログ
凡ての道は浪漫に通ず

インフォメーション

2013年11月11日を持って、gooブログでの更新を終了します。ご覧いただきました皆様、ありがとうございました。
以後の宮田大樹に関する情報やブログは以下で行っておりますので、そちらをご覧ください。

【ウェブサイト】
宮田大樹Ownd UNDER THE BIG TREE
https://miyatadaiki.amebaownd.com/

【ウェブログ】
宮田大樹の大きなお世話っ
http://ameblo.jp/daikinaosewa/

欠点とパーソナリティ

2009-05-15 | column
 今回は、どのようにして人にパーソナリティが構築されるのか、という話です

 パーソナリティとはすなわち個性。個人の特性のことです。例えば、明るい人、潔癖症の人、のんびり屋な人など、さまざまな個性づけができるでしょう

 パーソナリティは多くがその人物の長所を指し示すのですが、その実、パーソナリティは短所、欠点によってつくられると言っても過言ではないのです

 欠点がそのままパーソナリティになりうるケースが先ほど挙げた潔癖症やのんびり屋といったもので、また欠点を補う、また打ち消すためにうまれるパーソナリティも存在します。アスペルガー症候群にみられる著しい能力というのもそれにあたるかもしれません

 さて、ここからが本題。なかなか自身の長所があげられないという方は少なからずいると思いますが、そういう場合は、自分の欠点を見つけることから始めればよいのです。欠点がない、と思える人はほとんどいないでしょうから。穿った見方をすれば、欠点を見つけられないという欠点だったりして。それはさておき、欠点を補う能力、また欠点を無効にする能力を考え、それを伸ばすことがパーソナリティを築く一歩と言えるでしょう

 役者さんでいえば、キャラクターをつかむときに、欠点から構築すると自然にパーソナリティが出てくるし、本を書くときにも、欠点の部分を描けるとキャラクターのパーソナリティがはっきりしてきます

 さて、この機会に、一度、自分のパーソナリティを考えてみてはいかがでしょうか。って、なんだか、今回はエセなカウンセラーみたいな話になりましたね…

 まぁ、要するに見方の問題ですので、パターンの一つととらえていただけるとよいです

言葉とストーリー

2009-03-16 | column
 歌でも小説でも映画でも演劇でも、果ては会話でもそうであるのだけれど、僕は『言葉』を拾うために需要しているように思われます。登場人物や著者が吐き出した言葉を受けて、思考するのが好きなのです。ですから、ストーリー展開は二の次で、それがおもしろかろうとなかろうと、ある程度の読みやすささえあれば気になりません

 しかし、多くの人にとって、『ストーリー』は重要でそれなしでは目も向けられないという方もいるでしょう。時には、「あとの展開が読めた」とか、「オチを先読みした」とか、得意げに語る方もいますが、彼らはよほど物語性を大切にしてらっしゃるのでしょうね。時に僕も同じ台詞を言う機会がありますが、それはもちろん、作家がそこに比重を置いてないと判断したときの冗談ですから、あしからず

 かといって、言葉が大事かと言われればそんなこともない。言葉には、伝えたいことが表立つこともあれば、裏にこもっている場合だってある。状況や心象によって変わりますしね。要は言葉≠気持ちであり、言葉と気持ちは必要であって十分ではない関係。さらにいえば、気持ちは言葉にできるが、言葉は気持ちではない、ということ

 これは僕の趣向の話であり、言葉だとかストーリーだとかはバランスよく保てば、より多くの人が受け取れるというそれだけの話です。ひとまず、自分が何を求めているのかわからなくなったときほどアンニュイことはありません

 まとめに入るならば、僕は同じ本でも何度も読めるし、同じ歌でも何度も聞ける

 あなたは、歌を聞くとき詞を重視しますか、曲を重視しますか?本を読むとき内容を重視しますか、物語を重視しますか?

 そして、会話をするときに何を重視しているでしょうか

安定とアート

2009-02-13 | column
 今月のコラムのキーワードは「安定」です

 まぁ、世間はいわゆる不況で、就職難だの、解雇だのと言われます。そんなときだけではないのだけれど、テレビの街頭インタビューなどで決まって聞こえる台詞が「安定した職に就きたい」というもの

 安定した職。そんなものがあるかと聞かれたら、それはそもそも式が成り立たないので答えようがない。卵を買って、これでオムライス作ったらおいしいか、と聞かれるようなものだからです

 つまり、それは自分次第ということ。安定は求めるものではないのです

 どんな企業でも絶対的な安定はない。それはトヨタを見ればわかるでしょう。トヨタ自動車は、安定している、などとの理由から就職人気の企業で、トヨタに就職すれば安泰、ということすら言われていました。しかし、この業績不振。まぁ、実際、正規社員がどれほど切られているか、実質の連結利益がどうなっているかについてはこの際、言及せず、安定してると思われていたが、揺らぐということを説明して終わりましょう

 よって、安定とは企業努力、もしくは自らの努力によって築き上げなければなりません。逆に言えば、努力次第で、いくらでも安定は得られるということ

 演劇や音楽をやっていると、この「安定」という言葉からはほど遠いように思われます。よく、安定を得るために辞めるという人もいますが、まぁ、それは安定ではなく、余裕、余分を得るためでしょう。まぁ、切り捨てるわけですから、時間的にも金銭的にも、精神的にも余裕はでてくるでしょう。かといって、それが安定だとは言えない

 劇団やバンドの「安定」について。これも、安定を求めてしまうとうまくいかなくなってしまう。原因はいろいろあるでしょうが、安定を求めた結果、顧客が飽きてしまう。自身が飽きてしまう。などが起こりうるでしょう

 ある意味、資本主義の揺るがないところは、拡大成長の繰り返しが社会の維持につながるということでしょうか

 ま、ようは、安定を求めるならば走り続けなきゃならないということです

僕とロック

2009-01-16 | column
 2009年の当ブログは、毎月、キーワードを設けたコラムと総まとめを定期更新していこうと思います。コラムは月の中頃、総まとめは月末ぐらいに。そのほか、不定期で何か書くかもしれませんけれども

 ということで、さっそく、今月のコラムです。キーワードは「ロック」

 ロックとはもちろん、音楽のジャンルのロックです。このテーマで書こうと思っていたら、友人とロックの話になって、いろいろと学ぶところがありました。今のロックはロックンロールじゃないんだって。ロールしてないから。へー

 それはさておき、ロックとは音楽だけの話じゃなく、その心意気があればロックなんだと思います。心意気…それは何といっても「我が道を行くこと」。ロックには先人はあれども、師はいないのです。誰かに従事しているロッカーなんて聞きませんよね。なので、僕の考えるロックの定義は「我が道を行くこと」と言えます

 音楽にしろ、演劇にしろ、小説にしろ、僕は誰かに師事したことがありません。もちろん、多くの演出家や音楽家のもとで学んだことはたくさんありますが、教えてもらうというスタンスでは臨んでいない、という意味です。僕は常にその環境で学ぶべき所を捜しているし、発見した場合は見て盗みます

 ということなので、誰かに教わったり、いわゆる一般的な基礎というものを知らない僕は、反骨精神があったり、自信が持ちきれなかったりするのです。その絶妙なバランスがロックなんだと思います

 何事にも言えること=ロックということで、このバランスというのはポジティヴ49:ネガティヴ51というのが持論です。自分に自信があるんだけれども、どこが自分を信用しきれないことって、多かれ少なかれ誰にでもあるはずです。そのバランスが49:51ぐらいが絶妙で、常にそれを保とうと意識をしています

 さて、で、演劇でロックなんですが、ロックというのは前途多難、試行錯誤の連続です。ロックな僕が現在、ミュージカルや古典で基礎を学んでいるわけで、毎日挫折しまくりです。でも、ロックの心意気を持って頑張りますよ~

 ということで、3月14日、15日はミュージカル「あいと地球と競売人」。そして、3月28日、29日は「ハムレット」があります。ロックな宮田の別ジャンルにご期待ください

センシティブなフィーリング

2008-11-04 | column
 〟人はお節介なぐらいがちょうど良い〝がモットーの僕ですが、それは僕が一人でいることが普通の人間だからだと気付いた。一人の時間が苦にならないし、できる限りそれを基調に生きていきたいタイプなのです。ところが、寂しがり屋の人がこのモットーを実行すると、とんでもないことになってしまう
 僕は、人に何かをしたことをいちいち覚えていない。別に見返りを期待してるわけじゃないし、覚えておく必要がない。なので、感謝をされたり、お礼をされたりすると動揺することが間々ある
 でも、人にされたことは覚えていようとする。おそらく、大勢の人が僕とは違うだろう、と思っているから。感謝をすることは大切だと思っている。それは、アシスタントディレクター気質だし、相手に失礼のないようにしたいから。若干、ズレはあるかなぁ
 で、本題に入ると、寂しがり屋がお節介をすると、リアクションを欲しがるわけで、となるとお節介が傍迷惑になってしまうのです。うーん、これは違いますよね

 次は、人の個性ってどうやって生じるかっていう話。たぶん、多くの人が個性って一つの秀でた部分だと思ってるだろう
 でも、実は、個性とは欠けることによって生まれる。欠けている点がその人の個性を形づくるわけで、欠点をなくそうとすればするほど、個性が失われるとも考えられるし、個性を際だたせるためには自分の欠点を自覚することが一番でしょう

 話は変わって、最近、職場が騒々しくなった。類はともを呼ぶというし、朱に交われば赤になるともいうけど、やっぱり、リーダーによって集まる人は変わると思う
 でも、僕が信頼できる人々が去っていくというのは、やはり切ないもので、僕がリーダーでない以上は、というか、ただのザコなので、引きとめるわけにもいかないし、うーん。まぁ、僕の望みは、僕を使いこなしてくれることだけです
 リーダーは信頼を得るためには、人を使いこなす必要があるでしょう。その人のために働きたいと思わせる必要がある。それ、すなわちカリスマというが、このカリスマは、身につけるのはなかなか難しい。でも、理解すれば実行はできることなんだけど。何よりかわいそうなのは、カリスマを持たないリーダーだ。信頼されないリーダーって切なすぎる
 これは、好き嫌いとは違うし、人は嫌いな人でも信頼できるものだ

エンドレスコラム

2008-11-02 | column
 ミスチルを歌わせたらそこそこうまい僕です。そんなミスチルの新しいアルバム『スーパーマーケットファンタジー』のアートワークが発表されましたね。帚星みたいですね。ってことは、アートディレクターは…あの人?

 アートディレクターといえば、ユニクロのヒートテックは今年も好調です。皆様、お早めにご購入を
 そのヒートテックのロゴですが、一目見ればつくった人がわかりますね。ってゆうのもどうなんだろう。そう、「佐藤可士和」氏。うーん。僕には、よくわからん。今までと何がどう違うか。いや、何が違うかはわかるのだけれど、効果というか、感性の問題ですね

 感性といえば、今日、「伊藤久史」さんという人のお芝居を観てきました。『お化けの子守歌』ってお話。彼の動きから(あくまで動きだけ。台詞回しとかは絶対僕の方が上手いはず)学ぶところがいっぱいあった。と感じたのは、僕が役者としての目線を持ったからでしょうか
 それよりも何よりも、良い演出でした。明白、明確、明解。明るい演出だった。つまり、表現ができていなくても、表現していたというか、なんというか。なので、ちょっぴり興奮した。したがって、「伊藤久史」さんという人をおもいっきり蹴り飛ばしたし、アンケートには訳のわからない(であろう)ことを書いた。うーん、あれを解読できる人を僕は尊敬するでしょう。最近、感覚でものを書くことが多いなあ

 書くと言えば、今、恋愛小説を書いている。というか、今年の下半期は短編小説を書きためると決めたのに、ここ2ヶ月ほど書いてなかったので、ようやくペースを取り戻せました。他にも戯曲を二つ同時進行。ちゃんと書ききれるのか?!
 さて、恋愛小説を書くに当たって、明確にしておきたいこと。恋と愛の違いは何か。恋小説でも、愛小説でもなく、恋愛小説を書くと決めたので、そこははっきりとしたやりたいものですね。そうでもないけど。恋は下心で、愛は真心…って言った奴。うまいこと言ったつもりか、このやろお、うまいこといいやがって。恋は欲しがるもので、愛はあたえるもの…って言った奴、うーん、なるほど、こんちくしょお
 ちなみに、タイトルは『ショートカット』という。なんだか、これだけで内容が想像できてしまいますね。あはは、恥ずかしい

 恥ずかしいといえば、昨日からミュージカルの稽古が始まりました。いや、稽古自体は9月末から始まってるんだった。僕が初参加なだけです。1ヶ月以上行ってないから逃げ腰、照れ照れで行ったら、すんなり歓迎していただいて。人見知りの僕は恥ずかしながら、必死に取り繕っていましたとさ。そんなこんなで、柔軟してウハウハして、身体を動かしてウハウハして、寸劇してウハウハして、歌のレッスンでは上手いですねと言われてウハウハして…そう、歌、ばっちり歌います。がっつりメインキャストです

 歌といえば、ミスチルを歌わせたらそこそこうまい僕です(文頭に戻る)

生と死の間こそ

2008-09-20 | column
 ミスチルの新曲のハナビのADは森本さんだったようですね。いっけん、難しいアートワークだけれど、どうなんだろう、高感度は。ギフトの方がシンプルで印象的だから、物足りないと感じる人が多いんじゃないかなぁ

 さて、僕の愛するADの野田凪さんが亡くなった。ユキのPVとかをつくってた人。薬を間違って飲んだと。人は、危険だからといって、リスクを承知で事を起こすわけだから、引責っていうのはよくわからん。その人の責任だろう、最終的には。でも、今は責任を人に押し付けることができる世の中だ。責任感がないものが、責任を追及するってゆうのも、ねぇ

 最近、旧友に会う機会が多く、よく言われるのが、もっといい大学にいけばよかったのに、という言葉。それはなかなか難しい。まあ、僕の旧友には旧帝大なやつらが多くて、若干、まぁ、スペリオールなわけで。まぁ、彼らより僕の方ができたからそうゆうのだが、ここで言いたいのは、自分ができるやつだとかってことじゃなくて、こうゆう風にいわれたよ、って別の人に話をすると、ほとんどの人が、「努力も才能のうちなんだよ」ってセリフで返してくる。みんな。どこでこんな言葉を覚えるのだろう

 努力は才能じゃない。それはすごく相対的なものだから。そして、才能って言うのは能力じゃない。もし、成り立たせるなら、かなり高度な方程式だろう。僕には解けない。さて、この言葉の定義が理解できないと、上の段落で言いたいことは理解し難いに違いない

 現在の状況というのは、複合的要素が積み重なって築かれた結果である。この複合性を正しく分析できる人間は、過去の経験を振り返っても意味があるのだろうけど、そうでない場合はほとんど無産である

 昔、芝居のパンフレットに載せたことの一部なのだけれど、生には、生まれるというのと、生きるという2通りがある。生まれるというのは発生であって、生きるというのは継続である。じゃあ、死はどうか。死の発生は?死の継続は?これを、当時は死に続ける、と表記したのだけれど、そう、人は死んだら死に続ける。死の継続である

 人が死ぬのは、記憶から失われた時だ、という説の人も世の中にはいるが、彼らは、命が消えてから死ぬまでは何だと説明するのだろう。生と死の間には言葉がない

 人は人の言葉に責任を求める以上、自らもそのリスクを背負っていることを忘れてはならないはずだろう

 言葉に責任を求めるならば、言葉の定義づけはしっかりとする。そうじゃないなら、言葉に固執しない。僕は後者だからこそ、前者との会話の際には、相手を尊重して、その点に注意する

 しかし、ほとんどの場合、それは曖昧なまま遂行される。言葉は生まれてから、命をなくし、そして、死を迎える間までにいることがとても多くなっている

 言葉を生む。言葉が生きる。言葉が死ぬ。言葉が死に続ける。そして、その間。このことのために言葉を生む必要性に迫られるのが、言葉のジレンマであり、これを考えるのは二律背反的で、考えないというのは、矛盾である

 という、とっても、複合的で非連続的な話

会話の綾

2008-09-11 | column
 今週末からとうとう、映画の本取りがはじまる…。いきなり、深夜、栄のキャッツガーデンでの撮影。パルコのところね。ビビる

 僕は、人に話をするのがそんなに好きじゃない。変わりに人の話を聞くのはけっこう好きです

 なぜ、喋るのが好きじゃないかって、めんどくさいからってのが大きい。たとえば、「誤解を恐れずいうなら…」みたいな言い方をしないと、ろくなこともいえなかったり、言葉に幅がありすぎたりしてる。僕は、できるだけ、認識して、理解した言葉だけ使うように心がけてるけど、相手がそうじゃないともう、話がつながらなくなる。言葉を受け取るということは、文字を受け取ることではない。文字が先行して、勘違いするなんて、言葉がかわいそう

 だから、言葉にすれば解決に近づくと思うのは浅はかだし、そうゆう人は議論ができない人が多い。そもそも、解決すべき点がどこにあるか把握せずに喋ってることが少なくないから。別に、意識しろというわけじゃなく、無意識にも認識できていないのは、エネルギーの無駄使いでしょう

 でも、まぁ、そういいつつ、取り繕うところはしてる僕は中途半端なのかもしれないけれども。全部はっきり言えるような人間になるためには、もっと絶対的な能力が必要ですね

 伝えたいことがあって、それを込めて話を作ったとして、歌を作ったとして、それが伝わらないのは作者の責任か、受け手の責任か。異なった受け止め方をするのは許されるべきかそうでないか。これ、宇宙に果てがあるかどうかよりも身近な二律背反ですね

 わかってるのにできないというのはわかってないからでしょうし、できることがわかっていることだという定義の方が、よっぽど問題は少なくなる気はします

 言ってしまえば、考えることを無駄に使うことこそ、考えてない証拠なんでしょう。どうせ考えないのなら、なすがまますべきであろうと思います

 といっていてもできないことが多々ある僕はわかってないというオチ、言葉の綾、それ自体が誤りである、とね。ちょっと綾すぎるよね

宣伝と募集と愚痴

2008-09-06 | column
 ようやく、体調が戻りつつある感じです。ダマシダマシですね。薬も錠剤4つ飲んだら、さすがに治りますね。季節の変わり目なので、鼻炎も合わせての数です。1年前から、体調崩すと喉が炎症を起こすのが癖になっちゃったみたいで、イヤです
 大学はおおよそ卒業できるようです。ただ、卒業研究を絶対にとらなきゃならんくなったので、苦痛。やっぱり、マネジャーが欲しい。スケ管理が出来ぬ

【宣伝】

 9月21日(日)、岐阜県多治見市 まなびパークたじみで劇団ひとめぼれの第6回公演『アリときどきキリギリス』が上演されます。これ、宮田の書いたお話です。童話ではありません。この前、稽古を見てきたけど、しっかりひとめぼれ色の芝居になってました
 宮田の話で『Q』や『クチナシ』やそれ以前を見たことがある人は、意外というか、宮田らしからぬ印象を受けることでしょう。僕が脚本を書き始めた当初のテイストで書き上げました
 詳細は劇団ひとめぼれのウェブペを検索してみて。モバイルもあります

【募集】

 10月4日(土)、名古屋市港区の劇場で、僕の出演してる映画の撮影があります。僕が就活をしてるシーンの撮影ですが、それのエキストラを募集してる模様。特典はありませんが、時間がある方は遊びにくる感覚でいらしてください。実際の就活?してないッス
 翌日、10月5日(日)は愛知県の美和町のホールで撮影がある模様。こちらは合唱のシーン。お客さんのエキストラを募集。こちらも特典はないけど、お時間がある方は遊びにきてください

【コラム】

 人は2種類にわけられる。発見する人と吸収する人だ。これは別の言い方をすれば、知恵を絞る人と知識を蓄える人、ということだ
 話を少しズラす。学習や勉強が、現在のように教育になった意図を考える。通常、知識というものは、必要なときに摂取すればよい。しかし、時間の効率などを考え、あらかじめ蓄えるようになった。これは先人の知恵といえるだろう。つまり、それを知識として把握してる人がほとんどだということ
 被教育者が「こんな勉強が何の役に立つんだ」というのはもっともである。その時点で意味を考えることがズレてるのだ。つまり、学習とは投資なのである
 さて、人が知識を蓄えることを発明してから、それなりの時間が過ぎ、人が生きていくのに充分であろうシステムは形成できている。知恵の入り込む隙間がないように思われる。しかし、それはいつの時代でも一緒で知恵が及ばないわけではない
 知恵とは、発見したもののことであるとして、それは摂取するのではなく、自ら形成することになる。教育のための知識も、期限は知恵といえる
 この知恵だが、すでにあるものを発見した場合、知恵と認知されにくい。新しいもののみが知恵であると思われがちだ
 あなたは1+1=2という式を発見しただろうか、吸収しただろうか。僕らは小学1年生でこれを学ぶが、それ以前にも、意識的、無意識的関係なく、知っている。それを1+1と気付いているかどうか、ということ。学習により知るのは情報ではなく、表記法なのだといえる
 何を言いたいかがズレてきた。ようは、二番煎じが悪いと思ってる人は、それが発見である可能性に気付くべきだ、とうこと

指摘への私的返答

2008-07-23 | column
 指摘に対する思考です。もちろん、だである調ですので、適当系です。マジメさんは流してください(笑)試験期間中の逃避だわさ

【コーヒー】

 先日、僕のコーヒーの飲み方について指摘を受けた
 思い返してみれば、確かにその人と食事したときに飲んだコーヒーは、スティックシュガー、もしくはガムシロップ3つにフレッシュという、いわゆるマキャートにしたものだった
 だから、なんで僕がコーヒーに甘味を多く加えるのか、という指摘は一見、間違ってはいない
 しかし僕は、いつも甘いコーヒーを飲むわけではない。ブラックに無糖で飲むときだってある。フレッシュだけ入れるかもしれないし、砂糖は一杯で済むかもしれない。まぁ、甘くしてる回数は多いので、そう思われるのは確率的に高いのであろう
 理由としては実に明解である。まぁ、ときには品質の起因するケースもあるが、おいしいコーヒー、上等なコーヒーだからと行って苦いまま飲むというのは少ない。基本的に、グルメではないので
 多くの場合、影響している心理は、飲み物として飲む場合には甘いもの、嗜好品として飲む場合には苦いものを飲みたい、というもので、やはり適切で明解な理由である
 タバコを吸う人は酒を飲む人である、というのと同義に、甘いコーヒーと苦いコーヒーはノットイコールの存在である
 つまり、僕が甘いコーヒーを飲んでいる理由は、飲み物が飲みたいからであって、宮田大樹はコーヒーを甘くして飲む、というのとは同類ではない
 僕が苦いコーヒーを飲んでいるところを見たければ、嗜好品としてプレゼントしてくれるか、誘っていただければよい
 まぁ、この指摘をした人がこれを読む可能性は限りなく低いので、共通の知人である何者かによって伝達されるのを願うばかりだ

【誤字】

 ログを残すときに、誤字が多いと言われた。おおよそ、ウェブログのことだと思われる。ログをとったノートを見せたことはないし、そもそも、もう何年も書いてない
 過去に書いたものを読み返す気にはならないので、どれだけ多いかわからないが、まぁ、書いてる途中で気付いても修正しない場合もほどほどあるので、それなりの量であろう
 この場合の“多い”は、舞台で芝居中に役者が台詞をかむ印象において感じる多さにほど近いはずだ。演劇者からすれば、誤りの多さは台詞量や、難易度がファクターとなるだろうが、観劇者にしてみれば、期待度や、基準度がそれを占めることになる
 つまり、無形のものの量というのは、相対的な問題であるということである
 さて、誤字をあまり直さない理由としては、間違っていても伝わる場合がほとんどだからである。それと同じ理由で日本語を省略したり、間違った日本語を使ったりする。それでも、伝えたい人には伝わるし、伝える必要のない部分は概略できる。それに、こうしてログを書く以上はもちろん一人以上に向けて書いているが、この程度の規模、つまり少人数に向けたもので、文学的な完成度を追及する必要がないというのが私論があるからだ
 例えば、戯曲を書くとき、僕は句読点を文というより、読みやすさを意識してつけている。こうすると、たまに間違った(と思われるような)区切り方になってしまうが、それは故意によるものである
 よく言っているので、耳タコな人もいるだろうけど、またもや言う。「文を書くときに必要な正しい日本語」、の“正しい”はなんに対してのであるかをしっかり認識すべきである
 たいてい、相手を認識しているかどうかで伝達率は変わる。そして、多くの場合、書き手は自らの誤りを理解している。もちろん、この場合の書き手とは、それなりの人のことであることには注意すべきだが
 だから、読む側は誤字だの日本語がおかしいだの、また加えるなら、観る人は噛んだだの、滑舌が悪いだの言ってないで、素直に理解して楽しむべきである。これは書き手としてではなく、同じ読み手としてのアドバイスである。金銭と等価と思える程度は取得すべきだし、たいがいはそれが可能である。もちろん、相対的な問題なので、絶対ではない
 散々書いたあとになんだが、僕はプロではないので、僕が書くものに、それほど価値がないのだから、気楽に読めばいいのに、といつも思う

一人サミット

2008-07-11 | column
【倹約サミット】

 最近、僕は労働をしてなかった。労働をしなくなって、自分が思っていたよりも忙しかったことを知った。最近、ようやく、時間に余裕がとれてきたので、朝もそれなりに起きられるようになってきた

 まぁ、労働しないともちろん、収入はないわけで、貯蓄を食いつぶしてきた。ご承知の通り、今年はそれなりに倹約生活をしてたので、そっちの余裕はあったのだ

 とは言っても、この一月で、それをほぼ消費した。もともと、お金を長く持っておけないタイプだったけど、よく貯めた方だと思う。むしろ、先月から今月にかけて、贅沢をしすぎたので、今月、これ以上出費の予定が増えるようだとマイナス決算である。こりゃあ、学費のピンチですね

 これから、超貧乏生活を試みようと思いつつ、この一月の浪費癖が早々直るとは思えない。んー、働くしかないのか。まぁ、やらなきゃならないことは60%は終わったので、働きながらでも出来るに違いない

【環境サミット】

 最近、食料の問題が何かとニュースにでてるけど、環境問題→食糧問題ってゆうのは、もう数十年前から言われてることだし、そんなことを今さら知った顔して言っても何の自慢にもならないと思う。たまにいるよね、食料問題について熱く語る人。僕の師匠とかがそうだ。そんなこともしらないのかっていう態度で臨んでくるので、知っていても知っていない状態になってしまう。な、テラ?

 さて、食料を燃料にしようとしてるから明るみにでてきたんだと思うんだけど、解決する方法は至極簡単である。消費を制限すればいい。でも、まぁ、そんなことはきっとできないだろう。自由がなんだと言い出すに違いない

 自由といえば、よく、自由と平等は両立しない、という意見を聞くが、そんなことはない。そうやって考えてる人のたいがいは、自由も平等も1番に持ってこようとするからできなくなるのだ。本来、自由だとか平等だってゆうのは、最優先に持ってくるようなものじゃなくて、根底にあるべきものなのに。環境保護団体とか人権保護団体の一部は、これに当たるんじゃないだろうか。あくまで一部といっておくけれど。偏った考えは有益ではないでしょう。人間、バランス力が大切です

 で、自由と平等を両立させるには、両方を極力抑えればすむ話だ。自由とか平等とか主張しないようにする。ま、これもできないとこなんだろうけど

 解決する方法なんていくらでもあるのに、それが実行しえないのが問題だと思う。極論をいえば、国は民をガチガチに制限すれば問題は解決できる。そんなんは極論だけど。そもそも、国というのは、嫌ならすぐ変えればいいのに、それがしにくい社会ってのがいけない。今は領土に隙間がない。どこの国でもないところに住もうすると、なぜか制限。どこの国でもないはずなのに。昔は、その町に住みたくなかったら、その集落や壁内から出ればよいだけだったのに

 というか、最終的に、それに回帰していくだろう。どんどん閉鎖的な社会が増えていって、国というのは意味がなくなって、社会は国じゃなくて、企業の単位で統率されていく。フットボールでいえば、クラブチームたちがFIFAを無視して連盟を築くのと同じだ

 それがいつになるのかはしらないけど。これって、相当SFな話だよね。あれか、そのうち、宇宙に植民地を作り始めるのかなぁ

【食料サミット】

 僕の食料問題はといえば、うちの夕食は、しゃぶしゃぶが多くの割合をしめることだ。そりゃあさ、鍋でお湯わかして、材料切って、しゃぶればいいんだけどさぁ。具材買っておけばあとはこっちがやるさ。でも、週一とか、二とかでローテされても、しゃぶしゃぶの貴重さってのが失われるだけなのです。こっちは、味変で忙しい。いろんなタレとか作ったりとかさぁ。我が家の食糧危機

夏のセールまっただ中

2008-07-03 | column
【結婚】

 ドリカムの中村さんとハイマイ(勝手に省略。ホントは何?)のマーキーが結婚したそうで。かなり、世俗的な話題だけど、マーキーの声は、声は好きなので、よかったなぁと思います。中村さん、お幸せに

【衣服】

 我が所持、衣服、ユニクロの割合が5割を下回りました。奇跡!!!最近、制服をあんまり購入してないのと、在庫一掃処分のおかげですね。燃えるゴミ一袋になりました。これは、リユースに出すべきだな。そんなに汚れてないし、下手したら、1~2回しか着てないのあるし
 ユニクロ商品は、毎年3月と9月に、自社製品の回収を受け賜ってる。んん、日本語がおかしい?まぁ、よしとしよう。着ない服は無償で引き取ってくれる。さすがに金品とは交換できないが、FRにしては評価すべき活動だと思う。ま、年中やってこそFRだとも思うけど。リサイクルだけでなく、品質次第でリユースや、エネルギー化にもされる。でも、基本的には、リユースできるだろう。詳細はFRのCSR報告を読んでね
 今日、地下鉄を降りて、いつも通る地下街を歩いてると、修理屋さんがあるのに気付いた。考えてみれば、僕は使えなくなったら、直せるものでも、すぐ捨ててしまっていた。あんまり愛着とゆうものを持たないせいだろう。ダメだなぁと思った。直せるものは直して使おう。ってゆうか、そもそも物を大事にしよう。と思ってたら、いきなりケータイを開けたまま落として踏みそうになった。まったく、ダメだなぁ

【ロゴ】

 以前にも、ドコモの交通広告について話題にしたことがあったけど、今日はその続き。特に電車内での広告で占有広告の話。車両の広告が一社で占有してることがあるのだけれど、それ
 中吊りの一面にはデカデカとdocomoとあり、下方にひっそりと、〝混雑した車内では…〟とゆう文句があるだけ。つまり、企業ロゴがズバーンと乗ってるのみ。もう一面にはキャンペーンコンセプト〝Answer〟についての解説とクロスメディアツールだけ。これが6枚かかっていた
 車内の壁(上方)には、Answerの詳細が書かれたのが12枚。これ、あんまりおもしろくないね。窓にはロゴがついてて、それが8枚。席に近い壁には爆笑問題の広告が6枚。906のが6枚あった
 これにすべて企業ロゴがついてるので、一両中にdocomoの文字が38個あったわけだ
 知ってる人は知ってると思うが、ドコモのロゴが変わったので、新ロゴを浸透させたいのだろう。あの、ドコモレッドとゆう色で車内は染められてた。目の前にいた人はユニクロのショッピングバッグを持っていて、同化してた(笑)さらに、車内は壁は白、座席は朱色で、これまた統一感があった。これは果たして、戦術か偶然か。何にせよ、効果倍増だった
 認知を計るとゆうのは、大変なことなのだ。ブランドやロゴとゆうのは信用でもあるので、そうコロコロ変えるものではない。こうゆうイメージ戦略というものはしっかりと計画的にした方が、より早く結果は現れるだろう。でも、最終的には中身なんだけどね。中身がなくちゃ、どれだけ外面が良くても意味がない。だからこそ、中身があるもので、外面がうまくないものに関しては、どうも気にかけてしまう。基盤が出来る以上、あとはどう売るかとゆうのに比重はよっていくのじゃないかぁと思われる
 蛇足だが、去年、我が団体が名称を変更し、ロゴも一新した。が、未だに過去の名前で呼ばれたり、同じものだと思われてなかったりするようだ。こうゆうのは、当事者が徹底しない限り変わりづらいものである。僕は自分事には無頓着だからダメだ。でも、他人事となると、途端に一生懸命になる。そうゆう性分なのだ

落書きが落ちるから落書き

2008-07-01 | column
【ニュース】

 落書きのニュースが次々に発覚してますね。ただ、最近わかったみたいな報道の仕方はやめてほしいし、流行に乗ったニュースはやめてほしいものですね。僕はメディアには辛口です。バカは報道を担うべきじゃないのです
 ま、僕は世界遺産に落書きをするとは考えてもみなかったことなので、ファンキーですよね。でも、噂によれば、ペンを売ってる人がいたとかなんとか。本当のことは知ったこっちゃないけど。少なくとも、僕がフィレンツェに行ったときは、フィオーレ聖堂にはそんな人いなかったけどな。でも、日本人はいっぱいいるから、そんなこともあるかもしれない
 まぁ、誤解を恐れずゆうのなら、世界遺産だろうと、近所の塀だろうと、新幹線だろうと、落書きをするのがいけないと思って書いてる方がマシだと思う。何の気もなしに何かをすることは、少なくとも無産だし、別にどうでもいい行為だ。やるなら、良くも悪くも変化が合って欲しいですね
 そんなことより、あの近くにあるジェラート屋さんが上手いとゆうことだけ明記しておこう

【歌】

 あー、口内炎が治ったら、思いっきり歌いたいものです。口内炎が痛くて、アルデンテの稽古でも上手く台詞がまわせなかったし。僕の最大の弱点ですね、口内炎ってやつは
 3月に公演が終わってから、途端に肺活量が落ちたのはなぜでしょう。歌を歌っていても声が続きません。ひぃぃぃ
 治ったら、誰か一緒に歌いに行きましょう。最近、ミスターチルドレンを歌ってないので、久しぶりに歌ってみたいですねー

男はたまに、二度見する

2008-06-30 | column
 上唇の右下に口内炎ができて、口唇ヘルペスみたいな気分です

【観劇】

 劇団ちQぎの公演へ行って参りました。土曜の15時から。そして、日曜日の13時から。二度見です。火付け屋は再演で、ちQぎの公演をはじめて見たのが初演版だったので、なんだか、感慨深げです
 先日、ラジオ収録のときに、佐藤くんと話したんだけど、僕は、再演をしたいとは思わないタイプだ。結局、同じものしか作れないと思うから。やるなら、全面書き換えですね。とゆうことで、なんとなく、そんな気になって、あるお話を全面書き換えしてみました。今日、終えて、あとは校正だけ残った感じで。無産ですね、気持ちの問題です。ただ、あんまり、変わってないので、納得いかず。まぁ、こんなもんですか。いつかこれをやる日がくるのだろうか
 なんか、ちQぎを見てて、あの話を書き換えたいと思ったのですね。あのテンポ、あの台詞回し。懐かしく感じたのです。そう、あのアゲアゲの話ですね
 その後、稽古に行ったわけで。その前に、ウサポンといろいろ語ってみました。んん、必要なことを喋ることは大事なのですね。稽古はといえば、脚本が前回より更新されていました。麻雀はリアルに実施されるみたいです(笑)
 仮チラシがちQぎの公演に入ってましたね。ところで、僕は本当に出演できるのでしょうか。未だに実感がないとゆうか、正式決定なのか
 今年度は、僕はオーバーヒートしそうなぐらいやるべきことがあります

【小説】

 各社、夏に向けて、いろいろ企画を実施してますね。僕のおすすめを数冊、紹介しましょう

『詩的私的ジャック』森博嗣
『チルドレン』伊坂幸太
『シリウスの道』藤原伊織
『パラレルワールドラブストーリー』東野圭吾
『伊豆の踊子』川端康成

 詩的…、は星ヶ丘の某女子大S大と、我が母校、名門(笑)M大が出てきます。まぁ、名前はT大ですが。これは読まずにはいられませんね♪
 チルドレンは、伊坂さんの中でも読みやすい方だと思います。連作短編集だけど、僕は電車の中で読んで、声に出して笑いましたよ
 シリウス、は以前にも紹介しましたが、広告業界にリクルートされる方は読まれるとよいでしょう。結構なリアリティがあります
 パラレル、は最近、文庫カバーが変わりました。今のの方が内容と合っててよいですね。前の壁画みたいなのはちょっとねぇ
 伊豆の踊子。集英社版は、ジョジョでおなじみ、荒木先生のカバーですよ。まぁ、新潮社でも良いけど。川端先生は僕と誕生日が同じなのです。そうゆう選考の仕方です

【フットボール】

 スペインが優勝しましたね。もう、いい感じです。06W杯のイタリアも予想してましたから、2連勝ですね。でも、実際にはルーマニアをセレクトしてたので、勝負に勝って、試合に負けた気分です
 さて、あとは夏のメルカートが楽しみですね。ロナウドがレアルに行くだとか、チェルシー→インテルの大移動とか。とにかく、ラツィオが強くなればそれで良いのですが

【美術館】

 先週、愛知県立美術館へ行ってきました。今の催し物が、雑誌の表紙のデザインだったりしたのですね。ええ、勉強になりました。皆さんも行かれると良いでしょう

※日本政府、もしくは米式船渠

2008-06-18 | column
【食】

 僕ははまったらそれしか食べなくなる傾向にある

 今はアメリカンドッグだ。ドックだっけ?名前なんてどうでもいい。何がアメリカンかも知らない。けど、あいつ、なかなかうまいじゃん。もう、毎日一本だよ。今日は二本目いくかもだよ。この間は、ファミマのチョコパンだった。間近では、レタスだった。これには訳があるけれども

 食の話で思い出したけど、僕は、おやつに野菜を食べるタイプだ。きゅうりをカリッとしたり、スイカをジュルってしたり、イチゴをムシャったりする。甘いものは好きだけど、野菜のみずみずしさってのはたまらない。基本的に体が乾いてるせいかもしれない

 とにかく、偏るってのは僕の特長なのかもしれない。視力も左目に偏ってる。右目はかなり見づらい。もう慣れてるからどうってことないけど。鼻のバランスも悪い

 ただ、偏ってないなって思うものもある。好きになるタイプ。これだけは普遍だ。O型は、来たもの拒まず、去るものは追うらしい。まぁ、当たらずとも遠からず。でも、もう少し、自分の好みのタイプってのがわかれば恋愛ってしやすいんじゃないかなぁと、少し思った