外れ者たちによる街の記録。
昭和昨日町ー放浪記
トゥーリア(TURIA)


今日のつぶやき
ZYXROT(ジロー)。マルチアーチスト/詩人。
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トゥーリア(TURIA)は1987年(昭和62年)5月8日に、東京都港区六本木7-13-7(外苑東通り沿いの当時防衛庁前)に開店した高級ディスコである。レイトンハウスの名称でレーシングチームの運営やアパレルの展開などを行っていた丸晶興産が経営していた。
「トゥリア」とはギリシャ語で数字の「3」という意味である。
概要
総床面積392平方メートル、収容人数約800人。当時高級ディスコブームの代表的存在であった。
アレンジャーは空間プロデューサー山本コテツ。内装を手がけたのは映画「ブレードランナー」の美術コンセプトを担当したシド・ミード。近未来惑星に故障した宇宙船が不時着したというコンセプトで、宇宙船を模した照明が天井からつり下がる構造だった。店自体は未完成のままオープンし、少しずつ「改修」して3年後に「完成」したところで閉店する計画だった。
だが1988年(昭和63年)1月5日、吹き抜けの2F天井から照明が落下し死亡者3名、負傷者14名を出す事故を起こし、開店からわずか1年足らずで閉店した。
詳細は「六本木ディスコ照明落下事故」を参照
その後、現場検証が終了した後に建物はすぐに解体され、跡地はパチンコ店となっている。この店の軒先には現在でも慰霊碑代わりの地蔵が立っている。
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%B3)
2012年1月 6日 (金)
トゥーリアとディスコとバブルと私
1月5日は『トゥーリア・照明器具落下事故』の日。
(Wikipediaの記事へのリンク)
1988年のこの日、六本木のディスコ、『トゥーリア』で名物の昇降式ペンダント型巨大照明器具が落下し3人が死亡、14人がけがをした。
この照明が墜ちた。そりゃ、死ぬわ。
1988年というと、バブルもディスコも絶頂に向けて昇っているのか墜ちていくのか、訳のわからない熱狂の中で踊っていた頃だ。 死人が出ているので、ざまあみろとは言いにくい事故なんだがあの時代はなんだったんだろう。 しかし、笑わないで欲しいが、この時代私ですら、『ぢすこ』に行ったことがある。 『なんで金を払ってこんな拷問を受けないといけないのか』と、正直思った。
変な時代だったなあ。
この事故のあとも、ディスコでは単に『踊る』という機能だけではなくVIPルームで酒飲みながらフロアを見下ろすのが偉いとかジュリアナのお立ち台でセンスを持って水芸するのが偉いという変態じみたベクトルで、滅びの道を駆け抜けていく。
変な時代。そもそも、この事故自体が不思議な話だった。写真にある照明器具は重量1.8tもの巨大なものだがアメリカ製で、舞台や映画でたくさん使われていて、ホラ、ありがたりなさいよ、という触れ込みだった。 事故が起こったとき、アメリカのバリライトの社員がすっ飛んできたそうだが、調べてみたら全然偽物。腹を抱えて帰ったそうである。
Wikiprdiaには、この事故の原因が『設計上の想定頻度以上で動かしたのでモーターが壊れた』とか、眠たいことを書いているがこんな事、工学系の人間が書く文章なら許さない。何トンの照明であっても、その安全をモーターの根性と頑張りに頼っていたような書き方だ。モーターが焼けようが、停電になろうが津波をかぶろうが器具を支えるワイヤーは絶対にロックされる、という当然のフェールセーフが出来ていなかっただけだ。ふざけんな、馬鹿。そんな『原因分析』じゃ死んだ人も浮かばれまい。 バリライト社に鼻で笑われた、トゥーリアはこの事故を機に閉店。運営していた丸晶興産という会社も、いまはない。『レイトンハウス』というブランドでF1にも出ていたのだが、これもない。ザ・自業自得。
そもそも、いまや、ディスコというものがない。
いまの若い衆に『最近の人もデスコでフィーバーするのかい?』なんて聞いたら、笑われてしまう。聞かないけど…
クラブ、というのだ。平板口調でアクセントを『ブ』に置く。ディスコと同じように、酒を飲んで曲とともに踊るのだが、なんと、ディスコと違って終夜営業である。ディスコは、ソープと同じく風営法に引っかかるので夜12時に閉めないといけないが、クラブはそうではない。そこは、のりピーがラリってDJをやっちゃうような無法地帯なのだそうだ。おおこわい。まあ、ディスコでも、クラブでもいいけどね。
曲と一緒に踊りたいというのは、村祭りの盆踊りの頃から同じだ。若い衆は、目をつけていた娘とともに繁みの中に消えていく、というところまで同じ。しかし、バブルをリアルタイムで知っているというのはおそらく幸福な体験ではないのだろう。私自身は『バブル世代』よりも年上だし、何しろこんな性格だからそこに入って泡まみれ、ということにはならなかったんだけど曲を聴いて踊るのが楽しい、って気持ちは、わからなくもない。酒とクスリが入って音楽と一緒に踊れば、ナンパの一つもしたくなるだろう。でも、もちろん今更クラブなんか行かない。というか、入れてもくれないだろう。
昔のディスコでも、入口で『黒服』のチェックを受けて合格しないと入店さえさせてもらえなかった。トューリアというのは、そういう『高級ディスコ』だった。どんな商売も、ある程度普及すると『差別化』という事をする。ガキの頃なじみだった八百屋が久しぶりに帰省してみたら息子が継いでいて有機野菜とフレッシュハーブばっかり売っていて、『あたしってば「おうちカフェ」みたいな生活をするの。』なんて、『てめえの脳みそに虫がわいてんじゃねえのか?』という変に気取ったおばさんを集めたりするようなものだ。ビジネス用語でいうと『クラスファイされたカスタマーをディファレンシエーションする』というのだそうで、うるせえよ。こんな文章を書いてるから社会的な成功はないのだなと思うと、ちょっと切ない。従って、ディスコでもクラブでも、世代やファッションで客を選ぶようになる。 クラスの班分けで『お前。入れてやんねえよ。』というガキのいじめと同じだ。 余計腹立つ。
で、結局 今日の結論は一体何だ?というと、『私はディスコが大嫌いだ。』ということ。ついでに、バブルも嫌いだ。変な時代だったよ。あれは…
なつやすみ
http://natsu00117.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9d8f.html
DANCE HALL
【トゥ-リア】
■所在地:東京都港区六本木7-13-7■経営:トゥーリア企画■床面積:970㎡(バー・ディオ、レストラン・エナ込み)■オープン:1987年5月8日■総工費:想定約8億円(建物込み)■総合ディレクション:山本コテツ+その他■イメージデザイン:ジド・ミード■設計:キュービックデザイン+その他
■ コメント ■
ディスコ史上、最も話題を呼び、最も悲しい事件が起きたお店です。
私自身、当然このお店には行った事が無く、聞識(見は無い)でしかありませんが、ご覧のとおりすごい内装です。
バブル絶頂にレイトングループ(本業は不動産、アパレルのレイトンハウスやF1なども手掛け、ブルーグリーンみたいな色のレイトンカラーが有名)が企画し、テナントビルに入るのではなく建物から建築したそうです。
私の記憶では、『ヴェルファーレ』の真向かいにあるビルで、1995年くらいに1階でカジノ営業していたような?
同ビルにディスコ・バー・レストランの3店舗が入居していますが、図面を見るとそれらに合わせてかなり複雑な設計や吹き抜けを多用しており、88年1月5日にあの悲惨な事故があり1年あまりで閉店し、その後、この間取りでは店舗業態変更しぬくかったと思われます。
2005年あたりから、バブルのキーワード(日経平均株価・投資ファンド・不動産価格・会員制・F1JAPANなど)が鼓動しはじめたように感じるのは私だけでしょうか?
DANCE HALL
http://www.geocities.jp/maharajastory/22turia.html
六本木ディスコ照明落下事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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六本木ディスコ照明落下事故 日付 1988年1月5日
時間 21時40分頃(JST)
場所 東京都港区六本木
死者・負傷者
3人死亡
14人負傷
六本木ディスコ照明落下事故(ろっぽんぎディスコしょうめいらっかじこ)は、1988年(昭和63年)1月5日に東京都港区六本木7丁目の高級ディスコ「トゥーリア」で発生した照明装置落下事故。
事故の概略[編集]
事故発生の場所は東京都港区六本木7-13-7にあったディスコ「トゥーリア」である。
このディスコの2階天井には、天井の巻取ドラムから直径6ミリのワイヤー8本で吊られた可動式大型照明装置[1]があったが、1988年(昭和63年)1月5日21時40分頃、巻取ドラムのワイヤーが過剰な荷重を受け瞬時に全数切損し、吹き抜けとなっている地下1階のダンスフロアまで8.2メートル落下するに至った[2]。
女性13名・男性4名の計17名が照明装置の下敷きになり、目黒区の看護自衛官(21歳女性)、桐生市の予備校職員(26歳女性)、世田谷区の会社員(24歳男性)の3名が死亡、14名が負傷した。落下した照明装置は楕円形で中央部には何もない形状であったため、落下時に中央にいた来店客は運よく難を逃れた。当時このディスコのフロア内には約200人がおり、プロ野球選手の桑田真澄と当時スポーツメーカーカドヤスポーツの販売促進課長だった中牧昭二、さらに女優の相楽晴子、アイドルの栗原冬子(のちの羽鳥慎一夫人)がいたと報道される(桑田は事故の数分前に店を出ており難を逃れた)。
昇降動作の頻度は設計上4回/日であったが実際には15 - 20回昇降動作させていた[3]。
事故の影響[編集]
事故で負傷した一人の21歳学生は障害が残ったものの年金非加入であったことから無年金障害者となり[4]、国民年金未加入を理由に障害基礎年金が支給されないのは憲法違反[5]だとして、国側に不支給処分の取り消しと損害賠償を求め民事訴訟をしている。この事故を受け懸垂物安全指針・同解説が取りまとめられた。
脚注
1. ^ ストロボスコープやスポットライトが取り付けられ、上下に動かすことができ、長さ5.5メートル、幅3.5メートル、厚さ1.5メートルの楕円形で重量約1.8トンであった。アメリカ製のバリライトであると称していたが、この事故で国産のコピー品と判明している。
2. ^ 床から2メートルの高さでストッパーが掛かる設計になっていたがあまりの落下速度にストッパーは掛からなかった。
3. ^ ただし常連客の中には10 - 20回/時の昇降動作を行っていたという声がある。
4. ^ 20歳以上の学生は強制加入であったが1985年に任意加入とされた。
5. ^ 20歳以上の学生でない国民は強制加入であり、学生に対する差別であるとした。
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9C%AC%E6%9C%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E7%85%A7%E6%98%8E%E8%90%BD%E4%B8%8B%E4%BA%8B%E6%95%85
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