物陰に隠れ人を驚かせるときの声。
今日からなんでも食べられるー
昨日までは野菜果物中心、肉などは食べない生活を9月末から健康診断前の悪あがきでやっていた。
家の近くのすき家、幸楽苑などの外食に行くことも断ち、出来るだけコレステロールの低い食事を心がけた。
今、なんでも食べられる
といっても不思議と
野菜果物中心の食生活に慣れて、コレステロールの高い食べ物を食べようという気が今すぐには湧いて来ない。
とはいえ、何ヶ月か経ったら、またコレステロールの高い食生活に戻って、深夜暴飲暴食するようになるのかな。
昨日までは野菜果物中心、肉などは食べない生活を9月末から健康診断前の悪あがきでやっていた。
家の近くのすき家、幸楽苑などの外食に行くことも断ち、出来るだけコレステロールの低い食事を心がけた。
今、なんでも食べられる
といっても不思議と
野菜果物中心の食生活に慣れて、コレステロールの高い食べ物を食べようという気が今すぐには湧いて来ない。
とはいえ、何ヶ月か経ったら、またコレステロールの高い食生活に戻って、深夜暴飲暴食するようになるのかな。
又吉直樹の小説『人間』の連載が、9月3日から毎日新聞夕刊で開始した。
又吉初の新聞連載。
太宰治もやっていた新聞連載だが、どう感じているんだろう。
又吉初の新聞連載。
太宰治もやっていた新聞連載だが、どう感じているんだろう。
後世への最大遺物を読んだ
キリスト教徒の掘り返さないところをほじくり返す人だなと思った。
著者は無教会主義で知られた人だが、
まずもって無教会主義(教会行く必要あんの?という問題提起)自体、キリスト教徒はほじくり返さないところと思う。
お金の話やら
人の悪口やら
キリスト教徒ならあまり口にしない。
あ、これも悪口。
しかしながら、こんな癖のある人でも話の筋が強くキリストに向いてくるのは、優れたキリスト者なのだろう。
キリスト教徒の掘り返さないところをほじくり返す人だなと思った。
著者は無教会主義で知られた人だが、
まずもって無教会主義(教会行く必要あんの?という問題提起)自体、キリスト教徒はほじくり返さないところと思う。
お金の話やら
人の悪口やら
キリスト教徒ならあまり口にしない。
あ、これも悪口。
しかしながら、こんな癖のある人でも話の筋が強くキリストに向いてくるのは、優れたキリスト者なのだろう。
堀江貴文さんの"多動力"がAmazon会員なら無料だったので読んでみました。
サクサク読めます。
多動力とは何で、なぜ、今の時代必要で、どう身につけるべきか書いてあります。
多動力とは複数の仕事を同時にやる能力で、これからの時代は1つのスキル、1つの業界に固執することなく、幅広く仕事をすることが大切というようなことが書いてあります。
堀江さんは仕事で当たり前とされていることの問題点をこの本で指摘しています。
例えば、石の上に三年なんて馬鹿げてる。など
それを読んだ人が強い反発感を覚えることもたくさん書いています。
しかし、堀江さんが書くことにも一理あり、
堀江さんの書くことを拒絶するのではなく、
真摯に受け止めて、なぜできないのか?こうやったら自分の仕事に活かせるじゃないか。などと考えた方が新しい明日の自分に会えるヒントになる気がしました。
サクサク読めます。
多動力とは何で、なぜ、今の時代必要で、どう身につけるべきか書いてあります。
多動力とは複数の仕事を同時にやる能力で、これからの時代は1つのスキル、1つの業界に固執することなく、幅広く仕事をすることが大切というようなことが書いてあります。
堀江さんは仕事で当たり前とされていることの問題点をこの本で指摘しています。
例えば、石の上に三年なんて馬鹿げてる。など
それを読んだ人が強い反発感を覚えることもたくさん書いています。
しかし、堀江さんが書くことにも一理あり、
堀江さんの書くことを拒絶するのではなく、
真摯に受け止めて、なぜできないのか?こうやったら自分の仕事に活かせるじゃないか。などと考えた方が新しい明日の自分に会えるヒントになる気がしました。
芥川龍之介の3つの自伝的小説
大導寺信輔の半生
点鬼簿
或阿呆の一生
と
芥川の命日を河童忌というほど芥川を表した小説として有名な
河童
を読んだ。
大導寺信輔の半生に"独歩は恋を恋すと言へり、予は憎悪を憎悪せんとす。"と信輔は書いているがそんなことをしたら、心の闇に自分自身もろとも吸い込まれてしまうと。胸が締め付けられる気持ちがした。
小説、河童には生まれた時、老人で年を取るほど若返る河童が出てくるが、これは今では映画を通して知られているフィッツジェラルドのベンジャミンバトンを芥川は小説で読んだからであろうと思う。芥川もベンジャミンバトンを知っていたかと思うと嬉しくなる。
或阿呆の一生に火花と題する文章があるが、これにインスパイアされて、又吉先生は小説、火花を書いたそうである。それで芥川賞を獲るとは。
或阿呆の一生は冒頭の文章"時代"が一番共感できる。芸術を愛する青年の理想が美しい。
しかし、青年は歳をとるごとに自殺に向かっていくからだんだん、共感できなくなる。
或阿呆の一生には芥川が自叙伝を書こうとしたが、自尊心や懐疑主義などにより存外容易にできなかったことが書かれている。従って自伝的小説を読んでも、芥川の心の核心は深い謎の闇に包まれたままだった。