踊り子の雑記

マンガ「ハヤテのごとく!」を中心に、読み物のレビューをつらつらと綴っております。

ひーとーりーにーしーなーいーでー

2006-12-29 23:45:03 | マンガ・小説
      「ハヤテのごとく! 9巻」

最近ハヤテに毒されている(狂わされているとも言う)私。

というのも、少し前にこの執事ラブコメ漫画をほぼ全巻読む機会に恵まれたのが始まりでして。
いやもう、本当にパロネタのオンパレードで、そういう意味で笑いっぱなし。
ここまで露骨にやっちゃっていいの!? みたいなところもあったり。
個人的に一番凄かったのは、第84話にあったワタルのオススメDVDの表紙。

「……ここまで描いちゃっていいの?」と、単行本片手に吹きそうになりましたわ。

加えてこの漫画に惚れた理由は、サブヒロイン達がみんな魅力的でしっかり描かれているということ。
普通のラブコメだったらこうはいくまい、というほどに。

私としては、メインヒロインのナギやマリア以上に、ヒナギクといいんちょ(泉さん)を強く推したい。

この二人、本当に可愛すぎです。サンキュースパッツです。マジで。
今回画像に9巻の表紙を引っ張り出したのも、いいんちょこと、泉さんが可愛いからですとも。

……とまあ、いい具合に脳髄までハヤテに毒されちゃってます。

それと驚いたのが、作者である畑健二郎氏が、毎週サンデーのバックステージを更新しているという事実。

彼の師匠である久米田氏(「かってに改蔵」の作者です)もそうだったようですが、週刊連載を持ってる漫画家が、こうしてマメに更新するというのは極めて大変な気がするのは、私だけでしょうか?
他のサンデーに連載している漫画家さん達と比較すると、その凄まじさが分かると思います。読者との接点をなるべく多く持ちたいという同氏の思いが伝わってくるようです。

そういう点でも、畑健二郎氏に好感を抱いている私。アマゾンなんかのレビューでは、この作品の絵が上手くないなどと批判されてますが、五年後にこの人が書いているマンガはきっと、今よりもっと凄くなっていると勝手に確信して楽しみにしていたりします。

是非是非、この作品を描き尽くすところまで描いてほしいです。駆け出しの作家さんにとって何より大切なのは「一つの話を描き切ること」だと、以前も日記に書いた気がしますが、そういった意味でも、同氏を応援していきたいですね。

というわけで、みんなもハヤテに毒されよう!

……かくして、私はいいんちょに萌えつつ、年を越そうとしています……

ああ、萌えで思い出した。冬コミに参加してる皆さん、頑張ってくださーい。
なんといっても今年は晦日までありますからね。

これが戦争なのだ、と

2006-12-06 11:00:24 | マンガ・小説



荒川弘の「鋼の錬金術師」15巻をコンビニで立ち読み。

いや、買ってません。緊縮財政です。すんません。

今までもハガレンは断片的にしか見てなかったので、今回もかる~く立ち読みしようかという気味合いだったのですが……

正直、この巻の中身は凄まじかった。

この15巻の中心は、それまでも作品の各所で回想的に取り上げられていた「イシュヴァール殲滅戦」について。ハガレンの世界観において、おそらくは最も悲惨を極めた、ひとつの民族を丸ごと殲滅させたという「戦争」である。

作品全体をかんがみると、これはあくまで「過去話」であり、主人公であるエドもアルもほとんど登場してこない。そんな点から「果たして一巻まるまる使って描く必要があったのか」と論じられることもあるかもしれない。

まして「ハガレン」は月刊誌に載せているわけだから、そのスパンで考えれば賞味10ヶ月近くにわたって、この戦争について語り続けたことになる。確かに非常に長い。別にこの漫画の本質は「戦争」ではないわけだから、なおさらだろう。

しかしながらワタシ個人としてはこう考えたい。

漫画家・荒川弘は「戦争というものを漫画で描くのならば、これだけのスパンを用いて、ここまで真正面から描ききる必要がある」という考えのもとで、この「イシュヴァール殲滅戦」を描いていったのではないか。

世に戦争モノを題材にした作品はゴマンとある。その多くは、戦争を美化するか醜化するかのどちらかに傾倒しているとワタシは個人的に思う。

美化された戦争は、英雄譚やら戦記的な意味合いをもって俯瞰的に語られる。
醜化された戦争は、戦争そのものの愚かさとか無意味さとか、そういうものを提示するために、それに密着した状態で語られる。

これらの描き方を悪いとは、ワタシは決して言わない。ワタシだって戦争モノは普通に読むし。エンターテインメントであるという大前提が、漫画や小説にはあるわけだから。

だが今回のハガレンは、その作品そのものが「戦争」を中心的なテーマに据えていないがゆえに、非常に冷徹に戦争というものを描写していると感じる。ただただ、戦争というものを冷徹に、真正面から描ききっている。そんな気がする。

戦争を否定したり肯定したりしているのは、あくまで作中の人物たちである。

で、そういう状態だと、普通のこの作品なら悪役にあたる人物達の言葉が非常に真実味を帯びてくる。
キンブリーは戦争という状態において苦悩するロイやリザを「自己満足」と評して笑う。

「あなたはなぜ戦争で人を殺すのか」

そう問われて「上官の命令で仕方なく……」などと答える兵士は、彼にとっては嘲笑の的でしかない。

殲滅戦を指揮・遂行するブラッドレイは、身分も社会的地位も関係なく、すべてを殲滅する、ある意味究極のヒューマニズムの持ち主。

神をも恐れぬ彼にとって、形而上学的な神は信じられても、宗教上の救済の神など、虚像以外の何者でもない。

荒川弘はとことんまで描ききる。どちらか一方に加担することも贔屓もなく。最終的に描くべきは「戦争」ではなく、戦争という狂気の中に放り込まれた「人間」そのものだということを、この筆者は知っている。

そして我々は、こうして描かれた「戦争」が実際に世界のどこかで、今日も起こっているという事実を突きつけられ、背筋を震わせずにはいられない。
読み手にそこまでの視覚現像を与えられる。まさにビバ・ハガレンである。

「だからこそ、人間はもっともっと、賢くならなければならない」そんなことを思った今日この頃。