踊り子の雑記

マンガ「ハヤテのごとく!」を中心に、読み物のレビューをつらつらと綴っております。

アマゾンの虜

2006-07-18 00:06:54 | 踊り子の雑記
普通の本屋ではなく、アマゾンで書籍を買い求めることが最近は多くなってます。

先日書いたサイモン・シンの「暗号解読」もそうでしたし。

卒論の資料集めにも一役買ってもらっています。

いや、実は自宅から徒歩1分にも満たない場所に、区立の図書館がちゃんと存在してるんですがね。どうして図書館を利用しないかというと、まあ、答えは簡単。

借りたら確実に延滞するからです。

それに図書館で本を借りても、期日までに読み終わらないんですよね。
でもなぜだか、自分で購入した本の大半は、一週間以内に読み終えるんですよ。この人は。
まあ、メンタル的ないろんな理由はあるんでしょうが、詳しいことは知りません。

ただ、大極宮でも有名な、日本を代表する小説家の大沢在昌氏が、たしかどっかの記事に興味深いコメントを載せてた気がします。(うろ覚えだからもしかすると間違ってるかもしれませんが悪しからず)

そのコメントによると、同氏は「あまり図書館は好きじゃない」んだとか
別に作家という立場から「本は借りるんじゃなくって買ってくれ」ということではなく、純粋に自分が本を読む際のことだそうで。

書籍は確かに高価だけれど、高価なりに買う価値のあるものではないのか。本当に高価で自分では買えない業書とかならまだしも、文庫本のようなものを図書館で「人のもの」として借りて読むのはどうしても息苦しい。
常に自分の手元にあって、安心して読めてこそ、本の真価が表れるのではないか。

……みたいなことを仰られていた気が。いや、確かかは分かりませんけども。
でも、わちきもこれには同意できる点があります。

中高生の頃はそうでもなかったのですが、当時より読書に費やせる時間がないかわりに、金銭的に少しは余裕のある今の方が、自分で本を買おうとする欲求が強まっている気がします。

昔は、本屋よりも図書館の方が居心地がよかったんですがね。今は逆転しつつあります。

でも、本屋にはいつも自分の望む本が置いてあるわけじゃあない。

だからアマゾン

……というわけで、自分がネットショッピングにはまっている理由を正当化するために、わざわざこれだけの字数を割いたのでありました……


俺の頭の中、かなり暗号

2006-07-16 01:26:06 | 踊り子の雑記
とあるブログで、サイモン・シンの「暗号解読」が紹介されていたので、実際に購入して読んでみたこの人。

いや、これは非常に面白い。暗号なんてものには殆ど興味のなかったワタクシですが、500ページ弱もあるハードカバーを、3日程度で読み終えてしまった。

なによりまず、扱っている内容はやたら数学的なのに、非常に分かりやすいのが一点。かつて高校の数学で頭をパンクさせていた私にも、簡単に理解できるんだから間違いない。

その上で実際の歴史に即して語られていく暗号作成者と暗号解読者との応酬が、まるで一種のドキュメンタリーのようで、思わず次のページをめくる手が伸びます。

本の中盤に書かれている、第二次大戦中のドイツの暗号機械エニグマの解読に立ち向かったイギリスの暗号解読者達の活躍が、個人的には本の中で一番面白いと思いました。

まあ、分厚いハードカバーでも、面白い本は面白い、ということですな。ワタクシも昔ハリー・ポッターを初めて手にしたときには、こんな分厚いハードカバー、読むのにどんだけかかるんだ? と思ったりしたけど、結局一夜で読み終わったし。でも、炎のゴブレット以降はよんでないけどね。

ちなみにこの本「暗号解読」は「長戸有希の百冊」という百の本のリストの中にある一冊です。長門有希とはもちろん、あの長門有希です。

まあ、早い話がこれもまた、ハルヒつながりなのよ。ということで。

「俺の頭の中、かなりハルヒ」と言うべきなのでしょうな。ここは。

ただし注意してほしいのは「全てハルヒ」ではないのです。

だって鶴屋さんと長門さんがいるから!!!

……失礼しました。

誰だって考えるよね、一度は

2006-07-14 20:39:29 | 踊り子の雑記
ずいぶん前に購入した本ですが「4コマ哲学教室」という本がございます。

個人的には、高校生や大学生に、大人になる前に一度は読んでほしい本です。
筆者は高校で倫理を教えているのだそうですが、その際哲学を説明するための副読本として、この本を刊行するに至ったのだとか。

実際哲学書というのは、副読本がないと理解するのはかなりきついと思います。まして高校生が勉強するのならなおさらに。

ちなみに私は高校時代、社会科で政経を選択したから倫理は習ってないのですが、倫理を選択してた友人が相当苦しめられていたことは覚えています。

私自身、堕落学生ではありますが、大学生の端くれとしていろいろ文献を読んできました。そのとき常々浮かぶのが

読んでも意味わかんねえよ!

という心の叫びです。中には、文献を差し出した当のゼミの教授ですら、すべてを理解できない文献もあったりして……哲学書だと、その辺が余計に顕著なんじゃないかな。

だからこそ、原書を理解するための副読本は必要不可欠でしょう。

この本を読むと、大学で断片的に教わっていた社会学や哲学の思想が上手いこと理解できたんですな。いや、久しぶりに買って得したと実感できる本でした。

いろいろ言いましたが、とにかく分かりやすいの一言です。でも言ってる内容は哲学的で、ものすごく深いんです。これなら高校生でも大丈夫でしょう。

所属しているゼミがそういうゼミだから余計に実感するのですが、基本的に世の哲学者や社会科学者が考えていることって、実際の生活には殆どあってもなくても関係ない問題だったりするんですよね。

法学や経済学、工学や理学といった分野は、人々の生活にダイレクトに影響してくるけど、哲学とかはそうじゃあない。でもって、明確な解答が出る問題でもない。というかむしろ、考え続けることに意味があるというべきか。だから、実利に即して考えれば、実用性はゼロに等しい学問なのかもしれません。

しかし、この本に書いてあることって、誰でも一生に一度は考えて、悩むことだと思うんですよね。

「自分はどうして生きているの?」
「自分は何のために生きてるの?」

小学校か中学校の頃「人には必ず、生きていくうえで何か役目があるんだ。そしていつの日かは分からないが、その役目を知るときがくるのだ」と、誰かが言っていた気がするし、それを自分も信じていた気がする。

しかし、それって、安易に答えを知ることができるものじゃないし、果たしてそう断言できるものじゃないよな。とこの本を読んで、最近は思うようになりました。

でも、分からないからといって、答を探すという行為を止めてしまってはいけない。ひたっすら考え続けろと。答が出たと思っても更に考え直せと。そういうことなんじゃないかな、と。

「人間は考える葦である」というパスカルの言葉を信じるのであれば、ひたすら「考え続ける」ことを止めない哲学という学問は、まさに人間にしかできない、人間だからこその学問なんでしょうね。と思ってみたり。

なんだかずいぶんと真面目にブログ書いたなあ、今日は。
で、この人の文章は真面目に書けば書くほど分かりにくくなるのでした……

人形と書いてなんと読む?

2006-07-13 04:27:55 | 踊り子の雑記
いやね、検索してみたんですよ「人形」とか「人形劇」とかをキーワードにして。ほら、自分いちおう人形劇サークルの一員だし。ちょっと試みにやってみたのですよ。
そうすれば普通だったらこういうところとか、こういうところが真っ先にヒットするんじゃないか、と思ったのですが……。

以前一度検索したとき、フィギュアやらなにやら「そっち系」のサイトばかりがヒットしたもので。

まあ、単純に「人形」って検索すればそうなるのも不思議はないんでしょうけど「人形」と問われて真っ先に「フィギュア」が思い当たっちゃう時代ってのもどうなんだろうなあ、と。ふと思ってしまったもので。

ちなみに、以前は「人形劇」を題材にして卒論を書こうかと考えていたこの人ですが、この時期、この段階に至ってついに断念したご様子。
テーマを大幅に変更し、教授に相談しなければならない状況に。うまくいけば御の字ですが……
まあ、やるしかないっすね。

追伸:エターニアの自動戦闘はいまだに続いております。ほら、殆ど自動戦闘だから、自室にいる間中、ゲームを流しっぱなしで、画面を殆ど見る必要がないというわけで。昨日は授業全然なかったし。……最悪ですね

それにしても、火晶霊の谷でレベル45って、やりこみようとしてどうなんでしょうね。やりすぎ? それともまだ甘い?

もう一人のハルヒ

2006-07-12 03:05:13 | 踊り子の雑記
いや、ハルヒはハルヒでも、涼宮さんではありません。藤岡さんの方です。
ハニー先輩に言わせれば「ハルちゃん」です。

……って全然分かりませんよね、はい。正解は「桜蘭高校ホスト部」でした。
そういえばこの漫画も「涼宮ハルヒ」と同時期にアニメ化してたんだった。
いや、私はアニメは殆ど見ませんでしたが、こないだサークルの部室に行ったらね、なぜか置いてあったんですよ。5巻くらいまで。

で、暇だったもんだからついつい読みふけってしまった、と。

いや、内容はそれなりに面白かったですよ。基本的にコメディ路線の話なので気楽に読んでいけますし。

個人的には主人公のハルヒと(念のためにいっておきますが「藤岡ハルヒ」です。「涼宮ハルヒ」ではゴザイマセン)ハニー先輩が好きですね。

ただ、話が個人的に面白かったのせいか、私が少女漫画を読む際にどうしても覚えてしまう個人的な感覚が顕著に現れて見えました。というのも

私は、他の少年漫画と比較して少女漫画が読みにくく感じることが多いのです。

この「ホスト部」を読んでみて、この原因のようなものがおぼろげながらに掴めてきた気がしました。

つまり、こういうことなのだと思います。

少年漫画は「絵を見せる」漫画なのに対し
少女漫画は「絵を読ませる」漫画である


基本的に少女漫画は線画が細く、描写も細かいです。そしてその細かさゆえに、コマの随所に細かい書き込みがあったり、それほど大きくない1コマに多くのキャラを描くことも可能です。つまりコマの中が賑やかです。


一方少年漫画はというと、力強さを見せる意味もあるのでしょう。太く、力強い線画が目立ちます。代表例としては、初期のナルトやアイシールドあたりでしょうか。コマ割りや大ゴマをふんだんに活用した、迫力のある絵が特徴的です。

この特徴ゆえに、少年漫画を読むと、絵を見るだけで状況を把握して、次々と頁をめくっていけます。しかし少女漫画は、頁に描かれた細かい絵に加え、セリフにも目を配り、読み進めていく必要があります。

おそらくそこに生じる煩雑さが、わちきが少女漫画を読み進める上での障害になっているのやもしれません。

無論、この違いはジャンルにも問題があるのやもしれませんが。
戦闘描写の多い少年漫画では、絵でいかにその迫力を見せるかが勝負どころですが、恋愛や学校生活が主に描写する少女漫画では、感情の機微をセリフも利用してより的確に描いていく必要があります。

まあ、どっちがいいとかの問題ではないですし、あくまでも私見ですから断言はできないのですが。絵の特徴はどうあれ、ホスト部はおもしろかったし。

まあ、雑誌のジャンルが違うと、作画がこうも様変わりするものなのだねえ、と驚いている今日この頃というわけですな。

追伸:実はこのブログ書いてる傍らで「テイルズ・オブ・エターニア」の自動戦闘(CPUにまかせっきりのオート操作)をし、レベル上げしているこの人。

シャンバールの周囲ででレベル35ってのは、やり込み度としてはどれほどのものなんでしょう?
いや、分かる人だけ分かってくだされば結構です……