42年間生きてきた自分の集大成を表すような夢をみた。
思えば私の人生は自分の思うが儘に周りが合わせてくれる。
そんな自己主張の強い、今でいえば個性と称賛されるのか?
人並み外れた協調性のない、自我を重んじる生き方。
そして、細かいところだけに神経質で、自分が得をしないことには興味が湧かない。また、自分が楽しければ、例え無利益な行動も許せる。
そんな私らしさ・・・。自分と関わってきた人々が思わず「その通りだ」と頷いてしまうような人格。
それを改めて垣間見るような夢であった。
何しろ夢であるから詳細ははっきり書けないが、幼い頃から協調性に欠けていた私は俗にいう「あまのじゃく」で、他人と反対のことを求める習性があったことを認識させられる。
一般的に思春期の頃に現れる反抗期だが、私は生まれついた時からそれを持ち合わせていた。
その反面、陰ではごく普通の一般的な人々と調和したいし仲間になりたいと思ってきた。
一見頑固一図で自分の意思が一番、その意思を貫き通そうとするのが私自身かと思われがちだが、実は自分の意思は存在せず常に他人に流されている。そんな優柔不断で中途半端な人間性を秘めている。
だからそれを見抜いた人々は私の元を去っていくし、私も立ち去ろうとする。
夢の中でも私は自我を貫き通していた。絶対に相手に屈しない、自分でも実に一貫したその姿勢に感心してしまうようなストーリーだった。
小説家の最期は自殺が多いことはみなさんご存じであろうが、別に小説家のような繊細な頭脳を持ち合わせていない凡人でも、時として他人には想像を絶するような人間不信や自己嫌悪に襲われ自ら命を絶つのだ。
実は私、太宰治の「人間失格」は読んだことがないのだ。いや、読むのが怖いのである。それによくも知らないのに三島由紀夫の割腹自殺に至るまでの軍国主義者に憑依されていたかのようなクーデターの真意を知るのが怖い。
私は常日頃、自ら命を絶ってしまった数多くの人たちの名前ばかり思い出してしまう。まるで私の最期に導かれるように。私の最期はまだおとずれていないのだが、結果そうなりそうで実に怖い。
今私に求めるのは本当の自分自身を知ること。そしてこれからその答えによってどう対処していくか、いわば自分探しの時間だ。
それを知った時、私はこの世から姿を消しているかも知れない。
いや、それを知る前に神に与えられた天命を待たずして今抱えている病気により志半ばに最期を迎えるかも知れない。
一つの夢で、朝から考え込んでしまった。
結論からいえば、本当は自分自身を知りたくないのに追及することを促すような夢を見たこと、それが良いのか悪いのかよく分からないのである。
思えば私の人生は自分の思うが儘に周りが合わせてくれる。
そんな自己主張の強い、今でいえば個性と称賛されるのか?
人並み外れた協調性のない、自我を重んじる生き方。
そして、細かいところだけに神経質で、自分が得をしないことには興味が湧かない。また、自分が楽しければ、例え無利益な行動も許せる。
そんな私らしさ・・・。自分と関わってきた人々が思わず「その通りだ」と頷いてしまうような人格。
それを改めて垣間見るような夢であった。
何しろ夢であるから詳細ははっきり書けないが、幼い頃から協調性に欠けていた私は俗にいう「あまのじゃく」で、他人と反対のことを求める習性があったことを認識させられる。
一般的に思春期の頃に現れる反抗期だが、私は生まれついた時からそれを持ち合わせていた。
その反面、陰ではごく普通の一般的な人々と調和したいし仲間になりたいと思ってきた。
一見頑固一図で自分の意思が一番、その意思を貫き通そうとするのが私自身かと思われがちだが、実は自分の意思は存在せず常に他人に流されている。そんな優柔不断で中途半端な人間性を秘めている。
だからそれを見抜いた人々は私の元を去っていくし、私も立ち去ろうとする。
夢の中でも私は自我を貫き通していた。絶対に相手に屈しない、自分でも実に一貫したその姿勢に感心してしまうようなストーリーだった。
小説家の最期は自殺が多いことはみなさんご存じであろうが、別に小説家のような繊細な頭脳を持ち合わせていない凡人でも、時として他人には想像を絶するような人間不信や自己嫌悪に襲われ自ら命を絶つのだ。
実は私、太宰治の「人間失格」は読んだことがないのだ。いや、読むのが怖いのである。それによくも知らないのに三島由紀夫の割腹自殺に至るまでの軍国主義者に憑依されていたかのようなクーデターの真意を知るのが怖い。
私は常日頃、自ら命を絶ってしまった数多くの人たちの名前ばかり思い出してしまう。まるで私の最期に導かれるように。私の最期はまだおとずれていないのだが、結果そうなりそうで実に怖い。
今私に求めるのは本当の自分自身を知ること。そしてこれからその答えによってどう対処していくか、いわば自分探しの時間だ。
それを知った時、私はこの世から姿を消しているかも知れない。
いや、それを知る前に神に与えられた天命を待たずして今抱えている病気により志半ばに最期を迎えるかも知れない。
一つの夢で、朝から考え込んでしまった。
結論からいえば、本当は自分自身を知りたくないのに追及することを促すような夢を見たこと、それが良いのか悪いのかよく分からないのである。
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