寒い。昨日からめちゃくちゃ寒くなってきましたよね。僕、寒暖差に負けてしまうんです。体質的に。季節の変わり目とか、すごく苦手。皆さんは体調崩されてませんか。元気に年末を過ごして下さいね。
皆さんからのコメント、本当にありがたく読ませていただいてます。〈宝塚のだいさん〉お気遣い、本当にありがとうございます。〈あらかねマニアさん〉直接伝えたかったことを教えて下さい!(笑)〈Poldiさん〉新井選手は体調を崩していたので、「大酒」ではなく、ずっと「ホットコーヒー」を飲んでましたよ。そして〈新井さんLOVEさん〉宜野座キャンプに来られるんですか?僕は行けるかどうか分かりませんが、見かけたら、話し掛けちゃってください(笑)
オフは広島へ行くことが多くなるんです。アニキ党なら知らない人はいないと思いますが、広島のジム「アスリート」は金本選手の原点とも言える場所。新井選手も広島時代から自主トレ拠点にしてますしね。06年オフには、金本選手を追うように、狩野選手がアスリートに入門。翌年のオフから庄田選手も広島通いを始め、今年は野原祐也選手も「金本さんとやらせていただきたい」と広島組に加わりました。ここに広陵高校出身の上本選手、育成の田中選手も「アスリート」で自主トレをする。虎戦士が7人も広島にいる。行く機会が増えて当然ですよね。
当然、カープの選手も「アスリート」に10数人在籍する。倉、石原、広瀬、東出、天谷、小窪…。サンフレッチェ広島の選手もいるし、いつ行ってもジムは賑やかなんですよ。
金本選手、新井選手らが毎年、元日に「アスリート」で始動するのご存じですか?来年もやるそうです。必然的に僕はここ数年、元日は広島で過ごしています。元旦から働くのって大変そう…皆さん、そう思われるでしょ。これがね、そうでもないんですよ。元日の新幹線は見事にガラガラで快適だし、トレーニングの後、金本選手と昼食に出掛けるのも恒例で、年始の楽しみになってます。
熱心なファンの方が遠方から元日に「アスリート」に来られていて、びっくりします。「アスリート」の前に関西ナンバーの車が並ぶ光景にも慣れました(笑)。
一昨年だったかな。おせち料理を金本選手に手渡すファンもいたり…。元旦から阪神ファンは熱い!(笑)
ここで野原祐也選手の話をひとつ。今年の甲子園の最終戦。祐也選手は僕に言ってきました。「金本選手と自主トレをやらせていただきたいんです」。僕はちょっと驚いて、「ほんまに?」と聞き返しました。すると祐也選手は「いえ、ウソです!冗談です!すいません。そんなの絶対、無理でしょうから」と。「え?どっち?本気なら金本さんに言ってみるよ」と言うと、「本当ですか!?でも、そんなこと…大丈夫ですかね…」と伏し目がちになったので、「祐也なら、金本さんもOKするよ」と返事しました。結果?もちろん、金本選手は「来いよ」と快く受け入れてくれましたよ。
今月はじめ、野原選手と一緒に「アスリート」へ向かっているとき、06年オフに狩野選手と新大阪で待ち合わせをして、2人で広島に行った時のことを思い出しました。「このままじゃ自分はプロとして終わってしまう。何かを変えたいんです」―。金本選手に弟子入り志願した狩野選手は、当時まだ2軍の捕手。年俸600万円では、広島往復の新幹線代や宿泊代、ジムの会費、サプリメント代でさえバカにならない。それでも狩野選手は広島通いを貫き、金本選手の背中を追い掛けた。広島でよく2人でメシを食った。「風さんごめん。給料が1000万超えたら、僕がおごるから。きょうは甘えていいかな」。「気にせんでええよ。恵輔が稼ぐようになったら、たくさん、うまいもん食わせてもらうから(笑)」。そんなやりとりが懐かしい。
そんなオフを経て、迎えた07年4月20日の巨人戦(甲子園)。延長12回裏に代打で登場した狩野選手は、豊田投手のフォークをレフト線へ運んだ。プロ初安打、初打点が、巨人戦のサヨナラ安打という劇的な“デビュー”に、僕は記者席で、思わず拳を握った。翌21日には巨人久保投手からバックスクリーン左へプロ初本塁打。「狩野」の名を一気に全国へ知らしめた。もう誰も「かりの」とは呼ばなくなった。
今月6日。昼過ぎに狩野選手から電話があった。「今契約してきました!」。「どうだった?」。「4000万です」。「良かった!いい評価してもらったね。奥さんにいい報告できるやん」。1500万円から2500万円アップ。僕も、自分のことのように嬉しかった。
狩野選手は、今オフも広島通いを続けています。先日も「アスリート」で狩野選手の取材をしてきました。もう新幹線代は惜しまずに払えるようになったと思うけど、狩野選手は「生活を変えずにやっていきますよ」と。地に足ついてますよね。僕より10歳以上若いのに、ホントに考え方がしっかりしているし、謙虚な姿勢も変わらない。城島選手が加入して立場的には苦しくなるけど、真面目に練習を続けていれば、狩野選手にも絶対チャンスがくると思います。
そして…赤星選手。本当にショックだった。引退会見に出て、赤星選手との想い出が走馬灯のように巡って…。
61盗塁を記録した03年のオフ。僕は61盗塁の写真をすべて焼き増し、1冊のアルバムに収めて赤星選手にプレゼントしました。すごく喜んでくれて、何年経っても、そのときの礼を言ってくれる。
先日、デイリースポーツのコラム「とら番25時」でも書きましたが、2003年の優勝旅行では、赤星選手は、デイリースポーツに「独占日記」を毎日、寄せてくれた。ゴールドコースト&シドニーの7日間。僕は赤星選手と同行取材することが多かった。ゴールドコーストでは、陣内智則さんと遊園地へ行って、へびを首に巻いたり、コアラを抱っこしたり…ベタなことでも、それがすごく楽しかった。シドニーでは、市街の和食店で食事をして、将来の夢も聞いた。シドニー港から豪華クルーザーで沖へ行く企画では、僕が出航時刻に遅れ、見ず知らずの地元漁師に頼み込んで、私物のボートで「赤星号」を探してもらったことも、今となっては、いい想い出。クルーザーの甲板の上で撮った2人の写真は、今でも大切にしまってあります。2007年のシーズン最終戦(神宮)のあと、2人で待ち合わせをして、夜通し、西麻布で飲んだことも…。まさか、こんなに早く赤星選手がユニホームを脱ぐことになるとは…引退会見で壇上に座る赤星選手の顔をボーッと見ながら、その心中を察した。涙ひとつ見せなかった「信念」は、赤星選手一流のこだわりだったと思う。
レッド。本当にお疲れ様でした。
2009年12月16日 吉田 風