アニキ番の1人語り

デイリースポーツのトラ番記者

お知らせ。

2009-12-29 09:32:36 | 日記
 昨夜ブログを更新しておくべきでしたが、また遅くなりました。今年最後のお知らせです。本日29日、『アニキの一人語り』掲載日です。皆さん、駅、コンビニでデイリースポーツをお求めください。今月のテーマは「最近驚いたこと」。11月に福井県へ旅したアニキが「ぶったまげた」こととは…。金本選手が「別格」と評する伝説のあの人との想い出をたっぷり語っています。 

 皆さんは年の瀬をどうお過ごしですか。僕は仕事です(笑)。30日まで働きますよ。今年の夏から当ブログを始めさせていただきましたが、皆さんからたくさんのコメントをいただき、本当に感謝しております。皆さんの声が僕の力になっています。

 「このブログを読んで初めてコンビニでスポーツ紙(デイリー)を買った」という女性の方もいらしゃいました。130円が惜しくない!ような情報を皆さんにお届けできるよう、これからも「取材」に基づいた「真実」の発信を目指します。。今年もデイリースポーツのご愛読、ありがとうございました。


                    2009年12月29日  吉田 風

別れ。

2009-12-16 14:54:29 | 日記

寒い。昨日からめちゃくちゃ寒くなってきましたよね。僕、寒暖差に負けてしまうんです。体質的に。季節の変わり目とか、すごく苦手。皆さんは体調崩されてませんか。元気に年末を過ごして下さいね。

皆さんからのコメント、本当にありがたく読ませていただいてます。〈宝塚のだいさん〉お気遣い、本当にありがとうございます。〈あらかねマニアさん〉直接伝えたかったことを教えて下さい!(笑)〈Poldiさん〉新井選手は体調を崩していたので、「大酒」ではなく、ずっと「ホットコーヒー」を飲んでましたよ。そして〈新井さんLOVEさん〉宜野座キャンプに来られるんですか?僕は行けるかどうか分かりませんが、見かけたら、話し掛けちゃってください(笑)
 
 オフは広島へ行くことが多くなるんです。アニキ党なら知らない人はいないと思いますが、広島のジム「アスリート」は金本選手の原点とも言える場所。新井選手も広島時代から自主トレ拠点にしてますしね。06年オフには、金本選手を追うように、狩野選手がアスリートに入門。翌年のオフから庄田選手も広島通いを始め、今年は野原祐也選手も「金本さんとやらせていただきたい」と広島組に加わりました。ここに広陵高校出身の上本選手、育成の田中選手も「アスリート」で自主トレをする。虎戦士が7人も広島にいる。行く機会が増えて当然ですよね。
 
 当然、カープの選手も「アスリート」に10数人在籍する。倉、石原、広瀬、東出、天谷、小窪…。サンフレッチェ広島の選手もいるし、いつ行ってもジムは賑やかなんですよ。
 
 金本選手、新井選手らが毎年、元日に「アスリート」で始動するのご存じですか?来年もやるそうです。必然的に僕はここ数年、元日は広島で過ごしています。元旦から働くのって大変そう…皆さん、そう思われるでしょ。これがね、そうでもないんですよ。元日の新幹線は見事にガラガラで快適だし、トレーニングの後、金本選手と昼食に出掛けるのも恒例で、年始の楽しみになってます。
 
 熱心なファンの方が遠方から元日に「アスリート」に来られていて、びっくりします。「アスリート」の前に関西ナンバーの車が並ぶ光景にも慣れました(笑)。
一昨年だったかな。おせち料理を金本選手に手渡すファンもいたり…。元旦から阪神ファンは熱い!(笑)
 
 ここで野原祐也選手の話をひとつ。今年の甲子園の最終戦。祐也選手は僕に言ってきました。「金本選手と自主トレをやらせていただきたいんです」。僕はちょっと驚いて、「ほんまに?」と聞き返しました。すると祐也選手は「いえ、ウソです!冗談です!すいません。そんなの絶対、無理でしょうから」と。「え?どっち?本気なら金本さんに言ってみるよ」と言うと、「本当ですか!?でも、そんなこと…大丈夫ですかね…」と伏し目がちになったので、「祐也なら、金本さんもOKするよ」と返事しました。結果?もちろん、金本選手は「来いよ」と快く受け入れてくれましたよ。

 今月はじめ、野原選手と一緒に「アスリート」へ向かっているとき、06年オフに狩野選手と新大阪で待ち合わせをして、2人で広島に行った時のことを思い出しました。「このままじゃ自分はプロとして終わってしまう。何かを変えたいんです」―。金本選手に弟子入り志願した狩野選手は、当時まだ2軍の捕手。年俸600万円では、広島往復の新幹線代や宿泊代、ジムの会費、サプリメント代でさえバカにならない。それでも狩野選手は広島通いを貫き、金本選手の背中を追い掛けた。広島でよく2人でメシを食った。「風さんごめん。給料が1000万超えたら、僕がおごるから。きょうは甘えていいかな」。「気にせんでええよ。恵輔が稼ぐようになったら、たくさん、うまいもん食わせてもらうから(笑)」。そんなやりとりが懐かしい。

 そんなオフを経て、迎えた07年4月20日の巨人戦(甲子園)。延長12回裏に代打で登場した狩野選手は、豊田投手のフォークをレフト線へ運んだ。プロ初安打、初打点が、巨人戦のサヨナラ安打という劇的な“デビュー”に、僕は記者席で、思わず拳を握った。翌21日には巨人久保投手からバックスクリーン左へプロ初本塁打。「狩野」の名を一気に全国へ知らしめた。もう誰も「かりの」とは呼ばなくなった。
 
 今月6日。昼過ぎに狩野選手から電話があった。「今契約してきました!」。「どうだった?」。「4000万です」。「良かった!いい評価してもらったね。奥さんにいい報告できるやん」。1500万円から2500万円アップ。僕も、自分のことのように嬉しかった。
 
 狩野選手は、今オフも広島通いを続けています。先日も「アスリート」で狩野選手の取材をしてきました。もう新幹線代は惜しまずに払えるようになったと思うけど、狩野選手は「生活を変えずにやっていきますよ」と。地に足ついてますよね。僕より10歳以上若いのに、ホントに考え方がしっかりしているし、謙虚な姿勢も変わらない。城島選手が加入して立場的には苦しくなるけど、真面目に練習を続けていれば、狩野選手にも絶対チャンスがくると思います。
  
 そして…赤星選手。本当にショックだった。引退会見に出て、赤星選手との想い出が走馬灯のように巡って…。

 61盗塁を記録した03年のオフ。僕は61盗塁の写真をすべて焼き増し、1冊のアルバムに収めて赤星選手にプレゼントしました。すごく喜んでくれて、何年経っても、そのときの礼を言ってくれる。

 先日、デイリースポーツのコラム「とら番25時」でも書きましたが、2003年の優勝旅行では、赤星選手は、デイリースポーツに「独占日記」を毎日、寄せてくれた。ゴールドコースト&シドニーの7日間。僕は赤星選手と同行取材することが多かった。ゴールドコーストでは、陣内智則さんと遊園地へ行って、へびを首に巻いたり、コアラを抱っこしたり…ベタなことでも、それがすごく楽しかった。シドニーでは、市街の和食店で食事をして、将来の夢も聞いた。シドニー港から豪華クルーザーで沖へ行く企画では、僕が出航時刻に遅れ、見ず知らずの地元漁師に頼み込んで、私物のボートで「赤星号」を探してもらったことも、今となっては、いい想い出。クルーザーの甲板の上で撮った2人の写真は、今でも大切にしまってあります。2007年のシーズン最終戦(神宮)のあと、2人で待ち合わせをして、夜通し、西麻布で飲んだことも…。まさか、こんなに早く赤星選手がユニホームを脱ぐことになるとは…引退会見で壇上に座る赤星選手の顔をボーッと見ながら、その心中を察した。涙ひとつ見せなかった「信念」は、赤星選手一流のこだわりだったと思う。

 レッド。本当にお疲れ様でした。

                    2009年12月16日  吉田 風

背番号25。

2009-12-08 23:40:18 | 日記
突然ですが、新井選手ファンの方、本日9日のデイリースポーツをお求めください。
 毎月第2火曜日は新井選手の月1企画「新井の本心」の掲載日です。今回は阪神新入団選手の発表が7日に行われた関係で、1日遅れのイレギュラー掲載になってしまいましたけど、「アニキの1人語り」(こちらは毎月最終火曜掲載)とともに、掲載日をインプットしておいてくださいね!
 今回の「新井の本心」では、プロ野球選手会の会長を務める新井選手が自らの言葉で、プロ野球界が抱えるさまざまな問題をつづっています。新井会長は「プロ野球年金」制度の廃止が検討されていることについて、「この権利は絶対に守らなければならない」と強い姿勢を示しています。
 先日6日、僕は、立命館大学のびわこ・くさつキャンパスで開催された選手会のイベント「ベースボールクリスマス2009」を取材してきました。同イベントは新潟、横浜に続き、今回で3回目。過去最多の2万3000人のファンが立命館大学に集まり、12球団28選手と交流をはかりました。阪神からは新井選手ほかに鳥谷、筒井、野原祐の3選手も参加。めちゃめちゃ寒かったけど、皆、笑顔で子どもたちとキャッチボールをするなど、童心に帰ってイベントを盛り上げていましたよ。そして、このイベントの最後に新井選手が「泣きそうになった」という感動シーンとは…。コラム「新井論」も併せてお楽しみください。

 これは余談ですが、イベント会場で何人かファンの方に声をかけていただきました。このブログが結構、浸透していてビックリしました。ある女性からは「かぜさん…ですよね」と声を掛けられ、「あ、僕の名前、『ふう』って読むんですよ」と言うと、「そうなんですか!?すいません。新聞見て『かぜ』って読むと思ってました」と。確かに、新聞の署名もこのブログも、読み仮名ふってませんもんね(苦笑)。皆さん、改めまして、僕の名前は「よしだ ふう」と読みます(笑)。もちろん本名ですよ。これからもよろしくお願いします。
 
 今年からプロ野球選手会と包括協定を結ぶ立命館大学は、僕の母校。新井選手が立命館とタイアップして、今回のようなイベントに参加してくれるのは、何か不思議な感じもしましたが、これも何かの縁かもしれません。今後もドンドン連携して、関係を深めていってもらいたいと思います。
 
 きのう、新井選手と2人で食事をしてきました。ここで、新井選手と僕は、今回のイベントに、裏方として参加したボランティアの皆さんと、今後も何かの形で繋がっていけないか、可能性を探りました。僕がこのブログで呼びかけることも「あり」だなと考えています。ベースボールクリスマスに参加したボランティアの方で、このブログをご覧になった方がいらっしゃれば、是非、アイデアを持ち寄って、新井選手を応援してあげてください。新井選手も乗り気ですし、僕も可能な範囲で協力したいと思っています。

 新井選手は本業も頑張ってます。去年のこの時期に比べれば、トレーニングも「順調」だと言ってますし、充実したオフを過ごしているようです。来年からバットを重くする選択肢もあり、その重量バットを振り抜く体力、筋力をつけるためにも、日々、自主トレに励んでいます。選手会会長とタイガースの主力選手という超ハードな“二足のわらじ”は、正直、大きな負担になっているでしょう。でも、そんな愚痴は一切こぼさない。「言い訳にしたくないから」という新井選手の目つきが、去年とは明らかに違う。2月の沖縄宜野座キャンプが楽しみになってきました。

                    2009年12月9日  吉田 風