同志社大学体育会山岳部 西ネパール遠征報告

同志社大学体育会山岳部の2015年西ネパール遠征のブログです
計画、準備段階から登山状況をお伝えして行きたいと思います

活動報告⑥

2016-04-12 23:32:11 | 活動報告

活動報告のつづきです。

8月20日(木)~8月25日(火)です。キャラバン後半の報告です。

8月20日(木) 「Polijung~Yakkru」

7:00起床~9:50Chumlin-Khola手前の河原~10:50Laregonba-Khola分岐~12:45草原~13:50テント場Yakkru着

晴れ。カチャルの手際が早く、出発も早かった。まだまだChuwaKhola沿いに進む。まわりの山々と地図の等高線を見比べてみると全然違って見える。この日は道のアップダウンが殆どなく、結構ラクだった。高度にも慣れてきたのかも。朝食はラーメン、パンケーキ、紅茶、昼食は弁当(おにぎり2個、チーズ、フルーツ、卵など)。おにぎりは絶品だ!チーズはぱさぱさしていたが良く噛んだらうまい。

Yakkruに到着。Yakkru付近は平原といった感じ。どこでもテントが張れそうだった。Simikot~Dojam区間で無限に生えていた「イラクサ(触れると激痛をおこす草)」はこのあたりでは違う形をして生えていた。「痛ってえええ」刺されたようだ。やっとイラクサ地獄から解放されたと思ったのに。

到着後、LorKhola谷を覗き込もうと向かってみるが、雨が降ってきたのでテントまで戻った。仕方なくテント内で時間をつぶす。

8月21日(金) 「Yakkru~4280peak~Yakkru」

8:00起床~9:00出発~9:56小高い丘~10:57中腹~12:13 4280peak頂上~13:37テント場着

この日も良く晴れた。今日は高所順応で近くの4280mピークへ行ってきた。ピークといっても地形図上では現れないようなピーク。とにかく行けるところまで高度を上げてみようということだった。

山岳部の合宿などで一時的にメンバーの中で歌ったりしてブームとなる音楽があるが、今回の場合も多数あった。今日はユーミンの「守ってあげたい」が大流行した。しかし、メロディーが出てくるが、歌詞がでてこない、、「サビの部分の英語ってなんだっけ?」「わかんないっす」

ゲームに出てきそうな橋を渡る。キャラバンルートを行こうと思うと、この橋を渡る必要はないが高所順応の山4280peakへ行くには渡る必要があった。

スマートフォンを使いこなすBineshさん。写真向こうは北側。ChuwaKholaはまだまだ続いていた。けっこう標高を上げることが出来、いったん休憩をする。さすがにペースが上がらないが、ピークまでは行こうと思い歩を進める。芝で覆われている斜面を登り切ると、今度は大きな岩が点在する斜面となったので、気を付けて弱点をつく。トラバース気味に行った。

ピークでの写真。これ以上は不可能だと思い、ここで引き返すことにした。ピークまで来たということで、これまで見えなかった方面が見えたことには感動した。これがピークの良さなのか。改めて実感した。

テント場まで戻るとAmritさんがあったかい紅茶、パインジュースを用意してくれていた。なんという贅沢な時間だったか。

8月22日(土) 「Yakkru~Gurukpa」

7:00起床~8:45出発~9:54Lor-Khola分岐手前~11:15Lor-Khola分岐手前橋~12:53Lor-Khola分岐~14:05テント場Gurukpa着

天気は雨だった。キャラバン中で一番晴れてほしい日だったため残念。今日の行程は他の日に比べて長かった。今日も昨日と変わらない風景の中進んでいった。Lor-Khola(ラレコーラ)の分岐辺りは全然進んでいる気がしなかった。Lor-Khola分岐付近で、ここはどこですか?と聞くと、ここはYakkruです、と返ってきた。あれ?Yakkruは今日出発したテント場のことじゃ?ここもYakkru?この辺りでは地点名がとても曖昧だということが分かった。

途中でガイ(牛)に急接近される。すこし怖かったが何もしてこなかった。キャラバン中は羊、鷹のような猛禽類、犬、牛、ヤギなど、沢山の動物に出合った。人間は少ないが生き物は結構いたことに驚いた。

今日のテント場に到着。これは炊事用テント。この中でコックさんたちが料理をしている。途中、西ネパールを探査中の欧州人ともあったりした。テント場についてから各々髪を洗ったり、野球、ゴルフをしたり、散髪をしたりと昼の時間を過ごしていた。そういえばこの辺りからか、カチャルが食べる草が少なくなってきて、あちこちカチャルが歩き回って食料を探していた。

8月23日(日) 「Gurukpaにて休息」

今日は、昨日洗髪をしたからか、野球をしたからか、少し元気がなかった。また、天気が悪いこと、高度4000付近まで来たこと、などから休息を設けることに。しかし、休息日というのは1日中暇である。僕たちはテント内でトランプ、映画を見て時間を過ごす。トランプは大富豪をやったが惨敗だ。映画はあらかじめダウンロードしてきた中国映画「葉門」を見たが、字幕が無かった。大学で2年前に履修した中国語の知識を最大限思い出し、何とか1割くらい理解できた。とても面白い映画だった。

今日から食事に新たなメニューが加わった。ヤギ肉である。近くで買ってきた。2万Rsだったのでとても安かった。まるまる1匹でこの値段は安すぎないか?と思ったが、安いにこしたことはない。まるまる1匹なので、腐りやすい内臓系は今日食べた。胃や肝臓といったたぐいだ。みんな好き嫌いがあるようで、食べない人もいた。たしかに癖があるお味。食糧関係でいうと、米が少し足りなくなってきたため、チベットまで別隊が買い出しに行ってくれた。チャンラ谷の方へ行けばチベット方面へ行くことができるのだ。今日は食事が豪華な日だった。

8月24日(月) 「Gurukpa~BC手前」

記録なし

朝、強い雨音で目が覚める。テントは実際以上に雨音が響くのだ。雨ではあったが出発。いつものように朝食を頂き、ビズタリジョン(ゆっくり行く)。カチャルは先に行く予定だったが、待っていられず先行した。予定ではBC入りであったが、手前まで来てガレた道が続いており、カチャルが進むのに時間がかかると判断し、手前でテントとした。明日BCまでゆっくり進もうと思う。

Gurukpaのテント場からは少し上昇し、Nin-Khola分岐まできた。ここを北東へ行くとチャンラである。我々は北西のNin-Kholaへ進む。途中、沢山の岩峰を見た。

また、コスモよりお借りした衛星電話で、日本との交信も行った。カトマンズにて何度か通信確認はやっていたが、このときも普通に通じてよかった。

8月25日(火) 「BC手前~BC」

記録なし

BCの地点は「Tash Lung」というそうだ。国境稜線の山が見えた。

途中、カチャルが通過するのに苦戦するようなルートであったが、石などを積み上げたりして通過できるように整備した。そのため少し時間がかかってしまったが無事BCに到着。

9日間のキャラバンであったが、ようやくBC入りである。ここからが本番みたいなところあるので、みな気を引き締めた。明日はBCにて休息をとることにした。

文責、写真 仙田

 


2015年度同志社大学体育会祝勝会

2016-03-12 22:36:23 | ご報告
本日3月12日に開かれました2015年度同志社大学体育会祝勝会に2回宇野が出席して来ました。
この度、同志社大学山岳部は、最優秀部賞(総長杯)に選んで頂きました。この受賞にあたって、同志社大谷総長はじめ、同志社大学の皆様、本当にありがとうございます。
祝勝会には監督にも来て頂きました。
個人的に会いたかったです。
ありがとうございます。
最後に記念品としてトロフィー、賞状を頂きまして、部室に置かせて頂きます。


仙田裕樹

平成27年度京都府スポーツ賞表彰式

2016-03-12 22:08:00 | ご報告
本日3月12日(土)、京都テルサにて行われました京都府スポーツ賞表彰式に仙田、高、玉置が出席して来ました。
同志社大学山岳部は今年度の京都府スポーツ優秀賞(団体)を受賞することができました。このような素晴らしい賞に選んで頂き、隊員一同、大変嬉しく思います。
この度の表彰にあたり、山岳部の活動を評価して下さった京都府の皆様に、心より御礼申し上げます。

表彰式は1時間半程で、最後に記念撮影も行いました。今年度の受賞は、個人、団体含め324名で、団体では他にも同志社大学体育会の団体が多く受賞されていました。

記念品として、素晴らしいブロンズ、賞状も頂きました。こちらは部室に置かせて頂きます。


仙田裕樹

活動報告⑤

2016-02-09 06:05:23 | 活動報告

2016年になりました。報告の続きで、SimikotからキャラバンでBCまでです。

8月15日(土)、16日(日) 「Simikotにて準備」

天気は15日が曇り→雨→晴れ。16日が晴れ→曇り。

8:00朝食のパンケーキとチャパティ、ミルクティーで一日が始まりました。とても優雅なひと時です。

さて、Simikot(標高約2900m)での順応は終えたので、あとはいつでも出発できるように準備を行った。

準備内容は①カチャル(馬)手配②食糧などの買い出し③梱包④打ち合わせ である。

①カチャル手配

カチャルはシミコットで雇うことが可能で、主にキャラバン中の重い荷物を運ぶ馬のことである。この季節になると、登山隊やトレッカーが来るため荷物運搬の仕事が増えるのだという。特にバックキャラバン中(9月中旬)も他の馬たちを見かけた。僕たちは出国前にカチャルを雇用することを現地エージェントを通してシミコットのカチャルボーイ(馬方)へ伝達してもらっていたため、シミコットではスムーズに雇うことができた。カチャル、カチャルボーイはこの季節までの期間は、より北方の山域に居るため事前に連絡して呼び戻す必要があった。幸い僕たちの行こうとするChuwaKhola沿いの地理に詳しいカチャルボーイたちがいてくれて助かった。結局カチャルは全部で18頭雇用した。なんでもカチャルは数頭ずつでないと雇用できないの(カチャルボーイの持っている頭数の都合上)でこのような多い頭数となってしまったが、実際に荷物を積んでみると丁度良い頭数となった。カチャルの積載重量は基本的に1頭50kg(腰の左右25kgずつに、現地入手可能の土嚢袋のようなものでくくりつける)。カチャルの手配もすべて、日本語の話せるネパールスタッフと相談したので問題なかった。

②食糧などの買い出し

登山の食糧では、キャラバン食と高所食があるが、キャラバン食は現地のものを使用した。その中でもSimikotにて入手可能なものもあった。この日は米10kgを購入。すぐに手に入った。またSimikotでは他にも野菜などが手に入る。他に、燃料としてケロシンも購入した。僕たちは登山中(BC~頂上~BC)にEPIガスを使用する予定であったため、あらかじめSimikotまでジュムラ経由でガスを運んでもらっていた。しかし、キャラバン中の燃料はSimikotにて購入可能な燃料をしようすることであった。ケロシンは約200kg購入。

③梱包

実際にそろった装備、食糧、燃料などをカチャルに乗せた。ここで注意したポイントは、キャラバン中に開封するのか、BCについて初めて開封するのか、ということである。登山中に使う予定のロープや登攀具の入った土嚢袋には「BC」と書き、それまでに使うテントやシュラフなどの個人装備には「caravan」と書いた。また、キャラバン中は雨にぬれる可能性もあるため、土嚢袋の内側にビニール袋を配置し防水した。これもかなり効果があった。一つ反省点があるとしたら、土嚢袋、ビニール袋、それらを縛る紐の予備をたくさん持って行けば良かったことだ。荷物を包んでいる袋類は予想以上にすぐボロボロになってしまったのだ。

④打ち合わせ

キャラバンルート、宿泊地はあらかじめ出国前に決めてきた。距離や高度差、集落の情報から決めたのだが、この打ち合わせで少し計画がずれることとなった。打ち合わせは遠征メンバー、ネパールスタッフ、馬方で行われた。特に、現地の地理に詳しい馬方のアドバイス(ネパール語である)から、宿泊地を増やしたほうがよいと提案された。1日にカチャルが進める距離もあるらしい。もともとキャラバンの予備2日とってあったため多少ずれても大きな問題にはならなかった。打ち合わせ中、カトマンズと現地携帯電話(ナマステ)で連絡を取り合うこともできまだまだ町にいるなと感じた。

8月17日(月) 「Simikot~Gyagruk」

6:55起床、朝食~10:00昼食~11:00出発~11:40休息Simikot-KudillaKhola間~12:15休息KudillaKhola谷分岐~15:00テント場Gyagruk着~18:00夕食

ここからSimikot~BC合計約50kmの旅が始まった。

現地マップよりキャラバンルート

Simikotを出発する日である。朝11時頃にホテルの人たちと握手を交わし、別れを告げる。出発はあいにくの雨であった。このとき傘が重宝した。行先はDojam。しかし実際には少し手前のGyagrukまでとなった。道は全く険しくない。まだ電線も横を通っているくらいだ。どうやらDojamまで、電線がひかれているらしいと後でわかった。途中、幾つかの村を横切り、子供たちと挨拶「ナマステ~」。子供たちも元気よく返してくれた。この日は登りが殆どなく下りばっかりだったが、初日であったため、慎重に息を整えながら歩いて行った。普段の山行なら、隊をなしてまとまりよく休憩を入れていくのだが、今回は隊がそもそも長く、またスピードなどに個人差があったため、皆が独立して休憩をとるスタイルで進んだ。

~カチャルの考察~

18頭のカチャルの中にも体力差はあるようだ。担いでいる荷物に明らかな不公平が感じられた。あるカチャルはテントマットと他軽そうなもののみ。あるカチャルはケロシンとガスボンベ。ケロシンを担いだカチャルは、とても歩くことに苦労していた。また、このカチャル、積まれた荷物のバランスが悪い。これもあって、ヨロヨロと進んでいると、カチャルボーイが「しっかりしろ」と言っているようで、さらには石を投げつけられていた。とても見ていられない。しかしキャンプ地に到着すると、カチャルボーイたちはカチャルをとても労わっていたのも事実である。

 

 8月18日(火) 「Gyagruk→TanlaSago」

6:55起床~8:00朝食~9:48出発~11:54Dojam裏大岩壁下~13:40テント場TanlaSago着

今日はキャラバン2日目。朝は9時発の予定が45分後の出発となる。出発時、1頭のカチャルがSimikot方面へ帰ろうとする。やはりストレスか!?昨日のアンバランスなカチャルはアンバランスのままであった。残念。今日のルートはDojamを経て、さらに山奥へ。結構な雨が降ってきた。Dojamは少し栄えているようで、集落がある。ここで登山届のようなものをPoliceに提出。拳銃を所持している!?この町を過ぎると、ChuwaKhola右岸に大岩壁が見えた。

Dojam裏の大岩壁(地形図でも崖マークになっている)。

Dojamを過ぎたあたりからは、人の気配を全く感じることができず、やっと僻地へ来たという雰囲気がした。キャンプ地に到着。今日のテントは岩の下で雨を防ぐことができた。すぐにテントを張り、時間があったので、テント補修、ボルダリング、荷物整理など行った。

 

TanlaSagoボルダー

8月19日(水)「TanlaSago~Poljung」

7:00起床~10:00出発~11:30草原~15:30テント場Poljung着

今日は快晴だ。昨日ボルダをやりすぎたせいか肩が痛い。仙田は今日不調で高度の洗礼を受けたようである。ChuwaKhola両側の山が切り立ってきた。

ChuwaKhola右岸に見えた岩峰群。

~地形の考察~

日本の山と比較して、切り立った山が多い特徴がある。3000mくらいの平地部分から一気に5000mまで突き上げている山も少なくなかった。5000mほどだとこの季節ではまだ雪は積もっていないようだ。岩石は至ってふつう。見たことのあるような花崗岩や堆積岩が多い。一方、谷地形を見ると、ChuwaKhoka谷は大きく広い。そしてChuwaKholaは水量が多く、緩やかな勾配な割りに流速が速い。

ChuwaKholaの様子。

キャラバン前半のみの報告でした。

文責/写真 仙田

 

 

 


同志社タイムス記事掲載

2016-01-13 23:16:03 | ご報告
ご報告が遅くなりましたが、先月、同志社校友会様より、「The Doshisha Times(平成27年(2015)12月15日第716号)」に掲載して頂きました。同志社校友会の皆様ありがとうございました。

仙田裕樹


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本文抜粋

同志社大 山岳部創立90周年記念 極西ネパール遠征隊
アイチェン峰初登頂

同志社大学山岳部創立90周年記念として、西ネパールフムラ郡チャンワタン山域にある未踏峰「Aichyn(アイチェン)峰」(6055m)に挑んでいた「同志社大学極西ネパール登山隊」は9月3日13時12分(ネパール現地時刻)、初登頂に成功した。
 登山隊のメンバーは同志社大学の現役学生5名。【隊長】仙田裕樹(理工学部環境システム学科4年次)、【副隊長】齋藤慎太郎(文学部哲学科4年次)、【隊員】玉置悠人(経済学部経済学科4年次)、高伽耶(文学部美学芸術学科4年次)、宇野悠真(経済学部経済学科2年次)。
 一行は8月3日に日本を出発し、ネパールでの高所順応や隊荷準備を経て25日に標高4600m地点にベースキャンプを設営、27日から登山活動を開始した。主に高所順応、荷揚げ、ルート偵察などを行いながら、登頂へのアタックに向けて準備を進めた。その後、第二キャンプ(5600m)から最終アタックし、初登頂を果たした。登頂を終えて、「海外遠征へのチャンスはなかなかないチャンスなので参加できて良かった。国内で登る山とは全く違う能力が要求されて、今後の登山人生においても役立ついい経験となった。」と齋藤副隊長。玉置隊員は「つらいこともたくさんあったが、登頂した瞬間に今までの努力が報われたと感じた。頂上からの景色が素晴らしかった。」という。
 また登山後、ネパール大地震で被害を受けたネパール東部の村、クムジュンにある学校「クムジュンスクール」に山岳部OBから募った支援金を届けた。先生や生徒たちによるセレモニーが開かれ、暖かい歓迎を受けた。クムジュンスクールは同志社大学山岳部が約10年前から支援を行っており、今回の地震で校舎の外壁が崩れるなどの被害があった。
 遠征を振り返って、仙田隊長は次のように語っている。「当初、いろいろな経験がしたいという意味もあって取り組んだ遠征ですが、想像以上に様々な経験ができました。そしてメンバー全員、人間として一回りも二回りも成長できたと思います。今回の遠征のために、校友会、山岳部OBを始め、沢山の方々が全力でサポートしてくれました。今後はこの遠征を見て憧れを持って山岳部に入ってくれる人たちを、私たちがサポートする番です。未踏峰の頂上から景色を眺めると、さらなる未開の地が望めました。次のステージは、私たちの意思を継ぐ後輩たちに託そうと思っています。」
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