なぜろーぐ

日常の「なぜ」をスライスして日々の仕事に活かすヒントを探ります。

スケジュールに沿うこと

2006-07-17 09:39:03 | なぜろーぐ
仕事の成果は、予定に沿って描かれるものであって白紙の上に思いのままに描かれるものではない。

見通しが立たない仕事であっても、今の力で引きうる限りの予定を引き、この予定に沿う努力をする。ただし、予定から外れることになっても構わない。どれだけ外れているかを記録する。

予定と現実のギャップを知って初めて現実的な予定を引く力が身につく。つまり、どのような予定があれば、目指す現実に辿り着けるかという“予定と現実の関数”が見えてくる。

予定は自分を成功に導くロケット発射台のようなもので、この精度を高める以外に近道はない。

渇くまで待つ

2006-07-17 02:51:02 | なぜろーぐ
本を読む時間が取れないことを悲観する必要はなく、そのぶんの時間を実践に全力投入できていることをありがたく思ってみる。そうして、ちょっとした空き時間ができたときにたまたま手に取った本にまさに求めていたような答えが書かれている。

こうした偶然とも思える「まさに求めていた」ような出遭いがあるのは、日頃のがむしゃらな実践があるからこそであり、日頃から本を読みまくっていたら「求める」間が作れない。渇く間もなくがぶがぶ水を飲んでいるようなもので、渇きが癒えるというありがたさが麻痺している状態と言える。

まず行動し、それから深く本を読む。


切り札

2006-07-17 02:47:28 | なぜろーぐ
実践の場では、切り札と思っていたことがさほど役に立たないことに驚かされることがある。「これはいつか役に立ちそうだ」と思って本を読んだりセミナーに参加したりして収集した“切り札”は、「いつか」がやってこないから役に立たないということもあるが、それ以上に、今の自分にフィットしていないから、という理由も考えられる。

本当に役に立つ“切り札”は、人の話ではなく自分の体験から生まれるのではないか。

書き始めたら書き上げるまで集中し続ける

2006-07-10 23:42:20 | なぜろーぐ
先週は文章を書き上げずに途中の段階で先送りすることが多かった。

言うまでもなく再開するときに「思い出す」という手間が余計にかかるので、全体として余計な時間が掛かっているはず。

とは言え、いったん寝かせる効果もなくはない。

あー、でもやっぱりよくない。推敲のみを残して、まずはβ版でもいいから書き上げてしまうことが大事。



量より安心感

2006-07-10 23:38:32 | なぜろーぐ
仕事は、こなした量より得られた安心感が多い方が満足度が高い。

量をこなすより優先すべきタスクを終わらせる方がいい。それは自信と安心につながる。

自信と安心は前に進むパワーに変わる。



急がば回りくどく

2006-07-07 15:42:42 | なぜろーぐ
因数分解や解の公式、あるいは「つるかめ算」や「流水算」など、数学嫌いの自分にとっては、「あんなに苦労して勉強したのにまったく仕事に役に立っていない!」と腹が立つことがあるが、メタには役に立っているのかも知れない、と感じることもある。

例えば、人生に直面する問題に取り組む際に、経験から得られた一定の公式を当てはめることで毎回一から考えなくても済むようになる、という考え方は数学における公式を覚えて問題を解くメタファー。

ということに気づかせるために一見回りくどいことをさせるのも学問の役割と言えるかも知れない。



ワタシ、渡し守

2006-07-07 15:42:41 | なぜろーぐ
内田樹先生『知に働けば蔵が建つ』より。

教養は情報ではない

教養とは形のある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位の間の関係性を発見する力である。

雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。

※太字は原文では傍点。

このあとに続いて、なるほどな論旨が展開されるのだが、それはさておき、この引用部分のみから連想されることは、ニューロン(神経細胞)の働き。ニューロン間にはシナプス間隙と呼ばれる隙間があり、ここを飛び越えないと別のニューロンには辿り着けない。

橋渡し役は自分で作るしかない、という意味において人工的かつ閉鎖的な(=すでにパスの通っている)ニューロン結合が雑学であり、この対極にあるのが“野生”、という風に強引かつ“フライング”気味にまとめてみる。



目的のない前進、準備のない前進

2006-07-07 15:42:40 | なぜろーぐ
心配事は前進を阻害する。心配事は、引っ越しの時に何を捨てるかを決めかねている状態に似ている。引っ越しというタスクを片付ける上では、

 (1)不要なものを捨てる
 (2)必要なものを拾う

という2つのアプローチがあるが、不要なものを捨てることに腐心するよりも、必要なものを拾っていく方が効率がよい。

必要なものを拾っていくと、それらが揃った時点で出発できるが、不要なものを捨てる方法は、それが終わっても出発の準備をするための準備ができたに過ぎない。

必要なものが明確になっていなければ結局前には進めない。必要は文字通り前進のための必要条件であって、準備は前進のための十分条件である。

目的のない前進はあり得ないが、準備のない前進は不安定ながらも前には進める。こうして前に進むことができたという実績が、次の前進のための準備にもなる。




うまくいくとうまくいかない

2006-07-07 15:12:37 | なぜろーぐ
「うまくいく」とは、味わわなくても済む恐怖を味わわずに“ゴール”に到達すること。
「うまくいかない」とは、味わうべき恐怖を味わった上に“ゴール”に到達できないこと。

“ゴール”に到達することが目的であれば「うまくいく」に越したことはないが、それが目的ではないのなら「うまくいかない」方が最終的には「うまくいく」。

無傷で“ゴール”に到達した人を目指すべきなのか、1つでも多くの味わうべき恐怖を身をもって知っている人と、どちらを目指すべきか。

“ゴール”は目指すものであって到達するものではないのかも知れない。

気になったので、goalを英英辞典で引いてみて目に留まった一文。
the end toward which effort is directed


ちなみに語源は、boundary, limit。つまり「境界線」あるいは「限界」。いずれも意図的に踏み越えたり乗り越えたりすることができるもの。もっと言えば、越えていくべきもの。



冗長の中に埋もれているもの

2006-07-07 10:11:04 | なぜろーぐ
書くより話す方が冗長になりがち。
でも、言い方やトーンや表情や繰り返し頻度によって、おのずとプライオリティがわかる。

相手が繰り返し使う言葉とその時の表情に注目し、ここから相手の心中を察する。



浮かせた時間

2006-07-07 10:05:40 | なぜろーぐ
予定がキャンセルになったために時間が空くことがある。予想外のことだけにありがたいものだが、浮いた時間分だけ無駄なことをしているのであれば、まったく意味がない。

人は浮かせた時間を過大評価しがち。

浮かせた時間は大切に。

フィジカル・シンキング

2006-07-06 15:29:57 | なぜろーぐ
「ロジカル・シンキングに対抗して、フィジカル・シンキングってどうよ?」という鋭い発言が飛び出した、数分前の雑談。

 論理的思考 VS 肉体的思考。

身体を使って考えるのはスポーツ選手なら普通にやっていることのような気がする。彼らは考える前に身体が先に動いている。

そういえば、「うまく失敗するコツ」で書いた扁桃体(へんとうたい)を思い出した。

ところで、脳には扁桃体という感情を司る中枢があります。人が何か身の危険を感じた時にとっさに反応できるのは、知識がものを言っているのではなく、扁桃体が刺激されているから、というわけです。

本当に行動に結びつくのは、知識の多寡ではなく身に迫る危険や恐怖なのです。


そこから思いついたのが、ウェイト・リフティングに対抗してウェイト・シンキング、すなわち負荷思考。思考に負荷を与える、すなわち意図的に思考の枠に制約を与えることによって、アイデアを出しやすくする。虫眼鏡で太陽の光を一箇所に集中させるように、放っておくと拡散していく思考を一点に注ぎ込む、みたいな。


半日って?

2006-07-05 12:01:59 | なぜろーぐ
よく「半日がかりで何とか終わらせたよ」みたいな表現を耳にするが、感覚的にこれは「午後いっぱいかかった」というニュアンスを感じる。

でも冷静に考えてみると、「一日の半分」なのだから、

 24÷2=12時間

つまり「午後いっぱい」どころか正午から真夜中までどっぷりということにはならないのか?

まぁ、一日と言っても実際に使えるのは起きている間だけろうから「起きている時間の半分」ということで8時間を差し引いて

 16÷2=8時間

これくらいなら辛うじて感覚的半日になろうか。と安心しかけたところで世の中にある「半日コース」を調べてみると、

  9:30~12:00
  9:00~12:30
 13:00~16:30

などなど8時間どころかその半分の4時間にも満たないことが判明。

というわけで、今後は個人的には「四半日コース」と呼ぶことにします。


ちなみに「はんび」と読むと「奇数の日」という意味もあるそうだ。