どうバカとなって何年が過ぎたでしょうか。
毎年自分の誕生日に、どうでしょうサイトには
どんな日記があがるのかを何気に楽しみにしておりまして。
まるで「今日の星占い」みたいにね(笑)
2010年8月10日の日付の日記は、う先生のものでした。
以下一部転載:
(冒頭略)
いじくっていると固くなったり膨らんだりと変化して、放って置くと、また、ちいさくなって、しぼんでいき。
そしてまた、突っついたり握ったりと、していると、デカクなって、固くなって膨らんで、と変化するアレ。
やがて男の子は、その行為とアレの変化の因果関係に気づき、夢中になり、いつか、その興味本位な遊びを繰り返すようになる。
その興味本位な遊びの繰り返しは、やがて、その遊びへの親しみに変わっていく。
それに反して女の子は、箱が好き(バッグやポーチもそうかも知れぬが)。
大切に仕舞うというイメージを実現することのできる箱という入れ物が好きになる。
そこには、いつか自分の子宮の中に、
大切にこどもを宿すのだというイメージが、
幼い頃から、重なっていることを表している、と、
書いてあったような。
もちろん女の子も人形で遊ぶ。
でも、同じ人形で遊ぶにしても、
女の子と男の子では、対象である人形に求めるものが違う。
女の子は、おかあさんが、こどもを育てるように、人形をおんぶしたりだっこしたり、
大切にあつかうことをする。
でも、男の子は、つかんだり、さわったり、ひっぱったりという対象として人形を見る。
だから、手足が可動式のものが好きだったり、いじくって変化させられるものが好きだったりする。
女の子が、たいせつに仕舞うというイメージに惹かれて箱が好きになるように、
男の子は、自分の行為で変化がおきる興味本位の遊びが身についてしまう。
男女という二つの性の違いが、二つの性の好みをここまで変えるのである。
そして、女の子が、入れ物の中に大切に仕舞いこむ行為に熱中するうち、
いつしか女の子は、自分のことも大切に扱って欲しいと願望するようになるのかも知れず。
けれど、男の子は、ただ、変化を楽しむ、興味本位の遊びを繰り返すうちに、対象に対して、大切に扱うというよりは「もてあそぶ」という行為に親しみを覚えてしまう。
対象がなぜそのように変化するのか、と、
相手の気持ちを考える事をしなくなり、
時々に変化していく、その対象の変化だけを、
ただ楽しむということを、男の子は案外平気でする。
その男女が長じて、やがて、巡り会うことになる。
この世に、男と女の二つの性しかない以上、
人生とは、つまり、そういうことであったりする。
ねぇ奥さん。
男女はそれほどに同じではなく、
そしてそこには、それぞれにそれぞれの辿り来たった道があるということで、
それほど長い間の習慣の違いから来る行き違いは、
時に根深かろうなということでございます。
人間というのは、それほどまで、
日常的な繰り返しに、支配される、
ということでございます。
(以下略)
最初こそ「なんの話よ?!」とびっくりしましたが
結構おもしろいお話だと思いませんか。
人間というのは、それほどまで、
日常的な繰り返しに、支配される
仕事でも何でも、なんかヒントになりそう。
う先生からの誕生日メッセージと勝手に解釈して(笑)
この一年をまっとうしたいと思った誕生日なのでした。
毎年自分の誕生日に、どうでしょうサイトには
どんな日記があがるのかを何気に楽しみにしておりまして。
まるで「今日の星占い」みたいにね(笑)
2010年8月10日の日付の日記は、う先生のものでした。
以下一部転載:
(冒頭略)
いじくっていると固くなったり膨らんだりと変化して、放って置くと、また、ちいさくなって、しぼんでいき。
そしてまた、突っついたり握ったりと、していると、デカクなって、固くなって膨らんで、と変化するアレ。
やがて男の子は、その行為とアレの変化の因果関係に気づき、夢中になり、いつか、その興味本位な遊びを繰り返すようになる。
その興味本位な遊びの繰り返しは、やがて、その遊びへの親しみに変わっていく。
それに反して女の子は、箱が好き(バッグやポーチもそうかも知れぬが)。
大切に仕舞うというイメージを実現することのできる箱という入れ物が好きになる。
そこには、いつか自分の子宮の中に、
大切にこどもを宿すのだというイメージが、
幼い頃から、重なっていることを表している、と、
書いてあったような。
もちろん女の子も人形で遊ぶ。
でも、同じ人形で遊ぶにしても、
女の子と男の子では、対象である人形に求めるものが違う。
女の子は、おかあさんが、こどもを育てるように、人形をおんぶしたりだっこしたり、
大切にあつかうことをする。
でも、男の子は、つかんだり、さわったり、ひっぱったりという対象として人形を見る。
だから、手足が可動式のものが好きだったり、いじくって変化させられるものが好きだったりする。
女の子が、たいせつに仕舞うというイメージに惹かれて箱が好きになるように、
男の子は、自分の行為で変化がおきる興味本位の遊びが身についてしまう。
男女という二つの性の違いが、二つの性の好みをここまで変えるのである。
そして、女の子が、入れ物の中に大切に仕舞いこむ行為に熱中するうち、
いつしか女の子は、自分のことも大切に扱って欲しいと願望するようになるのかも知れず。
けれど、男の子は、ただ、変化を楽しむ、興味本位の遊びを繰り返すうちに、対象に対して、大切に扱うというよりは「もてあそぶ」という行為に親しみを覚えてしまう。
対象がなぜそのように変化するのか、と、
相手の気持ちを考える事をしなくなり、
時々に変化していく、その対象の変化だけを、
ただ楽しむということを、男の子は案外平気でする。
その男女が長じて、やがて、巡り会うことになる。
この世に、男と女の二つの性しかない以上、
人生とは、つまり、そういうことであったりする。
ねぇ奥さん。
男女はそれほどに同じではなく、
そしてそこには、それぞれにそれぞれの辿り来たった道があるということで、
それほど長い間の習慣の違いから来る行き違いは、
時に根深かろうなということでございます。
人間というのは、それほどまで、
日常的な繰り返しに、支配される、
ということでございます。
(以下略)
最初こそ「なんの話よ?!」とびっくりしましたが
結構おもしろいお話だと思いませんか。
人間というのは、それほどまで、
日常的な繰り返しに、支配される
仕事でも何でも、なんかヒントになりそう。
う先生からの誕生日メッセージと勝手に解釈して(笑)
この一年をまっとうしたいと思った誕生日なのでした。
最初は何の事やら解からなかったのですが、読んでいくと「おお!」深い話でしたね。
「日常的な繰り返しに支配される」かなり哲学的な言葉ですよね。
哲学のあるう先生の日記にどれだけ影響を受けてきたか・・・
わたしにとっては「人生の師匠」といっても過言ではありません(笑)
カメラマンなんですよねぇ。彼。
不思議な人ですよねぇ。