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“性”と“生”を巡る探検

“性”と“生”に関するあらゆる情報・オモテウラの知識を備忘録としてここに残しています。

精子提供(非配偶者間人工授精;AID)を知っていますか?

2025-04-12 07:59:30 | 性の知識

近年、精子提供を受けた出生した子どもたちの葛藤がニュースで流れるようになりました。

 

自分は現在の両親の子どもではなかった。

卵子は母親のものだけど、精子は未知の男性のもの・・・

「自分はいったい誰なのか?」

・・・精子提供を受けて出生した子どもたちが成長し、

自分のアイデンティティに疑問を持ち、悩んでいます。

 

「匿名」という条件で精子を提供した男性達と、

「知る権利」を主張する生を受けた子どもたち。

解決法(落としどころ)はあるのでしょうか?

 

根本の問題は、

「精子提供は子どもの欲しい夫婦の人権を考慮しているが、

 生まれてくる子どもの人権を考慮していなかった」

という一点に尽きると感じました。

 

今回、AIDに関する法律案が提出されましたが、

そこでも生まれてきた子どもの人権は限定的です。

 

では、提供する男性と生まれてくる子どもの両方の人権を尊重することは可能でしょうか。

提供男性は、自分の情報が子どもにだけ開示されるとしても、

現在の情報化社会において機密を保持することは困難である状況を考慮すると、

提供者が激減することが予想されます。

所詮、このシステムには無理があったということでしょうか。

 

▢ 「精子提供すべきではなかった…」90歳の男性が若かりし日の出来事を後悔するワケ

 

 「こんな法律なら、ない方がまし」――。第三者から提供された精子や卵子を使う不妊治療の制度を定める「特定生殖補助医療法案」が今国会に提出されたことを受け、当事者らから批判の声が上がっている。当事者というのは、精子・卵子を提供した人と、精子・卵子提供によって生まれた人だ。子どもの〈出自を知る権利〉の保障が法案の目的だが、現行案ではどんな問題があるのか。当事者らの切実な胸中を取材した。・・・

不妊治療に使う精子を提供した90歳男性の後悔

「私は産婦人科医の息子です。父からは、不妊の夫婦が子どもを持ちたい切実な思いを聞かされてきました。青年時代、AID非配偶者間人工授精)に積極的に協力したのは、その思いからです。〈出自を知る権利〉は考慮することなく、単純にAIDは望ましいことだと思ってきました」

 こう告白するのは、64年前にAIDに協力し、精子を提供していた経験を持つ中田満義さん(仮名、90歳)だ。

 「AIDを選択し、夫婦で子どもを育てた親御さんには心から敬意を表します。ただ、過去に精子を提供した者として今、思うのは、出自を明らかにしないAIDは子どもに不幸な思いをさせますし、提供者も無責任だということです」

 「生まれた人が私を見つけてコンタクトを取ってくるなら、私はきちんとそれに答えるつもりでいます。が、その人は、私のことを知る術がありません。今となっては、そのようなAIDに協力すべきでなかったという思いがします」

 2月、一般社団法人ドナーリンク・ジャパンなどによる、【本当に子どものため?特定生殖補助医療に関する法律案 国会提出を受けて】と題したオンライン・ディスカッションが緊急開催された。そこではAIDで生まれた人や精子提供者らが、それぞれの立場から法案について意見を交わした。中田さんも参加者のひとりだ。

 ディスカッションが緊急開催されたのは、自民・公明・日本維新・国民民主4党らの議員連盟が「特定生殖補助医療法案」を参議院に提出したのを受けてのこと。この法案はもともと、AIDで生まれた子の〈出自を知る権利〉の保障が目的だった

 ところが、提出された現行案では肝心のその目的が全く達成されていない。問題点は大きく二つある。一つは、当事者の声を聞かずに拙速に議論を進め、真の意味での〈出自を知る権利〉が保障されていないこと。もう一つは、生殖補助医療の対象が「法律婚の夫婦」に限られることだ。

【2月5日提出「特定生殖補助医療法案」の要約】

 特定生殖補助医療の適正な実施を確保するための制度、特定生殖補助医療により出生した子が自らの出自に関する情報を知ることに資する制度等について定める。

1. 医療を受けられるのは、法的夫婦のみ。
2. 精子・卵子の提供者の情報、その医療を受けた夫婦、出生した子の情報を国立成育医療センターにおいて100年保存。
3. 出生した子は、成人に達した後、以下のことをセンターに請求・要請できる。
(1) 自らの情報の保存の有無の確認
(2) 提供者の個人の特定しない情報の開示(身長、血液型、年齢等)
(3) 提供者を特定できる情報を、センターを通して本人に要請(提供者は拒否することができる。提供者に決定権がある)
(4) 提供者が死亡していた場合には、氏名の開示(提供当時の同意があるとき)をセンターに請求できる

 日本におけるAIDは1948年から慶応義塾大学医学部で始まり、生まれた子は1万人以上いると言われる。しかし、長らく親が子にその事実を伝えないことが慣習だった。そのため、何らかの理由で出自を知った当事者(大人になってから知ることが多い)は、アイデンティティの喪失などに陥り、悩みや苦しみを抱える人も多い。

 筆者は2010年頃からAIDで生まれた子や医療関係者などを世界中で取材し、『私の半分はどこから来たのか』(朝日新聞出版)を出版した。この本に登場するAIDで生まれたイギリス人男性は、「考えれば考えるほど、自分の生物学上の父親が誰か分からないことの重みに、打ちひしがれる思いでした」と打ち明ける。

 「生物学上の父親を探し出すのは、自分のエネルギーを使い切り、精神的に消耗させられるものでした。ドナーかもしれないと思われる人や、提供情報記録を調べるのに費やした時間は計り知れません。その間、私は学生時代を楽しむどころか、余裕が全くなかった。そうならざるを得なかったことに強い怒りを覚えます」(同)

 そして彼は、ついに父親に会うことができた後、「もう父親探しをする必要がなくなった。それが何よりもの安堵感だった」と語った。・・・

 

▢ 私のお父さんは誰?慶應大病院「精子提供」で生まれた人が訴える切実な理由

悩み苦しむ当事者が浮かばれそうもない「特定生殖補助医療法案」とは

 「今回出た法案を見ると、いったい誰が幸せになれる法律なのか、すごく疑問です。本当に、第三者からの精子・卵子提供で生まれた子どものためになるのか。遺伝子上の親について何を知りたいかは、当事者の子ども自身に決めさせてほしいです」

 こう訴えるのは、第三者からの精子提供で生まれた石塚幸子さん。現在40代の石塚さんは、23歳の時に母親から「非配偶者間人工授精」(AID)で生まれたことを告げられた。精子の提供者は母親も知らないという。

 衝撃的な事実を知った当時、石塚さんは母親を信頼していたからこそ、裏切られたように感じてしまった。また、23年間の人生は何だったのか、何を信じてよいのかがわからなくなり、自分は一体何者なのか苦しんだ。

 そんな石塚さんが問題視するのが、2月に参議院に提出された「特定生殖補助医療法案」だ。この法案はもともと、AIDで生まれた子の〈出自を知る権利〉の保障が目的だった。その内容は、

(1)卵子や精子を提供したドナーの名前や生年月日、マイナンバーなどの情報を、国立成育医療研究センターで100年間保存すること、

(2)成人した子どもが希望すれば、ドナーの身長、血液型、年齢を情報開示できること

ーーーなどが、盛り込まれた。

 一方で、氏名など個人を特定できる情報は、ドナーが了承した場合のみの情報開示にとどまった。これは、ドナー側に決定権があることを示す。そのこと自体、〈出自を知る権利〉を持つ子どもの視点に立っていないことは明らかだ。

 日本におけるAIDは1948年から慶応義塾大学医学部で始まり、生まれた子は1万人以上いると言われる。しかし、長らく親が子にその事実を伝えないことが慣習だった。そのため、大人になって出自を知った当事者が、悩みや苦しみを抱えるケースも多い。

 2月、【本当に子どものため?特定生殖補助医療に関する法律案 国会提出を受けて】と題したオンライン・ディスカッションが緊急開催された。AIDで生まれた人や精子提供者らは、この法案の何に憤っているのか? 活発な意見交換の中から、いくつか厳選して紹介する。

 一般社団法人ドナーリンク・ジャパンなどによる、オンライン・ディスカッションにおける意見の一部を紹介する(筆者要約)。

加藤英明さん(職業は医師、第三者による精子提供で生まれた)
 AIDが始まったのは1940年代末と言われています。そこから75年も経ってようやく法律化の運びとなり、一つの区切りではあります。しかし、精子提供者がどんな人なのか、やはり会ってみたいし、話してみたい。遺伝子上の親に会えるということが、私たちの心のケアにつながることを多くの人に知ってほしいです。

木野恵美さん(仮名、精子提供で生まれた)
 自分がどこから来たのか、何者なのかが分からないと、アイデンティティを構築できません。精子・卵子を提供するということは、人間を生み出すこと。提供者は自分の遺伝子を受け継がせるのですから、子が求める遺伝情報を開示し、面会や交流もあってしかるべきだと考えます。

あおいさん(仮名、AIDで生まれた)
 今回の法案の目的に〈出自を知る権利〉を掲げるのであれば、提供者の血液型や身長、年齢を知ることができれば十分かというと、そういうことではないと思います。また、提供者情報を開示するための年齢が18歳と規定されていることにも疑問を感じています。安易に、「子どものための法律」といった言葉を使わないでほしいです。

海道明さん(仮名、AIDで生まれた)
 法的夫婦のみを対象者にし、同性カップルなどを含まないという点で、異性愛家族主義を過度に特権化している点が引っかかります。また、提供者のプライバシーの権利と、生まれてくる子どもの知る権利が対立するのであれば、子どもの知る権利を優先すべきではないでしょうか。

中田満義さん(仮名、精子提供者、90歳)
 国会に提出された、卵子・精子提供ドナーの血液型と身長と年齢については一律開示し、それ以上の情報を知りたい場合、ドナーが同意する情報だけ開示するという法案には反対です。

 子が出自を知りたいと望む限り、それを知らせる体制を作ることが、社会の義務だと思います。AIDで生まれた子が、出自が分からないため苦しむことがあるという実態が明らかになっている以上、AIDと〈出自を知る権利〉をセットにして考えるべきだと思います。

 私が64年前にAIDに協力した際、10例ほどで辞めたのには理由があります。生まれる子に対して、大人が秘密にすればそれでいいのか、と大きな違和感を持ったからです。この医療の関係者から、AIDで生まれる子について、ドナーである私にも知らされませんでした。

 〈出自を知る権利〉は、生物学上の親の情報を知る権利として、1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」にも記されている(日本は94年に批准)。昔と比べて最も変化しているのは、世界では医療者側が出生の事実を子どもに告知するのが推奨されるようになったことだ。しかし、日本では〈出自を知る権利〉が法整備されるどころか何十年も放置されてきた

 2020年末、民法の特例で、提供精子・卵子で出産した親子関係について整理する法律が成立した。しかし、〈出自を知る権利〉の保障については、「2年をめどに検討する」と付則で定められるにとどまった。そして25年になってようやく今回の特定生殖補助医療法案が提出されたという流れだ。

 AID当事者の研究を長年続けてきた元慶應義塾大学准教授の長沖暁子氏は、同法案について、「このような法案を、〈出自を知る権利〉という言葉を使って紹介すること自体が、ミスリードになる」と指摘する。

親や提供者は自分でこの技術を選ぶことができます。でも、生まれてくる人は選ぶことができません。だからこそ、生まれてきた人の福祉を考えて〈出自を知る権利〉が重要だと世界の潮流が変わってきているのです」(同)

 同法案のもう一つの問題点は、提供精子・卵子による特定生殖補助医療の対象を、「法律婚の夫婦」に限り、認定を受けた医療機関のみが実施可能とすることだ。違反に対しては、拘禁刑や罰金などの罰則も設ける。法案の検討過程では、事実婚や女性同士のカップルを対象に含める案も一時浮上したが、採用されなかった。

 この点について、すでに生まれている当事者が「違法な手段で生まれた人」と見られる可能性に、不安を感じているのもまた事実だ。法案が成立して施行されれば、事実婚の夫婦や同性カップルは精子・卵子の提供を医療機関で受けられなくなる。当事者団体などから反発や不安の声が上がっている。

 筆者はAIDで生まれた子や医療関係者などを世界中で取材し、『私の半分はどこから来たのか』(朝日新聞出版)を上梓した。その本を執筆した最も重要な動機が、日本で〈出自を知る権利〉が法制化されることだった。今回提出された法案には、当然この権利が保障されるだろうという期待があった。

 また、本では「家族観は変容し、LGBTQやシングルでも子どもを持つ時代だ」と提起している。実際、家族という形態は、現代社会において一つではなくなっている。しかし今回の法案は、まるで時代に逆行するような印象を受ける。筆者は、対象者を法律婚だけとすることに合理性はないと考える。

 当事者の期待を裏切るであろう法案は、はたして可決されるのだろうか。

 


中居正広問題〜日本社会に潜む性暴力

2025-04-10 07:02:13 | 性被害

元SMAPの中居正広氏が“性暴力”問題であっという間にテレビから消えてしまいました。

芸能人って「芸を売る」人たち、

とくに女性は「女性としての魅力」が武器になる世界ですから、

なんとなく「やっぱりな・・・」という印象を持つ日本人は少なくないと思われます。

さて、日本社会・企業を見渡すと、

潜在的な性暴力はどの程度存在しているのでしょうか。

 

▢ 中居正広とフジ経営陣はあなたの会社にもいる…フジ第三者委員会が報告書で問いかけた日本企業の病巣昨日のフジは、明日のわが社かもしれない

2025.4.8:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 
フジテレビとフジ・メディア・ホールディングスが設置した第三者委員会が調査報告書を公表した。中居正広氏とフジの問題とは何だったのか。元MBS毎日放送のプロデューサーで、同志社女子大学メディア創造学科の影山貴彦教授は「報告書は中居氏の性加害を認定、フジ経営陣の責任を明確にした。画期的だった点はこれだけではない」という――。

“玉虫色”の結論はなく、衝撃的だった

 3月31日、フジテレビの第三者委員会が公表した調査報告書は驚くべきものだった。これまで日本社会で往々にしてよしとされてきた玉虫色、騒ぎをできるだけ大きくしないという穏便な結論にとどまるのではなく、経営陣の責任や企業風土などを厳しく追求した衝撃的な内容だった。フジテレビにとってはこの上なく厳しいものであるが、この調査報告書は日本社会に対して風穴を開けたと評価したい。

 私は会見前、中居正広氏と元女性アナウンサーとの問題の真相が、どれほど具体的に書かれているかという点に注目していた。調査報告書が抽象的で中途半端なものであれば、すべてが台無しになる恐れがあった。しかし蓋を開けてみれば、その心配は杞憂に終わる。全394ページの調査報告書には、中居氏と女性、フジテレビ社員とのやり取りが具体的に、かつ生々しく記載されていたからだ。

 事実関係を正確に把握するため、第三者委員会は関係者に対して徹底的な調査をおこなった。ヒアリングを受けたあるフジテレビ社員は、その時の様子を「取り調べ」に例えたという。「しんどい」と感想を漏らしてしまうほどの厳しい追求があったことは、調査報告書全体からも感じ取れる。いろいろな制約があるなかで、わずか2カ月であれほどの調査報告をまとめた点はもっと高く評価されて良いだろう。第三者委員会の竹内朗委員長をはじめ、弁護士のみなさんには改めて敬意を表したい。

組織の責任がはっきりした

 それ以外にも、着目したポイントが2つある。

 まず、第三者委員会が、大筋として「週刊文春の報道は正しかった」としていることだ。週刊文春は第一報で問題が発生した日、女性を会食に誘ったのはフジテレビ社員だと報じた。第二報で、フジテレビ社員の関与はなかったと記事を訂正。それを発端として週刊文春に非難のベクトルが向かったが、第三者委員会は中居氏と女性の問題を「業務の延長線上における性暴力」と認定した。問題をめぐってはフジテレビ社員あるいは組織が関与していたかどうかが焦点となっており、第三者委員会はそれも汲み取ったうえで、総合的には事実に変わりないと指摘した点は大きい。

 次に、組織としての責任についてはっきりと言及していたことだ。女性が被害を相談した際、フジテレビの編成を担うキーマン3人は「プライベートな男女間のトラブル」と判断し、密室ともいえる空間で意思決定をおこなった。そのキーマン3人は、当時の港浩一社長と大多亮専務、編成制作局長である。

どの企業も“高みの見物”はしていられない

 大多氏は24年に関西テレビの社長に就任し、1月の定例記者会見で「この件に関西テレビは一切関与していない」と述べた。中居氏に対する怒りの感情も明かし、それをポジティブに受け止めたメディアが多かった印象だ。ところがフジテレビの関係者とは一歩引いたような大多氏の発言を、調査報告書は一蹴した。「あなたは紛れもなく首謀者のひとりです」と言わんばかりに、大多氏の名前を挙げたうえで当時の対応を厳しく批判したのだ。

 大多氏の動向が注目されたが、4月1日に開かれた関西テレビの入社式で新入社員を含む全社員に謝罪。同月4日には辞任を発表した。大多氏は第三者委員会の指摘で辞職を決断したと述べていることからも、調査報告書がもたらした影響は大きかったといえる。

 私が最大限に評価しているのが、フジテレビには「ハラスメントに寛容な企業体質」があると指摘した点だ。人権意識の低さとガバナンス機能の不全を問う踏み込んだ指摘により、フジテレビの恥ずかしい部分が露呈する形となった。これは他社にとってもひとごとではない。フジテレビは悪しき慣行が存在する企業のひとつであるとされたが、どの企業も高みの見物ができる立場ではないのだ。

「ハラスメント」「人権侵害」はメディアに限らない

 フジテレビの一連の問題を受け、各局がハラスメントや人権侵害に関するヒアリングをおこなった。総じて「大きな問題はなかった」と早々に調査結果を出したが、一体どのような調査をしたのだろうか。どれほどの手間暇をかけたのか、第三者委員会があれだけのメッセージを出したあとだからこそ大いに疑問が残る。CM出稿を停止しているスポンサー企業についても「あなた方は大丈夫なのか」と問いたい

 この調査報告書は、第三者委員会がすべての企業や組織に向けたメッセージだ。「フジテレビは」ではなく「私たちは」という主語で問題を捉え、「私たちは大丈夫なのか」と自社の問題を徹底的に洗い出していただきたい。そして調査結果を内に秘めるのではなく、社会に向けて発表するのだ。記者たちも曖昧な調査結果をそのまま受け止めるのではなく「どのような調査をしたのですか」と聞き出す必要がある。

 何もメディアに限った話ではない。「スパルタ的な指導」「ハラスメント的な振る舞い」が長らく見過ごされてきた風潮は日本企業の組織風土としてあるだろう。そのような人物が評価される組織は、今も決して無くなってはいないと思う。“テレビ業界は変われていない”という話はよく聞くが、それ以外の一般企業も含め見直すことが必要だ。それが当たり前の社会になっていくことを望む。

株主総会までに総退陣の意思を示すべき

 私は以前から「フジテレビの経営陣は総取っ替えすべき」と主張してきたが、現時点ではフジ・メディア・ホールディングスに金光修氏や清水賢治氏ら5人の取締役が留任している。これはフジテレビに日枝イズムが残っていることにほかならず、外資系の株主も「新経営陣を迎えるべき」と指摘してきた。極めてまっとうな指摘である。

 フジテレビが抱える膿をしっかり出し切るには、経営陣を刷新するしかない。新しい経営陣には、外部から人材を迎えることも必須だ。とはいえ経営陣を全員、外部の人たちだけで揃える必要はないと思う。特殊な世界であるため、メディアに隣接する業界からトップを迎え、フジテレビを昔からよく知る社員で支えながら改革していくのが理想的な形だろう。

 タイミングも重要だ。私は株主総会が開かれる6月までに、総退陣する意思を示すべきだと考えている。株主総会で糾弾されてから「フジテレビの経営陣を一掃しました」と発表するよりも、もっと早いタイミングでおこなったほうが説得力も増す。実際、日枝氏の退任も一番初めに会見を開いた1月17日に発表していればこれほど深刻な事態にはならなかったはずだ。

“焦る気持ち”を見せるのは拙速だ

 少し古い話になるが、1986年にタレントのビートたけし氏がフライデー襲撃事件を起こした際、母親のさきさんは取材陣に対して驚愕の発言をした。「あんなどうしようもないのは、死刑にでもしてください」と言い放ったのだ。それを聞いたビートたけし氏は激怒したが、さきさんは自分が厳しいことを言わないと世間の許しを得られないと考えたのだという。実際に、これ以降ビートたけし氏に対する風向きは一変した。一番近しい存在の母親が真っ先に突き放したことで、説得力を増したのだ。

 今回の問題に置き換えてみると、日枝氏を含む経営陣の一斉退任は、本来であれば大きな説得力をもって「フジテレビは生まれ変わった」というメッセージを伝えることができた。遅きに失した感は否めないが、6月の株主総会までに経営陣の刷新を発表すれば、リカバリーできる可能性が少し高まるのではないだろうか。

 ただしリカバリーを急ぎすぎると、逆効果になる。発言する際の言葉選びにも注意が必要だ。清水社長は、4月1日に開催されたフジテレビの入社式でのあいさつで「強い組織というのは、誤りを修正する力がある組織」と述べた。「修正」という言葉には、今回の問題をできるだけ穏便に済ませたい清水社長の本音がにじみ出ている。また、再生に向けた真摯な姿勢を示すためには「誤り」ではなく「過ち」と表現すべきだった。早くなんとかしたいと焦る気持ちはわかるが、その姿をスポンサー企業や株主、視聴者に見せてはいけない。

フジテレビはタイミングを見誤ってはならない

 スポンサー企業に関しても、CM出稿は拙速に再開すべきではない。第三者委員会の報告を受け、キリンHDやサッポロビールなどがCM出稿の再開を見送った。一方で、サントリーHDは再開を検討する意思を示しており、各社で対応が分かれている。清水社長が提示した再発防止策は、一朝一夕では絶対に実現できないものだ。そのため一定の成果が出始めてから、スポンサー企業はCM出稿の再開を検討してほしい。

 拙速にスポンサー企業が戻ると、せっかく第三者委員会が素晴らしい報告書を出したのにもかかわらず、従来の穏便なまとまり方になってしまう。フジテレビにとっては我慢のしどころだが、スポンサー企業や株主、そして視聴者の納得を得ることが最優先事項だ。

 真摯な対応を示し続ければ、いずれ社会に伝わる日がやって来る。阪神・淡路大震災が発生した際、私はこんな経験をした。当時私はラジオの報道特別番組のディレクターを務めており、少しでもリスナーの役に立ちたいと来る日も来る日も24時間体制で情報を流していた。ある時、リスナーからメッセージが届いた。「いつも役に立つ情報をありがとう。でも、そろそろ明るい曲も聴きたくなってきました」と希望を伝えてくれたのだ。我々はそこで初めて、夜の時間帯にラジオで曲を流した。

 「もういいだろう」と自分たちから動いたのではなく、「もういいよ」という声を聞いて動いたのだ。状況は違うかもしれないが、フジテレビも世の中から「もういいよ」と言われる時がきっとやって来る。フジテレビもスポンサー企業も、そのタイミングを誤らないようにしてほしい。

 

 CM出稿再開のタイミングは、私の感覚では譲歩して考えたとしても、早くても秋、10月以降になるのではないだろうか。フジテレビは報道や検証番組などを通じて視聴者やスポンサー、株主に対して具体的な改革の成果を説明していくと思うが、一回きりでは済まないだろう。複数回、時間をかけて丁寧に説明していかないと信頼は取り戻せないからだ。

 抜本的な組織改革をおこなうことは言うまでもないが、愚直に素晴らしい番組を制作し続けることがフジテレビ再生の唯一の道だ。テレビ業界を愛する者のひとりとして、フジテレビ再生のために頑張ろうとしている社員にエールを送りたい。特に若手や中堅を中心とする現場の社員たちの頑張りに期待する。

3月20日、フジテレビは地下鉄サリン事件を振り返る大型特番を放送した。民放他局でオウム事件の特集が下火になるなか、フジテレビは変わらずオウム報道に力を入れてきた。この姿勢は報道機関として賞賛に値する。しかし、である。地下鉄サリン事件から30年という節目とはいえ、局の存続がかかっている問題のさなか、オウム事件の特集を放送するのは優先順位が違う。ほかの社会問題を語っている場合ではなく、今起きている問題に対する検証特別番組を最優先で放送すべきだった。

今一度、原点に立ち返ってほしい

 そうしたなかで、3月31日に最終回を迎えた清野菜名主演のドラマ「119エマージェンシーコール」は健闘が光った。放送の途中でフジテレビの問題が噴出したものの、演者とスタッフの気概に満ちており、フジテレビ全体を引っ張っていたと感じた。素晴らしい番組を制作することが、フジテレビの商売だ。「119エマージェンシーコール」のような番組を1つ、2つ、3つと制作していった先に、フジテレビの再生があると考える。

たとえば、優れたテレビやラジオの番組、CM、報道活動に与えられる「ギャラクシー賞」等に選ばれることになれば、厳しい風向きも変わるだろう。フジテレビには放送外収入があるから傾きにくいという声もあるようだが、放送を主としている業界は、放送が倒れたらにっちもさっちもいかないのだ。フジテレビは、その原点に今一度立ち返ってほしい。

 

上記は平和な日本での話しですが、

紛争・戦争地域では今でも日常的に性暴力が発生し、性被害が発生し続けています。