近年、精子提供を受けた出生した子どもたちの葛藤がニュースで流れるようになりました。
自分は現在の両親の子どもではなかった。
卵子は母親のものだけど、精子は未知の男性のもの・・・
「自分はいったい誰なのか?」
・・・精子提供を受けて出生した子どもたちが成長し、
自分のアイデンティティに疑問を持ち、悩んでいます。
「匿名」という条件で精子を提供した男性達と、
「知る権利」を主張する生を受けた子どもたち。
解決法(落としどころ)はあるのでしょうか?
根本の問題は、
「精子提供は子どもの欲しい夫婦の人権を考慮しているが、
生まれてくる子どもの人権を考慮していなかった」
という一点に尽きると感じました。
今回、AIDに関する法律案が提出されましたが、
そこでも生まれてきた子どもの人権は限定的です。
では、提供する男性と生まれてくる子どもの両方の人権を尊重することは可能でしょうか。
提供男性は、自分の情報が子どもにだけ開示されるとしても、
現在の情報化社会において機密を保持することは困難である状況を考慮すると、
提供者が激減することが予想されます。
所詮、このシステムには無理があったということでしょうか。
▢ 「精子提供すべきではなかった…」90歳の男性が若かりし日の出来事を後悔するワケ
「こんな法律なら、ない方がまし」――。第三者から提供された精子や卵子を使う不妊治療の制度を定める「特定生殖補助医療法案」が今国会に提出されたことを受け、当事者らから批判の声が上がっている。当事者というのは、精子・卵子を提供した人と、精子・卵子提供によって生まれた人だ。子どもの〈出自を知る権利〉の保障が法案の目的だが、現行案ではどんな問題があるのか。当事者らの切実な胸中を取材した。・・・
不妊治療に使う精子を提供した90歳男性の後悔
「私は産婦人科医の息子です。父からは、不妊の夫婦が子どもを持ちたい切実な思いを聞かされてきました。青年時代、AID(非配偶者間人工授精)に積極的に協力したのは、その思いからです。〈出自を知る権利〉は考慮することなく、単純にAIDは望ましいことだと思ってきました」
こう告白するのは、64年前にAIDに協力し、精子を提供していた経験を持つ中田満義さん(仮名、90歳)だ。
「AIDを選択し、夫婦で子どもを育てた親御さんには心から敬意を表します。ただ、過去に精子を提供した者として今、思うのは、出自を明らかにしないAIDは子どもに不幸な思いをさせますし、提供者も無責任だということです」
「生まれた人が私を見つけてコンタクトを取ってくるなら、私はきちんとそれに答えるつもりでいます。が、その人は、私のことを知る術がありません。今となっては、そのようなAIDに協力すべきでなかったという思いがします」
2月、一般社団法人ドナーリンク・ジャパンなどによる、【本当に子どものため?特定生殖補助医療に関する法律案 国会提出を受けて】と題したオンライン・ディスカッションが緊急開催された。そこではAIDで生まれた人や精子提供者らが、それぞれの立場から法案について意見を交わした。中田さんも参加者のひとりだ。
ディスカッションが緊急開催されたのは、自民・公明・日本維新・国民民主4党らの議員連盟が「特定生殖補助医療法案」を参議院に提出したのを受けてのこと。この法案はもともと、AIDで生まれた子の〈出自を知る権利〉の保障が目的だった。
ところが、提出された現行案では肝心のその目的が全く達成されていない。問題点は大きく二つある。一つは、当事者の声を聞かずに拙速に議論を進め、真の意味での〈出自を知る権利〉が保障されていないこと。もう一つは、生殖補助医療の対象が「法律婚の夫婦」に限られることだ。
【2月5日提出「特定生殖補助医療法案」の要約】
特定生殖補助医療の適正な実施を確保するための制度、特定生殖補助医療により出生した子が自らの出自に関する情報を知ることに資する制度等について定める。
1. 医療を受けられるのは、法的夫婦のみ。
2. 精子・卵子の提供者の情報、その医療を受けた夫婦、出生した子の情報を国立成育医療センターにおいて100年保存。
3. 出生した子は、成人に達した後、以下のことをセンターに請求・要請できる。
(1) 自らの情報の保存の有無の確認
(2) 提供者の個人の特定しない情報の開示(身長、血液型、年齢等)
(3) 提供者を特定できる情報を、センターを通して本人に要請(提供者は拒否することができる。提供者に決定権がある)
(4) 提供者が死亡していた場合には、氏名の開示(提供当時の同意があるとき)をセンターに請求できる
日本におけるAIDは1948年から慶応義塾大学医学部で始まり、生まれた子は1万人以上いると言われる。しかし、長らく親が子にその事実を伝えないことが慣習だった。そのため、何らかの理由で出自を知った当事者(大人になってから知ることが多い)は、アイデンティティの喪失などに陥り、悩みや苦しみを抱える人も多い。
筆者は2010年頃からAIDで生まれた子や医療関係者などを世界中で取材し、『私の半分はどこから来たのか』(朝日新聞出版)を出版した。この本に登場するAIDで生まれたイギリス人男性は、「考えれば考えるほど、自分の生物学上の父親が誰か分からないことの重みに、打ちひしがれる思いでした」と打ち明ける。
「生物学上の父親を探し出すのは、自分のエネルギーを使い切り、精神的に消耗させられるものでした。ドナーかもしれないと思われる人や、提供情報記録を調べるのに費やした時間は計り知れません。その間、私は学生時代を楽しむどころか、余裕が全くなかった。そうならざるを得なかったことに強い怒りを覚えます」(同)
そして彼は、ついに父親に会うことができた後、「もう父親探しをする必要がなくなった。それが何よりもの安堵感だった」と語った。・・・
▢ 私のお父さんは誰?慶應大病院「精子提供」で生まれた人が訴える切実な理由
悩み苦しむ当事者が浮かばれそうもない「特定生殖補助医療法案」とは
「今回出た法案を見ると、いったい誰が幸せになれる法律なのか、すごく疑問です。本当に、第三者からの精子・卵子提供で生まれた子どものためになるのか。遺伝子上の親について何を知りたいかは、当事者の子ども自身に決めさせてほしいです」
こう訴えるのは、第三者からの精子提供で生まれた石塚幸子さん。現在40代の石塚さんは、23歳の時に母親から「非配偶者間人工授精」(AID)で生まれたことを告げられた。精子の提供者は母親も知らないという。
衝撃的な事実を知った当時、石塚さんは母親を信頼していたからこそ、裏切られたように感じてしまった。また、23年間の人生は何だったのか、何を信じてよいのかがわからなくなり、自分は一体何者なのか苦しんだ。
そんな石塚さんが問題視するのが、2月に参議院に提出された「特定生殖補助医療法案」だ。この法案はもともと、AIDで生まれた子の〈出自を知る権利〉の保障が目的だった。その内容は、
(1)卵子や精子を提供したドナーの名前や生年月日、マイナンバーなどの情報を、国立成育医療研究センターで100年間保存すること、
(2)成人した子どもが希望すれば、ドナーの身長、血液型、年齢を情報開示できること
ーーーなどが、盛り込まれた。
一方で、氏名など個人を特定できる情報は、ドナーが了承した場合のみの情報開示にとどまった。これは、ドナー側に決定権があることを示す。そのこと自体、〈出自を知る権利〉を持つ子どもの視点に立っていないことは明らかだ。
日本におけるAIDは1948年から慶応義塾大学医学部で始まり、生まれた子は1万人以上いると言われる。しかし、長らく親が子にその事実を伝えないことが慣習だった。そのため、大人になって出自を知った当事者が、悩みや苦しみを抱えるケースも多い。
2月、【本当に子どものため?特定生殖補助医療に関する法律案 国会提出を受けて】と題したオンライン・ディスカッションが緊急開催された。AIDで生まれた人や精子提供者らは、この法案の何に憤っているのか? 活発な意見交換の中から、いくつか厳選して紹介する。
一般社団法人ドナーリンク・ジャパンなどによる、オンライン・ディスカッションにおける意見の一部を紹介する(筆者要約)。
加藤英明さん(職業は医師、第三者による精子提供で生まれた)
AIDが始まったのは1940年代末と言われています。そこから75年も経ってようやく法律化の運びとなり、一つの区切りではあります。しかし、精子提供者がどんな人なのか、やはり会ってみたいし、話してみたい。遺伝子上の親に会えるということが、私たちの心のケアにつながることを多くの人に知ってほしいです。
木野恵美さん(仮名、精子提供で生まれた)
自分がどこから来たのか、何者なのかが分からないと、アイデンティティを構築できません。精子・卵子を提供するということは、人間を生み出すこと。提供者は自分の遺伝子を受け継がせるのですから、子が求める遺伝情報を開示し、面会や交流もあってしかるべきだと考えます。
あおいさん(仮名、AIDで生まれた)
今回の法案の目的に〈出自を知る権利〉を掲げるのであれば、提供者の血液型や身長、年齢を知ることができれば十分かというと、そういうことではないと思います。また、提供者情報を開示するための年齢が18歳と規定されていることにも疑問を感じています。安易に、「子どものための法律」といった言葉を使わないでほしいです。
海道明さん(仮名、AIDで生まれた)
法的夫婦のみを対象者にし、同性カップルなどを含まないという点で、異性愛家族主義を過度に特権化している点が引っかかります。また、提供者のプライバシーの権利と、生まれてくる子どもの知る権利が対立するのであれば、子どもの知る権利を優先すべきではないでしょうか。
中田満義さん(仮名、精子提供者、90歳)
国会に提出された、卵子・精子提供ドナーの血液型と身長と年齢については一律開示し、それ以上の情報を知りたい場合、ドナーが同意する情報だけ開示するという法案には反対です。
子が出自を知りたいと望む限り、それを知らせる体制を作ることが、社会の義務だと思います。AIDで生まれた子が、出自が分からないため苦しむことがあるという実態が明らかになっている以上、AIDと〈出自を知る権利〉をセットにして考えるべきだと思います。
私が64年前にAIDに協力した際、10例ほどで辞めたのには理由があります。生まれる子に対して、大人が秘密にすればそれでいいのか、と大きな違和感を持ったからです。この医療の関係者から、AIDで生まれる子について、ドナーである私にも知らされませんでした。
〈出自を知る権利〉は、生物学上の親の情報を知る権利として、1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」にも記されている(日本は94年に批准)。昔と比べて最も変化しているのは、世界では医療者側が出生の事実を子どもに告知するのが推奨されるようになったことだ。しかし、日本では〈出自を知る権利〉が法整備されるどころか何十年も放置されてきた。
2020年末、民法の特例で、提供精子・卵子で出産した親子関係について整理する法律が成立した。しかし、〈出自を知る権利〉の保障については、「2年をめどに検討する」と付則で定められるにとどまった。そして25年になってようやく今回の特定生殖補助医療法案が提出されたという流れだ。
AID当事者の研究を長年続けてきた元慶應義塾大学准教授の長沖暁子氏は、同法案について、「このような法案を、〈出自を知る権利〉という言葉を使って紹介すること自体が、ミスリードになる」と指摘する。
「親や提供者は自分でこの技術を選ぶことができます。でも、生まれてくる人は選ぶことができません。だからこそ、生まれてきた人の福祉を考えて〈出自を知る権利〉が重要だと世界の潮流が変わってきているのです」(同)
同法案のもう一つの問題点は、提供精子・卵子による特定生殖補助医療の対象を、「法律婚の夫婦」に限り、認定を受けた医療機関のみが実施可能とすることだ。違反に対しては、拘禁刑や罰金などの罰則も設ける。法案の検討過程では、事実婚や女性同士のカップルを対象に含める案も一時浮上したが、採用されなかった。
この点について、すでに生まれている当事者が「違法な手段で生まれた人」と見られる可能性に、不安を感じているのもまた事実だ。法案が成立して施行されれば、事実婚の夫婦や同性カップルは精子・卵子の提供を医療機関で受けられなくなる。当事者団体などから反発や不安の声が上がっている。
筆者はAIDで生まれた子や医療関係者などを世界中で取材し、『私の半分はどこから来たのか』(朝日新聞出版)を上梓した。その本を執筆した最も重要な動機が、日本で〈出自を知る権利〉が法制化されることだった。今回提出された法案には、当然この権利が保障されるだろうという期待があった。
また、本では「家族観は変容し、LGBTQやシングルでも子どもを持つ時代だ」と提起している。実際、家族という形態は、現代社会において一つではなくなっている。しかし今回の法案は、まるで時代に逆行するような印象を受ける。筆者は、対象者を法律婚だけとすることに合理性はないと考える。
当事者の期待を裏切るであろう法案は、はたして可決されるのだろうか。