goo blog サービス終了のお知らせ 

“性”と“生”を巡る探検

“性”と“生”に関するあらゆる情報・オモテウラの知識を備忘録としてここに残しています。

バストが大きいことの、メリット vs デメリット

2025-02-24 07:27:02 | “性”文化情報

以前、「昔の日本女性は上半身裸が当たり前だった?」というブログを書きました。

明治時代以前は女性の胸は裸族のように“隠すもの”ではなかったという衝撃の事実。

それに“女性の乳房はエロ”という意味づけをしたのはメディアの力によるところが大きい、

というストーリーでした。

ただ、乳はミルクであり、女性の胸は乳房ですから、

たとえば“巨乳”という表現はおかしい・・・まだ文化が移行する過度期ということも垣間見えました。

 

今回は着物を脱ぎ捨てて洋服を着るようになった戦後の“女性のバスト”に注目してみます。

隠すようになり、“エロ”と意味づけされ、しかし洋服&ブラジャーで目立つようになったバスト。

 

男子にとって女子の大きなバストは魅力的に映るのでしょうが、

女子自身はどう思っているのでしょうか。

“Quora”に参考になる回答がありましたので、要約して紹介します。

 

結論から云うと、

「“大きなバスト”は女性の悩みの種」

「対男性でないとほとんど意味がない」

ーーなのだそうです。

「男性受けが良い」というメリットと、

「重い」「暑い」「肩が凝る」のデメリット、どっちがいいかという問題・・・。

 

お○ぱいが大きすぎて、生活に支障が出ることはありますか

・戦前までの日本女性にとって「胸の大小」は、普段の見た目には関係がありませんでした。日本では戦前は着物でした。和服は女性の凹凸をなきものにする衣服です。若い女性だと、当然贅肉は少なく腰がくびれているのですが、成人式などではそれをツライチにするために、バスタオルを合計3枚ぐらいお腹に巻いています(それが日本の美意識なのです)。

・戦前までの日本女性たちにとって、夫以外の誰かに胸を見せる機会というのは、銭湯しかありません。そして厳然たる事実がお嬢さんたちを恐怖の底に陥れます。大きな胸は若い時は「大きい」のですが、年をとってしぼむと、びっくりするほど垂れるのです(ちなみに、もっとずっと年を取ると、胸の皮膚自体がなんとなく縮んで、垂れた状態が改善されるそうです)。

・1980年代までは「胸が大きいのがいやだ」という話題について、わりと女性同士でなされる話題だったと思います。まず、重い。ブラジャーをすると肩が凝る。夏はブラジャーが暑い。かといってしないと胸の下に汗をかく。ブラジャーはしめつけてしんどい。ブラジャーを山ほど持っているのに、そのうちの1枚しか合うと言えるものがない。いつも快適なブラジャーを探しているのです。

・「胸を小さく見せるブラジャー」というものがワコールから発売され、密かなヒット商品だそうですが、これぐらい、「大きなバスト」は女性の悩みの種なのです。

(参考)大きな胸を小さく見せるブラ「VEIMIA」(ヴェーミア

・「社会的に胸が必要な場合は足せます」。バレリーナや女性フィギュアスケーターの「胸のように見えるもの」は、ほぼパッドです。3枚ぐらい重ねています。胸を出すと、ウェストが細く見えるので、あわせて「女性らしい体のライン」を演出できます。洋服も水着も、胸が多少あった方が格好いい場合が多いのですが、これもある程度地盤があればごまかせます。なので、「本物の胸が必要」なのは、グラビアアイドルになりたい人や、水商売の女性かな?と思います。

・つまり、対男性でないと、大きな胸はほとんど意味がないのです。「男性受けが良い」というメリットと、「重い」「暑い」「肩が凝る」のデメリット、どっちがいいかというと、人によって判断が分かれるでしょう。また、貧乳のレベルによっても違いますよね。マラソン選手のように、本当に全然ないと、水増しする土台がないのでごまかすのに困ります。でも、マラソン選手は胸があったら、オリンピックレベルなら問題になりかねません。

・最近は下着の技術が上がって、あっちこっちから肉を寄せ集めて、胸をつくることができます。さらに、昔は「アンダー(胴回り)70センチ」より細いブラはなかったのですが、「アンダー65センチ」が登場しました。この「70センチ」と「65センチ」では、乳房自体のボリュームが全然違うんですよね。アンダーが65センチだと、わりと簡単に「C,Dカップ」になります。

・女性とバストは、こんなにも複雑な関係を持っています。ですので、このような質問があると、ただ豊かなバストに憧れる男性を羨ましく思うとともに、腹立たしくも感じます。

 

日本では「豊胸手術」が話題になりますが、

欧米では「縮小手術(Breast Reduction)」がメインだそうです。

手術をしてまで“楽になりたい”という切実な悩みが垣間見えます。

アメリカで多いイメージがありますが、ロシアはそれを上回るとか。

 

スポーツ界で「縮小手術」で成功した(?)有名なアスリートに、

テニス界のシモナ・ハレプ選手がいます。

 


江戸時代の出産事情

2025-02-17 19:16:21 | “性”文化情報

子どもを産むこと〜出産〜は今でこそ「母子とも健康が当たり前」になっていますが、明治時代までは生死をかけた一生一代のかけでもありました。

妊婦死亡率は「出産10万件当たり400〜150人」、乳児死亡率は「出生数1,000に対して250」。

生まれてから1歳になるまでに、赤ちゃんは100人に25人、つまり4人に1人は誕生日を迎える前になくなっていたのです。明治時代の平均寿命は40歳弱と現在では考えられないくらい短かったのですが、これは高い乳児死亡率の影響です。

日本には古来、子どもの成長を記念する行事がたくさんありましたが、それらは「よくぞここまで生き延びた、めでたい、めでたい!」と喜びがひとしおだったから。

さて、江戸時代の出産事情はどんな物だったのでしょう。それを扱った記事が目に留まりましたので紹介します。

読んでみて感じたこと・・・

著者は江戸時代の医療を、西洋医学が導入する前の“非科学的”医療とさげすんでいる視点が伺えます。

薬は使う(といっても漢方薬だが……)という文章がそれを示しています。

まあ、非科学的な点は否めませんが、当時の医師は患者を救おうと必死だったはず。

それから当時、漢方という呼び名はまだなかったのでは・・・

江戸後期に西洋医学(オランダが中心だったので“蘭方”)が入ってきて、

では日本の伝統医学はなんと呼ぼう・・・そこで登場したのが“漢方”という名称です。

 

 

▢ 無痛分娩も帝王切開もできず、産後も苦行が続く…「多くの妊婦が死に至る」江戸時代の過酷な出産風景それでも既婚女性は一生に5人程度出産していた

河合敦:歴史作家
2024.11.13:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);
 
 江戸時代、女性たちはどのように出産していたのか。歴史作家の河合敦さんは「非科学的なお産術が信じられていて、妊婦は出産中も出産後も横になれず座り続けなくてはならなかった。この苦行は数週間続いたこともあり、妊婦の死亡率は高かった」という――。
 
▶ 今よりずっと多産だった江戸時代

 令和6年(2024)8月1日現在、日本の人口は1億2385万人(総務省統計局概算値)。1年前よりなんと59万人も減ってしまっているのだ。原因はいうまでもなく少子高齢化。高齢者が死ぬのは人間の定めなので仕方ないけれど、問題は子どもが増えないことである。

 政府は子育て支援に取り組み、いろいろと旗を振っているのに、令和元年に生まれた子どもはたったの86万4千人。わずか50年前には200万人を超えていたのだから、その減り方のすさまじさには驚かざるを得ない。

 将来への不安、子育てより楽しい娯楽の増加など、さまざまな要因が重なって、いまの日本は女性が子どもを産みたいという気持ちの持てない社会になってきているのだろう。

 では、江戸時代の女性は、一生のあいだに何人ぐらいの子どもを産んだのだろうか。

 残念ながら、正確な統計は存在しない。ただ、当時の諸記録から類推すると、独身で一生を送る女性は少なく、結婚すると生涯に5人程度は子を産んでいたと思われる。

▶ 避妊技術が不完全で、堕胎も多かった

 しかし疱瘡や腸炎、結核といった病気により、生まれた子の多くは幼くして死んでしまい、成人できるのは半分程度だったと考えられる。衛生状態も悪い当時のことだから、出産時の死産も多く、妊婦が亡くなってしまうケースも多々あった。

 また、堕胎や間引き(生まれてすぐ殺害)も多かった。避妊の技術が極めて不完全だったこともあり、夫婦生活を続けていれば、女性は何度も妊娠を繰り返すことになる。とはいえ、多くの子どもを育てる経済力がない夫婦もいるだろうから、彼らは堕胎薬や産婆の力を借りて生まれてくる子を葬ってしまったのだ。

 ちなみに、堕胎薬の中の「朔日丸」は、避妊薬としての効果も信じられていた。女性が生理の1日目に飲むと妊娠しないとされた。ただ、かなりの劇薬が使われていたようで、これを飲み続けると一生妊娠しない体になってしまうともいわれていた。

 幕末になると「茎袋」と呼ばれる動物の皮でつくったコンドームも西洋から伝わってきたが、使用例はほとんどなかったと思われる。遊女などは紙を丸めて膣に入れ妊娠を防いでいたというが、効果ははなはだ疑問であろう。

▶ 「妊娠5カ月目に腹帯」は伝統ある風習

 さて、いまでも出産は大変な一大事だが、当時は麻酔による無痛分娩や帝王切開などないので、難産になると、その痛みや苦しみは想像を絶するものがあったろう。

 そこで今回は、現代とは大きく異なる、江戸時代の出産について紹介しよう思う。

 いまでも妊婦の多くは妊娠5カ月目に入ると、最初の戌の日に腹帯(岩田帯とも呼ばれる晒し木綿)を巻く。じつはこれ、江戸時代どころか、奈良時代に成立した『古事記』にも登場する伝統的な儀式なのだ。しかも、ほかのアジア諸国にもない日本独自の風習なのだそうだ。

 では、なぜ妊娠5カ月目に腹帯を巻くようになったのかということだが、「体が冷えないように保温のためとか、妊婦を外の衝撃から守るためとか、戌の日に巻くのは犬が安産だから、それにあやかるため。さらには、帯を巻くことで妊婦としての自覚を持たせる。人びとが妊婦だとわかるように」など、諸説があるものの、残念ながら確実な由来や理由はわかっていない。

▶ 安産祈願の水天宮はもともと久留米にあった

 ちなみに東京近郊では、安産を祈願するため、戌の日に日本橋蛎殻町にある水天宮にお参りし、神社で祈願してもらったり腹帯を購入する人が多い。地下鉄半蔵門線の駅名にもなっているので、水天宮の名を知っている方も多いだろう。

 もともと水天宮は、安徳天皇ら平家一門をお祀りする神社として久留米(現・福岡県久留米市)にあった。江戸時代になって、この地を支配するようになったのは有馬氏だが、第九代久留米藩主・頼徳のとき(文政元年・1818)、水難除災の神として藩の上屋敷(現・港区赤羽橋)内に水天宮を勧請した。

 これを知った江戸っ子が参詣を願い、塀越しに賽銭を投げ込む庶民も続出したため、久留米藩では毎月5日に人びとの参拝を認めるようになったのだ。

 その後、ある妊婦が社殿に使われた鈴の緒をもらって腹帯としたところ、非常に安産だったことから、戌の日に水天宮から腹帯を授かり、妊娠5カ月目の戌の日に帯として巻けば必ず安産となるという信仰が広まったといわれる。

 なお水天宮は明治5年、新政府が大名の藩邸を没収したので現在の地に移された。

 じつは、同じように大名屋敷に勧請された神社を一般開放する藩は少なくなかった。たとえば丸亀藩の金刀羅宮、西大平(現・愛知県岡崎市大平町)藩の豊川稲荷、仙台藩の鹽竈神社、柳川藩の太郎稲荷などがそうだ。開放することで賽銭の収入がかなり入ったからだろう。

▶ 妊婦が失神するのは胎児が喉へ手を入れるから?

 さて、妊娠しているあいだ、体調を崩したり問題が発生したときは現在と同様、薬を服用した(といっても漢方薬だが……)。とくに多くの人びとが信じていた薬の処方箋は『中条流産科全書』に記されたものだった。

 仙台藩士の中条帯刀が創始した産科術をその子孫や門弟が広めたのが中条流産科術である。そんな中条流のお産術を大坂の医者・戸田旭山が体系的にまとめたのが『中条流産科全書』(宝暦元年・1751)だ。

 ただ、その内容の多くは理にかなっておらず、かえって症状を悪化させる可能性があるものだった。

 たとえば、「母、外の事なく、度々気をとり失う時は、子、母の喉へ手をつき入るゝと知るへし。此の時、煎湯の中へ藍の実、末して入るべし」とある。「妊婦がたびたび気を失うのは、胎児が母親の喉へ手を突き入れているからで、藍の実を粉にして煮詰めたお湯を飲みなさい」という意味だ。

 確かに藍の実は漢方薬にもなり、それを煎じて飲むと、解毒や止血、喉頭炎などに効果があるとされているが、とても失神に効果があるとは思えないし、そもそも胎児が母の喉に手を入れることはあり得ない。

▶ 非科学的なお産術がまかり通っていた

 また、『中条流産科全書』には「難産で苦しいときは、八升(1.8リットル×8倍)の水を熱く沸かし、鍬を焼いてその湯に入れ、ぐつぐつと煮え立ったとき、鍬を引き上げ、その湯で『足の曲がり』(足首や膝裏のことか?)の下を洗うとよい」と記されている。

 もちろん何の科学的根拠もない。この程度の処方箋なら笑って済ませられるが、「お産のときに下痢をしたら烏の卵を黒焼きにして酒に入れて飲め」とか「お産のとき、藍の実を子宮に塗ると難産にならない」ということが書かれており、そんなことを本当に実践したら、死なないまでも逆に症状が悪化してしまうだろう。

 さて、いよいよ出産である。

 それなりの資産を持つ家柄の妊婦は、陣痛がはじまると、産室と呼ばれる狭い部屋や小屋へ移され、産婆の助けを借りて出産するのが一般的であった。出産は穢れという考え方が強く、日常の生活空間から遠ざけたのである。

▶ 座位出産は日本古来のスタイルだが…

 驚くべきは、当時の出産体位であろう。座位なのだ。妊婦が用いる椅子を「椅褥」というが、そうした椅子や布団を重ねたものを敷いて壁に寄りかかるなどして、座ったままで子どもを産み落としたのである。

 ただ、座位というのはすでに縄文時代の土偶や平安時代の絵巻物にも登場し、日本古来のスタイルだったことがわかっている。いきむときには天井から吊るした縄(泰産縄)にしがみついた。これも理にかなっている。

 ただ、むごいのは、いくら辛くても横臥できないことであった。たとえば先の『中条流産科全書』には、「産に向ひ身持様の、側へよりかかる事なかれ。胸腹痛むとて仰くなかれ、子返りせんとて痛むものなり」と書かれているのだ。

 こうして、ようやく大変な出産を終えた。妊婦もようやく横になってゆっくり眠ることができる。そう思うのは、大きな間違いだ。

▶ 出産後も座り続け、大便入りの薬を飲まされた

 『中条流産科全書』には、「物によりかからせ、足を少し屈め、少しつゝ睡らせ、多くねむらせず。酢をはなにぬり、振薬(泡立てた薬)に童便(赤子の大便)少しつゝ加へて用ゆる也」

 とある。なんと子どもを産んだそのあとも、妊婦は寄りかかりながらも座り続けなくてはならない。足を伸ばして寝てしまうと、頭に血がのぼって病気になると固く信じられていたからだ。しかも、あまり眠らないように、鼻に酢を塗りつけられ、赤ん坊の大便入りの薬を飲まされる。これでは、たまったものではない。

 そんなわけで親族の女性たちが代わるがわる出産した母親のもとに付き添い、大きな声でおしゃべりするなどして彼女を寝かせないように見張っていたという。まさに拷問以外の何ものでもない。

 その後、睡眠がゆるされるようになっても、産後数週間は座る生活をいられたのである。江戸時代、妊婦の死亡率が高かった理由がよくわかるだろう。

 

<参考>

・河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社文庫)


昔の日本女性は上半身裸が当たり前だった?

2025-02-16 13:17:27 | “性”文化情報

私は民俗学(日本の伝統的な庶民生活の調査と研究)に興味があるのですが、

以前から不思議に感じてきたことがあります。

それは、古い写真や絵を見ると、

・海女さんは上半身裸がふつうだった。

・江戸時代まで銭湯・温泉は混浴だった。

こと。

「もしかしたら、昔の裸に対する意識は現在とちがったのかもしれない」

となんとなく思ってきました。

その後いろいろ情報を集めた結果、

・海女さんは上半身裸で働くのが当たり前、男性も漁民はほとんど裸で働いていた。海女さんに服を着るよう指導すると抵抗された。

・開国した明治維新の際に外国人から「男女混浴?なんてハレンチな!」とはげしく非難されたので、禁止令を出した。

ことが判明しました。

やはり、裸に対する意識が昔と今では異なっていたのですね。

このことを扱った記事を紹介します(学問的です、あしからず)。

 

▢ 江戸時代の女性は銭湯から裸で歩いて帰った…かつての日本で女性たちが上半身裸でうろついていた理由何を"恥ずかしい"と感じるかは文化の中で形成される

(2023/12/18:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 なぜ日本人男性の多くは「乳房」に性的欲望を覚えるのか。明治大学文学部非常勤講師の三橋順子さんは「かつての日本では乳房に性的な意味はなく、女性が上半身裸で過ごしているのも当たり前だった。人が何に性的欲望を感じるかは文化の中で形成される」という――。
 
▶ 「性的欲望」とはいったい何か

 セクシュアリティ(Sexuality)の学問的な定義とはなんでしょうか。セクシュアリティとは「性欲、性的欲望」のことです。いちばん短い定義、置き換え(翻訳)ですが、ちょっと露骨ですね。もう少し穏やかな言い方を好む人は「性愛」の言葉で置き換えます。ただこれは「『愛』とは何か?」というそれなりに厄介な問題をはらみます。もっと即物的には「性現象」と置き換えられます。

 上野千鶴子さんは、日本におけるフェミニズムの大家ですが、日本のフェミニズム研究者には珍しく、若い頃からセクシュアリティへの関心をはっきりと持っていた方です(その点では尊敬しています)。その上野さんが、セクシュアリティとは「性をめぐる観念と欲望の集合」と定義しています(上野千鶴子「『セクシュアリティの近代』を超えて」)。

 おおよそ良いと思うのですが「観念と欲望」だと「行為」が抜け落ちてしまいます。そこで私は、セクシュアリティとは、「性についての欲望と行為に関わる事象の総合」と定義しています。これだと「行為」も入りますし、かなり広い定義になります。

▶ ジェンダーとセクシュアリティを分けるのは「他者」の存在

 ジェンダーとの区分を意識して、もっと細かく言いますと、「『性』に関わる事象のうち、性的指向(Sexual Orientation)、性的嗜好(Sexual Preference)、性幻想(Sexual Fantasy)、性的技巧(Sexual Technique)などを中心とする概念」になります。ちなみに、普通のセクシュアリティ研究者は性的指向、性的嗜好、性幻想の3つで語ります。私は性的技巧を入れて4つなので、「性的技巧など学問ではない!」と叱られます。

 セクシュアリティで重要なことは、基本的に「性的他者」が存在することです。「性的自己」(自分)と「性的他者」の関係性がセクシュアリティなのです。この場合、「性的他者」は実在か非実在かは問いません。また、必ずしも一対一である必要もありません。「性的他者」が非実在だったり、複数であるセクシュアリティを否定する人もいますが、私はその立場はとりません。

 「ジェンダーとセクシュアリティの違いは何ですか?」という質問がときどきあります。なかなか良い質問ですが、簡潔に答えるのは難しいです。あえて答えれば、ジェンダーとは、私(性的自己)と社会との関係性です。それに対して、セクシュアリティとは、先ほど述べたように私(性的自己)とあなた(性的他者)の関係性になります。もちろんその背景(環境)として社会はあるのですが、それは第二義的です。

▶ 何が欲情装置になるかは歴史と文化によって異なる

 つぎに、セクシュアリティの構築性の話です。「ジェンダーが構築される話はまだわかるけど、セクシュアリティは本能でしょう?」と考える人は世の中にたくさんいます。たしかに人間も動物ですから、子孫を残す本能、そのための生殖行動をとる身体機能を持っています。ですから性的欲望の存在そのものは、生物学的な身体に由来する本能的なものと言えます。

 しかし、その性的欲望が何に向かうか、何に性的欲望を覚えるかになると、本能的とは言えない多様性を持っています。それは、社会・文化的に構築されたものと考えるのが妥当です。

 この点について上野千鶴子さんは、「欲望もまた社会的に構築されるものであるならば、セクシュアリティとはすぐれて文化的なものである」と言っています。私もほぼ同じ見解です。性的欲望、存在そのものは本能に由来するものであっても、その質は社会的・文化的に構築されたものになります。つまり何に対して性的欲望を抱くか、何が欲情装置(欲情の引き金)になるかは、歴史的・文化的に異なるのです。

▶ 「巨乳」も「貧乳」もわずか40年ほど前につくられた

 例をあげて解説しましょう。近代日本における女性の乳房への視線の変化について話をします。「乳」の漢字を目にしてニヤニヤする人、もしくは恥ずかしいと感じる人がいます。そういった反応は「乳」の文字から女性の乳房を連想してのことだと考えられます。でも、それは間違いです。

 「乳」という漢字の意味は、哺乳類の雌が子どもを養育するために分泌する栄養価の高い液体、つまりミルクです。女性の胸のふくらみといった意味は本来ありません。それを言うなら「乳房」であり、膨らんでいるとか、やや垂れ下がっているの意味は「乳」ではなく、「房」の字のほうにあります。大きな乳房を漢字で表現するなら「巨乳」ではなく「巨房」と言うべきです。

 歴史的に見ても「乳」の用例は、「母乳」「授乳」「牛乳」「脱脂粉乳」など、「ミルク」の意味が圧倒的でした。「乳房」もミルクを出すふくらみという意味です。それが、1980年代の後半になって、「巨乳」「爆乳」「美乳」「貧乳」といった言葉がメディアによってつくられ(新造語)、「乳」に「乳房」の意味がつけ加えられました

▶ 「女性の乳房は大きいほどエロい」という認識はいつ生まれたか

 本来の意味なら「爆乳」は爆発性のあるミルク、「貧乳」は栄養価の低いミルクでしょう。「巨乳」は1983年頃にアダルト系の男性雑誌が使い始めたとする説が有力です。それが1980年代後半に雑誌メディア、とくに写真週刊誌に転用されて広まります。

 そもそも日本には、「女性の乳房は大きいほどエロい(性欲刺激的である)」との認識はありません。大きい乳房が好きな男性はいたかもしれませんが、少ないです。女性たちも乳房が大きいことを悩みこそすれ、誇ることはありませんでした。ところが、現代では「女性の乳房は大きいほどエロい」は社会通念化しています。それは、どこかの時点で価値観が変化したことを示しています。

▶ わずか10年弱の間に「性的視線」が変化した

 私の友人に、若い頃、モデル・女優をしていた人がいます。一緒に温泉に入っているので知っているのですが、乳房は大きくありません。モデル時代はAカップでしょう。それでも当時、一流の男性週刊誌『週刊プレイボーイ』や『週刊平凡パンチ』のカラーグラビアを飾り、写真集も出せたのです。

 現在、そうしたグラビアアイドルは、D、E、Fカップは当たり前、G、Hカップの人もいます。グラビアアイドルは巨乳でないとできないのが社会通念になっています。その彼女に「グラビアモデルの巨乳化の転機はいつだと思う?」と尋ねました。すると「それ以前にも大きな(乳房の)モデルはいたけど、負ける気はしなかった。でも、フーミン(細川ふみえ、1990年デビュー)が出てきて、これはもう私の時代じゃないと思った」との返事でした。「現場」にいた人の証言だけに貴重です。転機は1980年代最末~90年代最初期、30数年前になります。性的視線、セクシュアリティの変化がごく短い間に起きたと言えるでしょう。

▶ 「乳房」の意味が変化して人前で授乳しなくなった

 さて、そうした「乳」の文字の意味が変化したのと時をほぼ同じくして、公共の場、たとえば、電車の中、公園のベンチ、食堂など、他人(男性を含む)の視線がある場所での授乳行為が急速に見られなくなりました。少なくとも1970年代までの日本では、母親が人前で乳房を出して赤ちゃんにお乳をあげることは珍しいことではありませんでした。

 私は1970年代の前半、高校時代に電車通学をしていましたが、車中で何度も目撃しています。隣の席でもありました。乳首こそ赤ちゃんが含んでいるので見えませんが、白く張った大きな乳房は丸見えです。ただ、お母さんの乳房は赤ちゃんのもので、性的な視線で見てはいけない、というマナーは男子高校生でもわかっていました。

 そうした授乳行為は性的なものではない、性的視線では見てはいけないものという社会的な認識が崩れていったのは、都会と地方で若干の時間差があると思いますが、だいたい1980年代です。新幹線に「授乳室」ができたのもその頃だと記憶しています。

 こうした変化は、男性の女性の乳房に対する欲情が、本能ではなく社会的に構築されたもので、「乳房はエロい」「大きいほどエロい」は一種の「共同幻想」であることを示しています

▶ 混浴を「恥ずかしい」と感じていなかった江戸時代の日本人

 その仕組みとして、「男性が性的欲望の視線で見る→女性が恥ずかしいから隠す→男性は隠されるから余計に見たくなる」といった「欲望の視線と羞恥心の往復回路」が存在すると思われます。

 男性からすると、「女性が恥ずかしがって隠す→男性は隠されるから見たくなる→女性はますます隠す」と思うかもしれませんが、「鶏が先か卵が先か」のような議論になるので止めておきましょう。つまり、性的欲望と同様に羞恥心もまた、歴史的・文化的に形成されるのです。何が「恥ずかしい」かは、時代・地域によって異なるということです。

 20世紀中頃に欧米人女性が恥ずかしいと感じたことを、それより100年前の日本人女性が同じく恥ずかしいと感じていたか? というと必ずしもそうとは言えません。この話については、中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか 日本人の羞恥心』がとても参考になります。

 以下の図は、アメリカ海軍提督M.C.ペリーの『日本遠征記』(1853〜54年)に記録画家として随行したヴィルヘルム・ハイネが描いた「下田の公衆浴場図」(1854年)です。

ヴィルヘルム・ハイネ「下田の公衆浴場図」
ヴィルヘルム・ハイネ「下田の公衆浴場図」(画像=W. Heine/PD US/Wikimedia Commons

 そして、女性たちはまったく乳房を隠していません。つまり、男性は女性の乳房を日常的に見慣れていることになります。ちなみに湯舟は左奥の「屋形」がついているところ(入口で屈んでいる)の中にあり、男女一緒です。

▶ 「失われた習俗が残っている」と欧米に衝撃を与えた

 さらに言えば、見知らぬ外国人男性が入ってきてスケッチを始めたのに、女性たちはほとんど恥じらっている様子がありません。ひとりだけ中央手前の女性が画家に意識を向けているように見えます。つまり、江戸時代の伊豆下田の女性たちは、男性と混浴して全裸を見られても、ほぼ羞恥心を感じなかったのです。ただし注意しなければならないのは、羞恥心がないのではなく、羞恥心の在り方が現代の女性とは違っていたということです。

 将軍様のお膝元の江戸では、町奉行所が「男女入り込み湯」(男女混浴)を禁止するお触れを何度も出していて、それに応じて、男湯と女湯を仕切っていました。でも遮蔽はされていません。男湯と女湯を見えないように遮蔽する(しなければならない)発想は、完全に近代(明治時代以降)のものです。

 余談ですが、この「下田の公衆浴場図」は、ペリー提督『日本遠征記』の数ある挿絵の中で、最も欧米世界に衝撃を与えた絵でした。反応は大きく2つに分かれ、男女が裸で入浴するなんてなんと淫らで未開な民族だという批判。もうひとつは、すばらしい! 失われたギリシャ・ローマ的世界の習俗が、極東の島国に残っていたという賛美です。後者の人たちの中には、混浴を体験したくてはるばる海を渡って日本に来た人もいたようです。

 同時に、こうしたすばらしい習俗も、キリスト教徒の目に触れたら遅かれ早かれ消えるだろうといった予言もありました。その予言は約20年後に現実になります。

▶ 銭湯から上がったら素裸のまま家まで帰る

 さらに傍証になるのは、幕末に来日した外国人の観察です。1858年8月、真夏の長崎に上陸したローレンス・オリファントというイギリス使節の随員は、「女はほとんど胸を覆わず、男は簡単な腰布をまとっているだけである」と記しています(『エルギン卿遣日使節録』)。つまり、庶民の男性は褌一丁、女性は下半身に腰巻を巻いただけの上半身裸体です。

 また、1857~62年に日本に滞在し、日本近代医学の始祖になったオランダ人医師ポンペ・ファン・メールデルフォールトは「一風呂浴びたのち、男でも女でも素裸になったまま浴場から街路に出て、近いところならばそのまま自宅に帰ることもしばしばある」(『ポンペ日本滞在見聞記』)と記しています。おそらく夏の湯上りのあと、暑くて汗が引かないので、男性も女性も裸のまま家に帰ってしまうのです(実際には男性は褌、女性は腰巻をしていたと思いますが)。 

▶ 明治でも女性が上半身裸で働いているのは普通の光景だった

 ラグーザ・お玉(1861~1939年)という、明治初期に西洋絵画を学んだ女性が旅行先で描いた1880年頃の京都の旅館の光景では、旅館の上がり口で若い女性2人が、もろ肌脱ぎの上半身裸で石臼をまわしています。肉体労働、とくに汗をかく夏の時期に、女性が上半身裸体になるのは、明治期になっても珍しいことではなかったことがわかります。

 私も小学生の頃、夏の夕暮れ、往来の縁台で近所のおばさんが、乳房が見える状態で夕涼みをしていた記憶があります。たぶん1963年前後でしょう。「おばさん」と言っても実年齢はおそらく40歳前後、今風に言えばアラフォーの女性です。生活習慣的には、1960年代まで、江戸時代的な羞恥感覚が残っていたのかもしれません。

▶ パンツを履くようになったから「パンチラ」が恥ずかしくなる

 今まで述べたような性的視線と羞恥心の構築性、つまり歴史的に変化することを詳細に論じたのが、井上章一『パンツが見える。 羞恥心の現代史』です。書名や表紙からは怪しいエロ本に見えなくもないですが、掛け値なしに名著です。この本の内容を要約すれば、つぎのようになります。

 “60年ほど前まで、女性のパンツを見て興奮する「パンチラ」好きの男性はいなかった。なぜなら和装の女性はパンツを履いていなかったから。スカートの下のパンツに男性がときめくようになり、パンツを見られた女性が恥ずかしく思うようになったのは、日本の女性がパンツを履くようになってから。たかが半世紀ほどのこと。男性の性的視線と女性の羞恥心は、歴史の中で形成され、変化するものであることを論証する。”

▶ 人間は生殖とセクシュアリティが必ずしも結びつかない

 さて、長くなりましたがまとめになります。人間の場合、動物と違って生殖とセクシュアリティとは必ずしも結びつきません。そうした意味で、セクシュアリティは本能だけでは語れないのです。むしろ、生殖とは無縁な性行動、たとえば、同性間の性愛やオナニー(Onanie)などが、しばしば見られます。換言すれば、生殖と関わらない性行動の比重が高いところに、人間のセクシュアリティの特質があると言えるのです。

 と、まとめましたが、最新の研究で、人類以外のさまざまな動物にも同性のカップリングが観察されることがわかってきました。同性のカップリングは、生殖に直結しないものの、なんらかの形で生物進化のシステムに寄与している可能性が出てきました。今後の注目点です。

 
<参考>
・三橋順子『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版)

 

非常に興味深い論考です。

私のもう一つのおぼろげな疑問「女性の乳房は赤ちゃんのものか?男性を引きつけるためのものか?」にも答えてくれました。

男性が女性の乳房に性的魅力を感じるようになったのは、明治時代以降に女性が乳房を隠すようになり、メディアが「女性のバストはエロい」という文化を創って男性の頭脳を洗脳したから、ということなのでしょう。

ただ、小さな疑問が残ります。

ヒトの女性の乳房は、授乳期以外でも膨らんでいます。

実はこの状態、哺乳類でヒトだけ、霊長類でもヒトだけだそうです。

なので生物学的にはいろんな説があり、

「ヒトは四つ足歩行から二足歩行に進化する際、まあるいお尻が見えなくなったので、

 代わりに胸を大きくふくさませてオスを引き寄せるようになった」

なんてものもあります。

でも、霊長類のオスはメスのお尻を見て性的興奮をするのでしょうか?

チンパンジーでは繁殖期のメスのお尻が紅くなることが有名です。

「今、性行為をしたら妊娠できますよ〜」というサイン。

それを見たオス(たいていボス)はメスに近づき、

なんとメスの性器に指を入れます。

そして現在性行為をするべきベストタイミングかどうかを判断します。

「今はまだ早い」と判断すれば、性行為はスルー。

これって快感を求めるヒトの性行為とちょっと異なりますよね。

ちなみにメス側に快感があるのもヒトだけだそうです。

 

ではヒトはなぜ膨らんだ乳房を必要としたのでしょう?

もしかしたら、ヒトの男性の生殖力に不安のある神様が仕込んだことかもしれません。

昨今、「草食系男子」が話題になる時代が到来したのですから。

 


高校生の“性活動”を高校生が自己分析すると・・・

2025-02-16 09:41:18 | “性”文化情報

“男子の草食化”といわれて久しい21世紀。

20世紀に思春期を送った私にとって、信じられないことです。

現在還暦過ぎた初老男子のファーストキス経験は中学2年生(性行為初体験は内緒です)。

 

さて、現役男子高校生の性活動状況はどうなのでしょう?

それを男子高校生が自己分析する、という興味深い記事が目に留まりましたので紹介します。

 

リアルな性活動は自粛傾向、でも自慰行為は増加傾向・・・という結果。

その理由を、男子・女子ともに“コロナ禍 → インターネットの影響”を上げています。

情報過多の海に溺れて、極端に理想の相手を妄想したり、極端に妊娠や病気を怖がったり・・・。

それから大学生女子の意見として、男女平等・機会均等の時代になり、結婚が必須ではなくなってきた、男性に頼らず自分で稼ぐ時代となり、恋愛にうつつを抜かしているわけにはいかない、という考えも。

私は常々、「究極の平等とは“役割分担”であり“適材適所”」と考えているのですが、ここでの議論は控えます。

そしてこの分野の専門家である大学教授は「恋愛やセックスの価値の低下」を指摘しています。すごい時代になってきたなあ。

 

<ポイント>

・(大学教授の分析)若者のデート・キス・性交経験は、1999年から2005年あたりをピークに、それぞれの年代で減少傾向にある。1999年から2005年ごろといえば、ギャル文化や援助交際が話題になるなど、若者文化が華やかで、ある意味、節操のなかった時代。いまのようにセクシュアルハラスメントや性暴力被害も問題視されておらず、テレビ番組でも気軽に『性』を扱い、コンビニでは平気で成人向け雑誌が売られていた。 

 そこから一転、徐々に若者が性に関して保守的になってきた。理由として考えられるのは、恋愛やセックスの価値の低下。 セクシュアルなことに割く時間やお金、心理的な負荷などのコストを勘案すると、恋愛やセックスにさほどのメリットを感じられなくなった。1990年代ごろまでは恋愛やセックスが価値あるものとして別格に扱われていた。2000年代以降は、社会が成熟し、恋愛やセックスは趣味嗜好の一つになった。

 長引く不況も関係していると。失われた30年で社会全体のモチベーションが低下するとともに、若者が性に向ける意欲も低下していった。近年では、2020年からのコロナ禍も影響している。とくに高校生の性行動の減少が顕著なのは、一般的に性について関心をもち始める思春期に人と接触する機会が失われていたため。

・キス経験率:高校生男子:22.8%(前回調査より11.1ポイント減)、高校生女子:27.5%(13.6ポイント減)

・性交経験率:高校生男子:12.0%(3.5ポイント減)、高校生女子:14.8%(5.3ポイント減)

 (ピークは2005年で、高校生男子26.8%、高校生女子30.3% → 半分以下に下落)

・自慰経験率:男子:86.5%(7.4ポイント増)、女子:26.5%(7.6ポイント増) → 調査開始以来の最高値を記録

・高校生の性活動は二極化している。高校により随分雰囲気が違う。まじめな子が集まる学校、やんちゃな子が集まる学校と分かれたうえで、中間層がまじめ寄りになっている。いまどきは、不倫も不同意性交も、世間に死ぬほどたたかれる。社会の雰囲気として、純愛志向が高まっている。

・(男子)インターネットの影響。昔なら、彼氏・彼女がほしければ、学校や塾、地元の友だちの中から探していた。それが最近はSNSやマッチングアプリがあるので、出会いの可能性は無限大。しかも、ふだんの生活の中ではなかなか出会えないような美男美女が、たくさん画面の向こう側にいる。だから、勝手に理想が高くなり現実に目が向かない。

・(女子)インターネットやSNSで、女の子でも気軽に性の情報に触れやすくなったことが大きい。性感染症や望まぬ妊娠など、性行動の結果のリスクについての情報もあふれている。興味はあっても、リスクにはどうしても敏感になってしまう。

・多くの大学生女子の関心事の中心は、将来への不安。年金ももらえない、円安も進んでいる、『この先私たちどうなっちゃうの』と。男の人に頼って生きるのも時代的に違う。自分で稼いで食べていける仕事につかなきゃと思うと、勉強もけっこう大変。恋愛どころじゃない、恋愛はめんどうくさい。

・ネットでは女子の性欲についての肯定的な発信も多く、自慰=男子といった図式は揺らいでいる。女子の自慰行動は性交の代替物としての自慰行為ではなく、幸福の追求の一つとしてのセクシュアルウェルネスの向上の側面が強いのかもしれない。

・この調査は学校を通して実施しているため、中退、もしくは進学していない子などは含まれていないことに注意が必要。現実を反映していない可能性がある。

では、記事本文です;

 

▢ 高校生男子のキスは過去最低、性交は18年前の約半分――変化の理由を学生たちが自己分析すると? 

上條まゆみ(ライター)


日本のAVアイドルと中国

2025-02-09 07:36:14 | “性”文化情報

日本のAV文化が中国でも話題になっているという記事が目に留まりました。

読んでみると、そこには中国の性風俗事情だけでなく、戦争の記憶が垣間見えました。

中国には合法的な風俗産業が存在せず、AVやポルノも禁じられ、ラブホテルも存在しないため、若者の性欲は抑圧されている現実があります。

日本のAV女優が大人気で、隠れて閲覧されている様子、中でも青い空がトップらしい。

お金持ちの中国人が日本に旅行すると、歌舞伎町で日本人女性の売春を注文することが多いらしい。その心は抑圧された性欲の解放・・・だけではないようです。

 昔、中国は戦争で日本に侵略された歴史があります。その日本の女性をモノにすることで“仕返し”の快感を得たいという潜在意識もあるというのです。さらに戦後、日本人男性が金髪の白人女性に憧れた屈折した感情と重なるところがある・・・という鋭い分析もしており、妙に納得できました。

 戦争には“性犯罪”がつきものですが、戦後も後遺症的に潜在意識の中に残るのですね。

 

▢ 「蒼井そらは世界のもの」が中国の名言に…単なる性欲ではない、歌舞伎町に行きたがる中国人男性の"歪んだ欲望"憧れと同時に「侵略」に対する反発がある

(2025/02/08:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 中国からやってくる訪日客に人気のスポットはどこか。フリージャーナリストの武田一顕氏は「風俗店が立ち並ぶ歌舞伎町は人気の観光コースだ。中国には合法的な風俗産業が存在せず、AVやポルノも禁じられているので、日本で羽根を伸ばそうとする中国人男性は多い」という――。

 中国の若い世代の間では、日本のアダルトビデオもよく見られています。もちろん、当局はアダルトビデオを禁じていますが、抜け道があるようで、今はインターネットのポルノサイトも見られるようです。

 中国共産党はこの状況を認識はしています。でも、ある程度見て見ぬふりをしているのでしょう。ポルノを取り締まり過ぎると、国民にストレスがたまることはわかっているからです。アダルトビデオは政治的でもないですし、問題が起きない限りは騒ぎにはなりません。

 ちなみに、中国でダントツに人気のある日本人のセクシー女優は、蒼井そらです。彼女の人気はすさまじくて、中国のネットユーザーの間では“膜拝モーバイ”とされています。膜拝とは、女神といいましょうか、もろ手を挙げてひれ伏す対象のことをいいます。北京で開催された文化イベントにも招かれて、中国の女優や歌手との共演もしています。

▶ 「クラブに蒼井そらがいるらしい」で大騒ぎに

 2012年に当時の与党、民主党の野田佳彦政権が尖閣諸島を日本で国有化したとき、中国で大きな反日デモが起きました。そのときに中国の若者たちが掲げたプラカードや、ネット上に現れたユニークなキャッチコピーには、深刻な状況ながら少し笑わせられました。

「钓鱼岛是中国的、苍井空是世界(大家)的」

これは日本語にすると、

「釣魚島は中国のもの。蒼井そらは世界(みんな)のもの」

このように政治的なことにも影響するほどの人気と知名度でした。

蒼井そらに次いで中国の若者に人気があったセクシー女優は松島かえでです。200万部を超えたベストセラー小説『上海ビート』の著者・韓寒かんかんが自分のブログに松島のブログのリンクを貼ったこともあり、人気が爆発しました。

 蒼井そらや松島かえでには、様々な噂や情報が飛び交います。中国を訪問しているとか、クラブにいるというニセ情報が広がることもあり、その都度ファンの若者たちが興奮してパニック状態になりました。

▶ 性的に抑圧された中国人が日本に来て何をするか

 蒼井そらや松島かえでが爆発的な人気になった大きな理由の1つには、中国には性的な欲求を満たすものが圧倒的に少ないことが挙げられるでしょう。

 中国には、基本的には合法的な風俗産業はありません。日本で黙認されているような、ソープランドはもちろん、性的サービスを行うお店も、少なくとも表立ってはありません。アダルトビデオもなければ、エロ本もない。国民は性的にも抑圧されています。

 そのためずっと抑えている欲求が爆発するときは、多くの場合、日本人の想像以上になります。

 中国の文化は「マナーよりもマネー」です。お金を持っている者がえらい、という価値観で暮らしている人が大多数です。そういう人々が日本を訪れると、旅行エージェントのコーディネーターに風俗店へのアテンドを要求することもあります。セクシー女優に会わせてくれ、というケースも多いようです。

 東京・新宿歌舞伎町の買春は日本国内でも問題になっていますが、そのエリアにも中国人旅行者が目立ちます。旅行やビジネスの出張で東京を訪れた中国人が歌舞伎町へ行くのは、人気コースのひとつとされています。

 マナーよりもマネーの中国人は、風俗店でお金を積んで様々なプレイを求めると聞きます。中国には風俗店はないので、日本のアダルトビデオで見たプレイを、日本に来て体験しようとするわけです。

▶ 侵略国である日本の女性を意のままにする快感

 中国人にとって、日本人風俗嬢から受ける接客は、性欲の解消だけが目的ではないように思える部分もあります。それは、これまでの日中間の歴史に根付いた、中国人の日本人に対する潜在的なコンプレックスや敵対心も関係しているのではないかと。

 中国人は日本人に反発と同時に憧れもあります。中国人には日本に侵略されたという民族的な記憶が残っていて、その日本人の女性を思いのままにする行為に価値があり、そこに快楽を覚える傾向を感じます。

 日本人にも似た傾向はあるのではないでしょうか。日本は太平洋戦争で負けています。多くの人が命を失い、アメリカに占領されました。恨み憎しみを持つのが普通です。実際に恨んでいる人もいるでしょう。

 ところが、特に1960~70年代の若者は、アメリカの文化・カルチャーに憧れて積極的に受け入れていました。金髪女性に憧れ、交際しようとする中高年も少なくありませんでした。それに近い状況が中国人男性にも起きていると私は分析しています。

▶ ラブホテルがない国で若者はどう愛を交わすか

 中国には、風俗店がないだけでなく、ラブホテルがありません。ラブホテルは日本で発展した文化で、中国以外の国でもあまり見かけませんが、性行為を行うためにあるあの施設とシステムはとても実質的です。

 学生の場合、ほとんどの大学は全寮制です。寮の部屋に異性を誘うことは禁じられています。それに多くの場合、相部屋か大部屋です。

 とはいえ、20歳くらいの男女は性欲が旺盛です。パートナーがいればしたい。では、どこで結ばれるのか。屋外です

 中国の大学の敷地は広大です。北京大学も清華大学も清の皇帝が遊んでいた庭園に建てられています。敷地内には樹木が多く、夜の帳が降りると周囲から見えづらいポイントがたくさんあります。中国の若者たちの恋愛は、日本よりもワイルドです。

▶ 「男はみんな下心を持っている」を意味することわざ

中国にはこんなことわざがあります。

「天下のカラスはみな黒い」

 もともとは、誰もがみな悪いことを企んでいるという意味です。カラスは世界中どこへ行っても黒いので、それになぞらえています。そして、そこから発展して、男はみんな下心を持っているという意味でも使われています。

 街で女性を口説いている男性がいると、傍らにいる女性の友達が「天下のカラスは黒い」と言って忠告するわけです。日本でも「男はオオカミ」と言いますよね。それに近い表現です。

 中国では数年に一度、“掃黄運動サオホワンユントン”を行います。黄色は日本でいうピンク、つまり、エロ・性的なものを意味します。掃黄運動は、街からポルノをはじめ性的なものを一掃する運動です。

▶ 性風俗を取り締まると非合法なビジネスが横行する

 日本でも2000年代の初めに、当時の石原慎太郎都知事が「東京の犯罪を一挙に減らす!」という公約の通り、歌舞伎町の性風俗店を取り締まりました。治安はよくなったかのように見えましたが、合法的な風俗店が減り、その分非合法な性ビジネスが増えています。

 その象徴のひとつが、今問題になっている大久保公園周辺の売春でしょう。日本各地から来た家出少女たちが歌舞伎町に集まり、自分の意思で誰にも管理されずに売春行為を行っています。出張でやって来るビジネスマンや若者、海外からの旅行者が買春をし、梅毒をはじめとする性病の拡散が問題視されています。

 オスがメスに好意を持って近づくのは生き物の本能です。それに応じて草むらでするのも本能です。民主主義も社会主義も関係ありません。どこまで自由にさせるか、何を規制するのかは常に難しい判断です。

 

<参考>

・武田一顕『日本人が知っておくべき中国のこと』(辰巳出版)