2011年3月11日14時46分18秒
福島に従妹家族が住んでいた。
原発や海から約10km前後の所に住んでいた。
俺ん家も大した被害は無いが家の中は荷物が散乱・停電だった。
発電機が有るので地震当日からお風呂は入れたがな(笑)!
自分の身の周りを片付けて従妹に電話(携帯にな)するが『電波の届かない※※※※※※』だった。
一応NETで岩手・宮城・福島の死亡者リストを1週間当たってみた。
死亡者リストには従妹家族の名前は無かった!
そして、もう1度 従妹に電話(ワン切り)繋がった←俺がコールし過ぎて電池切れに成らない様にワン切りな
後から電話があって、やはり、電池はギリギリだった。要件と迎えに行く場所を聞いて直ぐに電話を切った。
この電話から3日~4日後に『ほぼ宮城県じゃねェ~』って避難所に逃げていた。
取り合えず、俺の車は9人乗りのワゴン車(ディ~ゼル)なので燃料調達は簡単だった!
従妹Mを迎えに行く当日叔母さん夫婦と従弟が朝、暗い内から来た。
叔父さんが到着して直ぐ『めた坊(ここは本名)じゃあ、行くべ! 』って言った。
俺が『道路の状況が判らないから、もう少し明るく成るまで出発はしない』って言うと叔父さんは撃沈(笑)!
その後、明るく成って出発、道中 叔父さんが渋滞にハマると『こっちの道に行こう』っとか言ってきたが
『道路の状況が判らないので渋滞しても国道で行く』っと俺の一言でまたもや撃沈(笑)!
その後、無事に従妹家族を茨城に連れ帰って(帰りは従弟の運転)ミッション終了!
自宅に帰って叔父さんの開口一言・・・『めた坊(ここは本名)お前凄く恐ろしい位、冷静だよな!』
・当たり前だろう!、
・俺は 本家の長男なんだよ!、
・相談する相手も居ないんだ!、
・俺の判断が間違ったら皆 共倒れなんだぞ!
・その他、色々不満が、
喉元まで出たが言わなかった(笑)!
俺って、本当に大事な事は
サイレントクレ~マ~ だから(笑)!
あ”ッツ。! 今日は、チョット愚痴りました。。。