11月5日
以前から、長浜市へは行ってみようと考えてはいたんです。
大阪からも、京都で一度乗り換えるだけで行きやすい。
その後、電車の乗り換えにも慣れてきたりして、いろいろ調べてみたら、対岸の今津から竹生島を経由して長浜まで向かう、湖上の遊覧船ルートがあると知って、それにしようと決めたのでした。
夜明け前から部屋を出て、JR京都線。
山科駅で乗り換えて、乗船の1時間前の8時半に近江今津駅に到着です。
来年は、滋賀県開催なんだね。
琵琶湖周航の歌 誕生のまち 今津
駅の真正面に、遊覧船乗り場が見えました。
さて、1時間、なにをして暇つぶししようかな。
「ひつじぐさ」という水連を育てています。
「琵琶湖周航の歌」の元のメロディは「ひつじぐさ」という歌で、そのメロディに京都大学の水上部のクルーが歌詞を変えて歌ったのが始まり と、看板に書いてありました。
なので、ひつじぐさを育ててるんだね。
はい、このあと、竹生島経由で長浜に向かいます。
遊覧船乗り場近くの西福寺
こちらは、泉慶寺
琵琶湖の湖畔沿いの道は、いかにも昔の街道の面影があります。
道路が赤茶けた色になっているのを、新潟でも見かけたことがあります。
雪が降った時に下から温泉の湯を出して溶かすシステム。温泉の成分の鉄分でこんな色になってました。ここも同じかな?
マンホールのデザインは、ひばりと座禅草。
座禅草を調べたら、まるで、紫色のミズバショウって印象でした。
マンホールも排水溝も赤茶色。こちらは、ボートを漕ぐ絵柄です。
街道から湖畔に降りる細い路地を「辻子」(ずし)って言うそうです。
少し歩くだけでも、いくすじもの「辻子」がありました。
古い時代からの船着き場の雰囲気が、石垣から感じられます。
おそらく、以前はここまでが湖畔で、横向きの階段は湖面に降りるためのもの残っているようでした。
ビーチ ってかんじ
遊覧船の乗り場のほうに戻ってきました
たぶん、これも、マンホールのデザインと同じヒバリだね
琵琶湖汽船のスタッフジャンパー
桟橋の下で朝釣りを楽しむ人がいました。
この船の名前は「いんたーらーけん」
スイスの年の名前だけれど、琵琶湖畔でダントツの最大の都市「大津市」と姉妹都市なんだそうです。
この写真を見て気づいたんだけれど、上に電球がいっぱい付いてる。
暗くなってからはキレイなんだろうな
始発の船はさほど込んでなかったけれど、肌寒かったからか、室外の2階に来たのは僕だけでした
やっぱ、船はいいなぁ。
こういう航跡を見ると、いつも思うのです。
竹生島が近づいてきました
右が、竹生島と今津港を往復する船
左は、竹生島と長浜港を往復する船
「びわこ国体 竹生の火 採火地」
来年の国スポでも同じイベントがあるのかな?
殺生禁断の地と刻まれています。聖域ということなんだろうと思いました。
急な石段を上りきると、宝厳寺(ほうごんじ)手洗い手水舎
本堂(弁財天堂)
弁財天というと江の島を思い浮かべるけど、厳島神社もそうで(勉強不足)
日本三大弁財天 と呼ばれているそうです。
三重塔は、2000年の再建
右でスマホを顔の前に構えて写真を撮っている女性は、実は全盲のかたでした。
ボランティアの方の介助で急階段を上り降りし、説明を受けながら撮影していました。
会話はとても前向きで明るかったです。
2000年と最近再建されたので、石灯籠にはハートマークがデザインされていました。
というのも、ボランティアの説明を盗み聞きして知りました。
階段を降ります
国宝・唐門
後ろの繋がっている建物は観音堂
唐門は、秀吉を祀る京都の豊国神社から、後ろの観音堂も京都から、いずれも秀頼の命で移築されたものだけれど、狭い土地条件からくっついて建てられたそうです。
とくに唐門は、豊国神社の前は大阪城の極楽橋を覆うように立っていたことが近年に判明して、豊臣時代の大阪城の唯一現存する貴重な遺構。
観音堂から続く「舟廊下」(重文)
都久夫須麻神社(すくぶすま)
通称・竹生島神社
舟の時間が迫っていて、ここはゆっくり見れなかった。
1時間では、僕にはちょっと足りなかったな。
舟廊下の下は、こんなふうになってたんだ!
長浜行きの船から、竹生島神社の全景が見えました。
長浜城が見えてきました
大きな観音像?も見えたけど、そっちには行かなかったです。
学習船「湖の子」ってなんだろう?
子供たちが力を合わせて漕ぐボートを連想したんだけど、全然違いました。
検索して調べたら、とても面白かったですよ。
さ、長浜市に上陸です。